La campanella

紺坂紫乃

文字の大きさ
上 下
5 / 6

-Ⅳ-

しおりを挟む





Ⅴ、


 カリヨンの呼び声と同時にエクスカリバーで刺しぬかれたアーサー王は、その場に膝をついた。吐血が止まらない王の安否を気遣う為に、ランスロットを除く円卓の騎士がアーサー王を取り囲む。その隙に、ランスロットはカリヨンを背後に庇うように立ちはだかり、エクスカリバーを構える。

「……ランスロット、この、不忠者めが……! しかし、なぜだ!? エクスカリバーは私の……!」

 呪いをかけるような声で、アーサー王はランスロットを見つめる。

「私も二度の裏切りなど御免でした……我が主よ。ですが、今の私の忠誠は、想いは、乙女――カリヨン殿の元にあるのです。キャメロットの復興など要りませぬ。それに貴方様は一度エクスカリバーを手放しておられる。お気づきにならなかったようですが、貴方様が手にしておられたのは、エクスカリバーに擬態したアロンダイトでございます。どうやら、我が身にかけられた乙女の加護が、エクスカリバーにも働いた様子。……さあ、最後の時です。どうか世界の覇者になどと仰らず、静かにお眠りください」

 カリヨンは目の前に広がる広い背中に抱き付いた。
 案の定、ランスロットの匂いがする。その事実に、無上の喜びを感じながら、ランスロットの外套を握りしめた。
 
 ――その時、突如として、亜空間であるはずのアヴァロンの風が震えだした。

「な、なんです?!」

「歌? このお声は……アリアンロッド様!!」

 風に乗って、アリアンロッドの高く、澄み渡る声で歌が鼓膜を振るわせる。


母よ、母なる大地よ
聴きたまいしか、この声を、どうか、どうか
大地よ、その寛大な御手をひろげたまえ
枯れ果てた大地に息吹きを届けたまえ
トゥアハ・デ・ダナーン 我が同胞よ


 アリアンロッドの歌声に呼応するかのように、鐘の音も聞こえてくる。おそらく、ケルトの地の、聖堂から、教会から、鐘楼がアリアンロッドの歌声を運んでいるのだろう。
 その歌声に導かれるように、大地が揺れ、アヴァロンは巨大な湖に浮かぶ島となった。隣接していたアスガルドは見えない。

「カリヨン殿、これは?」

「ダヌ様の御力じゃろう。マーリンの術が解除され、アヴァロンは元のケルトの位置に、アスガルドは繋がる道を断たれた。……おそらく、アリアンロッド様も消えた太陽神・ルー様もお戻りになるじゃろう。これがトゥアハ・デ・ダナーン――ダーナ神族の力じゃ、アーサー王よ、剣を引け! オーディン様の野望も潰えよう。直にそなたらにも冥府よりの迎えが来ようぞ」

 ランスロットの影からアーサー王に忠告をするカリヨンを、なぜか、苦しみの中に笑顔を混ぜ込んだ表情でアーサー王は言葉を紡ぐ。

「乙女よ、もう私はたくさんなのです。人の世はまだ神々の支配の中で生きねばならぬと仰せか。いや、私はその連鎖を断ち切る……! 例え私一人になろうとも……!」

 だくだくと血を流しながらも、アーサー王は渾身の力で立ち上がろうとする。だが、それも先刻とはまた異なる高い鐘の音によって阻まれた。
 鐘の音は徐々にアヴァロンに近づき、音色が物体と化して、鎖となる。
そして円卓の騎士、アーサー王に巻き付き、ランスロットも捕えようとするのを、カリヨンが阻んだ。

「冥界の使者殿、お待ちくだされ! この者は……ランスロットには、まだ話さねばならぬ事がございます。どうか、お願い致しまする!」

 決死のカリヨンの願いが届いたのか、しばしの沈黙の後、冥界の使者は鎖に繋いだアーサー王と円卓の騎士だけを連れて、時空の歪みへと消えて行った。

 かつての主君と仲間に、一礼をしてランスロットはそれを見送った。
 
そして、今にも泣きそうな顔をしているカリヨンに対峙する。

「……カリヨン殿……」

 ふわりと黒髪が空を踊ったと思えば、カリヨンがランスロットの胸に抱き付いて、無言のまま、ただ抱きしめている。ランスロットもそれに応えて、すっぽりと己の腕の中に納まるか細い身体を抱きしめ返した。

「ご心配をおかけ致しまして、誠に申し訳がございません。カリヨン殿……お顔を見せては下さいませぬか? ……冥界に向かう前に、貴女様の麗しいお顔を眼に焼き付けて行きとう存じます……」

 ランスロットの哀憐を含んだ声に、カリヨンはただ首を横に振って、拒絶の意思を表す。
まるで子供が駄々をこねているのと同じようだと思うが、それでも離れたくは無かった。

「……後生じゃ、行くな……!」

「カリヨン殿……思い上がってしまいます。主を二度も裏切り、強制されたとはいえ、貴女様まで危険に晒した騎士がどこの世界におりましょう。それに……また、違う恥を晒したくはない。愛する人には、もう二度と……」

「ランスロッ……!」

 カリヨンが涙の筋が頬を伝う顔を上げると、いつかのように、温かく柔い物が唇を覆う。それはひどく心地よく、時間が止まればいいと、カリヨンは切に願った。
 それが、離れてしまった時に、カリヨンの胸に到来した虚無感はなんと表現しようものか。

 カリヨンの頬に大きな手で触れて、ランスロットは苦く笑った。

「カリヨン殿――いえ、ニマーヌ。私は愛した女性の幸せを願うことしか、もうできません。貴女様と出逢えて良かった。貴方様の笑顔は、なによりも美しい。……叶うことなら、お傍に置いて頂きたい。ですが、私は死者の人間、貴女様は清らかな妖精の身なれば、それも叶わぬ願いです。……さようなら、愛する人……」

「ランスロット!!」

 眦に光る物を残して、ランスロットは振り向くこと無く、冥府へと消えて行った。



 オーディンとアーサー王の野望から発生した、ラグナロクは途中で潰えてしまった。その為、荒れた北欧の地にも命が戻りつつある。
 一方、パンテオンでは、アリアンロッドは母神・ダヌの清めによって、アヴァロンの近くの湖でその神格を取り戻しつつある。あと数日の清めの儀を終えれば、再び北冠座に昇って、月から加護を地に与えることも可能だろう。
 その潔斎の儀に『湖の乙女』としてヴィヴィアンと、この度の功労者であるニマーヌの二人が常に同行していた。 しかし、ニマーヌの顔はこの数か月、ぴくりとも笑おうとしないことに、事情を知るアリアンロッドとヴィヴィアンは心を痛めていた。

「ニマーヌ、アリアンロッド様に拭き布を」

「あ……申し訳ありませぬ」

 心、此処にあらずだったニマーヌにヴィヴィアンがそっと耳打ちする。それに、慌ててニマーヌは、湖から上がったアリアンロッドに大判のタオルを広げ、衣装の用意を整える。
 そのあまりにも儚い様子に、アリアンロッドとヴィヴィアンは顔を見合わせた。

「乙女、元の姿に戻られたところへお願いがあるのですが……これは母よりも託されたものゆえ」

 アリアンロッドが、用意された生成のドレスに身を包みながら、ニマーヌに語りかける。

「ダヌ様からも、でございますか……? 我にできることでございましたら、お断りする道理はございませぬ」

「そう、なら良かったこと。実は、ネス湖の近郊に新しく、妖精の加護を受けた人間が居を構えたのです。再び人間の姿となって、その者の行いを観察してやっては下さいませんか? ヴィヴィアン殿の御子ゆえ、同じ『湖の乙女』なるそなたが付き人なれば、ヴィヴィアン殿も安堵致しましょう」

 すっかり身支度を終えたアリアンロッドとヴィヴィアンは顔を見合わせ、目を丸くするニマーヌに意味深に微笑んだ。

「ヴィヴィアン殿の、御子……では、それは……」

「あの子も、ラグナロクを止める役に大きな貢献をしました。それが認められ、ダヌ様やアリアンロッド様の幾度もの冥界への嘆願が叶って転生を許されたというのに、欠片も笑ってはくれぬのです。ニマーヌ殿、手を煩わせて申し訳ないが、あの子に声をかけてやってはくれまいか?」

 ヴィヴィアンは、慈母の眼差しでニマーヌに笑いかける。アリアンロッドが使用した拭き布を手に震えているニマーヌから、手の内にある物を受け取って、その背を押した。

「カリヨン、ランスロットをよろしくお願い致します。さあ、お行きなさい」

「は、はい! ありがとうございます……!」

 ニマーヌは再びカリヨンと名を変え、アヴァロン島が浮かぶ湖から、ネス湖までの道を駆けた。
 そして大地を踏みしめ、縺れる足を叱咤して、ただ愛しい騎士が待つ元へ一心不乱に向かったという。





「ランスロット! 月が上ったぞ! 今宵は満月じゃ。アリアンロッド様の御力が戻られた!」

 自宅の出窓から見える月を指さして、カリヨンは叫んだ。

「ああ、美しい。これで貴女も一安心、ですか?」

「ありがたいことじゃ。真に救われたのは我等じゃと言うに……」

「そうですね。私にも、望外の喜びを与えて下さった。カリヨン、そこは冷える。こちらへ」

 いくら起毛のパジャマを着ていても、この辺りは夜になれば冷え込みが強い。ランスロットと呼ばれた青年は、大きなブランケットを広げ、彼女を待った。カリヨンは遠慮なくそこに落ち着く。
 仲睦まじい二人の男女は、肩を並べて一つのブランケットにくるまり、夜空に燦然と輝く月を眺め続けた。

★end
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...