La campanella

紺坂紫乃

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-Ⅰ-

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荷Ⅱ、



 突如として姿を消した月の女神・アリアンロッドを見つける為、『湖の乙女』はカリヨンという名のうら若き人間の娘に姿を変えた。冥府より呼び出した円卓の騎士・ランスロットを供とし、人間に姿がばれぬよう穏形のローブを纏って、道無き道を歩いていた。

「カリヨン殿、まずはウェールズに向かわれると伺いましたが、それはなにか確証があってのことですか?」

 馬を引きながら、黄金の剣・エクスカリバーを腰にいたランスロットが、カリヨンに尋ねた。

「確証という程では無いが、まずはウェールズから北冠座のアリアンロッド様のフロドに上ってみようかと思うてな。斯様なわかりやすい場所にはおられるはずは無いのかもしれぬが、アリアンロッド様はウェールズに信仰の根を張っておられる。彼の地のドルイド僧やドルイダスに教えを乞えば、なんらかの手がかりが欠片でも掴めるやもしれぬと踏んでのことじゃ」

「左様でありましたか。しかし、此処からウェールズのカーディフまでは四百マイルはあるかと存じますが、今から参られるのですか?」

「なに。距離など、神族には無きも同然。馬が無ければ、湖を渡るところじゃが、今日は森を通る」

「森、でございますか……」

「森は大地の賜物じゃ。ダーナ神族の主神たる女神ダヌ様は生命の源たる御方ぞ。森は神に連なる敵意無き者であれば、何処へも橋渡しをして下さる」

 二人の現在地は、スコットランドのエディンバラ近辺――グレートブリテン島の東に位置する。
 これはカリヨンの千里眼によって、北海の先――オーディンの住まうアスガルドの動向を確かめる為であった。そして、そこからは踵を返して、一転、内陸に歩を進め、一番近い森に入った。二人が森に着く頃には、森に灯りは無く、梟の低い声と小動物が草を掻き分ける音だけが響いていた。
 森の入口に立つと、カリヨンはローブの被りを取った。長い黒髪ブルネットが波打ち、額の金のサークレットが現れる。そして、その円やかな美声で、声高に名乗りを上げる。

「エディンバラの森の主に申し上げる。我が名はカリヨン。パンテオンより参上仕った『湖の乙女』ニマーヌの仮の姿である。ゆえあって、ウェールズはアフアンの森へ向かう所存。新月の夜から月を取り戻す為、道を開けたまえ」

 カリヨンが森へ両手を差しだすと、柔らかな白い光が森から発せられた。ランスロットはその眩しさに、目が眩む。やっとの思いで目を開けると、そこには真昼の森が拡がっていた。先刻の鬱蒼とした森を見上げると、木々の合間から光が漏れ出で、露がクリスタルの粒のように輝く。
 清廉な空気には、むせかえるような緑の匂いが含まれている。そして響き渡る子供達の忍び笑いにランスロットは、口を開けて、首を巡らせるばかりだ。

「さて、森の主殿が道を開いて下さった。行こうぞ、ランスロット」

「は、はい! カリヨン殿」

「この笑い声が気になるか? 案ずることは無い。木霊や石の妖精じゃ。悪戯好きゆえ、足元を疎かにすると、何をされるか解らぬぞ」

 カリヨンの言葉に、慌ててランスロットは正面を見据えて注意深く歩んでいく。
その生真面目な姿にカリヨンはくすくすと笑い、ランスロットは頬を紅く染めた。

 二人が歩く事、四半時程であろうか。カリヨンが「出口じゃ」と呟いた。
まさか四百マイル――約六百四十キロメートル――もの距離が、この僅かな時間で島を横断したという事実に、ランスロットは唖然とした。
 ランスロットとは対極に、カリヨンは森に一礼をし、さも当然のように歩みを再開する。

「さて、一番近い村は何処であろうか。ウェールズのアフアンの森には隠れ里があるとパンテオンで耳にしたが……」

「カリヨン殿!」

 カリヨンが思案するかのように、辺りを見回す。すると、突如ランスロットが、カリヨンの腕を引き、前に立ちはだかってエクスカリバーを構えた。

「ランスロット?」

「お気を付けて下さい……殺気を感じました……!」

 周囲は暗く、エクスカリバーの発する黄金の光だけが、闇にあった。だが、不思議な事に殺気を放っていた人らしき影も、淡い白光を纏って此方に向かってくる。

「『湖の乙女』ニマーヌ殿」

「そなた……光の御子――クー・フーリン殿か?」

 徐々に姿が明らかになる人物は、長身に栗色の髪、紅い眼をした美しい青年であった。手には碧い長槍を持っている。カリヨンの真名を口にしたことから、ランスロットは構えを緩めた。

「如何にも。私は太陽神・ルーの子、クー・フーリンだ。乙女、なぜ貴女がウェールズにおられる? それに、その男は?」

 クー・フーリンは目を眇め、疑惑の眼差しをランスロットに放つ。

「この者はサー・ランスロット。かつて、アーサー王が全盛を極めたキャメロットの円卓の騎士の一人じゃ。今は我の旅の護衛をしてくれておる」

 カリヨンの言葉に、クー・フーリンは明らかに嘲笑と取れる笑みを浮かべた。これを受けて、ランスロットも眉間に皺が寄った。

「ほう……あのランスロット卿か。騎士でありながら不義を働いたというのに、主君たる王の聖剣を手にして、乙女の護衛とは片腹痛い。乙女よ、如何か? このような不忠者よりも我が宝槍・ゲイヴォルグが御身を御護り致そう」

「……生前の私の不忠は認めよう。しかし、初対面でありながら、我が騎士道まで愚弄される謂れは無い」

 クー・フーリンの中傷に、ランスロットも真っ向から言葉を返す。両者の雲行きが怪しいことに、頭を抱えたカリヨンであったが、仲裁に入るしか手立てはない。

「両者共、やめよ。……御子、ランスロットはこのニマーヌが同胞・ヴィヴィアンにお縋りして、冥府より参上してくれた者じゃ。命を賭して、我が護衛を務めてくれると誓約も交わした。如何に太陽神の御子であろうとも、先の言葉は撤回されよ。さもなくば、我が許さぬ!」

 カリヨンのあまりの迫力にクー・フーリンがたじろぐ。しばしの睨み合いの末、彼は一つ息を吐いた。

「……乙女がそこまで申されるならば、無礼を詫びよう。しかし、なんの因果か、此処はランスロットと同じくキャメロットのマーリンがドルイドとなりて、身を潜めし里です。彼の不義を責め立てる者は私ばかりでは無い事は念頭に置かれておくがよろしかろう」

 クー・フーリンの言葉に、瞠目したのはカリヨンだけではなかった。ランスロットもまた身を乗り出して、クー・フーリンに詰め寄った。

「マーリン殿、だと!? 馬鹿な……彼は死んだはず!」

「百聞は一見に如かず。ドルイドの館まで案内致そう」

「御子。では、そなたが此処におられるのはマーリン殿の護衛か?」

「乙女、その美しい眼でお確かめ下さい」

 こうしてカリヨンとランスロットは、クー・フーリンの案内で小さな里の中でもとりわけ大きな館の中に入って行った。二人の入室を確かめると、クー・フーリンは中には入らず、入口に掛けられた毛皮の隣に腰を据えた。


 二人を中で出迎えたのは、小さな老人だった。灰色混じりの長い眉と口周りの髭、背は折れ曲がっているが、発する覇気のせいか、とても小さな老爺には感じられなかった。

「マーリン殿……!」

「久しいことじゃ、サー・ランスロット。そして、湖の乙女よ。よくぞ参られた」
 
 しわがれた声で話す老爺は、二人にその場に座すように皺だらけだが、爪だけが鋭く伸びた手を差しだした。二人は勧められるままに熊の毛皮の上に座る。同時にカリヨンが口を開いて、マーリンに問う。

「マーリン。今の我はカリヨンと名を秘しておる。その訳も、キャメロットの名高き魔道士であったそなたなら、我等が此処に参った訳も知っておるのだろう?」

 カリヨンの問いに、マーリンは襤褸のようなローブに手を入れ、床にくすんだ小さな車輪と縁取りに細工が施された円盤を差しだした。

「これは銀でできておる。ところが、約ひと月前の事じゃ。どんなに磨いても輝きを取り戻さぬ。カリヨン殿、そなたが指し示しておるのはこれの事じゃろう?」

 銀の車輪と銀の円盤はアリアンロッドの象徴である。銀は定期的に磨かねば、曇るのは必定。だが、それが磨いても輝きを取り戻さないとは、このようなところまで、アリアンロッドの力の消失を意味していた。
 銀の車輪を一つ、手にしたカリヨンは、真摯な瞳でマーリンに再度尋ねた。

「マーリン――否、ドルイドとしての貴方にお尋ね申す。アリアンロッド様の身には何が起こっておるのか?」
カリヨンの問いに、マーリンはしばし黙し、重くその口を開いた。

「神格が汚されておる――今の儂に解るのは、これだけじゃ。何者かがアリアンロッド様を陥れ、アスガルドのオーディンに加担して、ラグナロクを意図的に起こそうとしておる」

 マーリンの言葉に、カリヨンは顔色を失い、ランスロットも息を飲んだ。

「……ラグナロクを意図的に起こす、じゃと!? オーディン様の意図される処は解る。この日に備えて、戦死した勇士の魂・エインヘリャルを集めておられたゆえ。しかし、なぜケルトの地から、アリアンロッド様が、北欧神話の終末の日の引き金にならねばならぬのか!?」

 激昂して、マーリンに詰め寄るカリヨンをランスロットがその両肩に手を置いて、静まる様に諭した。苦悶の表情を浮かべて、震えるカリヨンにランスロットの手にも力がこもる。

「マーリン殿。斯様な企てをした神とは、一体どこの悪鬼や魔の類です? 女神が神格を汚されては、ケルトの地を月より見そわすのには時間を有しましょう」

「さて……情けないことじゃが、儂の卜占ぼくせんにでておるのは首謀者が人間であるとだけ」

「人間……!? 只人がアリアンロッド様程の女神を如何にして汚したというのじゃ? マーリン、嘘なのじゃろう? 我等をからかっておると言ってたもれ……!」

 懇願に近い言葉で、カリヨンはランスロットの手を取ってマーリンに問うた。だが、無情にも聡い老爺は、ゆっくりと横に振った。

「カリヨン殿、ランスロットと共に北冠座に上りなされ。アリアンロッド様のフロドで真実を眼にされるがよろしかろう。今日は心をお鎮めになって、明晩に天への道を開きましょうぞ」

 青ざめて、今にも倒れそうなカリヨンの手を取って、カリヨンとランスロットはマーリンの館を後にした。
 再びクー・フーリンの案内によって、二人に与えられた小さな館に泊まることになった。館の裏には泉があり、カリヨンは館に入る前に、そこで水浴びを済ます。
 背を向けたまま、カリヨンにクー・フーリンが話しかける。

「カリヨン殿。半神半人の私はパンテオンには登れませぬが、月の女神・アリアンロッド様が消息不明になった後、すぐに父から私に託けられた言葉がございます」

「太陽神・ルー様が、そなたに?」

「はい。それによれば、月が消え、ラグナロクが起こるとすれば、次に身が危ういのは太陽たる自身であろう、と。そして海は海神マナナーン・マクリール様が防衛線を強めておられるので、変事あればすぐにパンテオンに届くであろうとも仰っておられました」

「わかった。では、水と風の妖精に我の元にも報が届くように手配しておく。感謝するぞ、光の御子」

 カリヨンの言葉に、クー・フーリンは一礼をして去って行った。
 水浴びを終え、寝床に入っていたカリヨンに背を壁に預けたランスロットが静謐な声音で問いかける。

「……眠れませぬか?」

「うむ。マーリンの言葉が気になってな……。そなたも眠らぬのか?」

 カリヨンが問うと、ランスロットは優しく笑った。

「私は死者の身なれば、眠らずとも問題はございません」

「そうか、そうであったな……」

 カリヨンの声は、どこか哀慕を含んでいた。それに気づいたのか、ランスロットは徐に立ち上がると、横になっているカリヨンの手を取る。その手は、死者の手であるのに確かに温かかった。

「小さな手でございますね。この小さなお手や、先刻触れた肩もか細い。その小さなお身体であまりにも大きな重責を担っておられる。アリアンロッド様を貶められた人間と同族の私が申すのは相応ではありませんが、できる事なら貴女様が抱えてらっしゃる荷を私にもお分け与え下さい。私は貴女をお護りすると誓いました。共に背負いたく存じます。なにもかもを、貴女様お一人が抱える必要はございますまい」

「ランスロット、そなたは優しいのだな。ヴィヴィアン殿は義母として、さぞ鼻が高かろう。……ありがとう、そなたが供で良かった。我はその心遣いが嬉しいぞ」

 微笑むカリヨンの手を握っていた、ランスロットはその手を恭しくカリヨンの腹の上に戻すと、寝台から零れ落ちていた一房の黒髪に口づける。

「おやすみなさいませ」
 
 また、あの静かな声で囁くと、ランスロットはまた壁の方へ行ってしまった。残されたカリヨンの頬に僅かに朱が上る。とろとろと導くような睡魔に抗うことなく、それに埋没して行った。

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