逢魔ヶ刻の連れ人-神世百鬼夜行-

紺坂紫乃

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伍、曼荼羅華を探して(中)

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 戒真の猫・朝霧を連れて帰って来たものの、よくよく考えてみれば朝霧は瑠璃の家に二度来ているのだ。

「すっかり忘れてたけど、我が家に霊的なものがあれば前に言ってくれるよね……」

『それを言われてしまえば元も子もなくなるのですが……。長い時間を経た霊障が強い自我や神気を保っていられるかは、人間の信仰心やモノが抱く恨みなどの莫大なエネルギーに左右されます――あの、瑠璃、解りますか?』

「え、うん、大丈夫だよ!? つまり、朝霧が感じ取れるくらい強い気が感じられればいいんでしょ?」

 瑠璃は目が泳いでいる。あまり解っていない気配を察知した朝霧は『そういうことにしておきましょう』と言い残し、瑠璃の家を探索し始めた。龍久の苦労がこんな形で理解できるとは予想外も甚だしい。
 瑠璃は自室に着替えに行ったようだ。朝霧は、以前は出入りできなかった場所まで家の中を隅々まで探す。
 あの女神と同じ匂い、もしくは『瑠璃に似た気配』を探しているつもりだったが、それらしいものは見当たらない。そもそも、この家が建て替えられたか、比較的新しい部類に入ることも朝霧の嗅覚を鈍らせる一因だ。

『望みは薄いですが、瑠璃にこの家が建て替えられた時期などを尋ねるしかなさそうですね』
 
 足音もなく、瑠璃の部屋で丸まっていると一時間もした頃、瑠璃が「遅くなってごめんね。ご飯だよ」と顔を出した。風呂にも入ったのだろう。シャンプーの匂いがした。

「収穫はあった?」

『残念ながら……。瑠璃、この家は建て替えられてどれくらいが経ちますか? 移住した岩倉の本家はここではありませんね?』

 瑠璃が持ってきた鰹の匂いがする猫缶を小皿に盛ったものを口にする前に、朝霧はそう尋ねた。

「うん、本家はね、壱の丸の三丁目にあったの。この家は、ママが結婚して一番上のお姉ちゃんが産まれる直前に買ったから築二十三年かな。本家は入れ替わる様に取り壊された」

『本家には誰も住んでいなかったのですか?』

「ううん。伯父さんが住んでた。でも、伯父さんが変なメッセージを残して自殺しちゃったから、気味が悪いって壊してお祓いしてもらったの。その後も買い手が見つからなくて、今でも更地のままだよ」

『変なメッセージ、とは?』

「知らない。昔、ママに訊いたら怒られたの。だから私は知らない」

 いよいよ手詰まりかと朝霧は深追いせず、餌に口を付けた。ゆっくりと噛みしめ、今後の方針を組み立てる。

『本家の跡地の場所は知っているのですね?』

「うん、でも本当に何にもないよ」

『構いません。明日、連れて行ってください』

 その夜、朝霧の目的がわからないまま、瑠璃は枕元で丸くなって眠る朝霧に顔を埋めるようにして眠った。





 いつもの起床時間より一時間も早く起きて、瑠璃は手早く身支度を整えると肩に朝霧を乗せて家を飛び出した。

「瑠璃、朝ご飯は!?」

「コンビニで買って食べる!! いってきまーす」

 唖然としている母を置き去りにして、朝練が始まる前に駅ではなく、反対側の壱の丸三丁目方面に向かった。
 夏の朝の空気は清廉で心地よいが、気を抜けば眠ってしまいそうだ。
    右に左にと住宅街の路地を奥へと入り込むと、朝霧の尻尾がぴくりと動いた。

『……近いですね』

「あの青い屋根瓦をした家の裏。そこに本家が建ってた」

 家からは急いで歩いて十分ほど。
 黄色い更地は他の家もそこを忌み嫌うようにぽつりとあった。朝霧の纏う空気が険しい。瑠璃は小さく「朝霧?」と問う。

『下がりなさい。あれが自殺したという伯父でしょう』

 朝霧の言葉に、瑠璃が弾かれたように更地に視線を戻すと、腹が出た男が立っていた。渋茶の羽織と墨色の単衣を着た男は、前傾姿勢のように肩を落とし、顔は窺えない。しかし、男は宙に浮遊している。この世ならざる者だとは、瑠璃でさえ一目で解った。

『……け、くれ……り、こ……』

「な、なに……?」

『この男も、貴女を岩倉瑠璃子だと勘違いしているようです。一旦、退散します。この霊は貴女に害を為す』

 瑠璃の肩から飛び降りた朝霧の顔にある隈取が光った。後ろに立っていた瑠璃さえ目が眩むほどの光に、男の霊は唸りながら霧散して消えた。

「じょ、除霊したの……?」

『いいえ、私個体には除霊可能な力はありません。これは一時しのぎゆえ。急ぎ、学校で龍久と戒真に合流しましょう』

 瑠璃は朝霧に命じられるまま、その場を離れた駅まで全速力で走る。朝霧がぽつりと『ここまでくればもう大丈夫』と言ったので、小刻みな呼吸をしていた瑠璃は大きく息を吐きだし、のろのろと改札口を通った。

「……結局、なにもわからなかったね……」

 電車に揺られながら、瑠璃がそう呟くと鞄の中に入り込んだ朝霧が『そうでもありません』と返す。首を傾げる瑠璃に『龍久達が集めてきた話と合わせれば、おのずと結果が見えてくるでしょう』となにやら含みのある言葉を残して黙ってしまった。

 結局朝食を食べるのを忘れたせいで、朝練に身が入らず、顧問に怒られた。しかし、顔色が悪い瑠璃に、顧問も「どうかしたのか?」と最後は心配してくる始末だ。

「……いえ、朝食を抜いたせいです……」

「千鳥足になっている自覚はなさそうだな。早めに上がっていいから、購買で飯買ってこい!!」

「はい、ありがとうございます……」

 道場の出口までの数メートル――こけるわ、柱に頭をぶつけるわと散々な瑠璃に先輩も「あれ以上頭悪くならなきゃいいけど」と心無い言葉が飛ぶ。
 本来、この時刻はまだ購買や学食は開いていないのだが、なんとか瑠璃は制服に着替えて購買の用意をしているおばちゃんに懇願してメロンパンと焼きそばパンを譲ってもらった。

「朝は食べなきゃだめだぞ」

「そうれすね」

 もう呂律も怪しい。朝霧は朝練の前に消えてしまった。瑠璃は自動販売機で紙パックのフルーツ・オ・レを買って、誰もいない教室でパンを頬張った。外からは運動部の威勢のいい掛け声と、吹奏楽部のチューニングの音が聞こえてくる。
 パンを流しこむ勢いで食べると、しばらく眠っていたようだ。がらりと入ってきたクラスメイトに驚かれた、瑠璃も飛び起きた。

「び、っくりしたなあ、もう……瑠璃、早すぎじゃない!? 朝練は?」

「……集中できなくて追い出された」

「お気の毒様」

 幸い、中学が同じだった友人だったので深く追求はされずに済む。ショートホームルームまで、まだ三十分以上もあった。もうひと眠りしようと机に突っ伏した。友人は「よっぽど眠いんだな」と一笑し、読書を始めた。
 再びうとうとして夢の中に入ると、少し不思議な夢を見た。
 あの青い女神が薄汚れたモンペ姿の少女に抱きついて嬉しそうに泣いているのだ。会話の内容は聞こえない。女神はモンペの少女から光る物を受け取ると、少女は蛍のように消えてしまい、女神は大声を上げて泣き始めた。
 鈍い瑠璃でも、あの少女が「岩倉瑠璃子」だと解る。
 ごつんと重たい衝撃で瑠璃はパチリと目を覚ます。そろりと見上げると笑っているけど起こっている龍久が出席簿で瑠璃の机を叩いていた。

「おはよ。朝からいい夢は見られた?」

「……ごめんなさい。起きました」

「昼休みは社会科準備室な」

「はい」

 隣の席のクラスメイトが「だから起こしたのに」と呆れている。散々な一日だと瑠璃は泣きたくなった。

「欠席は松野だけね。日直は代理で村田――よろしく」

 瑠璃は急いで由美子の席を見たが、そこだけがぽっかりと穴が空いたように人がいない。昨日、女神に憑依された反動だろうか。授業が始まるまでの数分の間に、瑠璃は素早くスマホで由美子にメッセージを送った。
返事はすぐに帰ってきた。

「夏風邪のようです。熱が下がりませんのでお休みしました。瑠璃さんもお気をつけて」

 メッセージの内容がいつも通りだったので、ひとまずは安心してほっと息を吐く。そこへ一限の数学担当の教師が入ってきたので、スタンプだけを送って慌ててスマホを鞄の中へと押し込んだ。





 昼休み、弁当を持って社会科準備室へ向かった。
 そこにはお重弁当を広げた戒真がすでに頬をいっぱいにしている。その肩には朝霧が張り付いていた。

「朝霧に聞いた。今朝は災難だったな」

 龍久がここに座れとばかりにパイプ椅子を出してくれたので礼を述べる。

「岩倉本家跡は後で戒真が祓いに行く。で、俺達の昨日の成果だがあまり期待はしないでくれ」

「そちらも新しい情報は手に入らなかったってことですか?」

「まあね。しかし、自宅で自殺した上に地縛霊になっている伯父は気になるな。ご神体の『磐座』ではなく、『岩倉家』に焦点を絞って聞き込みをしてみたら、これがまあ、悪い話が大盤振る舞いよ」

「それは……私も知っているかもしれません。特にママは伯父を嫌ってましたから」

 瑠璃は広げたピンクの弁当のプチトマトにフォークを刺して、口に運ぶ。

「酒癖が悪くて、金に汚くて、家庭内暴力が酷かったって?」

「はい。生まれつき、脚が悪かったと聞いています。そのせいで戦争にも行けず、地主だった岩倉家を継いだものの、奥さんに一人娘を連れて夜逃げされ、姉妹にも見放されて自殺したと」

 飯時に話す内容ではないなと思いながらも、瑠璃は弁当を食べ進めていく。ところが朝霧が『妙ですね』と異論を唱えた。

『あの男、人生に悲嘆して自殺したのならば地縛霊になる必要はないはずです。しかも、纏っていた邪気――あれはどう考えても呪いでした』

「の、呪い!?」

『俗説としては自殺した者は輪廻転生の輪に入れません。しかもあんな邪気を纏っていれば尚更。気になるのは、今朝瑠璃に吐いた言葉と死の間際に遺したというメッセージですね』

「なにか言ってたけど……私にはよく聞こえなかった」

 弁当を食べる手はすっかり止まってしまった。戒真や龍久は気にすることなく食べ進めている。

『助けてくれ、瑠璃子――と』

 朝霧が「害為すもの」と評していたのが解って今更にぞっとする。気がつけば手が止まっていた。

「瑠璃、気持ちは解るが午後が今朝の二の舞になっては困ろう。食事はきちんと取れ」

 見かねた戒真が俵型のおにぎりを一つ譲ってくれた。その小さな優しさが嬉しく、瑠璃は小さく笑って戒真に礼を述べた。一口大のおにぎりの中身は瑠璃が大好きな鮭だった。


続...
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