逢魔ヶ刻の連れ人-神世百鬼夜行-

紺坂紫乃

文字の大きさ
上 下
7 / 9

伍、曼荼羅華を探して(後)

しおりを挟む
 部活が終わり、瑠璃は一度家に帰った。制服から部屋着に着替えて、夕食と風呂を終わらせる。家族が寝静まった二時、迎えにきた戒真、朝霧と共にもう一度更地になっている本家へと向かった。
 戒真は袈裟姿だ。本格的に伯父の霊を祓うのだろう。夏の青臭い緑の匂いを感じながら、すっかり過ごしやすい気候になった夜道を行く。
 途中、朝見た夢の話をした。

「――って内容の夢を見たの。これって今回の件に関係あると思う?」

 戒真は大仰にため息を吐いた。

「なぜそれを早く言わぬのだ。大いに関係があるぞ。いや、問い詰めなかった私達にも非があろうな。どこを探しても『磐座いわくら』が見つからぬはずだ」

「え、どういうこと……!?」

「解説は後だ。その夢の話が本当なら、糸蔵神社に帰った女神を問い質さねばなるまい。龍久に連絡を入れておく」

 戒真は今の話を龍久に送ろうとしたが、機械に慣れていないせいで「電話をかけてくれ」と瑠璃に丸投げしてきた。
 人のスマホをいじるのは多少抵抗があったが、頼まれたなら仕方がない。瑠璃はアドレス帳から「龍久」という名前を探し出して戒真に渡した。
 戒真が夢の内容を伝えると「龍久が瑠璃に変われと言っている」とスマホを寄こした。怒られる予感しかしない。びくつきながら瑠璃がスマホを預かり、耳に当てる。

『よーしおーかーさーん!! 昼飯の時になんで言わなかったかなー!?』

「ひぃぃ、すみません!! だって夢だし、私には特別な力は無いしぃ!!」

『お前は「逢魔ヶ刻の連れ人」だ。力はなくとも、戒真にとってはめちゃくちゃ意味のある存在なの!! しかも今回のキーパーソンである「岩倉瑠璃子」に間違えられまくってんだろお。俺は糸蔵神社に行ってくる。あの女神をとっちめてから、壱の丸に行くから除霊が終わっても動くなよ』

 それきり龍久はぶつりと電話を切った。瑠璃の頭はまたパンクしそうになる。

「切れちゃった……」

「ほうっておけ。人の出逢いは一期一会、合縁奇縁とも言うが、龍久が言いたいのはおそらくそういう意味だ。瑠璃が気にすることはない――さて、いい加減、除霊に移るぞ。朝霧の後ろに立っていてくれ」

 戒真の言葉も瑠璃にはよく解らなかった。だが、今回の一件についてだけは「岩倉瑠璃子」の血縁者として己にも役割があるのだということだけは解った。
 月明かりも乏しく、光源が街灯だけの更地前に立った戒真はしゃんと錫杖を鳴らした。
 すると今朝のようにまた鳥肌が立つ。闇の中でも、更に禍々しい妖気を放つ男の霊――戒真はすぐに祓うのかと思ったら男に「尋ねたいことがある」と話しかけた。

「この地に祀られていた『磐座』を壊したのは、貴様だな?」

 霊はうつむいたまま、こくりと頷いた。

「なぜ壊した? 輪廻の環に入りたいのならばく答えよ」

『……神などいないと思うたがゆえ。儂にいわく憑きの身体を与え、どれほどこいねがっても儂に残されたのはお国の為に戦えなかったという嘲りの視線ばかり。家内も、血を同じくする妹達でさえも……』

「……愚かな!! どこまでも自己愛しかないゆえだとなぜ気づかぬ!! もういい。消えろ。最期まで貴様に壊されたご神体を護って逝った瑠璃子に感謝することだ――!!」

 ここまで激しく怒る戒真は初めて見る。祓魔において、戒真はいつも相手の心を慮っていた。しかし、瑠璃も朝霧も、この男に憐憫の情はない。むしろ痛いほどに戒真の怒りが解ってしまう。

『――我が身に在します、十二の将へ畏み畏み申す。厳烈なる雷にて、かの地に彷徨えし穢れを祓い給え。清め給え――因達羅いんだら大将!!』

 戒真が錫杖で天を突き刺す。
 空に浮かんでいた三日月を隠して雲が低く垂れこめ渦を巻く。
 その中心からは、戒真の感情に呼応するように何本もの稲光が伯父の霊に落ちた――。
 朝霧の後ろに立っていた瑠璃は、伯父の霊が雷に焼かれながらこちらへ手を伸ばしたように見えた。だが、その手を取ろうとは思わない。

「……さようなら」

 瑠璃はそう呟いて、煙となって三日月に昇る一条の光を送った。
 戒真はがくりとその場に膝を着いた。

「戒真!! 大丈夫?」

「ああ、十二神将の中でも特に苛烈な御力を借りたせいだ。しばし休めば歩ける」

「ねえ、前から不思議だったんだけど、戒真は十二人もいる神将の中からどうやって使い分けているの?」

「時と場合と相手によるが……最も重要視するのは方角だ。十二神将には各々が守護する方角で本領を発揮する。だが、今回のように神を畏れず、穢れの塊になった邪鬼には、地獄の閻魔大王の側面を持ち、地蔵菩薩でもある因達羅大将が相応しかろうと選んだ」

「え、閻魔大王もいるんだ……!!」

「十二神将は様々な捉え方があるがな。さて、そろそろ龍久が来る頃合いか」

 錫杖を頼りに立ち上がった戒真は、懐からまたスマホを取り出した。緑色のLEDランプが光っている。
 またスマホを預けられたので「メッセージを読んでくれ」という意味なのだろう。

「あ、大通りの方で待ってくれてるみたい」

「行こう。あまり待たせると小言が増える」

 まだ歩みが怪しいが、戒真に手を貸して大通りの方面へと向かった。指定の場所に止められていた黒のハイブリットカーから出て煙草を吹かしていた龍久に発見されると全員乗れと目で合図される。

「おじゃましまーす」

 後部座席におずおずと瑠璃が乗り、助手席に座った戒真がシートベルトをかけたのを確認すると、龍久の車は滑るように走り出した。

「糸蔵神社に向かうのか?」

「いや、糸蔵神社とここの中間地点にある雲蓮池くもはすいけってところだ。あの女神様に指定された」

 どうやらそこで真実が明らかになるらしい。ふと瑠璃は流れゆく外を見つめながら「伯父が最後に残したメッセージってなんだったのか、解らないままだなあ」と独りごちる。
 独り言のつもりだったが、これには朝霧が答えた。

『それも、あの女神が知っていると思いますよ』

「……あの女神様、最初から全部知ってたってこと?」

「全部、は語弊があるが……まあ、聞いてみりゃあいいさ」

 龍久の言葉に、瑠璃は頭の中にいくつも浮かんできた質問を整理した。
 


 車はやがて街灯も無い小さな囲いだけの池に辿り着いた。
 その畔には、由美子に憑いていた女神が立っていて、車から降りた三人と一匹に深々と頭を下げる。
 女神は顔を上げると今にも泣きだしそうな表情をしている。最初に口を開いたのは、戒真だった。

「あなたが護っていた『磐座』を壊した男なら祓った。あなたにはいくつか尋ねたい――なぜ、瑠璃を岩倉瑠璃子ではないとわかっていながら瀬戸内の海を救ってくれなどと嘆願してきたのだ。瑠璃の親友の身体を借りてまで」

「……申し訳ございません……私は、あの男が怖かったのです。何年も、何年も。あの男は私の目の前で『磐座』を破壊しました。そのせいで成仏できず、呪いを受けて残っていた。分霊である私にはあの男を除霊するほどの力は無く、怯え暮らす毎日でした」

 とうとう女神はぽろぽろと涙を流し始めた。懺悔を口にする姿は詰問しているこちらまで胸が痛む。

「瑠璃子だけがあの男を本家の地に縛り付け、私を護ってくれました。一家から離れてまで。だから恋しくて、この爆弾を抱えているような脅迫観念を払拭して欲しいと願っていたら、数カ月前から巫女がほのかな瑠璃子の匂いをさせて神社に帰ってくるようになりました。違う存在だとは解っています。ですが、耐えきれなくなって巫女の身体を借りて瑠璃子とよく似た魂を持った少女に逢いに行ったのです」

「じゃあ、私に逢いたかったのと、伯父さんの霊を消して欲しかったってこと?」

「はい、ですが、ご神体がなくなり瀬戸内の海が汚れているのは事実。この地は今なお『磐座』信仰が細々と残っていますが、海の穢れを祓うほどの力はありません」

「岩倉瑠璃子があんたへ、最期に渡した『磐座』の欠片でも、か?」

「なぜ、それをご存知で?」

 口を挟んできた龍久に女神は大きな目を見開いて問う。

「吉岡が夢に見たんだ。今のはカマかけだったんだが、やはり当たりか。瀬戸内海は広い。しかも流れが激しく、水軍伝説も多く残る地だ。多くの血と人間が放ったゴミなどを浄化するのがこの神社の――あんたの役割だったが、ご神体を破壊されてからは、ただでさえ弱まっていた力が急激に衰退した――こんなところか?」

「……はい、おっしゃる通りです」

 「あの」と会話に入ってきたのは瑠璃だった。

「伯父さんが遺したメッセージって、なんだったんですか? 貴女は随分と伯父を恐れていたけれど……」

 口にするのも憚られるのだろうか、女神はまた俯いて瞑目した。

「『神はあった。儂が殺した。曼荼羅華が襲い来る。龍神が儂を絞め殺す』――あの男が『磐座』様を壊した夜に見た夢を書き記して果てたのはこの言葉です」

「龍神は貴船神社の神様だと解るけど……マンダラゲってなんだろう?」

「曼荼羅華――解りやすく言うと、天界に咲く花のこと。またはチョウセンアサガオという薬草・毒草の別名。もう一つ、蓮の花の別名と言う説もある。おっさんのダイイングメッセージだとどちらにも取れるが、あんたがこの雲『蓮』池を指定したなら蓮の花の方だと予想されるが、なぜあの男は蓮の花と龍神が迫ってくると思ったのかが解らん」

 煙草を取り出したものの、手でもてあそぶだけで吸おうとしない龍久は女神を横目で覗く。
 彼女は口を開いては閉じてを繰り返す――言葉を探しているようにも、本当に解らないようにも映る。

「龍久、もういい。問い詰めるのはやめろ」

「やだね。お前はもう少し自分の身を大事にしろ」

 龍久と戒真が訳の分からないやり取りを始めた瞬間、瑠璃は誰かに左頬に触れられた感触がした。朝霧ではない。彼女は戒真の肩の上だ。不思議と不快感は無く、池を見るように仕向けられた感じがした。

「――ねえ、池の中心が光ってるけど、あそこってなにかあるの?」

「光っている? どこが?」

「見えません? あんなにちかちかして――あれ、こっちに来た」

 瑠璃の言葉に皆が首を傾げる。だが、女神だけははっとして「まさか!!」と池に飛び込んだ。
 彼女がすくい上げたのは、枯れた蓮の花びらに包まれたモノだ。
 瑠璃はこの光に既視感を覚える――。

「あ、今朝の夢――瑠璃子さんが女神様に渡してたモノと同じだ」

 戒真、龍久、朝霧はぎょっとして女神の手の中でほどける花びらを凝視した。
 それは石の欠片。
 眼が眩むばかりの輝きを放つ灰白色の花崗岩だった。

「……あ、ああ……ありがとうございます……これは『磐座』様の欠片です……!!」

「え!? その濁った石が!?」

「永く護ってきた私が違えるはずはありません。これで少しずつ『磐座』様に辿り着ける。ご神体にもいつか必ず御力が戻るはず……ありがとう、瑠璃、ありがとうございます……!!」

 女神は何度も礼を言いながら、あの夢の瑠璃子のように涙を浮かべながら消えた――。

「……なんだったんだ、結局……」

 龍久は渋い顔をして煙草を手に放心するばかり。

「たぶんですけど、瑠璃子さんは壊された『磐座』様の欠片をいくつか蓮の花びらに包んで、隠したんだと思います。一つは手がかりとして女神様に渡した。でも、伯父さんに怯える彼女は自由に動けず、ここのどこかに欠片の一つがあると知っていながらも探せなかった――それを偶然私が見つけた、ってことではないでしょうか……」

 戒真が「偶然なのか……?」と問うたが、朝霧が『そういうことにしておきましょう』となだめる。

「でも、よかった。『磐座』様はいつか元通りになるって言ってたし、朝からポンコツだった私も少しは役に立ったと思ってもいいかな……へへへ」

 瑠璃がやっと笑ったので、戒真は「そうだな」とつられて淡い笑みを浮かべた。
 龍久は「逢魔ヶ刻の連れ人……本格的に調べるか」と呟く。
 
 空を覆っていた雲はいつの間にか晴れ、流れ星が一筋流れて消えた――。
 これは吉星か凶星か――それを龍久は翌日に痛感する。

続...
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

晴明さんちの不憫な大家

烏丸紫明@『晴明さんちの不憫な大家』発売
キャラ文芸
最愛の祖父を亡くした、主人公――吉祥(きちじょう)真備(まきび)。 天蓋孤独の身となってしまった彼は『一坪の土地』という奇妙な遺産を託される。 祖父の真意を知るため、『一坪の土地』がある岡山県へと足を運んだ彼を待っていた『モノ』とは。   神さま・あやかしたちと、不憫な青年が織りなす、心温まるあやかし譚――。    

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

公主の嫁入り

マチバリ
キャラ文芸
 宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。  17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。  中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...