玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

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大地の章

肆、星の宴 (前)

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肆、「星の宴」(前)


 夜になると、宴が催された。エイルは酒が苦手なので、ちびちびと杯を舐めている。テムも興味を持ったので、杏子あんずの果実酒だという数刻前に観た大地に潜っていく夕陽の色をした酒を舐めさせてやった。

「うえー、甘いけど苦いぞ。こんなのがみんな美味しいのか?」

「海の酒はもっときついぞ。これはまだマシな方だ。俺にはまだ父上やロンみたいに酒の旨さは解らないなあ」

「ロンは強いのか?」

「強いよ。まあ、あの師匠のお守りをしていたなら……納得だよな」

「言えてる……」

 べろべろに酔って、女達と遊んでいるヤンジンは隅っこに居たエイルを見て、にやりと悪い笑みを浮かべた。咄嗟に逃げようとしたエイルの足を、同じく酔っ払った男が掴んだ。盛大に転んだエイルの姿に酔っ払いどもは腹を抱えて笑い転げる。

「なんだ、エリン。テムと楽しそうじゃないか」

「真君……うわ、酒臭っ!!」

「はん、この程度は寝酒にもならねえ。仕方ねえなあ、酒が楽しめないお子ちゃまには特別講義をしてやろう」

「と、特別講義?」

 及び腰になるエイルを引きずるようにして、ヤンジンは外に連れ出した。夜風は露に濡れた緑の匂いと土の匂いがした。ヤンジンは空を指さした。つられて見上げれば、ぽっかりと大きな満月と星々がびっしりと群青の空を飾っている。

「綺麗だろう。今日は雲が少ないから月も星も拝める。酒が旨いなんざ、気分一つさ」

「……すごい。天空では、あの月に触れられるのでしょうか?」

「はははっ、お前はロンと違って詩人だなあ。残念ながら、どんなに高く舞い上がっても月には触れられねえよ。だから、こうして眺めて楽しむのさ」

 ヤンジンは片手に持っていた一抱えもある酒瓶から直に酒を呷る。


「ここが戦火に巻かれれば、どんなに綺麗な月が出ていようが、星が囁いてくれようが、誰も上を見上げる余裕なんかなくなる」

「……真君は、本当に地上が好きなのですね」

「まあな。だが、俺には龍の力はなかった。否が応でも仙界に行かなきゃならなかった。ま、俺様は天才だから一千年も修行したら、地上に降りる許可をもらえたがな!!」

 せっかくいい話をしていたのに台無しだとエイルとテムは思った。
 海の底から見る星は、こんなにも近くはない。それに星の動きで占いや天候が解るという。エイルは唐突に「真君!!」と叫んだ。

「あん?」

「天文学、と言うのでしょうか? あれ? 陰陽道だっけ? 忘れましたが、俺にも星詠みはできますか!?」

「……かなりの知識が必要になるが、途中で音を上げないと約せるなら教えてやろう」

「はい!! 投げ出しません。お願いします……!!」

「難しいぞ?」

「俺は仙界での勉学を怠りましたが、これだけはきっと王位に就く為にも、民意を違えない王になる為にも必要な知識だと思うのです。だから、教えてください!!」

 ヤンジンはしばしの沈黙の後、ぴたりと一際輝く星を一つ、指さした。

「まずは基礎の基礎だ。あれが『北辰』または『北極星』という。ちょうど真北に位置するので、地上を旅する者はあれを目印にする」

 エイルは「北極星……」と小さく呟いた。まるで己の中に言葉を循環させているようだ。ロンによく似た覚え方をする、とヤンジンは薄く笑った。

「天文学は陰陽道との関わりが深い。陰陽道という学問の一部が天文学だと思えば覚えやすかろう。お前は水龍だ。龍は、空、大地、海の三つをして『風水火土』を成す。これが陰陽道の礎だ――ここまでは解るな?」

「はい」

「では、少し応用しよう。星は毎日少しずつ動きを変える。海は特に月の満ち欠けと連動している。星も同じだ。俺やお前の父が詠む星の動きは、詠み手の解読しだいでがらりと変わってしまう。例えば、北辰を横切る星があったする。俺は『凶星だ。空の襲撃があり、王が死ぬ』と詠む。だが、それは空にとっては吉星だろう? なにせ敵の王の首級を上げたのだから――解るか?」

「……難しいですが、意味はなんとなく」

「今はそれでいい。星詠みを極めたいのならば、毎日星と宴をすることだ。雲に覆われても、雲の上に星は必ずある。水龍なれば、雲を蹴散らすこともできよう。お前は星との語らいから始めろ」

「星との、語らい……」

「そうだ。星は絶対に裏切らない。詠み違えることなんざ、俺も『賢者』もままあることだ。恥に思うことはない――存分に星と語らえ」

 ヤンジンは「酒が空になった」と「あ、ありがとうございます!!」と大声で告げるエイルにひらりと手を振って、長老の家に戻っていった。

「真君は種まきの匠じゃな」

 長老がまた梟のように笑う。ヤンジンはにやりと返して、長老の隣に胡坐をかいた。

「種は植えねばわからん。水の加減、肥料の時期――俺は農民の出身だからな。エリンがどう芽吹いて花を咲かせるか、はたまたずっと埋まったままかは、あいつ次第だ。しかし、俺を超える種まきの達人がいる」

「ほう、興味深いのお。どなたかね?」

「エイシャ王さ。伊達に『賢者』などと呼ばれているのではないと、アレと後宮に放り込んできた弟子を見ていると痛感させられる。ぜひ、一度逢ってみたいものだ」

 ヤンジンは長老に渡された素焼きの杯を受け取り、注がれた酒を一気に飲み干した。

 一方、エイルはテムと一緒に、湯の順番で声がかかるまで星を眺めていた――。





 次の日は、朝餉を終えた早々にユウキがロンを呼びにきた。どうやら他の側室らにも顔合わせをするとのことなので、ロンは黙ってユウキの案内に従う。

「午後はまた王后様のお部屋へ。随分と貴女をお気に召したご様子です」

「王后様は、とても故郷にお帰りになりたいようですが、王は南へお下りにはならないのですか?」

「聡い貴女ならばお気づきでしょう? 王后様が真にお逢いしたい殿方がどなたであるか」

「公然とした秘密、ですか……。兵士が女官との会話を聞いているなど妙だとは思いましたが、王后様が本物の籠の鳥とは」

「それ以上は口になさいますな。貴女のお立場が苦しくなるだけです」

 ユウキの忠告を聞き入れたロンは口を閉ざした。後宮が女の園だと言うのならば、鳥たちから情報を集めるまでと思ったからだ。
 ロンの読みは正しかった。通された側室達が集められた部屋でも海の話をねだられた。ロンは昨日と同じ話をなぞるように言い聞かせる。やはり後宮に閉じ込められた女達は退屈で仕方がないらしい。

「ところでカリン様、変わった頸鏈首飾りをしてらっしゃるのね。すべて真珠と金だわ」

 ひとりの側室が王后のように頸鏈に興味を持った。ロンは昨日と同じように外してみせ、一石を投じる。

「昨日は王后様にも気に入って頂けたのですが、ここにお集まりの皆さまも、やはり海の物がやはり珍しく感じられるのでしょうか?」

 王后の名を出せば、解りやすく場の空気が不穏になる。側室達は顔を見合わせて、誰が真っ先に口を開くか、探り合っている。
 ロンが小首を傾げて「私はなにか失礼をしてしまいましたか? 若輩者ゆえ、申し訳もございません」などと殊勝な言葉を並べると、一人の側室が嘲笑を浮かべた。

「カリン様が謝罪なさることはありませんわ。ここの会話は王后様のように兵士には聞かれていないのですもの」

「どういう意味でしょう?」

「カリン様はお口が軽いようにはお見受けしませんので申し上げますが、あの王后様はお二人目のご正室なのよ」

「お二人目?」

 隣の若緑の襦裙を着た側室が、ロンと話す側室の脇を小突いた。

「それ以上は……」

「あら、何をご遠慮なさるの? ここに居る皆様がご存知ではありませんか――王はね、前の王后に無実の罪を着せて処刑し、あの方を王后にしたの。しかも、王は衆道も嗜まれる。王と新しい王后様でカリン様をお連れになった清源妙道真君を奪い合っておられるのだから失笑すらでないわ……!!」

「それは……由々しき事態。外に漏れては地平龍王の権威が地に落ちてしまいます。ここで見聞きしたことは、地上の宝石のように口を閉ざしておきます。物知らずの私にご鞭撻ありがとうございます」

「ふふっ、やはり真君が後宮の見聞をするように寄越された方だわ。御聡明ですわ」

 剣呑な空気も和らいだ時、まるでがらりと会話を変えるように一人の側室がロンに問うた。

「カリン様は、なぜ仙界からわざわざ後宮に入られたのですか?」

 この質問を待っていたとばかりに、ロンは「実は」と前置く。

「私も恥を忍んでお話しするので、黙っておいてくださいますか?」

「もちろん!!」

「では、内緒にしてくださいね。仙界では皆様のように麗しく着飾った方々がたくさんいらしたのです。特に色とりどりの宝石が、海で育った私は心を奪われてしまいまして……たまたまいらしていた真君にお尋ね申し上げたら『鉱山』という場所に連れて行ってくださいました。ですが、鉱山には原石ばかりで……がっかりした私に『原石が磨かれたらどうなるのかは後宮に入れば目にできる』と教えてくださったので、秘密ばかりの仙界を抜け出して後宮にお仕えさせて頂いた次第なのです」

 宝石が見たくてここに来た、とやや恥ずかし気に話すロンに、側室たちはどっと笑った。

「おかしな方ねえ。海には宝石がないのですか?」

「数が地上よりもずっと劣るのです。特に大戦後から物資の交流が絶えてしまったと聞いて……私は仙界の古いものよりも、鉱山よりも、ずっと明るい輝きを放つ石を拝見したかったので」

「飾らない方ねえ。存分にご覧になって」

「あら、ずるい。こちらもどうぞ」

 側室たちに遠慮をする素振りをしつつ、世話焼きの側室たちが説明してくれる小山のできた宝石の付いた装飾品をひとつひとつ手に取りながら、ロンは石を内側にしたヤンジンの指輪で、宝石の力を集める。
 彼女らがここまでしてくれるのは、ひとえに「話題の渦中にある、あの・・清源妙道真君・ヤンジンが見初めた少女」という節が強い。ロンもこの時ばかりは師匠に感謝をしたものだ。

 昼餉を馳走になった後は、またユウキが迎えにきた。ロンは「では、また明日」と丁寧に礼をして、王后の部屋へと向かった。

「やはり新しい方が来られると後宮も生き返ったようになります」

「最初だけでしょう。珍獣が入ってきたようなもの。直にいつも通りの後宮に戻りましょう」

 ユウキの話にロンが苦笑して返すと「やはり貴女は賢い方だ」と同じく失笑する。
 先ほどの集いだけで、右手の指輪は目が痛いほどに輝いている。問題は、明日にどうやってここを脱出したものか、とロンは考えを巡らせる。せめて井戸や小さな泉があればいい。
 廊下を進みながら、花が最も映えるように配置された中庭に差し掛かった時、ロンはユウキに尋ねた。

「これだけのお庭、を維持する庭師の方も宦官なのですか?」

「左様でございますよ。後宮に入れる男は、特例を除いては宦官しかありえません」

「……勉強になります」

 石造りの城の最南端にある後宮は太陽が最も強く当たる――しかし、中庭に植えられた花々はどれも生き生きとしている。中庭に水を引いている証拠だ。おそらくは地を深く掘った水脈。井戸がこの絢爛な中庭にはあると確信したロンは、水の気配を探りながら王后の部屋の前に立った。

 無表情の仮面の下に「見つけた」という顔を隠して――。

続...
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