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第六夜-1
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6、
賀谷ノ島に帰りついたのは約一週間後の昼だった。
着岸したら開口一番、鎌之助が「おっそーい!!」と本気で怒って迫ってくる。
「すまない。琉球で色々あって……詳しくは家で話すから」
前のめりで清に迫る鎌之助の勢いに押されて顔が引き攣る。怒られるとは思っていたが、鎌之助は想像を遥かに超える勢いで清に噛みつく。その様子を後ろで眺めながら六郎がくすくすと笑っていた。
「みんな、おかえり。誰も怪我がなくて安心した。――姫、お疲れさまでした」
「うん。二人も留守番ご苦労。おかげで安心して航海ができた」
「姫はお風呂でしょ? 用意してあるよ。ご飯の人達には、鎌之助、よそってあげて」
「はーい、六ちゃん!!」
清への態度とまるっきり正反対の甘ったるい声で、六郎の指示通りに動く鎌之助は見ているだけで面白い。多少面倒くさいが場が賑わうのは好ましい。
「六坊は良い嫁さんになれるなあ。そういうところを見習えよ、鎌」
「甚八、うるさい!!」
誰もが鎌之助が一番五月蠅いと思いながらも、知らぬが仏を貫く。個性豊かな十勇士が全員揃った姿に清は「帰ってきたよ、佐助」と岸壁の向こうに囁く。
実に約二週間半ぶりの風呂は、清を蕩けさせる。しかも、最近教えられたのだが、清が使っている湯は賀谷ノ島唯一の温泉を引いてきているらしい。
「あー……なんとかして船に風呂が造れないかなあ。なんとか耐えられているけど、久しぶりに入っちゃうと心が折れる」
「雨水で身体を拭く程度だと物足りないよね」
「海には水が溢れかえっているってのにさ、誰か発明してくれるまで私は生きていられるかな」
二週間ぶりだからか、今日の清は妙に饒舌だ。飾らないこの姫との会話は楽しい。六郎はそう思いながら、湯温の調節に勤めた。
「夕飯は栗ご飯だよ。ちょうど材木係の彦の娘さんがいっぱい持ってきてくれたから、栗きんとんに茶巾絞りも作るね。姫、栗は好き?」
「大好き。嬉しい。ちょうど琉球を発つ時に、賀谷ノ島には栗や柿は成るのかなって考えてたの」
「じゃあ、今日は当たりだね。栗ご飯と根菜の煮つけ、あとは味噌汁と漬物どっちがいい?」
「漬物」
「解った。用意しておくよ」
湯上りの食事に気持ちを高ぶらせながらも、清はふと栗を持ってきてくれた彦衛門の娘について考えた。
この島に住まう御庭番衆の中には島民や身分の縛りが無くなった為に所帯を持つ者も少なくない。事実、彦衛門がそうだった。確か娘の名は鶴と言ったはずだ。
「子供……か」
清はどうしたらいいのか、と悩んだ。嫁に行かずとも子供を産むことはできる。果たして清が生きている内に故国の謎に行き着けるのだろうか、とそれが最も気がかりであった。清が病に罹らない保証はない。航海に出れば、それこそ命がけだ。己がいつ死ぬかもわからぬ身であることに思い至ったのだ。
湯から上がった清は居間で六郎の食事に舌鼓を打ちながら、先刻の問題を再考する。
「ねえ、六郎。この島で……否、異人でも構わないのか? とにかく、この島で一番健康で心身共に頑健、頭の回転が速く、誠実で人の上に立つに相応しい男って誰だと思う?」
「また突発的な質問だなあ……。うーん、健康で身体が強いのは清海だろうけど……やっぱり才蔵じゃない? ちょっと短気だけど、纏め役としては申し分ないし、先代が指名したくらいには十勇士の長として僕らも文句はない仕事っぷりだしね。それがどうかした?」
「うん。やっぱり才蔵か。年齢は少し上だけど甚八程じゃないし。あのね、子供を作ろうと思っているの」
清の爆弾発言に、共に食事を取っていた六郎は激しく咳き込む。清は「やはりそうなるか」などと言いながら食事を進めていた。
「大丈夫か? はい、お水」
「……ねえ、ちょっと訊きたい事がいっぱいあるんだけど!!」
涙目になりながら、六郎は戸惑いながらも清に質問攻めを始めた。
「姫の言い出すことが突拍子もないことなんて百も承知だけどさ、本当になんでそんな考えに至ったのか、教えてくれないと才蔵だって驚くよ」
「まずは、いつ死ぬか解らないからだ。航海に出るとそれこそ死ぬ確率は上がる。そうなった時、私の後を継ぐのは誰? いないだろう。今の私は数えの十六。年明けには十七になる。ちょうど子供を作り、産んで育てるには絶好の機会は今だろう。これからは調査も本格的になっていくなら尚更。ここなら子供を置いて航海に出ても、誰かが育ててくれる。子供が船に乗れる年齢になれば、航海術も教えられる。私が死んでも、ね。――だから子供を作ろうと思った」
六郎はこめかみを押さえながら、清の話に耳を傾ける。確かに間違ってはいないし、どちらかと言えば正論だ。だからこそ頭痛がする。果たしてあの才蔵がそれに応じるかと言えば否だろう。いくら上司命令とはいえ、これは無理がある。候補に自身の名が挙がらなかったことにも少々胸が痛むが、これは秘しておくことにする。
「姫。これはね、僕の一意見だけど」
「なに?」
「姫はさ、恋をしても良いんだよ? そんな義務のように子供を産むのは旧時代の話だと僕は思う。恋をして、好きな男性の子供を産んで育てても誰も姫を責めない」
「……恋が、よく解らない。才蔵には話したけど、私の双子の姉は顔も知らない許嫁のところに嫁ぐことに夢を見ていた。恋に恋をしていた。――しかし、私にはそんな悠長で安寧なことは言っていられないの。琉球と繋がったことで、支援国はアメリカとイギリスと清国も加わった。これからは『女』を捨てなければ……。私の代で無理なら次に、その為には『女』として最後の仕事をしたい……!!」
「……子供は女性にしか産めない。だからこそ、貴女には仕事ではなく、幸せな愛せる子供を産んで欲しいと、僕は願う。姫が幸せじゃないとさ、先代が哀しむよ」
六郎があまりにも哀しい顔をするので、この話は打ち止めになった。佐助の名前を出すのはずるい。きっとわざとだ。その名前に清は絶対に逆らえないことを彼はよく知っている。
◇
食事を終えた清は、すっかり黄金色に色づき穂を垂らす稲の絨毯が風に揺らされて、さわさわと鳴る音に耳を澄ます。直に刈り取られて無くなるだろう。もう何年も住んでいる心地がするが、まだひと月半程度しか経っていない事がなにやら不思議だった。今まで生きてきた中で、あまりに濃密な時間を過ごしているからだろうか。
才蔵の隠れ家である御神木を目指していると、畑仕事をしている娘の一人が清を見つけると一目散に駆けてきた。
「清姫!」
「お鶴ちゃん、栗をありがとう。今朝頂いたけど美味しかったよ」
「よかった。今年のは大振りだから食べ応えがあるって、おっかさんも言っていました」
鶴は清よりも二つほど年下だろうか。器量よしで、聡明な娘だ。清と話していても本当に嬉しそうに話すので、つられて清も笑顔が浮かぶ。
「あ、あの……清姫にこんなことお伺いするのはどうかと思うのですが、六郎さん、何か言っていましたか?」
やや頬を紅潮させ、もじもじと手を遊ばせながら鶴は清に六郎のことを尋ねる。清はその意図が解らず「六郎が栗ご飯を作ってくれたの。美味しいって喜んでいたよ」というと、ぱっと顔を上げて鶴は更に喜んで「足りなかったら、いつでも言って下さいね」と言い残して、畑仕事に戻って行った。
清は鶴が六郎について訊いてきたのか、やはり解らないまま頬を掻きながら、また御神木の方へと向かった。
御神木だけは落ちている枯れ葉が増えたが、まだ青々とした覆いを作っていた。
「才蔵ー」
清が大きな声で呼びかけると少しの間があってから、頭上の枝から才蔵が顔を出した。
「あんたか。なんだよ?」
「ねえ、才蔵は私と子作りしてくれない?」
珍しく足を滑らせた才蔵が上から降ってきて重い音がした。落ちていた枯れ葉が数枚舞う。打ち付けた腰を摩りながら才蔵は呻いた。
「……笑えない冗談はよせ」
「ちゃんと本気よ」
中腰になっている清に才蔵は隣に座るよう促した。清も大人しくそれに従う。木の根に腰掛ければ、地面が近くなったせいか、土と緑の匂いを感じる。
「なんでそういうことになったのか、経緯を教えてくれ」
胡坐をかく才蔵に、清は六郎に話したことをほぼ同じ内容で話した。聞き終えた才蔵は、ふうと息を吐く。
「あんたの考えは解った。その上で、俺が言いたいことは二つだ」
「うん」
「ひとつは部下として。あんたの言い分は正論だと思う。俺達十勇士が付いているからと言っても海の上ではなにが起きてもおかしくはない。その時に、絶対あんただけは生きて帰る確約ができないから、九鬼家の子孫を残して今後を託す。それは理解できる」
「うん。もう一つは、才蔵個人の意見ね?」
「そうだ。俺個人としては種馬なんかまっぴら御免、だ。あんたを嫌っているとか、好みから言っているんじゃない。先に述べた部下としてなら応じるべきなのかもしれないが、俺は六郎が言う通り、あんたにはちゃんと子供を愛してやって欲しい……。己の子供だとちゃんと慈しみながら後継者としての教育を施す。――愛されなかった子供の身としてはそう思う」
才蔵の本音を聞いて、清は視線を下に向けた。
やはり才蔵も六郎と同じことを言う。だが、六郎と異なる点は、彼は産まれてくる子供の視点で語っていることだ。
「才蔵、六郎がね……私は恋愛をした上で子供を産んでも良いんだって言ってくれた」
「俺もそう思う。せっかく身分や家の縛りも無くなったんだ。そういう、自由恋愛ってやつを謳歌する道もあんたにはある」
なぜかどんどんと表情を険しくなっていく清が、才蔵には不可解で純粋に疑問だった。
「おい、何をそんなに嫌がるんだ?」
「……女を捨てると決めた。そうじゃないと、背負っている命の数と責任に押しつぶされそうだから。私がそんな女であると理解し、分かち合ってくれる殿方なら寄り添ってくれるのが理想だけれど……やはり私が最も重要視しているのは海に出ることなの。だから」
「もういい。あんたの決意は伝わったよ」
突き放すような才蔵の言葉に、清はこみ上げてくる涙を堪えた。すると、立ち去ったと思った才蔵が正面に座り、清の頬を大きな両手で包み込む。
「儚いな。壊しそうでひやひやする」
「才蔵?」
交わる視線の温度が判別できない。頭で理解できたのは、才蔵の手と唇は熱いということだけだった。
★続...
賀谷ノ島に帰りついたのは約一週間後の昼だった。
着岸したら開口一番、鎌之助が「おっそーい!!」と本気で怒って迫ってくる。
「すまない。琉球で色々あって……詳しくは家で話すから」
前のめりで清に迫る鎌之助の勢いに押されて顔が引き攣る。怒られるとは思っていたが、鎌之助は想像を遥かに超える勢いで清に噛みつく。その様子を後ろで眺めながら六郎がくすくすと笑っていた。
「みんな、おかえり。誰も怪我がなくて安心した。――姫、お疲れさまでした」
「うん。二人も留守番ご苦労。おかげで安心して航海ができた」
「姫はお風呂でしょ? 用意してあるよ。ご飯の人達には、鎌之助、よそってあげて」
「はーい、六ちゃん!!」
清への態度とまるっきり正反対の甘ったるい声で、六郎の指示通りに動く鎌之助は見ているだけで面白い。多少面倒くさいが場が賑わうのは好ましい。
「六坊は良い嫁さんになれるなあ。そういうところを見習えよ、鎌」
「甚八、うるさい!!」
誰もが鎌之助が一番五月蠅いと思いながらも、知らぬが仏を貫く。個性豊かな十勇士が全員揃った姿に清は「帰ってきたよ、佐助」と岸壁の向こうに囁く。
実に約二週間半ぶりの風呂は、清を蕩けさせる。しかも、最近教えられたのだが、清が使っている湯は賀谷ノ島唯一の温泉を引いてきているらしい。
「あー……なんとかして船に風呂が造れないかなあ。なんとか耐えられているけど、久しぶりに入っちゃうと心が折れる」
「雨水で身体を拭く程度だと物足りないよね」
「海には水が溢れかえっているってのにさ、誰か発明してくれるまで私は生きていられるかな」
二週間ぶりだからか、今日の清は妙に饒舌だ。飾らないこの姫との会話は楽しい。六郎はそう思いながら、湯温の調節に勤めた。
「夕飯は栗ご飯だよ。ちょうど材木係の彦の娘さんがいっぱい持ってきてくれたから、栗きんとんに茶巾絞りも作るね。姫、栗は好き?」
「大好き。嬉しい。ちょうど琉球を発つ時に、賀谷ノ島には栗や柿は成るのかなって考えてたの」
「じゃあ、今日は当たりだね。栗ご飯と根菜の煮つけ、あとは味噌汁と漬物どっちがいい?」
「漬物」
「解った。用意しておくよ」
湯上りの食事に気持ちを高ぶらせながらも、清はふと栗を持ってきてくれた彦衛門の娘について考えた。
この島に住まう御庭番衆の中には島民や身分の縛りが無くなった為に所帯を持つ者も少なくない。事実、彦衛門がそうだった。確か娘の名は鶴と言ったはずだ。
「子供……か」
清はどうしたらいいのか、と悩んだ。嫁に行かずとも子供を産むことはできる。果たして清が生きている内に故国の謎に行き着けるのだろうか、とそれが最も気がかりであった。清が病に罹らない保証はない。航海に出れば、それこそ命がけだ。己がいつ死ぬかもわからぬ身であることに思い至ったのだ。
湯から上がった清は居間で六郎の食事に舌鼓を打ちながら、先刻の問題を再考する。
「ねえ、六郎。この島で……否、異人でも構わないのか? とにかく、この島で一番健康で心身共に頑健、頭の回転が速く、誠実で人の上に立つに相応しい男って誰だと思う?」
「また突発的な質問だなあ……。うーん、健康で身体が強いのは清海だろうけど……やっぱり才蔵じゃない? ちょっと短気だけど、纏め役としては申し分ないし、先代が指名したくらいには十勇士の長として僕らも文句はない仕事っぷりだしね。それがどうかした?」
「うん。やっぱり才蔵か。年齢は少し上だけど甚八程じゃないし。あのね、子供を作ろうと思っているの」
清の爆弾発言に、共に食事を取っていた六郎は激しく咳き込む。清は「やはりそうなるか」などと言いながら食事を進めていた。
「大丈夫か? はい、お水」
「……ねえ、ちょっと訊きたい事がいっぱいあるんだけど!!」
涙目になりながら、六郎は戸惑いながらも清に質問攻めを始めた。
「姫の言い出すことが突拍子もないことなんて百も承知だけどさ、本当になんでそんな考えに至ったのか、教えてくれないと才蔵だって驚くよ」
「まずは、いつ死ぬか解らないからだ。航海に出るとそれこそ死ぬ確率は上がる。そうなった時、私の後を継ぐのは誰? いないだろう。今の私は数えの十六。年明けには十七になる。ちょうど子供を作り、産んで育てるには絶好の機会は今だろう。これからは調査も本格的になっていくなら尚更。ここなら子供を置いて航海に出ても、誰かが育ててくれる。子供が船に乗れる年齢になれば、航海術も教えられる。私が死んでも、ね。――だから子供を作ろうと思った」
六郎はこめかみを押さえながら、清の話に耳を傾ける。確かに間違ってはいないし、どちらかと言えば正論だ。だからこそ頭痛がする。果たしてあの才蔵がそれに応じるかと言えば否だろう。いくら上司命令とはいえ、これは無理がある。候補に自身の名が挙がらなかったことにも少々胸が痛むが、これは秘しておくことにする。
「姫。これはね、僕の一意見だけど」
「なに?」
「姫はさ、恋をしても良いんだよ? そんな義務のように子供を産むのは旧時代の話だと僕は思う。恋をして、好きな男性の子供を産んで育てても誰も姫を責めない」
「……恋が、よく解らない。才蔵には話したけど、私の双子の姉は顔も知らない許嫁のところに嫁ぐことに夢を見ていた。恋に恋をしていた。――しかし、私にはそんな悠長で安寧なことは言っていられないの。琉球と繋がったことで、支援国はアメリカとイギリスと清国も加わった。これからは『女』を捨てなければ……。私の代で無理なら次に、その為には『女』として最後の仕事をしたい……!!」
「……子供は女性にしか産めない。だからこそ、貴女には仕事ではなく、幸せな愛せる子供を産んで欲しいと、僕は願う。姫が幸せじゃないとさ、先代が哀しむよ」
六郎があまりにも哀しい顔をするので、この話は打ち止めになった。佐助の名前を出すのはずるい。きっとわざとだ。その名前に清は絶対に逆らえないことを彼はよく知っている。
◇
食事を終えた清は、すっかり黄金色に色づき穂を垂らす稲の絨毯が風に揺らされて、さわさわと鳴る音に耳を澄ます。直に刈り取られて無くなるだろう。もう何年も住んでいる心地がするが、まだひと月半程度しか経っていない事がなにやら不思議だった。今まで生きてきた中で、あまりに濃密な時間を過ごしているからだろうか。
才蔵の隠れ家である御神木を目指していると、畑仕事をしている娘の一人が清を見つけると一目散に駆けてきた。
「清姫!」
「お鶴ちゃん、栗をありがとう。今朝頂いたけど美味しかったよ」
「よかった。今年のは大振りだから食べ応えがあるって、おっかさんも言っていました」
鶴は清よりも二つほど年下だろうか。器量よしで、聡明な娘だ。清と話していても本当に嬉しそうに話すので、つられて清も笑顔が浮かぶ。
「あ、あの……清姫にこんなことお伺いするのはどうかと思うのですが、六郎さん、何か言っていましたか?」
やや頬を紅潮させ、もじもじと手を遊ばせながら鶴は清に六郎のことを尋ねる。清はその意図が解らず「六郎が栗ご飯を作ってくれたの。美味しいって喜んでいたよ」というと、ぱっと顔を上げて鶴は更に喜んで「足りなかったら、いつでも言って下さいね」と言い残して、畑仕事に戻って行った。
清は鶴が六郎について訊いてきたのか、やはり解らないまま頬を掻きながら、また御神木の方へと向かった。
御神木だけは落ちている枯れ葉が増えたが、まだ青々とした覆いを作っていた。
「才蔵ー」
清が大きな声で呼びかけると少しの間があってから、頭上の枝から才蔵が顔を出した。
「あんたか。なんだよ?」
「ねえ、才蔵は私と子作りしてくれない?」
珍しく足を滑らせた才蔵が上から降ってきて重い音がした。落ちていた枯れ葉が数枚舞う。打ち付けた腰を摩りながら才蔵は呻いた。
「……笑えない冗談はよせ」
「ちゃんと本気よ」
中腰になっている清に才蔵は隣に座るよう促した。清も大人しくそれに従う。木の根に腰掛ければ、地面が近くなったせいか、土と緑の匂いを感じる。
「なんでそういうことになったのか、経緯を教えてくれ」
胡坐をかく才蔵に、清は六郎に話したことをほぼ同じ内容で話した。聞き終えた才蔵は、ふうと息を吐く。
「あんたの考えは解った。その上で、俺が言いたいことは二つだ」
「うん」
「ひとつは部下として。あんたの言い分は正論だと思う。俺達十勇士が付いているからと言っても海の上ではなにが起きてもおかしくはない。その時に、絶対あんただけは生きて帰る確約ができないから、九鬼家の子孫を残して今後を託す。それは理解できる」
「うん。もう一つは、才蔵個人の意見ね?」
「そうだ。俺個人としては種馬なんかまっぴら御免、だ。あんたを嫌っているとか、好みから言っているんじゃない。先に述べた部下としてなら応じるべきなのかもしれないが、俺は六郎が言う通り、あんたにはちゃんと子供を愛してやって欲しい……。己の子供だとちゃんと慈しみながら後継者としての教育を施す。――愛されなかった子供の身としてはそう思う」
才蔵の本音を聞いて、清は視線を下に向けた。
やはり才蔵も六郎と同じことを言う。だが、六郎と異なる点は、彼は産まれてくる子供の視点で語っていることだ。
「才蔵、六郎がね……私は恋愛をした上で子供を産んでも良いんだって言ってくれた」
「俺もそう思う。せっかく身分や家の縛りも無くなったんだ。そういう、自由恋愛ってやつを謳歌する道もあんたにはある」
なぜかどんどんと表情を険しくなっていく清が、才蔵には不可解で純粋に疑問だった。
「おい、何をそんなに嫌がるんだ?」
「……女を捨てると決めた。そうじゃないと、背負っている命の数と責任に押しつぶされそうだから。私がそんな女であると理解し、分かち合ってくれる殿方なら寄り添ってくれるのが理想だけれど……やはり私が最も重要視しているのは海に出ることなの。だから」
「もういい。あんたの決意は伝わったよ」
突き放すような才蔵の言葉に、清はこみ上げてくる涙を堪えた。すると、立ち去ったと思った才蔵が正面に座り、清の頬を大きな両手で包み込む。
「儚いな。壊しそうでひやひやする」
「才蔵?」
交わる視線の温度が判別できない。頭で理解できたのは、才蔵の手と唇は熱いということだけだった。
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