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序
Ⅱ, 邂逅と真実
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Ⅱ, 「邂逅と真実」
十年前の『異界侵攻』は特に神界と魔界を震撼させた。本来の『異界』は神界や魔界に於いて、本来その存在を知られてはならない神々や悪魔が裁かれた末に送られる永遠の流刑地だったからだ。
『異界送り』となった悪神や魔族の筆頭に立ったのは犬神だった。犬神は約一千年以上の昔から人間と密接に結び付いた悪神である。
「犬神」は「犬蠱」とも呼ばれ、首だけを出して犬を埋めて飢餓状態にする。犬の飢えが最高潮に達したところに、犬の首の前に馳走を置き、食事にありつこうとする犬の首を後ろから斬り落とす。すると犬の首だけが食事にかぶりつくので、その首を焼いて灰を辻道に埋めて犬神憑きの人間を作りだすと言う非常に強力な呪詛だ。
人間のエゴイズムから生まれた悪神とはいえ、一千年前に神々の総括府である『万神庁』より犬神の『異界送り』が決定された。
人界と神界を深く恨んだ犬神は『異界』で永き時をかけて賛同者を募り、一千年の年月をかけてノラを産みだした。
「我らをこの箱庭に閉じ込めた者どもの血肉を喰らいつくさん」
そう高らかに宣言した。NORAは狂笑を上げる父を鎮める為、生贄にされた人間の女の腹から産まれた。母はノラを産んでから精神を病んだまま死んだ。ノラの家族は血に飢え、復讐心に取りつかれた父だけだが、『BLUE ROSE』である以上、ノラの居場所は父の下しかない。
(……ユーリ、どうしてるんだろ? ボクら、敵同士だったら友達になってくれたかなあ……)
相棒の薙刀を抱いたまま、割れたステンドグラスの前に蹲って、ノラはただ一人の同胞に思いを馳せる。もしも出逢いさえ違わなければ、ユーリはノラに笑いかけてくれただろうか。そんな事を考えるほどに、ノラの孤独は深く――暗い。
「なんてね。そんなこと有り得ないのに不毛だなあ。ユーリは『あいつら』を選んだんだから――ボクを殺す為に」
ははっ、と乾いた笑いを漏らしてノラは更に身体を小さくする。涙は零れなかった。
◇
ユーリの父である死神ヴィンセント・シルバは人間の妻を娶り、仕事で呼び出されない限りは人間の間に入り込んで生活していた。だが、戸籍のない彼と妻・リリィ=アンジェは事実婚でしかなく、ユーリは母の私生児としてしか認められなかった。なので、学校には行けず、家で母の補佐役であったジャンヌ・オクタヴィアから基礎学問から高等教育までを教わった。
「私も学校に行ってみたい」
確かは八つになったばかりの頃――ノラに出逢う直前の頃だったと記憶している。日本の幼馴染である桐嶋家の嘩蓮と朔夜から『小学校』の話を聞いて、ジャンヌを通して両親にねだってみたことがある。
なぜかジャンヌと母は顔を見合わせ、父はエルのように無反応だった。
「ごめんね、ユーリ。ユーリは学校に行けないの……」
「どうして?」
ユーリが理由を尋ねても、まだ若く美しい母はしゃがんで、同じ目線になる。ユーリとは違う碧い瞳に哀しい色を浮かべて「ユーリが大きくなったら解ることよ」とだけ告げて言葉を濁した。
「やだ。私もトモダチが欲しい!!」
珍しく食い下がれば、父が溜息を吐きながら諫めてきた。
「お前は嘩蓮や朔夜とは違うんだ。お前の影の中にファングを入れているのは護身のためだぞ。あまり母さんを困らせるな」
今であれば、言い方に問題があったにしろ、不器用な父なりの気遣いだと気づけただろう。しかし、当時のユーリは癇癪を起こしたように泣き叫んで部屋に引きこもってしまった。
家族との不協和音が生まれ始めた発端は「学校問題」であるのは間違いない。一人っ子ゆえに大切に育てられた反動もあった。普段の父なら、ユーリの要求は「しょうがないな」と呆れながらも叶えてくれたからだ。
◇
二日間、部屋に籠城して食事も受け付けなかった。第一次反抗期だと言われればそれだけのささいな抵抗。両親ともジャンヌとも口をきかない日々を送っているところに『異界侵攻』が突如として告げられ、死神として父は第一線に出された。母とジャンヌも蒼褪めた顔をしているのを、数センチ開いた扉から盗み聞く。不穏なことが起きているのは、子供であっても覚られる。
「ファング、『イカイシンコウ』って何? パパはどこに行ったの?」
影の中の使い魔に尋ねる。
「ユーリ様にもわかりやすく申し上げると……戦争のようなものです」
戦争、という単語に頭を鈍器で殴られたような気がした。そこからの記憶は曖昧だが、強く抵抗するファングを脅すような形で、ユーリは母に黙って父の後を追った。
戦地となっていた神界の僻地は一面の灰色の地――ところどころから煙が上がって、死体がごろごろと転がっている。死臭に耐え切れず、ユーリは道端に吐いた。
「パパ……どこ?」
父を求めてびくつきながら歩く。お気に入りの赤いエナメルの靴も灰で白っぽくなっていたが、そんなことは気にならないくらいに父を求めてさ迷い歩いた。
「……へえ、あなた、強いね。他の雑魚とは大違いだ」
ピタリと歩を止めたのはまだ声変わりもしていない少年の声が聞こえてきたからだ。
「ガキにやられるほど落ちぶれてはいないんでな」
少年の声と共に聞こえてきたのは探し求めていた父の声だった。父は白銀の大鎌を持って、白髪の少年と対峙していた。
「パパ!!」
「は? ――ユーリ!?」
大薙刀を構えた少年と父の間に、ユーリは割って入る。少年はユーリを見るなり、青い眼を見開いて呆気に取られた。
「君、『BLUE ROSE』?」
「なに、それ? 私はユリア=ロゼッタよ。そんなことより、パパを傷つけないで!!」
「ユーリ、下がってろ!! ハウンド、ファング、ユーリを連れてさっさと帰れ!!」
「待ってよ、死神さん。ユーリと話がある。ボクは……名前が無いから好きに呼んでいいよ。……君はどうして親をかばうの?」
少年は不可思議な質問をする。シンプルだが、幼いユーリには難しい質問だ。
「だって……家族だからに決まってるじゃない。不愛想だし、いっつもママの味方ばっかりするけど、私が熱を出したら林檎をガタガタのうさぎさんにしてくれたり、えっと――」
「そうじゃないよ。ああ……幸せに育った君は知らないんだね。君と僕、この瑠璃色の瞳を持つ者はね。『BLUE ROSE』と言うんだ。僕らは神と人間の間に産まれた、神でも人でもない。そいつらの間に産まれたせいで何者にもなれない――バケモノのこと。驚いたな。ボク以外の『BLUE ROSE』に出会ったのは君が初めてだ」
「……あ、あなたの言ってること、わからない……」
『BLUE ROSE』?
神でも人でもない、バケモノ――。
ユーリの許容範囲を超える情報量のせいで背筋に氷塊を落とされたような寒気が走る。少年は哀しい瞳をしていた。
背後から「もういい!! やめろ!!」と叫んだ父に目を覆われて、やっと少年の視線を振り払えた。
父が大きく黒いマントを翻し、少年の「またね」と言う声を聞きながら、ユーリはパリのアパルトマンに帰ってきた。細かい傷だらけの父は母が急いで持ってきた救急箱で手当を受けていた。
「ユーリ、怪我はない?」
ジャンヌが灰まみれのユーリの手を引いて脱衣所に連れていく。虚空を見つめたまま答えないユーリを案じながら暖かいシャワーに入れてくれた。ユーリはされるがままパジャマを着せられると、父と母からおやすみのキスを貰って自室のベッドに寝転んだ。
しかし、当然ながら眠る事などできず、部屋が静まり返った夜中に、こっそりとジャンヌが仕事で使っているパソコンを開いた。
母とジャンヌが大きな情報屋を営んでいることは知っている。一般の検索に引っかかるのは単純に「青い薔薇の花」の情報しかない。ならば、母の情報屋のデータバンクが使えないものかと、こっそりとパソコンを手探りで操作する。ある程度、パソコンの知識は教わっているが、『BLUE ROSE』に関する情報にはアクセス制限がかけられていた。
「シークレットフォルダ……ママかジャンヌの指紋認証と虹彩照合が無いと入れない。こんなにも強固なプロテクトをかけるような情報なんだ……」
行き詰ってしまったユーリは考えを巡らせる。またあの少年に問うのが一番手っ取り早いのだが、彼はもう戦地を離れているだろう。
「どうしよう……あ、そうだ!!」
八方塞がりかと思ったが、ユーリはパソコンの電源を落として自室の子供用携帯電話からアプリを開き、ある人物に電話をかけた。
◇
パリの現時刻は夜中の二時。日本は夜の九時頃にあたる。この時刻なら彼も家に帰っているはずだと縋る思いで携帯電話を耳に当てた。目的の人物はなかなか出てくれない。まだ仕事中なのだろうかと諦めかけた時、少し間の抜けた声で『もしもしー、ユーリ?』と少し遠いがちゃんと繋がった。
「あ、雪くん……こんばんは」
『こんばんは。どうしたの? こんな時間に。そっちは夜中でしょ?』
「あのね、どうしても知りたいことがあるの。パパやママには内緒で。お願い……!!」
電話口の相手こそ、本条雪その人だった。雪はしばし黙した後で『いいよ。言ってごらん』と返してくれた。
雪の返答に逸る鼓動を押さえながらユーリは声が震えないように雪に目的を伝える。
「ゆ、雪くんは……『BLUE ROSE』って知ってる? 薔薇の花じゃなくて、そういう風に呼ばれている存在を意味する言葉らしいんだけど……」
『BLUE ROSEねえ。ちょっと待ってね。シノさーん』
雪は電話口から離れると誰かを呼んだ。当時警視庁に勤めていた彼はまだ職場にいるようだ。
電話口から離れて五分もした頃だろうか。雪が帰ってきた。
『ごめんね、お待たせ。今から言う二十桁のナンバーとドメインをメールで送るから、インターネットで検索して。そしたら僕の同僚経由で情報が買えるらしいよ。これ、本当はこちらのアンダーグラウンドでも最重要機密らしくてさ。教える代わりに、僕も同じデータを閲覧するよ。それでもいい?』
遠い日本でも機密事項になっているユーリの正体――可能なら、雪には観て欲しくはない。きっと嫌われてしまう。
「……どうしても一緒に見ないと駄目なの?」
『先輩の裏情報から訊きだしたものだからねえ。どうやら僕が見るのは都合が悪いみたいだ。先輩も珍しく渋ったんだけど』
ユーリはどう説明したものかと言葉を探して黙り込んでしまった。それを訝しく思ったのだろう。雪が電話の向こうで『ユーリ』と優しい声でなだめるように話しかけてくる。
『ユーリはなにが一番怖いの? パパやママに秘密なんでしょ、これ』
「うん。私の本当の姿が書かれているの。だから……知りたいけど、雪くんに嫌わるかもしれない。それが、怖い――」
雪はひどく穏やかな声で『あのね』と前置きした。
『ここに何が書かれていて、ユーリが何を不安に思っているのかは見てみないとわからない。でも、仮にユーリが犯罪者だと書かれていたとしても、僕は君を軽蔑したり、嫌悪したりする理由にはならないと断言できるよ。ユーリが一番怖いのは、ここに書かれている自分の存在についてじゃないの?』
雪の観察眼は伊達では無い。本心を見抜かれて黙り込んでしまったユーリに、雪は『どうする? 見る?』と逃げ道も用意してくれる。
カラカラに乾いた喉で「見る」と言えたのは雪が寄り添ってくれるところが大きい。
『じゃあ、メール送るね。電話は繋いだままにしておいて。僕もこちらからアクセスするよ』
電話は繋ぎっぱなしにしたまま、ユーリは一分も経たぬうちに送られてきたメールを確認し、再度ジャンヌのパソコンを立ち上げた。
「……え、えっと」
震える手で数字とドメインを入力する。もたつきながらもアクセスできたページを閲覧しようとすると、電話口の雪が『ユーリ……これは……』と神妙な声で口ごもった。
「ま、待って。私も今、確認す、る……――」
暗闇の中で明かりを放つパソコンの画面にユーリは釘付けになった。
そこにあったのは二枚の履歴書に似た報告書だった。一番上に「最重要機密事項」と紅い朱印が押されている。
曰く――「『BLUE ROSE』経過報告書」
一枚目はあの少年だった。
コードネーム:NORA 白髪、年齢は現在十歳。十年前の『犬神暴徒化』を鎮める為に生贄として差し出されたアメリカ人の娘「メアリ・ウィルソン」と面立ちが酷似していることから犬神とメアリの間に産まれた『BLUE ROSE』だと仮定される。
二枚目は「ユリア=ロゼッタ」
薔薇の死神ヴィンセント・シルバとその妻である神殺しの聖女リリィ=アンジェ・ファロアの第一子である。栗色の髪を除き、瑠璃色の目はNORAと共通する。NORAと違い、人界で人間として生活しているが、母・リリィ=アンジェから白百合のタトゥーは受け継がれていない。
以上が現在確認済みの『BLUE ROSE』である。なお、「ユリア=ロゼッタ」生誕時の血液検査からヒト因子は発見されていない。またリリィ=アンジェの守護神であるメタトロンとサンダルフォンの痕跡も発見には至らなかった。
前述の情報を加味するとNORAとユリア両者はヒトとも神格保持者とも判じられないという結論が万神庁に於ける最高会議で決定された。
報告書を読み終えたユーリはぽろぽろと涙を流していた。自身の中がからっぽになった錯覚に陥る。
(ヒトの因子が無い。神様でもない――バケモノ……)
NORAの声が頭の中で反響する。
『ユーリ』
電話を繋いだままだったことを思いだし、次々と流れてくる涙ともう痛みすら感じない胸を押さえてユーリは雪に問うた。
「雪くん……ワタシはナニ……?」
to be continued...
十年前の『異界侵攻』は特に神界と魔界を震撼させた。本来の『異界』は神界や魔界に於いて、本来その存在を知られてはならない神々や悪魔が裁かれた末に送られる永遠の流刑地だったからだ。
『異界送り』となった悪神や魔族の筆頭に立ったのは犬神だった。犬神は約一千年以上の昔から人間と密接に結び付いた悪神である。
「犬神」は「犬蠱」とも呼ばれ、首だけを出して犬を埋めて飢餓状態にする。犬の飢えが最高潮に達したところに、犬の首の前に馳走を置き、食事にありつこうとする犬の首を後ろから斬り落とす。すると犬の首だけが食事にかぶりつくので、その首を焼いて灰を辻道に埋めて犬神憑きの人間を作りだすと言う非常に強力な呪詛だ。
人間のエゴイズムから生まれた悪神とはいえ、一千年前に神々の総括府である『万神庁』より犬神の『異界送り』が決定された。
人界と神界を深く恨んだ犬神は『異界』で永き時をかけて賛同者を募り、一千年の年月をかけてノラを産みだした。
「我らをこの箱庭に閉じ込めた者どもの血肉を喰らいつくさん」
そう高らかに宣言した。NORAは狂笑を上げる父を鎮める為、生贄にされた人間の女の腹から産まれた。母はノラを産んでから精神を病んだまま死んだ。ノラの家族は血に飢え、復讐心に取りつかれた父だけだが、『BLUE ROSE』である以上、ノラの居場所は父の下しかない。
(……ユーリ、どうしてるんだろ? ボクら、敵同士だったら友達になってくれたかなあ……)
相棒の薙刀を抱いたまま、割れたステンドグラスの前に蹲って、ノラはただ一人の同胞に思いを馳せる。もしも出逢いさえ違わなければ、ユーリはノラに笑いかけてくれただろうか。そんな事を考えるほどに、ノラの孤独は深く――暗い。
「なんてね。そんなこと有り得ないのに不毛だなあ。ユーリは『あいつら』を選んだんだから――ボクを殺す為に」
ははっ、と乾いた笑いを漏らしてノラは更に身体を小さくする。涙は零れなかった。
◇
ユーリの父である死神ヴィンセント・シルバは人間の妻を娶り、仕事で呼び出されない限りは人間の間に入り込んで生活していた。だが、戸籍のない彼と妻・リリィ=アンジェは事実婚でしかなく、ユーリは母の私生児としてしか認められなかった。なので、学校には行けず、家で母の補佐役であったジャンヌ・オクタヴィアから基礎学問から高等教育までを教わった。
「私も学校に行ってみたい」
確かは八つになったばかりの頃――ノラに出逢う直前の頃だったと記憶している。日本の幼馴染である桐嶋家の嘩蓮と朔夜から『小学校』の話を聞いて、ジャンヌを通して両親にねだってみたことがある。
なぜかジャンヌと母は顔を見合わせ、父はエルのように無反応だった。
「ごめんね、ユーリ。ユーリは学校に行けないの……」
「どうして?」
ユーリが理由を尋ねても、まだ若く美しい母はしゃがんで、同じ目線になる。ユーリとは違う碧い瞳に哀しい色を浮かべて「ユーリが大きくなったら解ることよ」とだけ告げて言葉を濁した。
「やだ。私もトモダチが欲しい!!」
珍しく食い下がれば、父が溜息を吐きながら諫めてきた。
「お前は嘩蓮や朔夜とは違うんだ。お前の影の中にファングを入れているのは護身のためだぞ。あまり母さんを困らせるな」
今であれば、言い方に問題があったにしろ、不器用な父なりの気遣いだと気づけただろう。しかし、当時のユーリは癇癪を起こしたように泣き叫んで部屋に引きこもってしまった。
家族との不協和音が生まれ始めた発端は「学校問題」であるのは間違いない。一人っ子ゆえに大切に育てられた反動もあった。普段の父なら、ユーリの要求は「しょうがないな」と呆れながらも叶えてくれたからだ。
◇
二日間、部屋に籠城して食事も受け付けなかった。第一次反抗期だと言われればそれだけのささいな抵抗。両親ともジャンヌとも口をきかない日々を送っているところに『異界侵攻』が突如として告げられ、死神として父は第一線に出された。母とジャンヌも蒼褪めた顔をしているのを、数センチ開いた扉から盗み聞く。不穏なことが起きているのは、子供であっても覚られる。
「ファング、『イカイシンコウ』って何? パパはどこに行ったの?」
影の中の使い魔に尋ねる。
「ユーリ様にもわかりやすく申し上げると……戦争のようなものです」
戦争、という単語に頭を鈍器で殴られたような気がした。そこからの記憶は曖昧だが、強く抵抗するファングを脅すような形で、ユーリは母に黙って父の後を追った。
戦地となっていた神界の僻地は一面の灰色の地――ところどころから煙が上がって、死体がごろごろと転がっている。死臭に耐え切れず、ユーリは道端に吐いた。
「パパ……どこ?」
父を求めてびくつきながら歩く。お気に入りの赤いエナメルの靴も灰で白っぽくなっていたが、そんなことは気にならないくらいに父を求めてさ迷い歩いた。
「……へえ、あなた、強いね。他の雑魚とは大違いだ」
ピタリと歩を止めたのはまだ声変わりもしていない少年の声が聞こえてきたからだ。
「ガキにやられるほど落ちぶれてはいないんでな」
少年の声と共に聞こえてきたのは探し求めていた父の声だった。父は白銀の大鎌を持って、白髪の少年と対峙していた。
「パパ!!」
「は? ――ユーリ!?」
大薙刀を構えた少年と父の間に、ユーリは割って入る。少年はユーリを見るなり、青い眼を見開いて呆気に取られた。
「君、『BLUE ROSE』?」
「なに、それ? 私はユリア=ロゼッタよ。そんなことより、パパを傷つけないで!!」
「ユーリ、下がってろ!! ハウンド、ファング、ユーリを連れてさっさと帰れ!!」
「待ってよ、死神さん。ユーリと話がある。ボクは……名前が無いから好きに呼んでいいよ。……君はどうして親をかばうの?」
少年は不可思議な質問をする。シンプルだが、幼いユーリには難しい質問だ。
「だって……家族だからに決まってるじゃない。不愛想だし、いっつもママの味方ばっかりするけど、私が熱を出したら林檎をガタガタのうさぎさんにしてくれたり、えっと――」
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「……あ、あなたの言ってること、わからない……」
『BLUE ROSE』?
神でも人でもない、バケモノ――。
ユーリの許容範囲を超える情報量のせいで背筋に氷塊を落とされたような寒気が走る。少年は哀しい瞳をしていた。
背後から「もういい!! やめろ!!」と叫んだ父に目を覆われて、やっと少年の視線を振り払えた。
父が大きく黒いマントを翻し、少年の「またね」と言う声を聞きながら、ユーリはパリのアパルトマンに帰ってきた。細かい傷だらけの父は母が急いで持ってきた救急箱で手当を受けていた。
「ユーリ、怪我はない?」
ジャンヌが灰まみれのユーリの手を引いて脱衣所に連れていく。虚空を見つめたまま答えないユーリを案じながら暖かいシャワーに入れてくれた。ユーリはされるがままパジャマを着せられると、父と母からおやすみのキスを貰って自室のベッドに寝転んだ。
しかし、当然ながら眠る事などできず、部屋が静まり返った夜中に、こっそりとジャンヌが仕事で使っているパソコンを開いた。
母とジャンヌが大きな情報屋を営んでいることは知っている。一般の検索に引っかかるのは単純に「青い薔薇の花」の情報しかない。ならば、母の情報屋のデータバンクが使えないものかと、こっそりとパソコンを手探りで操作する。ある程度、パソコンの知識は教わっているが、『BLUE ROSE』に関する情報にはアクセス制限がかけられていた。
「シークレットフォルダ……ママかジャンヌの指紋認証と虹彩照合が無いと入れない。こんなにも強固なプロテクトをかけるような情報なんだ……」
行き詰ってしまったユーリは考えを巡らせる。またあの少年に問うのが一番手っ取り早いのだが、彼はもう戦地を離れているだろう。
「どうしよう……あ、そうだ!!」
八方塞がりかと思ったが、ユーリはパソコンの電源を落として自室の子供用携帯電話からアプリを開き、ある人物に電話をかけた。
◇
パリの現時刻は夜中の二時。日本は夜の九時頃にあたる。この時刻なら彼も家に帰っているはずだと縋る思いで携帯電話を耳に当てた。目的の人物はなかなか出てくれない。まだ仕事中なのだろうかと諦めかけた時、少し間の抜けた声で『もしもしー、ユーリ?』と少し遠いがちゃんと繋がった。
「あ、雪くん……こんばんは」
『こんばんは。どうしたの? こんな時間に。そっちは夜中でしょ?』
「あのね、どうしても知りたいことがあるの。パパやママには内緒で。お願い……!!」
電話口の相手こそ、本条雪その人だった。雪はしばし黙した後で『いいよ。言ってごらん』と返してくれた。
雪の返答に逸る鼓動を押さえながらユーリは声が震えないように雪に目的を伝える。
「ゆ、雪くんは……『BLUE ROSE』って知ってる? 薔薇の花じゃなくて、そういう風に呼ばれている存在を意味する言葉らしいんだけど……」
『BLUE ROSEねえ。ちょっと待ってね。シノさーん』
雪は電話口から離れると誰かを呼んだ。当時警視庁に勤めていた彼はまだ職場にいるようだ。
電話口から離れて五分もした頃だろうか。雪が帰ってきた。
『ごめんね、お待たせ。今から言う二十桁のナンバーとドメインをメールで送るから、インターネットで検索して。そしたら僕の同僚経由で情報が買えるらしいよ。これ、本当はこちらのアンダーグラウンドでも最重要機密らしくてさ。教える代わりに、僕も同じデータを閲覧するよ。それでもいい?』
遠い日本でも機密事項になっているユーリの正体――可能なら、雪には観て欲しくはない。きっと嫌われてしまう。
「……どうしても一緒に見ないと駄目なの?」
『先輩の裏情報から訊きだしたものだからねえ。どうやら僕が見るのは都合が悪いみたいだ。先輩も珍しく渋ったんだけど』
ユーリはどう説明したものかと言葉を探して黙り込んでしまった。それを訝しく思ったのだろう。雪が電話の向こうで『ユーリ』と優しい声でなだめるように話しかけてくる。
『ユーリはなにが一番怖いの? パパやママに秘密なんでしょ、これ』
「うん。私の本当の姿が書かれているの。だから……知りたいけど、雪くんに嫌わるかもしれない。それが、怖い――」
雪はひどく穏やかな声で『あのね』と前置きした。
『ここに何が書かれていて、ユーリが何を不安に思っているのかは見てみないとわからない。でも、仮にユーリが犯罪者だと書かれていたとしても、僕は君を軽蔑したり、嫌悪したりする理由にはならないと断言できるよ。ユーリが一番怖いのは、ここに書かれている自分の存在についてじゃないの?』
雪の観察眼は伊達では無い。本心を見抜かれて黙り込んでしまったユーリに、雪は『どうする? 見る?』と逃げ道も用意してくれる。
カラカラに乾いた喉で「見る」と言えたのは雪が寄り添ってくれるところが大きい。
『じゃあ、メール送るね。電話は繋いだままにしておいて。僕もこちらからアクセスするよ』
電話は繋ぎっぱなしにしたまま、ユーリは一分も経たぬうちに送られてきたメールを確認し、再度ジャンヌのパソコンを立ち上げた。
「……え、えっと」
震える手で数字とドメインを入力する。もたつきながらもアクセスできたページを閲覧しようとすると、電話口の雪が『ユーリ……これは……』と神妙な声で口ごもった。
「ま、待って。私も今、確認す、る……――」
暗闇の中で明かりを放つパソコンの画面にユーリは釘付けになった。
そこにあったのは二枚の履歴書に似た報告書だった。一番上に「最重要機密事項」と紅い朱印が押されている。
曰く――「『BLUE ROSE』経過報告書」
一枚目はあの少年だった。
コードネーム:NORA 白髪、年齢は現在十歳。十年前の『犬神暴徒化』を鎮める為に生贄として差し出されたアメリカ人の娘「メアリ・ウィルソン」と面立ちが酷似していることから犬神とメアリの間に産まれた『BLUE ROSE』だと仮定される。
二枚目は「ユリア=ロゼッタ」
薔薇の死神ヴィンセント・シルバとその妻である神殺しの聖女リリィ=アンジェ・ファロアの第一子である。栗色の髪を除き、瑠璃色の目はNORAと共通する。NORAと違い、人界で人間として生活しているが、母・リリィ=アンジェから白百合のタトゥーは受け継がれていない。
以上が現在確認済みの『BLUE ROSE』である。なお、「ユリア=ロゼッタ」生誕時の血液検査からヒト因子は発見されていない。またリリィ=アンジェの守護神であるメタトロンとサンダルフォンの痕跡も発見には至らなかった。
前述の情報を加味するとNORAとユリア両者はヒトとも神格保持者とも判じられないという結論が万神庁に於ける最高会議で決定された。
報告書を読み終えたユーリはぽろぽろと涙を流していた。自身の中がからっぽになった錯覚に陥る。
(ヒトの因子が無い。神様でもない――バケモノ……)
NORAの声が頭の中で反響する。
『ユーリ』
電話を繋いだままだったことを思いだし、次々と流れてくる涙ともう痛みすら感じない胸を押さえてユーリは雪に問うた。
「雪くん……ワタシはナニ……?」
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