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破
Ⅵ, 千年大辻
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Ⅵ、「千年大辻」
ジョン=F=ケネディ空港での待ち時間、雪とユーリはカフェに入ったり、チェルシー地区で途中だった買い物の続きをしたり、時間を取り戻すように過ごした。しかし、何をしてもユーリの笑顔には疲れが浮かんでいる。
「無理はしなくてもいいんだよ?」
「いいの。なにかしている方が、気が紛れるもの」
雪の優しさだけに依存することに抵抗はあるが、一人で立つ自信もない。ユーリはどんどんと陥る自己嫌悪の暗くて深い穴の中で足掻いていた。
雪も考えあぐねていた。こういう時、ユーリの母と雪の姉のように、本音でぶつかりあい、頼るべき友人がユーリにはいない。それは雪もよく知っている。いつもたった一人で苦しんでいる彼女――雪だけでは補えない部分があるのも長年の悩みだ。
先延ばしにしてきた問題に、二人はまさに直面している。
やっと乗り込んだ飛行機で寝付けずにいるユーリは、独り言のように真っ暗な外を眺めながら雪に心情を吐き出した。
「このままじゃ駄目なのは解っているつもり。ただ、ショックだったの。偉そうな口を叩いて『魔界』から引っ張り出して、パパも敵に回したのに、『魔界』の彼らと私の間には大きな隔たりがあって、攻略の方法がわからないの……」
「ユーリ……いや、なんでもないよ。おやすみ」
何かを言いかけた雪だったが、彼にしては珍しく言葉を中途半端にしたまま眠ってしまった。
「雪くんも、呆れちゃったかな」
ユーリは仕方ないと己に言い聞かせて、ブランケットに包まった。機内の窓は冷たく、冷えた窓から入ってくる冷気はどんなにブランケットに抱きついても離れなかった。
◇
翌日の早朝、成田国際空港に降り立ったユーリと雪がタクシー乗り場に向かおうとすると、ラウンジでユーリの眼の前に女装をした男が立ちはだかった。
「……べリア、ル!?」
女装男――べリアルは無言で突如ユーリに手加減なしの平手をお見舞いした。
「い、ったいわね!! なにすんのよ!!」
「それはこっちのセリフよ、お馬鹿娘!! うじうじと見るに堪えない態度しくさって!! 大口叩いてあたし達を表舞台に連れ出したのは誰よ!! あの時のあんたは勢いだけだったっていうの!? 冗談じゃないわよ!! 最高に退屈させない毎日を過ごさせてくれるんじゃなかったの!? あんたが信じないのに、あたし達にはあんたを信用しろって? 甘ったれんのもいい加減にしなさいよね!!」
B1の痛烈な一撃に、ユーリは腫れあがる頬を押さえたまま、言葉が出ない。
「……あーあ、まじでやったよ、あのオカマ」
「ブチ切れてるのは理解できるけどさあ、普通手加減はするよね。お嬢さん、歯が折れてないと良いけど」
B2とB3――ベルゼブブとベルフェゴールは、少し離れた待合所の椅子から二人の様子を眺めていた。止めには入らないらしい。
「なんとか言いなさいよ。それとも、優しーい婚約者様にしか本音は言えないっての?」
「痛い――以外に言葉が見当たらないわよ、このオカマ!!」
ユーリも衆目を気にせず、殴り返した。
「あ、お嬢さんは拳だ」
「どっちもどっちだな」
冷静に実況するB2とB3、新聞を広げて溜息を吐いたのはAことアスモデウスだ。
「あんた……あたしの美しい顔に、拳ですって!?」
「うっさい!! 自分で美しいとか言うな!!」
ユーリはとうとうぼろぼろと大粒の涙を流しながら、B1に叫んだ。
「トモダチなんて、居なかったもん……。一人っ子だし、学校には行けなかったし、幼馴染は道場から離れちゃうし。他人を信じるなんて……どうやったらいいのか、教えてよお……」
「バッカじゃないの? 本当にまだお子様じゃない。秘密にされて距離を感じたんだったら、今みたいに殴ればいいじゃない。少なくとも、あたし達はあんたに殴られたくらいで壊れる人間とは違うの。下手に物わかりのいいフリをされるより、そうやって大泣きされる方がスカッとするわ」
ユーリの栗毛に手を差し込んでぐしゃぐしゃにしたB1の手は雪とは違った意味で大きい。ただネイルで固められた爪が当たって少々痛いが、対等な関係を表してくれる手だ。
しかし、やはり殴られたのは腹が立つので、B1が貸してくれたハンカチで思いっきり鼻をかんでやったら、頭をぺしりと叩かれた。
また睨み合いが始まったところで雪のストップがかかる。
「その辺にしてあげてくれないかな」
「なによ。言っておくけど、手を上げたのは謝らないわよ」
「うん。そうじゃなくてさ、……警備員さんが来そうだよ?」
「そういうことは早く言いなさいよ!!」
B2達はとっくに逃げてタクシーに乗ろうとしている。
「あいつら……!!」
見捨てられたB1はユーリを小脇に抱えて警備員を撒き、同じくタクシーに乗り込んだ。
◇
「雪くんはベリアル達が待ち伏せしているって知ってたの?」
「まあね。飛行機に乗っている時にB3に『B1がなんとかするから任せて』って耳打ちされたんだ」
「そうだったんだ。あの子、働きたくないって割には、あんた達の中で一番しっかりしてるんじゃないの? 見習いなさいよ」
すっかり気が抜けたのか、自分の事情は棚に上げて助手席のB1をからかうようにそう口走るユーリの顔に裏拳が飛んできた。当たらなかったせいで、B1は思いっきり舌打ちする。
「外見で判断すると痛い目を見るわよ。あいつはメフィストの次に歳くってるんだから、あんたみたいな小娘は足元にも及ばないわ」
「え、ってことはAよりも年上なの?」
「そうよ。ガキの姿の方が体力の消費も少ないし、小回りが利くってだけで中身はじいさんなの」
衝撃の事実だ。あのぼやっとした外見にすっかり騙された、とユーリはぶつぶつと呟く。
「ま、あいつの正体はその内解るでしょ。それよりも、気の休まらない日だわ――あたし達をどこに連れていくつもり? 運転手さん」
B1の指摘に運転手がびくりと肩を揺らす。『異界』からの刺客かと後部座席で身構えるユーリ。
「指輪は光ってない……?」
「『異界』とは関係ないし、憑依されている匂いもしない。あんた、本当にただの人間ね。目的は?」
「も、申し訳ございません……!! あなた方を乗せる直前に足元から恐ろしい声が聞こえたのです。『日本橋の千年大辻を通れ』と。直後に左足に痛みが走りました。確認すると犬に噛まれたような痣があったのです……!!」
犬神の仕業に違いないとユーリとB1は険しい顔をする。しばらく『異界侵攻』はないと踏んでいたが、こういう戦法は予想外だ。
「ところで『千年大辻』ってどこよ。日本橋が架けられたのは慶長五年。千年どころか五百年も経ってないでしょ?」
「はい。私も詳しくは存じ上げないどころか、ナビにも映りません。しかし……日本橋に近づくに連れ、痣が痛みを増しておりまして……」
「それに従って走行していたって訳か――B3、メフィストは?」
「別件で城に帰ってる」
B2と別のタクシーで移動しているのかと思いきや、どうやら走行するこのタクシーの上にB3は居るらしい。上から降ってくる少年の声に、ユーリと雪もどきりとする。
「こういう時に限って……!! 仕方ないわね、あたし達で処理するか」
「はいはい。要はお嬢さん達が『千年大辻』を通らなきゃいいんだろ? 運転手さん、痣の痛みが最も強くなる場所の手前で俺に教えて」
「は、はい!!」
今走っているのは日本橋二丁目付近だ。『千年大辻』がどこかは不明のまま、タクシーは日本橋に差し掛かった。だが、日本橋自体に異常はなく、通り過ぎた直後の脇道に急ハンドルを切った。
「こ、ここです!!」
「りょうかーい」
脂汗まみれの運転手が、急ブレーキをかけた。
「う、わあ!!」
ユーリ達を襲ったのは浮遊感。窓の外に見えるのは、東京にまだこんな街並みが残っていただろうかと錯覚する一面の茶色い畑と山だった。
「あー、ここだね。呪詛が埋められてら。お嬢さん、脇差を貸してくれる?」
「う、うん」
運転手に頼んで、後部座席の窓を開けてもらいユーリは脇差を投げ捨てた。左手でタクシーを担いでいたB3は落ちてきた脇差を右手で受け止め、鞘の下げ緒を口にくわえたまま抜刀する。
「辻に犬の頭の灰を埋めて犬神憑きを作る、か――残念でした」
B3は畑沿いの大辻――交差点に脇差を突きたてた。
舗装されてない道からは、耳をつんざく悲鳴が黒い煙と共に空へと上って行った。
「よっこいしょ」
B3が持ち上げていたタクシーを置くと、窓の外の風景は見慣れた車が行きかう都会に変わった。
「脇差、ありがとう」
「こ、こちらこそ。助けてくれてありがとう。さっきのは、犬神の呪詛?」
「そうだよ。詳しくはお嬢さんの家に着いたら話すね」
それっきりB3の声は聞いていない。運転手もB1が記憶を操作したようで、なぜここを走っているのか解らない様子で「ナビの故障があったようで遠回りをしてしまいました、誠に申し訳ありません」と謝り倒した上に、料金は半額にしてくれた。
巻き込んでしまったタクシーのテールランプを見送りながら、ユーリは一息ついた。
「なんだか、こっちが悪い気がしちゃった」
「気にすることないわよ。姑息な手を使ってきたのは犬神なんだから」
あっけらかんとしたB1はそそくさと雪が鍵を開けた道場から続く母屋に入って行った。
◇
雪が不在の時は近所の管理人に部屋の掃除を任せているため、母屋も道場も埃が溜まっている場所は無かった。久しぶりに香る藺草の匂いにユーリはほっと息をつき、お茶の準備をする雪を手伝った。
「それで、さっきの『千年大辻の呪詛』について話してくれる?」
茶請けのスナック菓子に飛びついたB3に説明を求めると、口の中をぱんぱんにしたまま話そうとする。
「先に飲みこみなさい!!」
熱い玉露を差し出すと、一気に流し込んで「ぷはっ」と息を吐く。仕草がまるっきり子供だ。
「何から話そうかな。こういうのはメフィスト様の領分だから苦手なんだけど、まず犬神憑きの呪詛の作り方は知ってる?」
「飢餓状態にした犬の首を切って、焼いて、できた灰を辻道に埋める」
「そう。一千年前にすでに禁術にされたくらい、ポピュラーで古い民間伝承の呪詛なんだよ。その目的は聞いた?」
「辻道を通る人に呪いをかけるんじゃないの?」
「半分正解。正確には呪いたい対象に灰を埋めた辻道を通らせて犬神憑きに仕立て上げる、っていう呪詛なんだ。そして犬神憑きは遺伝する。地方によっては人間どころか、有機物、無機物関係なく取り憑くとさえ言われていて、人界では実態が掴めない部分が多い」
では永久凍結牢に囚われていた犬神はなんなのだろうか。ノラの役目も気になるところだ。
「犬神憑きは『犬神持ち』とも呼ばれる。昔は情緒不安定な人や奇行に走る人には犬神や狐が憑いていると言われていた。それくらい長い年月、動物の霊ってのは畏怖の対象だった。それが具現化し、身体と強い呪力を持つに至ったのが『異界』に封じられていた犬神なのさ」
「じゃあ、ノラは? 斬り込み役としていち早く人界に入り、体内に埋められた呪詛を振りまいて『犬神憑き』の人間を『異界』側の戦力にする計画だったんでしょ?」
B3は煎餅をばりばりと食べながら「そうだよ」と答える。
「でも今日の一件で、新たに解ったことがある。王様とメフィスト様は既に対策を立てているかもしれないけど、早めに合流した方がいいな」
「わかったことって……」
「ノラが呪詛を振りまくまでも無く、日本は各地に犬神憑きの辻道が散らばってる、とか?」
「せいかーい」
ユーリが言いにくそうにしていた言葉を代弁した雪を、B3は軽い調子で指さした。その後頭部をB1が「ちょっとは緊張感を持ちなさいよ!!」と殴った。
「軽く言おうが、重く言おうが、現実は変わらないだろ」
「そうだけど!!」
「さっきも言っただろう? どうせ王様とメフィスト様が対策を立てて持ってくるよ。俺達はそれに従うだけだ」
すっかり受け身の体勢でいるB3に反して、考え込む風をしているのはユーリだった。
「犬神の最終目的は四国・山陰地方だって言ってたよね」
「そうだけど……なに考えてるの? 呪詛に詳しいメフィスト様が慎重に動いている今、お嬢さんの安易な発想には賛同しかねるよ」
ユーリは湯呑みを置いて、B3に気圧されながらも案を口にした。
「最終目標が犬神信仰が盛んだった土地だって言うなら、そこにのこのこ出て行くのは罠に出向くようなものでしょ。今の『異界』はノラがいないから攻めに出られない分、監視の目は厳しい。それを逆に利用して、『魔界』勢で罠を排除して欲しい!! 最終決戦の地の辻道を全部破壊するのは今しかない!!――と、思ったのです……」
勢いで語り始めたはいいものの、最後は自信が無くなって尻すぼみになってしまった。B3は相変わらず眠そうな目のまま、雪やB1はユーリの勢いに驚いている。
沈黙が痛い。
そう思っていた時に、誰かが後頭部をべしりと叩いた。
「ベリアル!! また……って、あれ?」
「なんでもあたしのせいにしないでよ」
「俺が話にきた内容を全部言ってくれたな。感謝はしないが」
「やっとお嬢様も我らの思考に近づいてくれましたか」
「エル、メフィスト」
どこから現れたのか、エルとメフィストがほとんどB3に食いつくされている茶菓子の一つを摘まんだ。
「そういうことだ。呪詛の反応はメフィストに調べさせる。人海戦術になるが、決行は明後日だ。ベルフェゴールは変わらず雪の護衛。ベリアルは捜索隊に加われ」
「はーい!!」
エルの命令にベリアルは目に見えて喜ぶ。そんなベリアルを無視してエルはユーリを呼んだ。
「は、はい」
「大将がびびってんな。今回の作戦は秘するまでもない。お前の言った通りだ。犬神憑きが埋まっている辻道、片っ端から斬れ」
「わかった!!」
雪が「明後日から忙しくなるね」と言うと、エルが「俺としては戦っている方が楽なんだがな」とすっかり冷めたユーリの玉露を勝手に飲んだ。
胸が高鳴る。
ベリアルに殴られた頬はまだ熱を持っているが、ひとつでもエル達と考えを共有し、行動に移す――仲間と呼ぶには、まだくすぐったいけれど。
to be continued...
ジョン=F=ケネディ空港での待ち時間、雪とユーリはカフェに入ったり、チェルシー地区で途中だった買い物の続きをしたり、時間を取り戻すように過ごした。しかし、何をしてもユーリの笑顔には疲れが浮かんでいる。
「無理はしなくてもいいんだよ?」
「いいの。なにかしている方が、気が紛れるもの」
雪の優しさだけに依存することに抵抗はあるが、一人で立つ自信もない。ユーリはどんどんと陥る自己嫌悪の暗くて深い穴の中で足掻いていた。
雪も考えあぐねていた。こういう時、ユーリの母と雪の姉のように、本音でぶつかりあい、頼るべき友人がユーリにはいない。それは雪もよく知っている。いつもたった一人で苦しんでいる彼女――雪だけでは補えない部分があるのも長年の悩みだ。
先延ばしにしてきた問題に、二人はまさに直面している。
やっと乗り込んだ飛行機で寝付けずにいるユーリは、独り言のように真っ暗な外を眺めながら雪に心情を吐き出した。
「このままじゃ駄目なのは解っているつもり。ただ、ショックだったの。偉そうな口を叩いて『魔界』から引っ張り出して、パパも敵に回したのに、『魔界』の彼らと私の間には大きな隔たりがあって、攻略の方法がわからないの……」
「ユーリ……いや、なんでもないよ。おやすみ」
何かを言いかけた雪だったが、彼にしては珍しく言葉を中途半端にしたまま眠ってしまった。
「雪くんも、呆れちゃったかな」
ユーリは仕方ないと己に言い聞かせて、ブランケットに包まった。機内の窓は冷たく、冷えた窓から入ってくる冷気はどんなにブランケットに抱きついても離れなかった。
◇
翌日の早朝、成田国際空港に降り立ったユーリと雪がタクシー乗り場に向かおうとすると、ラウンジでユーリの眼の前に女装をした男が立ちはだかった。
「……べリア、ル!?」
女装男――べリアルは無言で突如ユーリに手加減なしの平手をお見舞いした。
「い、ったいわね!! なにすんのよ!!」
「それはこっちのセリフよ、お馬鹿娘!! うじうじと見るに堪えない態度しくさって!! 大口叩いてあたし達を表舞台に連れ出したのは誰よ!! あの時のあんたは勢いだけだったっていうの!? 冗談じゃないわよ!! 最高に退屈させない毎日を過ごさせてくれるんじゃなかったの!? あんたが信じないのに、あたし達にはあんたを信用しろって? 甘ったれんのもいい加減にしなさいよね!!」
B1の痛烈な一撃に、ユーリは腫れあがる頬を押さえたまま、言葉が出ない。
「……あーあ、まじでやったよ、あのオカマ」
「ブチ切れてるのは理解できるけどさあ、普通手加減はするよね。お嬢さん、歯が折れてないと良いけど」
B2とB3――ベルゼブブとベルフェゴールは、少し離れた待合所の椅子から二人の様子を眺めていた。止めには入らないらしい。
「なんとか言いなさいよ。それとも、優しーい婚約者様にしか本音は言えないっての?」
「痛い――以外に言葉が見当たらないわよ、このオカマ!!」
ユーリも衆目を気にせず、殴り返した。
「あ、お嬢さんは拳だ」
「どっちもどっちだな」
冷静に実況するB2とB3、新聞を広げて溜息を吐いたのはAことアスモデウスだ。
「あんた……あたしの美しい顔に、拳ですって!?」
「うっさい!! 自分で美しいとか言うな!!」
ユーリはとうとうぼろぼろと大粒の涙を流しながら、B1に叫んだ。
「トモダチなんて、居なかったもん……。一人っ子だし、学校には行けなかったし、幼馴染は道場から離れちゃうし。他人を信じるなんて……どうやったらいいのか、教えてよお……」
「バッカじゃないの? 本当にまだお子様じゃない。秘密にされて距離を感じたんだったら、今みたいに殴ればいいじゃない。少なくとも、あたし達はあんたに殴られたくらいで壊れる人間とは違うの。下手に物わかりのいいフリをされるより、そうやって大泣きされる方がスカッとするわ」
ユーリの栗毛に手を差し込んでぐしゃぐしゃにしたB1の手は雪とは違った意味で大きい。ただネイルで固められた爪が当たって少々痛いが、対等な関係を表してくれる手だ。
しかし、やはり殴られたのは腹が立つので、B1が貸してくれたハンカチで思いっきり鼻をかんでやったら、頭をぺしりと叩かれた。
また睨み合いが始まったところで雪のストップがかかる。
「その辺にしてあげてくれないかな」
「なによ。言っておくけど、手を上げたのは謝らないわよ」
「うん。そうじゃなくてさ、……警備員さんが来そうだよ?」
「そういうことは早く言いなさいよ!!」
B2達はとっくに逃げてタクシーに乗ろうとしている。
「あいつら……!!」
見捨てられたB1はユーリを小脇に抱えて警備員を撒き、同じくタクシーに乗り込んだ。
◇
「雪くんはベリアル達が待ち伏せしているって知ってたの?」
「まあね。飛行機に乗っている時にB3に『B1がなんとかするから任せて』って耳打ちされたんだ」
「そうだったんだ。あの子、働きたくないって割には、あんた達の中で一番しっかりしてるんじゃないの? 見習いなさいよ」
すっかり気が抜けたのか、自分の事情は棚に上げて助手席のB1をからかうようにそう口走るユーリの顔に裏拳が飛んできた。当たらなかったせいで、B1は思いっきり舌打ちする。
「外見で判断すると痛い目を見るわよ。あいつはメフィストの次に歳くってるんだから、あんたみたいな小娘は足元にも及ばないわ」
「え、ってことはAよりも年上なの?」
「そうよ。ガキの姿の方が体力の消費も少ないし、小回りが利くってだけで中身はじいさんなの」
衝撃の事実だ。あのぼやっとした外見にすっかり騙された、とユーリはぶつぶつと呟く。
「ま、あいつの正体はその内解るでしょ。それよりも、気の休まらない日だわ――あたし達をどこに連れていくつもり? 運転手さん」
B1の指摘に運転手がびくりと肩を揺らす。『異界』からの刺客かと後部座席で身構えるユーリ。
「指輪は光ってない……?」
「『異界』とは関係ないし、憑依されている匂いもしない。あんた、本当にただの人間ね。目的は?」
「も、申し訳ございません……!! あなた方を乗せる直前に足元から恐ろしい声が聞こえたのです。『日本橋の千年大辻を通れ』と。直後に左足に痛みが走りました。確認すると犬に噛まれたような痣があったのです……!!」
犬神の仕業に違いないとユーリとB1は険しい顔をする。しばらく『異界侵攻』はないと踏んでいたが、こういう戦法は予想外だ。
「ところで『千年大辻』ってどこよ。日本橋が架けられたのは慶長五年。千年どころか五百年も経ってないでしょ?」
「はい。私も詳しくは存じ上げないどころか、ナビにも映りません。しかし……日本橋に近づくに連れ、痣が痛みを増しておりまして……」
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「別件で城に帰ってる」
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「はいはい。要はお嬢さん達が『千年大辻』を通らなきゃいいんだろ? 運転手さん、痣の痛みが最も強くなる場所の手前で俺に教えて」
「は、はい!!」
今走っているのは日本橋二丁目付近だ。『千年大辻』がどこかは不明のまま、タクシーは日本橋に差し掛かった。だが、日本橋自体に異常はなく、通り過ぎた直後の脇道に急ハンドルを切った。
「こ、ここです!!」
「りょうかーい」
脂汗まみれの運転手が、急ブレーキをかけた。
「う、わあ!!」
ユーリ達を襲ったのは浮遊感。窓の外に見えるのは、東京にまだこんな街並みが残っていただろうかと錯覚する一面の茶色い畑と山だった。
「あー、ここだね。呪詛が埋められてら。お嬢さん、脇差を貸してくれる?」
「う、うん」
運転手に頼んで、後部座席の窓を開けてもらいユーリは脇差を投げ捨てた。左手でタクシーを担いでいたB3は落ちてきた脇差を右手で受け止め、鞘の下げ緒を口にくわえたまま抜刀する。
「辻に犬の頭の灰を埋めて犬神憑きを作る、か――残念でした」
B3は畑沿いの大辻――交差点に脇差を突きたてた。
舗装されてない道からは、耳をつんざく悲鳴が黒い煙と共に空へと上って行った。
「よっこいしょ」
B3が持ち上げていたタクシーを置くと、窓の外の風景は見慣れた車が行きかう都会に変わった。
「脇差、ありがとう」
「こ、こちらこそ。助けてくれてありがとう。さっきのは、犬神の呪詛?」
「そうだよ。詳しくはお嬢さんの家に着いたら話すね」
それっきりB3の声は聞いていない。運転手もB1が記憶を操作したようで、なぜここを走っているのか解らない様子で「ナビの故障があったようで遠回りをしてしまいました、誠に申し訳ありません」と謝り倒した上に、料金は半額にしてくれた。
巻き込んでしまったタクシーのテールランプを見送りながら、ユーリは一息ついた。
「なんだか、こっちが悪い気がしちゃった」
「気にすることないわよ。姑息な手を使ってきたのは犬神なんだから」
あっけらかんとしたB1はそそくさと雪が鍵を開けた道場から続く母屋に入って行った。
◇
雪が不在の時は近所の管理人に部屋の掃除を任せているため、母屋も道場も埃が溜まっている場所は無かった。久しぶりに香る藺草の匂いにユーリはほっと息をつき、お茶の準備をする雪を手伝った。
「それで、さっきの『千年大辻の呪詛』について話してくれる?」
茶請けのスナック菓子に飛びついたB3に説明を求めると、口の中をぱんぱんにしたまま話そうとする。
「先に飲みこみなさい!!」
熱い玉露を差し出すと、一気に流し込んで「ぷはっ」と息を吐く。仕草がまるっきり子供だ。
「何から話そうかな。こういうのはメフィスト様の領分だから苦手なんだけど、まず犬神憑きの呪詛の作り方は知ってる?」
「飢餓状態にした犬の首を切って、焼いて、できた灰を辻道に埋める」
「そう。一千年前にすでに禁術にされたくらい、ポピュラーで古い民間伝承の呪詛なんだよ。その目的は聞いた?」
「辻道を通る人に呪いをかけるんじゃないの?」
「半分正解。正確には呪いたい対象に灰を埋めた辻道を通らせて犬神憑きに仕立て上げる、っていう呪詛なんだ。そして犬神憑きは遺伝する。地方によっては人間どころか、有機物、無機物関係なく取り憑くとさえ言われていて、人界では実態が掴めない部分が多い」
では永久凍結牢に囚われていた犬神はなんなのだろうか。ノラの役目も気になるところだ。
「犬神憑きは『犬神持ち』とも呼ばれる。昔は情緒不安定な人や奇行に走る人には犬神や狐が憑いていると言われていた。それくらい長い年月、動物の霊ってのは畏怖の対象だった。それが具現化し、身体と強い呪力を持つに至ったのが『異界』に封じられていた犬神なのさ」
「じゃあ、ノラは? 斬り込み役としていち早く人界に入り、体内に埋められた呪詛を振りまいて『犬神憑き』の人間を『異界』側の戦力にする計画だったんでしょ?」
B3は煎餅をばりばりと食べながら「そうだよ」と答える。
「でも今日の一件で、新たに解ったことがある。王様とメフィスト様は既に対策を立てているかもしれないけど、早めに合流した方がいいな」
「わかったことって……」
「ノラが呪詛を振りまくまでも無く、日本は各地に犬神憑きの辻道が散らばってる、とか?」
「せいかーい」
ユーリが言いにくそうにしていた言葉を代弁した雪を、B3は軽い調子で指さした。その後頭部をB1が「ちょっとは緊張感を持ちなさいよ!!」と殴った。
「軽く言おうが、重く言おうが、現実は変わらないだろ」
「そうだけど!!」
「さっきも言っただろう? どうせ王様とメフィスト様が対策を立てて持ってくるよ。俺達はそれに従うだけだ」
すっかり受け身の体勢でいるB3に反して、考え込む風をしているのはユーリだった。
「犬神の最終目的は四国・山陰地方だって言ってたよね」
「そうだけど……なに考えてるの? 呪詛に詳しいメフィスト様が慎重に動いている今、お嬢さんの安易な発想には賛同しかねるよ」
ユーリは湯呑みを置いて、B3に気圧されながらも案を口にした。
「最終目標が犬神信仰が盛んだった土地だって言うなら、そこにのこのこ出て行くのは罠に出向くようなものでしょ。今の『異界』はノラがいないから攻めに出られない分、監視の目は厳しい。それを逆に利用して、『魔界』勢で罠を排除して欲しい!! 最終決戦の地の辻道を全部破壊するのは今しかない!!――と、思ったのです……」
勢いで語り始めたはいいものの、最後は自信が無くなって尻すぼみになってしまった。B3は相変わらず眠そうな目のまま、雪やB1はユーリの勢いに驚いている。
沈黙が痛い。
そう思っていた時に、誰かが後頭部をべしりと叩いた。
「ベリアル!! また……って、あれ?」
「なんでもあたしのせいにしないでよ」
「俺が話にきた内容を全部言ってくれたな。感謝はしないが」
「やっとお嬢様も我らの思考に近づいてくれましたか」
「エル、メフィスト」
どこから現れたのか、エルとメフィストがほとんどB3に食いつくされている茶菓子の一つを摘まんだ。
「そういうことだ。呪詛の反応はメフィストに調べさせる。人海戦術になるが、決行は明後日だ。ベルフェゴールは変わらず雪の護衛。ベリアルは捜索隊に加われ」
「はーい!!」
エルの命令にベリアルは目に見えて喜ぶ。そんなベリアルを無視してエルはユーリを呼んだ。
「は、はい」
「大将がびびってんな。今回の作戦は秘するまでもない。お前の言った通りだ。犬神憑きが埋まっている辻道、片っ端から斬れ」
「わかった!!」
雪が「明後日から忙しくなるね」と言うと、エルが「俺としては戦っている方が楽なんだがな」とすっかり冷めたユーリの玉露を勝手に飲んだ。
胸が高鳴る。
ベリアルに殴られた頬はまだ熱を持っているが、ひとつでもエル達と考えを共有し、行動に移す――仲間と呼ぶには、まだくすぐったいけれど。
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何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。
隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。
そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。
※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。
※小説家になろう様でも掲載予定です。

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