BLUE BLOOD BLOOM

紺坂紫乃

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Ⅶ, 堕ちた戦星(いくさぼし) (前)

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Ⅶ、「堕ちた戦星」(前)


 目を覚ますのが恐ろしいと思ったのは初めてだった。狸寝入りをしていても何も解決しない、などという正論には耳と心を閉ざす。
 失敗と失態を重ねたボクに、父の口から宣告される言葉を受け止めきれる自信がないのだ。利用されていても構わなかった。おおよそ父がボクに求めるのは「利用価値」だと、ずっと気づいていたから。

(……利用されてもいい。見捨てないで。ボクは、『異界』しか行く場所がないから……)

 同胞は、もう諦めた。諦めるしかなかったが正しい。彼女はもう決してボクを見てはくれない。理性で抑え込んでいても、まだ自身の体内でくすぶる「感情」があった。これが「未練」か、とノラは目を閉じたまま、流れてくる涙の熱さを感じていた。

「ノラ」

 父の声だ。
 目を開ける恐怖が再燃する。
 第一声はなんと言われるだろうか。
 
 ノラはおそるおそる瞼を持ち上げた。

「そのままデ良い。お前ガ動けぬ間の代わりハ用意しテいる」

「代わり……? でも、ボクは、もう……」

 身体を起こそうとしたが、何も着ていない上半身の真ん中が猛烈に痛んだ。

「……う、ぐ……!!」

「身体と同化しテいた呪詛を取り出さレタのだ。内臓を失ったト同義。痛むノも自明。ゆえに傷ヲ癒せ」

「ボクは、まだ使えるんですか?」

「お前ガ『BLUE ROSE』でアル以上、この戦いの最前線に立っテもらう。死神ノ娘が求メたヨウに、お前ノ存在意義ハ戦うことダ。忘れルでない」

「父さん、ボクは――!!」

 もう戦いたくない、と口にする間もなく犬神はノラの言葉に耳を傾けずに部屋と言うにはあまりにお粗末な空洞を出て行った。

「戦意喪失している小僧をまだ使うつもりかや? 鬼畜の所業じゃなあ。其方そなたに似つかわしい」

 空洞から出てきた犬神に声をかけたのは、武装した女だった。
 小柄な女は象牙色の肌と紅い唇が蝋燭の灯りに照らされる。不思議と艶めかしい雰囲気は感じられない。どちらかというと、闇夜にあっても清廉な印象を受ける。女戦士は不機嫌そうだった。

「よもや、あの犬畜生にも劣る小僧の代わりがわたくしだとは言うまいな?」

「貴殿が我ラの側に就くとは、あの忌々シいルシファーでも見通セまい。成果を持チ帰るなラば、貴殿デあろうガ、ノラであろうガ、構わぬ。結果ガすべてダ」

 女戦士ににたりと笑って、犬神は背を向ける。女戦士は落ちていたガラスの破片をブーツで踏み潰した。

「結果が全てじゃと……!? 高貴なるわたくしと『BLUE ROSE』の子供を天秤にかけたこと、後悔するがよい!!」

 怒りで震える女戦士の唇に、紅よりも鮮やかな紅い珠がぷつりと浮かんだ。





「メフィストが犬神憑きの呪詛が埋められている地図を作る。それまでお前は剣を磨け」

 エルがそう言ったのが昨日の夜だ。
 エルの命令通りに動くのは癪だったが、雪に稽古後の道場を借りて、道場を壊さないように注意を払いながら、ユーリは四将とB3を相手に乱戦を行っている。
 寒気など忘れてしまったかのように、汗がだくだくと流れるユーリに反して、相手は汗ひとつかいていない。特に厄介なのは、やはり戦闘特化型であるB3だった。

「俺とお嬢さんは戦い方が似ているせいかな。動きが解りやすいんだ。武器の性質上、小回り重視で一撃が軽いから致命傷になりにくい」

「……あんたの一撃は骨が軋むんだけど……」

「そりゃまあ、ね。俺がガキの姿をしているのは燃費がいいって利点と、敵を欺きやすいってだけ。攻撃を打ち込む時はちゃんと本来の力配分で戦ってるよ。これでも加減してるからね」

 道場の床にぽたぽたと汗の雫が落ちる。首にかけたスポーツタオルで拭っても、次から次へと汗は流れてくる。

「休憩しよう。十五分後にはAと交代ね」

「待ってよ。まだあんたの攻略方法が見つかってないのに……」

 食い下がるユーリにB3は「だーめ」とデコピンをお見舞いした。

「水分と塩分の補給が先。お嬢さんは無限体力馬鹿のB1やB2と違う。それに俺の攻略法を身に付けても意味が無いよ。お嬢さんに必要なのは『経験とバリエーション』だ」

「むう、それって色んな相手と戦えってこと?」

「間違っちゃいないけど……。駄目だ。俺には説明が難しすぎる。アスモ、交代して」
「あ、逃げた!!」

 気だるい表情と雰囲気に反して、逃げ足の速いB3に交代されたAはスポーツドリンクが入ったボトルをユーリに渡し、無理やり座らせる。

「レディ、B3の言い分は正しい。刀で戦うあなた様と、体術と魔法を駆使して戦うB3は、『戦術』は似ていても『戦法』が全く違うのです」

「じゃあ、私が学ぶべきはあなたかエルの二択になるわよ?」

 氷の入ったスポーツドリンクを飲みながら、ユーリは袴を直し、正座でAの話を聞く。

「如何にも。しかし『戦術』とは戦の大局を、『戦法』は個人の戦い方と仮定した場合、まだ経験の少ないレディが、多くの『戦法』の攻略法を学んでおいて損はありません」

 やっと納得したのか、ユーリは「はい」と素直に頷く。Aも「よろしい」と首肯する。

「では、今後のレディが学ぶべき具体的な案はなにか――それは休憩後の実戦で見出して下さいませ」

「わ、わかった――!!」

 ユーリはAに一礼すると、風を浴びに外に出た。当然ながら、二月の下旬に入った日本の風は乾いて冷たい。しかも、汗が一気に冷えてユーリは身震いする。

「さむ、い……中に入ろ」

 すぐに戻ってきたユーリにB1が「バッカじゃないのー」とけらけらと笑う。その後を追いかけていると、ユーリの眼前が黒いマントで覆われる。

「わ、エル!! なにすん、の、よ……」

「あんな奴と間違えるな」

 不機嫌な声を露わに現れたのは、「薔薇の死神」の姿をした父ヴィンセント・シルバだった。

「パ、パ……?」

 急に身を固くする娘に「火急の報だ。魔王はどこだ」とヴィンセントは尋ねた。

「え、っと……」

「ここだが?」

 ユーリが答えに窮していると、どこからともなくエルが現れる。

「火急の用をなぜ俺達に持ってくる? 例の一件なら、万神庁パンテオンの職務怠慢が原因だ。お前と『神殺しの聖女』の役目だろうが」

「うるせえ。事情が変わった。相手が相手だ。この一件は『聖騎士パラディン』と『聖女』の共同戦線に変更された」

「はっ、相変わらず神界はご都合主義だな」

 父とエルの間に火花が散るのを、ユーリはびくびくとしながら両者を見比べる。

「生憎だが、こっちはメフィストの手が離せん。ユーリを連れていくのは勝手だが、俺達『魔界』の者には万神庁の命令を拒否する権利がある――死神が忘れた訳はあるまい」

「……『聖騎士』の下に属しながら、主を見捨てる気か?」

「ユーリの下に俺達が就いたことに誰よりも怒っていたのは死神――てめえだろう。こういう時だけユーリを称号持ちの娘として見るのか。反吐が出る」

 エルがこうもあからさまに嫌悪を顔に出したのは初めてだ。ユーリも、対峙している父ヴィンセントも、平行線のまま決して交わろうとしないエルの態度や控えているA達が放つ拒絶の空気を痛々しく感じる。

 先に折れたのは父だった。

「……わかった。お前達の意向は万神庁に伝えよう」

「俺が腹立てているのは、貴様になんだがな――死神」

「ああ、俺も勝手は承知だ。今回ばかりはてめえが正しいな……ルシファー」

「パパ、待っ――!!」

 ユーリが止める間もなく、父はマントを翻して消えた。ユーリは振り返り様、エルの服に掴まって揺さぶる。

「ねえ、なにが起こっているの!? 私への出動要請をどうして拒否したの!?」

「万神庁を守護していた戦女神イシュタルが『異界』側に就いた。芋づる式で、イシュタルを崇めるメソポタミア系の神々数百を連れてな。神界の一部は既にイシュタル側に落ちた。今朝の出来事だ」

 『異界侵攻』はしばらく起こらない――が、犬神は全く違う方法で神界と人界を攻めてきている。
  いくら万神庁の命令だとしても、あの父がここを訪れことには抵抗があったに違いない。ののしられる覚悟も、恥もかなぐり捨てて、父はユーリの下へ、上層部からの『通達』を持ってきたのだ。ヴィンセント・シルバの心は殺して、ただ事務的に――。

 ユーリはエルの服を離して、着替えに向かおうとした――が、その手をエルに取られる。

「どこへ行く気だ?」

「解りきっていることを訊かないで」

「お前を許さなかった父親を、お前は許すのか?」

「許すとか許さないとかの問題はこの際後回しよ!! 『聖騎士』である私は・・行くんだから!! 甘ったれでもいい。解り合えなかったまま失って後悔だけはしたくない!!」

 エルの手を振り払って、ユーリは母屋へ着替えに走った。道着と袴は洗濯籠にも入れず、戦闘服にしている軽い素材の衣装に着替えると窓から飛び出す。

「ファング、一方通行でいい。私を神界に送って!!」

「……ユーリ様、本当によろしいのですか?」

「私は私のしたいようにするだけよ。彼らも、彼らの自由にすればいい」

 せっかく解り合えた仲間の手を、もう離すことになるとは。

「皮肉ね。自分勝手な主人でごめんなさい」とファングが開いたゲートを通りながら、言い残し、神界へと踏み出した。

 いつかも父を追って、このゲートを潜った。
 ノラと初めて出逢った七年前――なにも知らなかったあの頃も、ただ父の安否だけを気にしていたのを、ユーリは今も鮮やかに覚えている。


to be continued...
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