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隻眼のジュリエット

後編

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 本日のヴェローナは、あいにく晴天には恵まれなかった。
ロミオは日課の朝の散策をどうしたものか、のろのろとベッドの上で考え込む。雲が低く垂れこめた空は、今にも泣き出しそうだ。これを逆手に取ろう、と決心してからの彼の行動は早かった。
 昨日、百本目の勝利を収めたのだ。その程度で、あの鋼鉄の精神を持つ少女が諦めるとは思えなかった。だが、この天気ならば恒例の決闘は回避できるのではないか。そう考えて、ロミオはマントを翻して裏庭に出る。
ロミオの期待は眼前の光景を見た途端に脆くも崩れ落ちた。つい四つん這いになってしまう。
――ジュリエットが既に裏庭に立っていたからだ。

「……君、暇なの?」

「暇か否かと問われると、しばし考えます」

 有言実行――言葉通りに顎に手を添えて、真剣に考えている。
 そうじゃないんだと、ロミオはどこまでもこのズレているお嬢様の手を引いた。
 
「あのね、ジュリエット」

「はい」

「僕が言いたいのは、昨日百回目の負けが決まった訳だし、今日は休戦したいってことなんだ。ほら、天気もこんなだしさ」

 さりげなく停戦を申し出たら、なぜかジュリエットが真摯な表情でこちらを見上げる。

「昨日百回目の負けが決まったから、尚更です。今日は雨が降ろうが槍が降ろうが、来るつもりでした。――ロミオ、結婚してください。受け入れてくれないのならば、これを飲んで」
 ジュリエットが今日にこだわる理由は皆目見当がつかない。ロミオは首を傾げ、ふうと息を吐くとジュリエットが差し出した青ガラスの小瓶を指さした。

「……嫌な予感しかしないから訊くけど、これ、なに?」

「トリカブトエキス」

「やっぱり殺す気なんじゃないか!! 今日は特別なんじゃないのか!? なんでそんな物、持ってるんだよ!!」

「百一回目のプロポーズは、女性にとって、とても大切な事なのですよ。貴方、そんなこともご存知ないのですか? ちなみに、これは父が自作ポエムを、家人に発見された時に飲むつもりだった毒を拝借してきました」

「キャピュレット家は抗争をしてる自覚はないの? なんだよ、ポエムって。しかも、もう君にバレてるじゃないか……。ついでに百一回目のプロポーズが特別なんて話は初耳です」

 ジュリエットとの会話はとても体力を使う。なぜ、こんなにも心労に直結した言葉を選んでくるのだろうか。ある意味で、才能だなとロミオは感嘆する。
 これなら、晴天の日に剣で真っ向から剣で語り合っている方が、非常にシンプルでわかりやすい。やっぱり剣での勝負に切り替えないか申し出てみようか、とロミオはジュリエットに向き直った。
 ジュリエットなる異界の生き物は、真正面に立ったロミオにずいっと小瓶を差し出す。その手をさりげなく横にどけて、ロミオは努めて優しい表情になるよう顔の筋肉に全神経を集中する。

「……あのね、ジュリエット。女性にとって、百一回目のプロポーズが大切なのは解った。それに、君の左眼を潰してしまったことに、僕は心から謝罪をする」

 至近距離まで近づいて、彼女の左眼の黒い眼帯にキスをする。今のところ、ジュリエットは大人しく話を聞いている。これ幸いと、ロミオは畳みかけた。

「でも、その毒を飲むことはできない。飲んじゃったら、君に逢えなくなるじゃないか。それに、結婚とは一口に言っても、モンタギューとキャピュレットの抗争は深刻だ。それに……」

「ロミオ」

 これまで話を聞くに徹して、黙っていたジュリエットが眉尻を下げて、今にも泣きそうな顔をする。これは効果があったか、とロミオは内心喜んだ―― が、それは束の間。

「話が長い」

 瞳孔を開き、抜刀に踏み切ろうとするジュリエットの動きを感じ取って、ロミオは考えも何もなく、とりあえず彼女に正面から抱き付いて動きを封じた。

「ごめんごめんごめん!! 何を言いたいかというと、要するに、とりあえず結婚も死ぬのも僕は勘弁……って、ジュリエット?」

 腕の中に閉じ込めた少女は、なぜかふるふると震えていた。そんなに強く力を込めた覚えはないが、おそるおそる、ロミオはジュリエットの顔を覗き込む。
 すると、彼女はこれまで見た事がないほどに紅潮して、ロミオの肩に顔を埋めて微笑んでいた。
 その顔はまるで小動物のようで――心臓を射抜かれた。

 不覚を取った。否定できない。
 恋とは落ちる物だと後世の誰かが言ったが、こうして思いもかけずに、ロミオは恋に落とされたのだった。

end...
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