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第二夜-2
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二、(続)
翌朝、清が起きると佐助ではなく、十勇士の一人である海野六郎が厨房に立っていた。
「おはよう。あれ? 今日は佐助じゃないんですね」
「ああ、姫。おはようございます。長ならまだ寝ていますよ。昨日、遅くまで書物を読んでいたようなので、まだ寝かせてあげて下さい」
「はい……珍しい。佐助以外の方が作られたご飯は初めて食べます」
清がそういうと、六郎は快活に笑う。てきぱきと台所を動きながら楽しそうに清の話に応対してくれる。
「そうですね。僕たち十勇士はばらばらに動いていて、この家には居ませんから。今日は畑に見事な茄子が生って居たので、刻み葱をたっぷりかけた焼き茄子と白菜の味噌汁、あと大根のぬか漬けを切りますね」
「美味しそう」
「姫は好き嫌いがなくて助かっていますよ」
「剣の師匠の教えなの。国が沈む直前まで師のところでお世話になっていたので。それまでは食わず嫌いばっかり」
「斉之仁斎様ですか? 北辰一刀流のお武家様なのに変わった御方ですね」
「師匠も畑仕事がお好きだったの。……私はそれを受け入れられなかったけれど」
三和土にうずくまって清が六郎と話していたら、急に台所の木戸が開いて才蔵が入ってきた。
「あ、才蔵。おはよう」
「……朝餉か。長は?」
「まだ眠っているよ。才蔵も食べる?」
「いや、遠慮する」
妙に機嫌が悪い才蔵に清が「昨日はありがとう」と言い損ねていた礼を述べると、才蔵はあからさまに
顔をしかめて清を睨む。
「俺はなにもしておりません。――礼ならば、長に頭を下げるべきじゃないですか? 高貴な御方が綺麗なままで居られる意味をご理解なさってからの話ですが」
「才蔵!!」
憎々し気に清へと悪意に満ちた言葉を吐く。清は意味が解らず、ただ委縮した。六郎は才蔵を諫めるような声で制止をかけるが、彼はそんな六郎にも当たり散らした。
「お前もお前だ!! なぜ国が滅んで、俺達、御庭番衆も、使い捨ての草の者から自由民になれたってのに、なんでまた長だけが汚れ仕事を請け負わなければならない!? 全部この娘のせいだろうが!! 海賊の血を引く姫様だからって、もう身分なんか無いのに……」
才蔵の言っていることが全く分からない。清の為に佐助が何かしてくれたのだろうか。それは清がしなければならないことだったはずの仕事だった。それを佐助が代替わりしてくれたことは解ったが、なぜこんなにも才蔵が怒っているのかがやはり理解できなかった。
「ねえ、才蔵……ちゃんと詳細を教えてよ。じゃないと、佐助に謝らなきゃいけないことでも、話してくれないと謝れない……」
「姫!! ――これは我ら十勇士のこと。姫がお気になさることではございませぬゆえ、才蔵の非礼は僕が謝罪致します」
「おい、六郎!!」
「だって十勇士を名乗るからには、僕らは自由民だけど忍びだ。それは長にも言われたんじゃないの!? くのいちが色を使うのは仕事の内だろ。そんなの、今更じゃないか!!」
「――くのいちが、色を使う? じゃあ……佐助は私に代わって誰かの閨の相手をしたってこと……?」
驚愕に目を開く清に六郎も思わず口を塞いだ。
「昨日、ディアス船長が別れ際に貴女へなにかを囁いたでしょう? あれは出資と引き換えに貴女の身体をご所望だったのですよ。だが、貴女にそんなことはさせられない。――だから代わりに長が引き受けた。……そういうことです。今も眠っているのは帰ってきたのが明け方だからです」
六郎も思わず目を逸らす。それを見て、清は「みんな……知ってたんだね……」と呟いた。
「仕事だから」「姫にそんなことはさせられないから」
――いったいどれだけの理由を並べ立てて、清は護られているのかいるのかを知った。
涙が溢れて止まらない。そんな清を六郎が宥める。
「……おい、寝不足のところにぎゃあすかと……大人しく寝かせてくれ」
襦袢姿の佐助が長い髪をはらいながら、寝ぼけ眼で寝室から出てきた。
「……佐助……ごめんね、私のせいで嫌な仕事させて、ごめんなさい……」
子供のように泣きじゃくる清の頭に軽く触れると、佐助は才蔵の元へと淀みなく歩みより拳で頬を殴りつけた。女の力とはいえ、才蔵は木戸にぶつかって派手な音が立った。
「私は愚者を部下に持った心当たりはないのだがな、才蔵。国が無くなり、身分がなくなった途端にこの様か? 貴様はしばらく頭を冷やせ。姫に近づくことも、この家に近づくことも許さん。――とっとと帰れ。馬鹿者が」
「……長……俺は……」
「言い訳は聞かん。――失せろ」
佐助は冷たく才蔵にそう言い放つと、木戸を閉めた。木戸の向こうで才蔵がどんな顔をしているのかは解らなかった。
「長」
「六、よくあの馬鹿を諫めてくれた。せっかくの朝餉が台無しだな。十勇士が一丸とならねばならないというのに、頭の痛いことだ」
「……っさすけ、ごめんなさい……」
佐助は清の前にしゃがみ込んで、目線を合わせてくれる。そっと頬を優しく撫でながら、笑う。清にはその笑顔がすべてを受け入れていても、やはり哀しみが漂う笑みだと思った。
「私は忍びです。そして十勇士の長でもある。なにもこれが初めての仕事じゃない。国が合った頃から……月のものが来る前から、こんな仕事を幾つこなして、何人の男の寝首をかいたか、数えることすら放棄した。だから貴女が気に病むことはない。むしろ、私が居て良かった。――十勇士に女がおらず、貴女が相手をしなくてはならないなどと言う最悪の事態が私は恐ろしい。……良いですか、姫。惣領は汚れた部下の上でも胡坐をかきなさい。貴女がやることは、その剣を血で濡らす覚悟だけで良い。あとは我々が引き受ける。――惣領を安く侮られることだけが最も忌避すべきことだと」
佐助は哀しい笑顔から一転して、真剣な眼差しで清を諭す。強い人だ、と清は思った。彼女は自身を軽んじているのではなく、この強い女ですら踏みつけて上に立てと清に告げているのだ。
「……はい。佐助、ありがとう。これからもいっぱい叱って……。でも、佐助にも私は幸せになって欲しいと思うんです。貴女には、本当にたくさんお世話になっているから」
「姫はお優しい。もちろん、これからも尻を叩かせて頂きますとも。……さて、六、私はもうひと眠りする。握り飯と漬物を頼む」
「はい、おやすみなさい」
六郎に「おやすみ」と言って、佐助はまた寝室に戻っていった。
「姫。これはここだけの内緒……才蔵と長は腹違いの姉弟なんだ。だから、いつも汚れ仕事をする長を見ては哀しい顔をしていた。なんでだろうね……みんな『仕事』って言っちゃうと、なんでもするんだよ……それで生きるためのお給金を貰っていたからだけど……。尊厳を捨ててまですることなのかな、っていつも僕は疑問だった。泣いてくれたのは姫が初めて。――ありがとう。僕は泣いてくれた殿上人を知らないから、姫が惣領でうれしいよ。さ、朝餉食べよう」
にっこりと笑って清の両手を持ち上げ、居間まで連れてきてくれた。清はまだ心が居たかったが六郎の言葉に少しだけ救われた気がする。――まだまだ自分は未熟なのだと実感させられる。
六郎が木戸を開いたら、そこに才蔵の姿は無かった。
「あそこかな。――あいつの分も握り飯で良いか」
六郎は腰をとんとんと叩いて、清が待つ食卓へと向かった。
二人でやや煮詰めすぎた味噌汁に苦笑し、手を合わせて朝餉を終えた。
「美味しかったよ、六郎。ご馳走様でした」
「お粗末様でした。やっとちゃんとしたご飯が食べられるようになって良かったね」
「うん、ちょっと肉とか魚が恋しいけど……佐助が菜食主義なんだっけ?」
「忍びだからね。肉や魚を食べない訳じゃないけど、体臭がするようになるんだ。だから何も長だけじゃないよ。それに今は海が汚れているから、魚の値段も高くて買えないってのもあるかな」
「そっか。……じゃあ、我慢するよ」
「姫は本当にお武家様らしくないね。僕たちとしては助かるっていうか、ありがたいけど拍子抜けっていうか」
からからと笑って、六郎は食べ終わった食器を手早く水盆の水で洗い流していく。清は隣で洗い終わった食器を清潔な手ぬぐいで拭く。それを繰り返していた。
「こんなこともしなくても良いのに……」
「やりたいんだ。師匠ともこうやっていたからそれを思い出すよ。……ところでさ、さっき握り飯作っていたよね。濡れ布巾がかかっているのは佐助の分でしょ? 木箱に入れていたのは?」
「あらー……見られてたか。才蔵の分だよ。どうせ飲まず食わずで、いつもの木の上で不貞腐れているだろうから、持って行こうと思っていたんだ」
六郎の言葉に、清はおずおずと「それ、私も行って良い? 才蔵に伝えたいことがあるんだ」と手を遊ばせながら窺ってくる。
六郎は、小さな嘆息をして清の頭に手を乗せ「良いよ。少し歩くけど、一緒に行こう」と白い割烹着を脱ぎ、青海波模様の風呂敷で包んだ小さな小箱を下げて、佐助の家を出た。
◇
才蔵の元へ向かおうと木戸を開けると、真夏の太陽が容赦なく降り注ぐ。耳が痛いほどの蝉時雨の中、清は六郎に手ぬぐいと麦わら帽子を渡された。
道中、二人はなにげない話をする。殆どが清の質問攻めだったが、六郎は嫌な顔一つせずに一つ一つに答えてくれた。
「さっき佐助と才蔵が腹違いの姉弟って言っていたけど、あれって二人とも同時に忍びになったってこと?」
「うん。よくある貧農の口減らしだよ。確か伊賀の出身。だから、才蔵にとっては長が姉で、恋人で、上司っていう……なんとも複雑だよねえ」
「六郎には兄弟はいなかったの? 私には双子の姉が居た」
「いっぱい居たよ。僕は三男坊。拐かしにあって忍びの里に売られたんだ」
「……ごめん、思い出したくないよね」
「ううん。僕はこういう性格だから、意外と忍びとしては合っていたよ。そりゃ、胸を張れるようなことばかりじゃないけど、十勇士の名前を貰った時は嬉しかったなあ。知ってる? 戦国時代の真田十勇士の中でも薬の知識に長けていたのが海野六郎だったんだって。長が教えてくれた」
「へえ、そう言えば才蔵は往診よりも薬を運ぶ方が多いけど、六郎はちゃんと診察に行っている気がする」
清がよく観察していることに、若干六郎は驚かされる。先刻の握り飯の件もだが、この姫は洞察眼に優れていると思った。
「姫はいい観察眼と洞察力を持っているよ。剣術のせいかな」
「でも、海上戦では役に立つのかは不安。十勇士の中に海戦術に長けた人なんている?」
「甚八がそうだよ。根津甚八。あいつは大阪の廻船問屋に潜入していたことがあるんだ。火薬の使い方にも詳しい。水軍がどう動くかをよく研究していたから、あいつに教わるといい」
「そっか。ありがとう」
屈託のない笑顔を見せる清を、六郎はなんとも素直で純粋な性格だろう、と六郎は年もそう変わらない若い惣領を見る。黙っていれば、美少年剣士だが、心許した者にはとても無邪気に話してくれる。御庭番衆として頭を垂れている六郎達を見下し、肩を張って歩いていた連中とは大違いだ。
――僕は、いつかこの方の為に命を使おう。
言葉にはしない。したら、きっと清は許してはくれないだろう。なので六郎は、心の奥底で誓いを立てた。
佐助の家は島の最南端にある。そこから北東に歩くこと、約四半刻。
穂が黄色みを帯びてきた水田の段々畑を見下ろせる位置に、巨大な楠があった。
「わあ……大きい」
「この島の御神木なんだ。――おーい、才蔵。弁当持ってきたよ」
六郎が声をかければ、楠の中ほどから黒い頭がひょっこりと顔を出す。
「頼んでねえ」
「頼まれてないけど、持ってきてやったんだよ。どうせ昼も抜く気だったんだろ。ここに置いておくか
ら、箱はちゃんと返してよね――じゃあ、姫、行こうか」
「あ、待って。才蔵に話がある。……えっと、私は剣術以外本当に疎い小娘で、佐助達十勇士に護られてばかりいる。でも、謝らない。昨日のことを謝ってしまったら、せっかくの佐助の心遣いを同情にしてしまうから謝りません。――その代わり、船の上に立つようになったら、今まで護ってもらってきた分の働きは見せる。それが、十勇士の皆への一番の恩返しになると思うから、だから今後の私を厳しく見て欲しい。言いたいことはそれだけ。じゃあ」
才蔵も六郎も開いた口が塞がらない。清は決して才蔵の顔色を窺おうとはしなかった。
「……でかい口叩いて終わり、なんてことにならないようにしてくださいよ」
「うん!」
結局、才蔵は顔を見せることなく、木の陰からそう告げた。それに大きく頷いて、清は来た道をまた六郎と共に歩いて行った。
「……変な女……」
才蔵は二人が消えたのを見計らって、木から降りて風呂敷を広げた。佐助に殴られた時に口の中を切ったので、握り飯の塩気が沁みて痛んだ。一応、すべてを完食した後、近くの小川で木箱を洗って「夕方にでも返すか」とまた木の上に登った.
◇
「ねえ、六郎。甚八ってすぐに逢える?」
唐突な清の質問に六郎は、しばし考えを巡らせる。
「さっきも言った通り、甚八は十勇士の中でも一番詳しい。小助と組んで、故国の調査に出ているのが甚八なんだ。今、どうしているかは長しか知らない。もし島に居るなら夜にでも来るように伝えるよ。ただ、調査に出ていたら最低でも逢えるのは二日後かな」
「二日後、かあ。――イスパニアが提示したフィリピンでの造船に一年半。船団の人員確保。どんなに急いでも二年しか時間がないの。二年で、私はどこまでできるかな……」
「それなら甚八と一緒に調査船に乗るのが最善の道だと思う。勿論、長の許可がおりたらだけれど。姫はまず海と船に慣れることからじゃないかな。海戦術を実践で学びたいなら、それも甚八に相談するといい。あいつは特にオランダの船団との交渉役だったから、頼み込めば軍用船同士の戦い方も見せてくれると思うけど……果たして長が許可してくれるかなんだよね……」
六郎は顎に手を当てて、思考を巡らせる。清はその姿を見て「せめて船に慣れるだけでも始めたいんだ」と囁いた。
「うん。それは早急に必要だと思う。僕からも長に頼んでみる」
「ありがとう。――ところで、この島に住んでいるのは十勇士だけじゃないよね? 佐助は『訳ありの土地』って言ってたけど、どういう人達が住んでいるの? 一般人じゃないんでしょ?」
「うん。全員、元・御庭番衆だよ。引退した人から故国が沈む直前まで任務に就いていた連中で成り立っている。だから、この島での出来事は全て長の耳に入るし、これからは姫にも伝わるよ」
道理で佐助の口利きなら、だいたいがまかり通ると言っていた訳だ。ありがたい、と清は思った。全員忍びだと言うのならば、剣術の相手も頼める。
――清は腰に差した刀を握りしめて、高台から遥かなる水平線を眺めた。
★続...
翌朝、清が起きると佐助ではなく、十勇士の一人である海野六郎が厨房に立っていた。
「おはよう。あれ? 今日は佐助じゃないんですね」
「ああ、姫。おはようございます。長ならまだ寝ていますよ。昨日、遅くまで書物を読んでいたようなので、まだ寝かせてあげて下さい」
「はい……珍しい。佐助以外の方が作られたご飯は初めて食べます」
清がそういうと、六郎は快活に笑う。てきぱきと台所を動きながら楽しそうに清の話に応対してくれる。
「そうですね。僕たち十勇士はばらばらに動いていて、この家には居ませんから。今日は畑に見事な茄子が生って居たので、刻み葱をたっぷりかけた焼き茄子と白菜の味噌汁、あと大根のぬか漬けを切りますね」
「美味しそう」
「姫は好き嫌いがなくて助かっていますよ」
「剣の師匠の教えなの。国が沈む直前まで師のところでお世話になっていたので。それまでは食わず嫌いばっかり」
「斉之仁斎様ですか? 北辰一刀流のお武家様なのに変わった御方ですね」
「師匠も畑仕事がお好きだったの。……私はそれを受け入れられなかったけれど」
三和土にうずくまって清が六郎と話していたら、急に台所の木戸が開いて才蔵が入ってきた。
「あ、才蔵。おはよう」
「……朝餉か。長は?」
「まだ眠っているよ。才蔵も食べる?」
「いや、遠慮する」
妙に機嫌が悪い才蔵に清が「昨日はありがとう」と言い損ねていた礼を述べると、才蔵はあからさまに
顔をしかめて清を睨む。
「俺はなにもしておりません。――礼ならば、長に頭を下げるべきじゃないですか? 高貴な御方が綺麗なままで居られる意味をご理解なさってからの話ですが」
「才蔵!!」
憎々し気に清へと悪意に満ちた言葉を吐く。清は意味が解らず、ただ委縮した。六郎は才蔵を諫めるような声で制止をかけるが、彼はそんな六郎にも当たり散らした。
「お前もお前だ!! なぜ国が滅んで、俺達、御庭番衆も、使い捨ての草の者から自由民になれたってのに、なんでまた長だけが汚れ仕事を請け負わなければならない!? 全部この娘のせいだろうが!! 海賊の血を引く姫様だからって、もう身分なんか無いのに……」
才蔵の言っていることが全く分からない。清の為に佐助が何かしてくれたのだろうか。それは清がしなければならないことだったはずの仕事だった。それを佐助が代替わりしてくれたことは解ったが、なぜこんなにも才蔵が怒っているのかがやはり理解できなかった。
「ねえ、才蔵……ちゃんと詳細を教えてよ。じゃないと、佐助に謝らなきゃいけないことでも、話してくれないと謝れない……」
「姫!! ――これは我ら十勇士のこと。姫がお気になさることではございませぬゆえ、才蔵の非礼は僕が謝罪致します」
「おい、六郎!!」
「だって十勇士を名乗るからには、僕らは自由民だけど忍びだ。それは長にも言われたんじゃないの!? くのいちが色を使うのは仕事の内だろ。そんなの、今更じゃないか!!」
「――くのいちが、色を使う? じゃあ……佐助は私に代わって誰かの閨の相手をしたってこと……?」
驚愕に目を開く清に六郎も思わず口を塞いだ。
「昨日、ディアス船長が別れ際に貴女へなにかを囁いたでしょう? あれは出資と引き換えに貴女の身体をご所望だったのですよ。だが、貴女にそんなことはさせられない。――だから代わりに長が引き受けた。……そういうことです。今も眠っているのは帰ってきたのが明け方だからです」
六郎も思わず目を逸らす。それを見て、清は「みんな……知ってたんだね……」と呟いた。
「仕事だから」「姫にそんなことはさせられないから」
――いったいどれだけの理由を並べ立てて、清は護られているのかいるのかを知った。
涙が溢れて止まらない。そんな清を六郎が宥める。
「……おい、寝不足のところにぎゃあすかと……大人しく寝かせてくれ」
襦袢姿の佐助が長い髪をはらいながら、寝ぼけ眼で寝室から出てきた。
「……佐助……ごめんね、私のせいで嫌な仕事させて、ごめんなさい……」
子供のように泣きじゃくる清の頭に軽く触れると、佐助は才蔵の元へと淀みなく歩みより拳で頬を殴りつけた。女の力とはいえ、才蔵は木戸にぶつかって派手な音が立った。
「私は愚者を部下に持った心当たりはないのだがな、才蔵。国が無くなり、身分がなくなった途端にこの様か? 貴様はしばらく頭を冷やせ。姫に近づくことも、この家に近づくことも許さん。――とっとと帰れ。馬鹿者が」
「……長……俺は……」
「言い訳は聞かん。――失せろ」
佐助は冷たく才蔵にそう言い放つと、木戸を閉めた。木戸の向こうで才蔵がどんな顔をしているのかは解らなかった。
「長」
「六、よくあの馬鹿を諫めてくれた。せっかくの朝餉が台無しだな。十勇士が一丸とならねばならないというのに、頭の痛いことだ」
「……っさすけ、ごめんなさい……」
佐助は清の前にしゃがみ込んで、目線を合わせてくれる。そっと頬を優しく撫でながら、笑う。清にはその笑顔がすべてを受け入れていても、やはり哀しみが漂う笑みだと思った。
「私は忍びです。そして十勇士の長でもある。なにもこれが初めての仕事じゃない。国が合った頃から……月のものが来る前から、こんな仕事を幾つこなして、何人の男の寝首をかいたか、数えることすら放棄した。だから貴女が気に病むことはない。むしろ、私が居て良かった。――十勇士に女がおらず、貴女が相手をしなくてはならないなどと言う最悪の事態が私は恐ろしい。……良いですか、姫。惣領は汚れた部下の上でも胡坐をかきなさい。貴女がやることは、その剣を血で濡らす覚悟だけで良い。あとは我々が引き受ける。――惣領を安く侮られることだけが最も忌避すべきことだと」
佐助は哀しい笑顔から一転して、真剣な眼差しで清を諭す。強い人だ、と清は思った。彼女は自身を軽んじているのではなく、この強い女ですら踏みつけて上に立てと清に告げているのだ。
「……はい。佐助、ありがとう。これからもいっぱい叱って……。でも、佐助にも私は幸せになって欲しいと思うんです。貴女には、本当にたくさんお世話になっているから」
「姫はお優しい。もちろん、これからも尻を叩かせて頂きますとも。……さて、六、私はもうひと眠りする。握り飯と漬物を頼む」
「はい、おやすみなさい」
六郎に「おやすみ」と言って、佐助はまた寝室に戻っていった。
「姫。これはここだけの内緒……才蔵と長は腹違いの姉弟なんだ。だから、いつも汚れ仕事をする長を見ては哀しい顔をしていた。なんでだろうね……みんな『仕事』って言っちゃうと、なんでもするんだよ……それで生きるためのお給金を貰っていたからだけど……。尊厳を捨ててまですることなのかな、っていつも僕は疑問だった。泣いてくれたのは姫が初めて。――ありがとう。僕は泣いてくれた殿上人を知らないから、姫が惣領でうれしいよ。さ、朝餉食べよう」
にっこりと笑って清の両手を持ち上げ、居間まで連れてきてくれた。清はまだ心が居たかったが六郎の言葉に少しだけ救われた気がする。――まだまだ自分は未熟なのだと実感させられる。
六郎が木戸を開いたら、そこに才蔵の姿は無かった。
「あそこかな。――あいつの分も握り飯で良いか」
六郎は腰をとんとんと叩いて、清が待つ食卓へと向かった。
二人でやや煮詰めすぎた味噌汁に苦笑し、手を合わせて朝餉を終えた。
「美味しかったよ、六郎。ご馳走様でした」
「お粗末様でした。やっとちゃんとしたご飯が食べられるようになって良かったね」
「うん、ちょっと肉とか魚が恋しいけど……佐助が菜食主義なんだっけ?」
「忍びだからね。肉や魚を食べない訳じゃないけど、体臭がするようになるんだ。だから何も長だけじゃないよ。それに今は海が汚れているから、魚の値段も高くて買えないってのもあるかな」
「そっか。……じゃあ、我慢するよ」
「姫は本当にお武家様らしくないね。僕たちとしては助かるっていうか、ありがたいけど拍子抜けっていうか」
からからと笑って、六郎は食べ終わった食器を手早く水盆の水で洗い流していく。清は隣で洗い終わった食器を清潔な手ぬぐいで拭く。それを繰り返していた。
「こんなこともしなくても良いのに……」
「やりたいんだ。師匠ともこうやっていたからそれを思い出すよ。……ところでさ、さっき握り飯作っていたよね。濡れ布巾がかかっているのは佐助の分でしょ? 木箱に入れていたのは?」
「あらー……見られてたか。才蔵の分だよ。どうせ飲まず食わずで、いつもの木の上で不貞腐れているだろうから、持って行こうと思っていたんだ」
六郎の言葉に、清はおずおずと「それ、私も行って良い? 才蔵に伝えたいことがあるんだ」と手を遊ばせながら窺ってくる。
六郎は、小さな嘆息をして清の頭に手を乗せ「良いよ。少し歩くけど、一緒に行こう」と白い割烹着を脱ぎ、青海波模様の風呂敷で包んだ小さな小箱を下げて、佐助の家を出た。
◇
才蔵の元へ向かおうと木戸を開けると、真夏の太陽が容赦なく降り注ぐ。耳が痛いほどの蝉時雨の中、清は六郎に手ぬぐいと麦わら帽子を渡された。
道中、二人はなにげない話をする。殆どが清の質問攻めだったが、六郎は嫌な顔一つせずに一つ一つに答えてくれた。
「さっき佐助と才蔵が腹違いの姉弟って言っていたけど、あれって二人とも同時に忍びになったってこと?」
「うん。よくある貧農の口減らしだよ。確か伊賀の出身。だから、才蔵にとっては長が姉で、恋人で、上司っていう……なんとも複雑だよねえ」
「六郎には兄弟はいなかったの? 私には双子の姉が居た」
「いっぱい居たよ。僕は三男坊。拐かしにあって忍びの里に売られたんだ」
「……ごめん、思い出したくないよね」
「ううん。僕はこういう性格だから、意外と忍びとしては合っていたよ。そりゃ、胸を張れるようなことばかりじゃないけど、十勇士の名前を貰った時は嬉しかったなあ。知ってる? 戦国時代の真田十勇士の中でも薬の知識に長けていたのが海野六郎だったんだって。長が教えてくれた」
「へえ、そう言えば才蔵は往診よりも薬を運ぶ方が多いけど、六郎はちゃんと診察に行っている気がする」
清がよく観察していることに、若干六郎は驚かされる。先刻の握り飯の件もだが、この姫は洞察眼に優れていると思った。
「姫はいい観察眼と洞察力を持っているよ。剣術のせいかな」
「でも、海上戦では役に立つのかは不安。十勇士の中に海戦術に長けた人なんている?」
「甚八がそうだよ。根津甚八。あいつは大阪の廻船問屋に潜入していたことがあるんだ。火薬の使い方にも詳しい。水軍がどう動くかをよく研究していたから、あいつに教わるといい」
「そっか。ありがとう」
屈託のない笑顔を見せる清を、六郎はなんとも素直で純粋な性格だろう、と六郎は年もそう変わらない若い惣領を見る。黙っていれば、美少年剣士だが、心許した者にはとても無邪気に話してくれる。御庭番衆として頭を垂れている六郎達を見下し、肩を張って歩いていた連中とは大違いだ。
――僕は、いつかこの方の為に命を使おう。
言葉にはしない。したら、きっと清は許してはくれないだろう。なので六郎は、心の奥底で誓いを立てた。
佐助の家は島の最南端にある。そこから北東に歩くこと、約四半刻。
穂が黄色みを帯びてきた水田の段々畑を見下ろせる位置に、巨大な楠があった。
「わあ……大きい」
「この島の御神木なんだ。――おーい、才蔵。弁当持ってきたよ」
六郎が声をかければ、楠の中ほどから黒い頭がひょっこりと顔を出す。
「頼んでねえ」
「頼まれてないけど、持ってきてやったんだよ。どうせ昼も抜く気だったんだろ。ここに置いておくか
ら、箱はちゃんと返してよね――じゃあ、姫、行こうか」
「あ、待って。才蔵に話がある。……えっと、私は剣術以外本当に疎い小娘で、佐助達十勇士に護られてばかりいる。でも、謝らない。昨日のことを謝ってしまったら、せっかくの佐助の心遣いを同情にしてしまうから謝りません。――その代わり、船の上に立つようになったら、今まで護ってもらってきた分の働きは見せる。それが、十勇士の皆への一番の恩返しになると思うから、だから今後の私を厳しく見て欲しい。言いたいことはそれだけ。じゃあ」
才蔵も六郎も開いた口が塞がらない。清は決して才蔵の顔色を窺おうとはしなかった。
「……でかい口叩いて終わり、なんてことにならないようにしてくださいよ」
「うん!」
結局、才蔵は顔を見せることなく、木の陰からそう告げた。それに大きく頷いて、清は来た道をまた六郎と共に歩いて行った。
「……変な女……」
才蔵は二人が消えたのを見計らって、木から降りて風呂敷を広げた。佐助に殴られた時に口の中を切ったので、握り飯の塩気が沁みて痛んだ。一応、すべてを完食した後、近くの小川で木箱を洗って「夕方にでも返すか」とまた木の上に登った.
◇
「ねえ、六郎。甚八ってすぐに逢える?」
唐突な清の質問に六郎は、しばし考えを巡らせる。
「さっきも言った通り、甚八は十勇士の中でも一番詳しい。小助と組んで、故国の調査に出ているのが甚八なんだ。今、どうしているかは長しか知らない。もし島に居るなら夜にでも来るように伝えるよ。ただ、調査に出ていたら最低でも逢えるのは二日後かな」
「二日後、かあ。――イスパニアが提示したフィリピンでの造船に一年半。船団の人員確保。どんなに急いでも二年しか時間がないの。二年で、私はどこまでできるかな……」
「それなら甚八と一緒に調査船に乗るのが最善の道だと思う。勿論、長の許可がおりたらだけれど。姫はまず海と船に慣れることからじゃないかな。海戦術を実践で学びたいなら、それも甚八に相談するといい。あいつは特にオランダの船団との交渉役だったから、頼み込めば軍用船同士の戦い方も見せてくれると思うけど……果たして長が許可してくれるかなんだよね……」
六郎は顎に手を当てて、思考を巡らせる。清はその姿を見て「せめて船に慣れるだけでも始めたいんだ」と囁いた。
「うん。それは早急に必要だと思う。僕からも長に頼んでみる」
「ありがとう。――ところで、この島に住んでいるのは十勇士だけじゃないよね? 佐助は『訳ありの土地』って言ってたけど、どういう人達が住んでいるの? 一般人じゃないんでしょ?」
「うん。全員、元・御庭番衆だよ。引退した人から故国が沈む直前まで任務に就いていた連中で成り立っている。だから、この島での出来事は全て長の耳に入るし、これからは姫にも伝わるよ」
道理で佐助の口利きなら、だいたいがまかり通ると言っていた訳だ。ありがたい、と清は思った。全員忍びだと言うのならば、剣術の相手も頼める。
――清は腰に差した刀を握りしめて、高台から遥かなる水平線を眺めた。
★続...
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自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
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