玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

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空の章

拾、遥かなる大地へ

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拾、「遥かなる大地へ」


 仙界にテムを迎えに戻り、東方王と西王母に挨拶を済ませてから地上に繋がる泉の前に立った二人と一匹。テムは終始ご機嫌だが、反対にエイルはじめじめと暗い。

「海底でなにがあったんだ?」

「……察しはつくが、こればかりはエリン個人に乗り越えてもらわねばならぬ問題だ。しかし、暗いな……」

 ロンは泉から踵を返して、暗雲を背負っているようなエイルの目の前で手を打ち合わせた。
 エイルもだが、テムも目を丸くして驚く。

「エリン。何度も同じことを言わせるな。自分を卑下することはない。王がわざわざお言葉にされたのは、それだけお前の将来は明るいと思っておられるからだ。俺と姫様はお前の倍近く生きている。人生経験もその分異なる――いいか、次の海底龍王の玉座に座るのはお前を於いて他にはいない。悩んでいても胸を張れ!! はったりの自信で立っていろ!! 倒れそうになったら、臣下の俺が嫌でも後ろから支えてやる!!」

 ロンは泣きそうなエイルの胸の中心に拳を当てて鼓舞する。エイルはへらりと笑って、ロンの上着を掴んだ。こういうところは、まだ肩車をしていた頃のままだ。

「ロンは……ガキの頃からずっと俺に平等に接してくれるな。長老や女官や侍女たちが甘やかすのに、ロンと義姉上だけは稽古も勉学も妥協を許さなかった」

「昔は気づけなかったけど、今はそれが嬉しいんだ」とエイルは涙をこらえた顔を上げる。鼻の頭が赤くなっていたが、ロンはそこには触れなかった。

「『今の』俺には父上のように世界を冷静に見る目はない。義姉上のようにたった一人で二国と戦える魔力もない。ロンのような観察力も行動力もない――それでもお前は俺が王だと言ってくれるか?」

「無いなら身につければいい。王も、姫様も、一朝一夕で民の尊敬を集めた訳ないだろう。これから地上に行く。下手をしたら、笑って別れた空が敵になるかもしれないんだ。その時、お前は俺が居なくても十分動けるだけの知恵と力がある。空の旅は無意味じゃなかった――違うか」

 ロンの厳しい問いにエイルは首を横に振った。あの父と義姉と常に比べられてきたエイルは、いつも自身がない。無理もない、とはロンも思うがエイルが孵化する時、それは見事だろうとロンは信じている。
 癖のないエイルの頭をかき混ぜて「行くぞ」とロンは再び泉の前に立った。




 地上への『道』は霧に全身を覆われて運ばれるがままに身を任せる。空への『道』と同じでまた『無形』が光り始めた。

「今度はなんだろうな」

「賭けるか?」

「やだね」

 賭け事に強いロンを相手に回すのは愚かだとよく知るエイルは、ふいと顔を逸らした。

「あれ? エリンの『無形』の光がボクにまで巻き付いてきたぞ?」

「こちらは……二つに分かれた?」

 つくづく先の読めない武器だと感心していると、光はロンとエイルの両手を一纏めにして手錠になった。

「なんだこれ!?」

「ボクには、防具になった……」

 これが地上に相応しい姿らしい。ロンは動揺せず「テム、俺の荷物の中から巻物を取ってくれ」と頼んだ。

「『天地開闢廉書』か」

「ああ、これだけは失くしたらことだからな」

 懐に巻物をしまうと、尻に硬い感触があった。どうやら地上に到着したようだ、と考えると二人と一匹の前に槍の穂先があった。もう一歩前に出ていたら危うく串刺しだった。

「この泉を通ってきたということは、仙界の者か? 名乗れ」

 金茶の鎧、肌には龍の鱗、黄色い瞳は爬虫類のような地平龍人族の兵士はロンに槍を突き付けた。

「はあ……私は東方王様直属の門下、清源妙道真君を師と仰ぐロホウと申す。連れは同輩のユウジン。仔龍は使い魔です。お疑いならば、私の懐にある巻物と仙界に問い合わせてくだされば身元も判明されましょう」

 ロンは人好きのする笑みを浮かべて、屈強な兵士にするすると嘘を並べる。その様子にエイルとテムは呆れるばかりだ。よくもここまで息をするように嘘が出てくるものだ。
 男は無言でロンの懐を探り、『天地開闢廉書』を眺めた。

「しばし待て」

 そう言い残すと、半刻もすれば兵士は道衣を着た顔周りの髪にだけ紅い飾りを付けた美丈夫を連れてきた。

「ロン……お前という奴はあ……!!」

「おや、まさか御身自ら出向いて下さるとはありがたい。ご迷惑をおかけします、師匠」

 ころころと笑うロンを恨みがましく、短髪の仙人はひと睨みし「この減らず口は、我が不肖の弟子で相違ござらん」とため息交じりに兵士に告げると、ロン達に向けられていた槍は退けられた。

「この手錠は?」

「地上に赴く折は戦意が無いよう心掛けよと申した私の忠言を鵜呑みにした結果かと存じます。決して趣味ではないので誤解のなきよう、地平龍王にお伝え下さい」

 真君がこめかみに指を付きながら説明をすると、兵士は『天地開闢廉書』を真君に渡して去って行った。

「おい、本当にふざけんなよ。俺様が変な趣味持ちだと思われただろうが……!!」

「しかし、真君。『これ』は仙界で西王母様に頂いた武器が勝手に変じたものです。我らに罪はない。それよりあなた様のご到着が随分と早かった。また女の尻を追いかけておられたか」

「ぬかせ。俺の貴重な息抜きを邪魔しおって……。まあいい。募る文句はこの『無形』を解いてからするか」

 男は眉間に皺を寄せたまま、ロンとエイルの手錠に指先だけで触れる。すると『無形』は一本の日本刀になった。だが、これもまた男が触れると淡く光った。

「ここはよそ者と武器に過敏だ。お前たちにしか見えぬよう術をかけた。それでおとなしく過ごすんだな――あばよ」

 去ろうとした真君の道衣をロンが踏んだ。つまずいた真君はしたたかにうつ伏せで倒れた。

「ロおおンんん……!!」

 鼻を押さえながら、真君はロンに迫る。

「どうやら地上は我らが考えている以上に物騒な様子。真君、同道願いたい。なに、地上にいらしたのは道府探しだとか、嘘八百を並べ立てて女遊びをしていたことは東方王様には黙っておきますゆえ――お願いできませんか?」

「……師匠を脅すたあ、言い度胸だな」

「誉め言葉として受け取っておきます」

 ロンの掌の上で上手く転がされているこの男――エイルもテムも、名前だけは知っている。若くして仙界の重鎮とも名高い清源妙道真君・ヤンジンと言えば、知らぬ者の方が少ない。だが、こんな遊び人が名高い仙人で、ロンの師匠だとは失笑しか浮かばない。

「紹介の必要はあるまい。私が二十年、世話になった恩師だ。師匠もエイル王子の顔はご存知でしょう」

「まあな。ところで、そのちんちくりんの仔龍はなんだ? 防具で隠していても地上に神龍を連れてくるなんざ、なにを考えてんだ」

「ちんちくりん」に怒るテムの口を押え、ロンは「テムは神龍だが、空の霊廟を護っていた経緯があります。仙道が使い魔を連れていた方が信を得やすい」と返す。
 ヤンジンは口の減らない弟子に舌打ちを漏らし「こっちだ」とやっと案内に移った。

「ロン、いいのか?」

「地上は秘匿情報が多い。ならば、一人でも多くの味方が居てくれる方が行動しやすかろう」

 エイルの心配をよそに、ロンは悪い笑みを浮かべた。

 ――まずは地上の第一歩。ヤンジンと言う新たな味方を手に入れて、ロン達は踏み出した。

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