逢魔ヶ刻の連れ人-神世百鬼夜行-

紺坂紫乃

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陸、中野家の休日

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 『磐座』の一件が終わった直後の日曜、龍久も完全休日であった。家でだらだらとするのかと思いきや、龍久はソファに座って朝霧にブラッシングしていた戒真に「選べ」といくつもの箱をどさどさと落とした。落ちた拍子に中身が転がり出る。
 深い青のワンピースドレス、大ぶりのビジューが付いたヒールパンプス、薔薇の髪飾りなど、その他諸々。

「なんだ、これは?」

「昼飯、予約した店にドレスコードがあんの。食い放題だけどな。俺はスーツでいいとしてもお前はうんと着飾れ」

 龍久は隙があれば戒真の普段着を買って来るが、これは初めて見る類ばかりだ。教師の薄給でどこにそんな余裕があるのか。家計簿も龍久が管理しているので、戒真はノータッチだ。裏稼業でもやっているのだろうかと疑うのも自明。

「言っておくが、裏稼業なんかやってねえからな。じじばばからお前当てに毎月振り込まれる金だ」

「そうか、ならば安心した」

「お前は俺をどう思ってんだ?」

「ロリコン教師」

「どこでそんな言葉を覚えた? 怒らないから言いなさい」

広蛇ひろみ様が電話をする度に行っておられる。意味は瑠璃に聞いた」

「よし解った。じじいが破産するまで飲み食いしてやる。吉岡は保留にしておこう」

「しかし、否定できぬぞ。常日頃から私をまな板だと揶揄するくせに、胸が強調される服ばかりではないか」

「んなもんパッドを詰め込んで騙せ。ドレスコードってのはそういうもんだ。俺が着替えてくるまでに選んでおけよ。朝霧はいつものな」

 戒真が世情に疎いのをいいことに大嘘を教える三十二歳の高校教師。
 困る戒真をそのままに、朝霧は『はい』と頷いて、ごろごろと喉を鳴らして戒真の衣服選びを手伝う。

「龍久は私などを着飾って楽しいのか? 毎度甚だ疑問だ」

『私は楽しいですよ。いつものように写真を送れば広蛇様もお喜びになるではありませんか』

「む、それもそうか」

 困った時の広蛇――あの祖父にして、あの孫ありきだと朝霧は諦観している。

『さあ、どれにしますか? 前はオレンジのシフォンワンピースでしたね。夏も近いので、このアクアブルーのツーピースかネイビーのベアトップワンピ――ああ、この淡いグリーンも綺麗ですねえ』

「……朝霧、私にも解る言葉を話してくれ……」

 なぜ相棒の猫の方がファッションに詳しいのか。戒真はすでに頭が痛い。

『龍久が買ってくるファッション誌を読んでいればなんとなく覚えました。戒真が好きな色を選べばよいのです』

「……では、これで」

 色だけで選んでしまったがネイビーのベアトップは殊更胸が強調されるのではと考えなおしていると、すでに朝霧が小物を漁っている。
手遅れだ。

『戒真の髪は真っ白ですから、髪飾りは真っ赤な大ぶりの花ですね。その分、ストール、バッグ、パンプスは黒で纏めて、ネックレスはピンクパールのロングにしましょう』

 もうすべて朝霧が選んだに等しい。のそのそと着替えると、『下着のストラップは透明のものにしなさい』と指摘が飛んでくる。ストッキングまで種類があってうんざりしたが、猫のひと声で決まる。
 やっとの思いで着替え終わり、髪飾りを付ければいいだけになったら髪のセットまで終えた龍久がリビングに顔を出す。

「お、いい。すっげえいい」

「そうか……」

「目が死んでるぞ」

『あとは髪飾りだけなので、お願いします』

「はーい」

 龍久が器用にドライヤー、ブラシを駆使して戒真のショートヘアに編み込みを作る。

「教師よりも美容師に転職したらどうだ?」

「冗談。接客業なんか俺に務まらねえよ。教師の派閥だけでも吐きそうなのに――ん、できた。写真撮るから動くなよ、っと、朝霧も入れ」

「はい、いかがでしょう?」

「最高!!」

 戒真に寄り添うのは、長い黒髪と金の瞳をした艶やかな美女だ。黒のドレスもよく似合い、ルビーのピアスが白い肌に映える。
 戒真が着飾った時は、必ず朝霧はこの格好をする。ブラッシングの次に娯楽なのだそうだ。龍久が連写で撮るせいでフラッシュが眩しい。
 一体、何枚の写真が広蛇のところに行くのか。撮影が終わって車に乗せられてから、もう疲労している戒真が龍久に尋ねたら「全部」と返ってきた。

「前は選りすぐって送ってたんだが、『足りんわ!!』って怒られたからもう面倒くさくて全部送ってる」

「……そうか」

「お前、じいさんに夢見すぎ。ばあちゃんに言わせれば、俺はじいさんのクローンだからな」

 いよいよ頭痛を覚えた。そこへ後部座席の朝霧が「一枚は瑠璃に送っては?」と提案したが戒真が全力で「やめてくれ」と拒否するのでこの案は却下となった。

「なにを恥ずかしがっているのやら……ところで龍久、ドレスコードのある食べ放題とはどのような店なのですか?」

「海岸沿いのマンションの密集地があるだろ。あそこに半年前から予約してないと食えない店があるんだ。創作料理だから和洋折衷だな。個室だからマナーとかも気にしなくていい。ナイフとフォークだけ」

「なるほど。戒真にうってつけですね」





 店に着いたら、アンドロイドのような鉄面皮のボーイに席へ案内された。通された部屋は外国の部屋を切り取ったような完全個室で、気が抜けたのか、戒真は本能が求めるままに食事を胃に収めていく。
 ボーイはやはり機械仕掛けなのではないかと思うくらい動揺を表さないプロだった。

「絶品ですね」

「おう。さすが半年も予約が埋まってるだけはある」

 戒真の十分の一のスピードで食べ進めている龍久と朝霧は会話をするゆとりがある。戒真はもう食事を口に運ぶマシーンだ。二人の会話も耳に入っていない。

「……食い放題じゃなかったら、じいさんが本当に破産だな」

「同感です……この小さな身体のどこに収まっているのか、この子の消化器官はどうなっているのか……」

 もしも医者の類が身辺にいたら戒真は真っ先に検体にされるに違いない。

「……戒真、病気にだけはなるなよ。じいさんとばあさんに一生逢えなくなるぞ」

「よく解らぬが心がけよう」

 三十五皿目のデザートを空にしてやっと戒真はまともに会話に応じた。けふっと手で口を押さえた戒真に、また龍久がスマホを取り出して連写しだした。二人の皿を見比べ「もう食事は終わりか?」と尋ねる戒真。

「俺は十分。朝霧は?」

「私もお腹いっぱいです」

「そうか。口直しに安い味が恋しくなるのはなぜか。龍久、帰ったらあの赤いアイスが食べたい」

「帰りにコンビニで冷凍庫ごと買ってやるよ」

「やめなさい。店に迷惑です」

 朝霧はつくづく目が離せない二人だと大きなため息を吐いた。
 龍久が支払いを終え、三人が店を後にすると厨房は卵一つ残っていない。
 沈黙が痛い。
 オーナーシェフは腱鞘炎を起こした。夜の予約まで時間がない。
 急遽、店の全員で買い出し部隊が編制された。
 後日、この店が食べ放題を辞めたと街中の噂になったのを戒真達は知る由もない――。



 閑話休題――夜には龍久と、戒真の写真を受け取った広蛇が凄まじい舌戦を電話で繰り広げていた。

『一眼レフを買えと何度言わせるんじゃ!! 写真館にも連れて行かんか、この甲斐性なし!!』

「うるせえ!! あんたとばあちゃんこそ、あの枚数をいつもどうやってんだ。SNSになんか上げてたらぶっとばすぞ!!」

『エスなんとかなんぞ知らんわい。世はインスタじゃ。知らんのか。やーい、時代遅れの独身三十路教師!!』

「余計に性質が悪いわ!! ばあちゃんもこの暴走機関車じじいを止めろよ!!」

『あほう。アカウントはばあさんのもんじゃ。安心せい。加工ソフトで髪色とか隈取とか消してるし、目の大きさとか輪郭も変えておるわ』

「……もう別人じゃんよ。もういい。あんたらには勝てねえ」

 電話を切ろうとしている龍久に『一眼レフを忘れるなよ!!』と追撃がかかるのを強制的に終了させた。
 そこへ風呂上がりの戒真と朝霧がリビングのガラス戸を開けて入ってきた。

「広蛇様との会話は終わってしまったのか?」

「ああ、あれ以上話してたらこっちの頭が悪くなる……」

「そうか」

「ああ、話したかったか? 悪い」

「いや、いい。お仕事を終えられて多忙なところを邪魔したくはない」

 うなだれる戒真に実際は写真の加工に忙しいのだという事実は隠しておくことにした。バレたら撮影禁止にされかねない。
 まだ濡れた髪のまま、冷凍庫に満杯のアイスを食べようとするので、ソファに座らせてからタオルで柔らかい猫毛を丁寧に乾かしてやる。

「なんのフレーバーを食ってんの?」

「抹茶だ」

「クッキー・クリームは一個だけくれ」

「解った」

 素直な戒真の髪を乾かしながら、一眼レフはどこのメーカーのものが良いかについて悩む。
 徹夜でカメラについて調べた結果、龍久は翌日遅刻しかけた――。

終...
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