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隻眼のジュリエット

前編

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 朝の涼やかな空気と陽光が好きだった。
 特に此処――ヴェローナは、一歩、森から離れて市街に出れば、血腥い抗争が繰り広げられているのだ。
 激しい抗争の中心にいるというのに、この青年には他人事である。
 彼の名はロミオ。この街を二分するモンタギュー家の長子だ。
 朝は早い時間から、この散策をするのがロミオの日課であった。木漏れ日を浴び、めいっぱい酸素を肺で循環させる。

「やー……今日も、良い日、だ……?」

 目が痛まぬよう右手で光を遮りながら、朝日を見上げると、太陽には不審な影が覆う。
 逆光でシルエットしか見えないが、アレとはもう切りたくても切れない因果の糸で繋がっているらしい。
 ロミオは、さっと身体を逸らしてその影の一撃を避けた。
 背後からは凄まじい轟音が聞こえる。
 はあ、と吸引したばかりの清らかな空気は溜息となった。嫌々ながらも腰に佩いた剣を抜き放つ。

「やあ、ジュリエット。今朝も君は元気そうだね」

 渾身の笑顔で振り向けば、悪鬼でも背負っているかのような形相の隻眼の少女が、陥没したクレーターの上に立っていた。手には男が振り回すような剣を持っている。
 そして目にも止まらぬ速さで、今度は正面から突きを放つ。
 ロミオはこれをいなして、逆袈裟から振り上げる。
 これは振り下ろされた袈裟切りと相討ちとなった。
 鋼が噛み合った高い音が鳴り響く。

「ごきげんよう、ロミオ。貴方もお元気で、とっても憎らしいわ」

 ギチギチと鋼が噛み合う音の中、和やかな会話が交わされる。ジュリエットも朗らかな笑顔で朝の挨拶に答える。
 互いの表情と全くかみ合っていないこの状況、先手を仕掛けたのは、ロミオだった。
 拮抗していた力を、不意に消失させる。
 バランスを崩したジュリエットの腹に容赦のない蹴りを入れた。
 ジュリエットも咄嗟に腕を引いて、腹を護った――が、この一瞬が命運を分けた。

「はい、一本。これで通算百本目かな?」

 眼帯で死角となっているジュリエットの左首筋にロミオの刃が当てがわれた。
 ジュリエットは露骨に顔を歪める。

「可愛い顔が台無しだね」

 ロミオは剣を引かず、残念だと言わんばかりに首を振った。
 前髪は中央で綺麗に分けられ、剥き身の卵のようにつるりとして日焼けを知らない肌、三つ編みにした長い黒髪、オレンジのボンネが茶色いドレスとよく合っている。
 傍から見れば、ジュリエットは美少女の部類だろう。ゆえに、この気性は非常に勿体ないとロミオは思うのだ。
獰猛な獣の隻眼で、彼女はその言葉に笑みを返した。
 
 ――狂喜の笑みだ。

「もう百本ですか。……時が経つのは早い物ね。貴方に左眼を潰された日から、まだ一年も経っていないだなんて……」

「僕としては、そろそろ諦めてくれないものかと思っているんだけれど……。毎朝の日課を邪魔されるのはご勘弁願いたいよ」

「貴方が大人しく私の手で殺されてくれれば、とても静かな日々の中に行けるわ」

「……永遠の眠りにつきたいとは言っていない……」

 ロミオは致し方ない、と剣は彼女に突き付ける。地に足をついて見上げる彼女の唇を奪った。

「……これはなんですか?」

「キス、だけど……。百本目だし、これで諦めて、以後は大人しく深窓の御令嬢――は無理だろうな。でも、僕に突っかかってくるのは辞めてくれって意味のキス」

 ロミオの言葉にジュリエットは黙した。これは効果があったかと勝手に思ったロミオは、少しだけ彼女に笑いかける。だが、ロミオの意思とは反して、また彼女はみるみるとあの狂乱の笑みを浮かべる。

「こんなキスだけで退散しろだなんて、随分と安く見られた事。ですが、良いでしょう。今日のところはこれで消えます。ですが、ロミオ、貴方を殺すのはこのキャピュレットのジュリエットであることをお忘れなく」

 キスの感慨も余韻も何もなく、ジュリエットは颯爽とモンタギュー家の古城裏の木々を伝って、帰って行った。
 一難は去ったが、あの様子では明日も仕掛けてくるだろうという予感に、ロミオは肩を落とした。

「そもそも、名家のお嬢様が何で木を伝って帰るかな……」



 ジュリエットとの出逢いは、約四か月前だ。
 突然の奇襲だった。
 相対した時に判明したのだが、彼女こそロミオのモンタギュー家と並ぶ二大勢力の一つ――キャピュレット家のジュリエットであった。
 当時、剣の名手としてジュリエットはその名をヴェローナの街に轟かせていた。ゆえに、ロミオも嫌々ではあったが、応戦したのだ。ロミオ自身、剣の腕に恃むところがあったの で、平穏な日常を望む反面、猛者との対決には正直なところ血が踊った。
 そして、それが彼にとっての惨劇を呼ぶことになった。対決に没頭するあまり、力配分がうまく行かず、誤ってジュリエットの左眼を潰してしまったのだ。
 女性の、しかもまだ嫁入り前の少女の顔に傷を付けてしまったことに、ロミオは甚だ後悔した。ところが、なぜかジュリエットは血が滴り落ちる左眼を押さえながら、さも嬉しそうに笑った。

「貴方、お名前は?」

「……ロミオ。モンタギューの、ロミオ。……あの、本当にごめん……」

「結婚してください」

「はい?」

「もしくは、私の剣で死んで頂戴」

 まるで話が見えない。通じない。
 少女の狂喜にあてられて、ロミオは早々に逃げを打った。
 この経緯を経て、翌日から彼女の求婚(らしい)暗殺未遂は始まったのであった。

「可愛いのになあ」

 はっきり言って、顔は好みの部類だ。ロミオが潰してしまった左眼の件を差し引いても、彼女は魅力的だとは思う。しかし、あんな結婚か死かという極端な二択に、今後の人生を差し出す程、ロミオは心臓に毛の生えた強者ではない。
 ロミオは、つい数か月前の出来事に思いを馳せ、またあの少女がやってきそうな予感がして身震いをした。

「……興が削がれた。帰ろう」
 
 モスグリーンのマントを翻して、ロミオは来た道をそっくりそのまま辿って戻って行った。
 一方、ジュリエットはその様子を樹の上から見ていた。

「ちゃんと愛しているわ、ロミオ。だからこそ貴方の命までもが欲しい」
 
 左眼の黒い眼帯に触れて、ジュリエットは呟く。
 この眼を潰した一件以来、ロミオは闘争を回避し、積極的に街には出なくなった。ジュリエットにはそれが腹立たしくてならない。間違いなく、彼はこの街で一、二を争う実力を有している。だというのに、肝心の本人があの様子であることが口惜しい。

「ロミオが奮い立てば、ヴェローナの抗争は落ち着くでしょうに。……まあ、いいわ。彼をその気にさせるのも、彼の命を握るのも、この私――また明日、ね。ロミオ」

 くつりと笑って、眼帯の少女はドレスを翻して消えた。

to be continued...
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