La campanella

紺坂紫乃

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-Ⅳ-

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Ⅴ、


 カリヨンの呼び声と同時にエクスカリバーで刺しぬかれたアーサー王は、その場に膝をついた。吐血が止まらない王の安否を気遣う為に、ランスロットを除く円卓の騎士がアーサー王を取り囲む。その隙に、ランスロットはカリヨンを背後に庇うように立ちはだかり、エクスカリバーを構える。

「……ランスロット、この、不忠者めが……! しかし、なぜだ!? エクスカリバーは私の……!」

 呪いをかけるような声で、アーサー王はランスロットを見つめる。

「私も二度の裏切りなど御免でした……我が主よ。ですが、今の私の忠誠は、想いは、乙女――カリヨン殿の元にあるのです。キャメロットの復興など要りませぬ。それに貴方様は一度エクスカリバーを手放しておられる。お気づきにならなかったようですが、貴方様が手にしておられたのは、エクスカリバーに擬態したアロンダイトでございます。どうやら、我が身にかけられた乙女の加護が、エクスカリバーにも働いた様子。……さあ、最後の時です。どうか世界の覇者になどと仰らず、静かにお眠りください」

 カリヨンは目の前に広がる広い背中に抱き付いた。
 案の定、ランスロットの匂いがする。その事実に、無上の喜びを感じながら、ランスロットの外套を握りしめた。
 
 ――その時、突如として、亜空間であるはずのアヴァロンの風が震えだした。

「な、なんです?!」

「歌? このお声は……アリアンロッド様!!」

 風に乗って、アリアンロッドの高く、澄み渡る声で歌が鼓膜を振るわせる。


母よ、母なる大地よ
聴きたまいしか、この声を、どうか、どうか
大地よ、その寛大な御手をひろげたまえ
枯れ果てた大地に息吹きを届けたまえ
トゥアハ・デ・ダナーン 我が同胞よ


 アリアンロッドの歌声に呼応するかのように、鐘の音も聞こえてくる。おそらく、ケルトの地の、聖堂から、教会から、鐘楼がアリアンロッドの歌声を運んでいるのだろう。
 その歌声に導かれるように、大地が揺れ、アヴァロンは巨大な湖に浮かぶ島となった。隣接していたアスガルドは見えない。

「カリヨン殿、これは?」

「ダヌ様の御力じゃろう。マーリンの術が解除され、アヴァロンは元のケルトの位置に、アスガルドは繋がる道を断たれた。……おそらく、アリアンロッド様も消えた太陽神・ルー様もお戻りになるじゃろう。これがトゥアハ・デ・ダナーン――ダーナ神族の力じゃ、アーサー王よ、剣を引け! オーディン様の野望も潰えよう。直にそなたらにも冥府よりの迎えが来ようぞ」

 ランスロットの影からアーサー王に忠告をするカリヨンを、なぜか、苦しみの中に笑顔を混ぜ込んだ表情でアーサー王は言葉を紡ぐ。

「乙女よ、もう私はたくさんなのです。人の世はまだ神々の支配の中で生きねばならぬと仰せか。いや、私はその連鎖を断ち切る……! 例え私一人になろうとも……!」

 だくだくと血を流しながらも、アーサー王は渾身の力で立ち上がろうとする。だが、それも先刻とはまた異なる高い鐘の音によって阻まれた。
 鐘の音は徐々にアヴァロンに近づき、音色が物体と化して、鎖となる。
そして円卓の騎士、アーサー王に巻き付き、ランスロットも捕えようとするのを、カリヨンが阻んだ。

「冥界の使者殿、お待ちくだされ! この者は……ランスロットには、まだ話さねばならぬ事がございます。どうか、お願い致しまする!」

 決死のカリヨンの願いが届いたのか、しばしの沈黙の後、冥界の使者は鎖に繋いだアーサー王と円卓の騎士だけを連れて、時空の歪みへと消えて行った。

 かつての主君と仲間に、一礼をしてランスロットはそれを見送った。
 
そして、今にも泣きそうな顔をしているカリヨンに対峙する。

「……カリヨン殿……」

 ふわりと黒髪が空を踊ったと思えば、カリヨンがランスロットの胸に抱き付いて、無言のまま、ただ抱きしめている。ランスロットもそれに応えて、すっぽりと己の腕の中に納まるか細い身体を抱きしめ返した。

「ご心配をおかけ致しまして、誠に申し訳がございません。カリヨン殿……お顔を見せては下さいませぬか? ……冥界に向かう前に、貴女様の麗しいお顔を眼に焼き付けて行きとう存じます……」

 ランスロットの哀憐を含んだ声に、カリヨンはただ首を横に振って、拒絶の意思を表す。
まるで子供が駄々をこねているのと同じようだと思うが、それでも離れたくは無かった。

「……後生じゃ、行くな……!」

「カリヨン殿……思い上がってしまいます。主を二度も裏切り、強制されたとはいえ、貴女様まで危険に晒した騎士がどこの世界におりましょう。それに……また、違う恥を晒したくはない。愛する人には、もう二度と……」

「ランスロッ……!」

 カリヨンが涙の筋が頬を伝う顔を上げると、いつかのように、温かく柔い物が唇を覆う。それはひどく心地よく、時間が止まればいいと、カリヨンは切に願った。
 それが、離れてしまった時に、カリヨンの胸に到来した虚無感はなんと表現しようものか。

 カリヨンの頬に大きな手で触れて、ランスロットは苦く笑った。

「カリヨン殿――いえ、ニマーヌ。私は愛した女性の幸せを願うことしか、もうできません。貴女様と出逢えて良かった。貴方様の笑顔は、なによりも美しい。……叶うことなら、お傍に置いて頂きたい。ですが、私は死者の人間、貴女様は清らかな妖精の身なれば、それも叶わぬ願いです。……さようなら、愛する人……」

「ランスロット!!」

 眦に光る物を残して、ランスロットは振り向くこと無く、冥府へと消えて行った。



 オーディンとアーサー王の野望から発生した、ラグナロクは途中で潰えてしまった。その為、荒れた北欧の地にも命が戻りつつある。
 一方、パンテオンでは、アリアンロッドは母神・ダヌの清めによって、アヴァロンの近くの湖でその神格を取り戻しつつある。あと数日の清めの儀を終えれば、再び北冠座に昇って、月から加護を地に与えることも可能だろう。
 その潔斎の儀に『湖の乙女』としてヴィヴィアンと、この度の功労者であるニマーヌの二人が常に同行していた。 しかし、ニマーヌの顔はこの数か月、ぴくりとも笑おうとしないことに、事情を知るアリアンロッドとヴィヴィアンは心を痛めていた。

「ニマーヌ、アリアンロッド様に拭き布を」

「あ……申し訳ありませぬ」

 心、此処にあらずだったニマーヌにヴィヴィアンがそっと耳打ちする。それに、慌ててニマーヌは、湖から上がったアリアンロッドに大判のタオルを広げ、衣装の用意を整える。
 そのあまりにも儚い様子に、アリアンロッドとヴィヴィアンは顔を見合わせた。

「乙女、元の姿に戻られたところへお願いがあるのですが……これは母よりも託されたものゆえ」

 アリアンロッドが、用意された生成のドレスに身を包みながら、ニマーヌに語りかける。

「ダヌ様からも、でございますか……? 我にできることでございましたら、お断りする道理はございませぬ」

「そう、なら良かったこと。実は、ネス湖の近郊に新しく、妖精の加護を受けた人間が居を構えたのです。再び人間の姿となって、その者の行いを観察してやっては下さいませんか? ヴィヴィアン殿の御子ゆえ、同じ『湖の乙女』なるそなたが付き人なれば、ヴィヴィアン殿も安堵致しましょう」

 すっかり身支度を終えたアリアンロッドとヴィヴィアンは顔を見合わせ、目を丸くするニマーヌに意味深に微笑んだ。

「ヴィヴィアン殿の、御子……では、それは……」

「あの子も、ラグナロクを止める役に大きな貢献をしました。それが認められ、ダヌ様やアリアンロッド様の幾度もの冥界への嘆願が叶って転生を許されたというのに、欠片も笑ってはくれぬのです。ニマーヌ殿、手を煩わせて申し訳ないが、あの子に声をかけてやってはくれまいか?」

 ヴィヴィアンは、慈母の眼差しでニマーヌに笑いかける。アリアンロッドが使用した拭き布を手に震えているニマーヌから、手の内にある物を受け取って、その背を押した。

「カリヨン、ランスロットをよろしくお願い致します。さあ、お行きなさい」

「は、はい! ありがとうございます……!」

 ニマーヌは再びカリヨンと名を変え、アヴァロン島が浮かぶ湖から、ネス湖までの道を駆けた。
 そして大地を踏みしめ、縺れる足を叱咤して、ただ愛しい騎士が待つ元へ一心不乱に向かったという。





「ランスロット! 月が上ったぞ! 今宵は満月じゃ。アリアンロッド様の御力が戻られた!」

 自宅の出窓から見える月を指さして、カリヨンは叫んだ。

「ああ、美しい。これで貴女も一安心、ですか?」

「ありがたいことじゃ。真に救われたのは我等じゃと言うに……」

「そうですね。私にも、望外の喜びを与えて下さった。カリヨン、そこは冷える。こちらへ」

 いくら起毛のパジャマを着ていても、この辺りは夜になれば冷え込みが強い。ランスロットと呼ばれた青年は、大きなブランケットを広げ、彼女を待った。カリヨンは遠慮なくそこに落ち着く。
 仲睦まじい二人の男女は、肩を並べて一つのブランケットにくるまり、夜空に燦然と輝く月を眺め続けた。

★end
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