逢魔ヶ刻の連れ人-神世百鬼夜行-

紺坂紫乃

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肆、中野広蛇という男

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肆、


 雨の匂いがする。曇天の日が多くなった。
朝食の席で姉が「低気圧でつらい」などと漏らしていたので、そろそろ本格的な梅雨入りだろうかと瑠璃は待ち焦がれた水色の制服に衣替えをした。水気を含んだアスファルトの独特の香りを嗅ぎながら登校すると、下駄箱が並ぶ昇降口で龍久に捕まった。

「おはよ。あのさ、ちょっといい?」

「おはようございます。なんでしょう?」

 昇降口のど真ん中を占領する訳にはいかないので、二人は生徒の目につき、且つ、二人きりにならないよう下駄箱の横に場所を移動した。

「今週の土日、弓道部は休みだったよな? んで、俺、名古屋の祖父さんに呼び出しくらっちってさ。吉岡のところで、戒真を預かってくれん?」

「え、うち……ですか? それは一度、母に相談して……」

「あー、堅苦しくなくていいの。あいつ、屋根さえあれば良いから。ご家族に迷惑を掛けずともよし」

「や……仮にも女の子ですよ!? そんな杜撰ずさんな……!! 戒真も連れて行けばいいのに」

「それができれば頼まんて。放っておいたら屋根の上で勝手に寝たり、食ったりしてるからさ。ストレートに言うと、吉岡家の屋根だけ貸して」

 龍久らしいと言えばらしいが、この男は仮にも十年育てた女の子をなんだと思っているのか。さすがに朝なので煙草は吸っていないが、女子高に勤めていながら、女子への配慮が欠ける龍久に瑠璃は呆れを隠せない。

「……わかりましたよ。じゃあ、戒真はうちで預かりますけど、さすがに屋根の上なんて梅雨も近いのにできません。私の部屋でこっそりということで譲歩します」

「んじゃ、それで。よろしく」

 瑠璃に手をひらひらとさせると、龍久は健康サンダルをぺたぺたと鳴らしながら、職員室の方へと向かった。その気合いのない後ろ姿を蹴り飛ばしてやれたらなどと考えつつ、瑠璃も教室へと向かう。



 そして、土曜の朝のことである。
 空はいつ泣き出してもおかしくない鈍色であった。

「すまない。瑠璃。世話になる」

 やってきた戒真は、顔色が悪く、歩みも錫杖の補助を借りてやっとという体であった。

「え、病気だったの!? 先生の嘘つき!! なにが屋根だけで大丈夫よ……外なんか絶対禁止!! 戒真、家の中に入って!!」

「いや、それには及ばない」

「駄目、入って。自分がどんな様子か解ってる? 入ってくれなきゃ口を利かないよ」

 額に手を当てると茹だっているように熱い。

「熱まであるじゃない!! もう、戒真も先生も無頓着すぎ!! 絶対安静だからね」

 瑠璃の気迫に根負けしたのか、戒真はまた小さく「すまない」と呟いて、漸く家の中に入った。





 一方、同時刻。名古屋の熱田神宮の社務所内では、十畳ほどの和室で緑茶を出された龍久が祖父を待っていた。しばらくすると板張りの廊下が鳴く音と衣擦れの音が聞こえてきた。
 障子を開けたのは、真っ白な白髪が左右に残るいかにも厳格そうな宮司であった。

「あ、ヒロミちゃん。お久しぶり」

「お前は何度言ったらその呼び方を辞めるんじゃ。ん、戒真はどうした?」

 孫から不本意の愛称で呼ばれた中野広蛇は、不肖の孫の隣にいつもの子供の姿がないことを訝しんだ。

「あのバカ娘なら連れてきてねえよ。この間、十二神将のお供を全員呼び出しやがって、体調崩したから、事情を知ってるお友達の家に預かってもらった」

「そうか。あの子も友人ができたか。今度帰ってきたら赤飯を炊いて祝おう」

 しみじみと感慨深そうに頷く祖父に龍久はむっつりと「わざわざ呼び出した要件は?」と棘を含んだ問いを投げる。

「おう、そうじゃった。龍久よ、これを受け取れ」

 「受け取れ」と言いつつ、広蛇は空気を裂く音が聞こえるほどの勢いで脇に持っていた木箱を龍久の顔面に投げつけた。
 危険を察知して両手を反射的に構えた龍久だったが、木箱は見事に顔にめり込んだ痛みで畳の上で悶絶する。鼻血がぽたぽたと畳を汚した。

「――うー……いってえ……!! なにすんだ、くそじじい!!」

「やかましい。さっきのお返しじゃ。――まあ、それはダミーでな。本命はこっちに」

「ダミーまで用意して俺に一撃を仕掛けたいのか……あんたの本性を戒真が知ったら泣くぞ」

「それで本題なんじゃが」

「無視か。……はい、なんですか?」

 広蛇はダミーの木箱ではなく、もう一つの年季の入った長い木箱を差し出す。龍久はこれに見覚えがあった。

「草薙じゃねーの」

「そうじゃ。順を追って説明するから黙って聞けい」

 先週のことである。
 伊勢のご神体である三種の神器の一つ「八咫鏡」が夜半に、突如輝き、浮遊し始めた。
発見した警備員は、気を逸しかけたのを堪え、急ぎ神宮司庁から人が集められた。その間も「八咫鏡」の光が消えることはなかったという。
 それどころか輝きは増す一方――誰も対処ができることなく、安置されていた部屋は鍵だけがかけられている。

「なにそれ、神道ホラー?」

「話は黙って最後まで聞かんか」

 途中、口を挟んだ龍久に広蛇から叱責が飛ぶ。
 伊勢神宮はご神体である『八咫鏡』を内宮の奥深くで奉り、それを眼にすることは神主でもない。それがひとりでに発光しだしたというから、伊勢は混乱を極めた。
 また伊勢神宮だけでなく、皇室からも厳重保存されている『八尺瓊勾玉』が保管所をすり抜けて、伊勢の方角を向いて光ったり、消えたりする事象が確認された。
 この二つの案件を電話で訊いた熱田神宮も大急ぎで草薙剣を確認すると、錆や曇りが消えて新品同様になっていたのだ。

「この件で頭を痛めておった。しかし、戒真が十二神将の供を呼び出したか……見過ごせん因果関係があるのかもしれんな」

「お供を呼んだのは二カ月も前だぜ? 『三種の神器』が意味深な行動をとるにはタイムラグがあるんじゃないか?」

「んなもん儂に解るかい。世は合縁奇縁じゃが、こんなボンクラが教師になったと聞いた時は、お前の生徒になる子供達の将来を憂えたものじゃ。現在進行形で不安だがな」

「俺の性格は間違いなくあんた譲りだよ、猫被りじじい」

「ふん、お前と一緒にされては儂も年貢の納め時じゃ。兎にも角にも、お前は草薙を持って帰れ。また追加の情報が入ったら連絡する。その時は戒真を出せ」

 反抗的な実の孫よりも戒真が可愛いらしい広蛇は、いらだつ龍久を尻目に草薙が収められた木箱を押し付けると「ばあさんにも顔を出して行け」と命じて、社務所を後にした





 一方、瑠璃の家族が寝静まってから風呂を使っている戒真は、一歩歩くごとに脳に直接触れて揺らされている気分に辟易としている。脱衣所の扉の前は瑠璃が見張ってくれているが、龍久以外の人間を頼るのは初めてで申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「……さっさと終わらせよう」

 湯には入らず、シャワーだけで済ませた。
 一秒でも早く横になりたくて仕方がない。
 脱衣所で瑠璃が用意してくれたタオルを使うのも一苦労だ。判断力が鈍っている頭だが、ふと脱衣所にある鏡に映った自身の身体に首を傾げる。

「気のせいか……曼荼羅が濃くなっている?」

 彫ったばかりの入れ墨のようにくっきりと赤茶色をしていた曼荼羅が、今は黒に近い。しかし、今の戒真はそれどころではなく、ふらつく脚を踏ん張って綿のパジャマに着替えた。
 脱衣所を出たらもう限界で、瑠璃の顔を見るなり、気を逸した。

「ただの風邪じゃないよね……薬もないし、どうしたらいいのかな」

 戒真を背負い、こっそりと階段を上る。
 ベッドに横たえると、湯上りにも拘わらず死体のように真っ白な肌の色をした戒真にぎょっとする。

「も、毛布……は、もう仕舞われちゃたんだっけ。やだよ、戒真。死なないでよね!!」

 でかい独り言を漏らし、半泣きになりながら瑠璃は戒真を抱きこむようにして、狭いシングルベッドに二人で眠った。
 朝霧も戒真の顔に身体を擦りつけて丸くなって眠る。
 
 あれだけ心配した翌朝、戒真はこれまでの不調が嘘のようにけろっとした顔をして目覚めた。
 二人と一匹は、ベッドに正座をして、瑠璃は戒真の身体をぺたぺたと触りたくるがもう熱を放っているところはない。

「……いったいなんだったんだろう?」

「さて……私も知りたい」

 二人で首を傾げていると、戒真の腹が生き物の唸り声のような音で鳴いた。緊張感が一気に削がれる。

「いつから食べてないの……?」

「三日だ。龍久からクレ――なんとかというカードを預かっている。これで飯を食えと言われた」

「クレジットカードね。じゃあ、着替えたら駅前のファミレスに行こう。あそこならいっぱい食べても先生が破産することはないと思う」

 戒真はこくりと深く頷く。夜のうちに洗って乾燥機に放り込んでいた衣服に袖を通す。全快したのが嬉しいのか、朝霧がやたらと戒真にくっついて着替えにくそうだった。

「外出の前に、元気になったって中野先生に連絡を入れた方がいいんじゃない? あれでも一応保護者だし、心配していると……思いたい」

「龍久の連絡先を知らぬ。予定通りなら、本日の深夜に帰ってくるはずだが」

 瑠璃ががっくりと肩を落とすと、ご機嫌な朝霧が『熱田の中野本家の電話番号なら私が記憶していますよ』と助け船を出してくれた。

「先生よりも朝霧の方がちゃんとしてるじゃん」

 瑠璃はぶちぶちと文句を垂れながらスマートフォンを手にし、朝霧に教えてもらった番号を打ち込んで戒真に渡した。

『はい、中野です』

「広蛇様、ご無沙汰しております。戒真です」

『おお、戒真!! 龍久から体調を崩しておると聞いたが、もうよいのか?』

 龍久と話すよりも声がオクターブ高い広蛇。実の孫への応対との差が激しい、と祖母が用意した朝食を食べながら龍久は嫌でも聴こえてくる祖父の声に「けっ」と箸を噛む。

「ご心配をお掛け致しました。もう問題ありません。これから友人とふぁみれすとやらに食事に行ってまいります」

『友人ができたのだったな。嬉しく思うぞ。戒真、次はその子も連れてこちらに顔を出しなさい。そしてファミレスは初めてか。あそこは食べ物だけでなく、飲み物も甘味も種類が豊富だ。きっと気に入ることだろう。うむ、年頃の娘が友人と交流を深める場には最適。楽しんできなさい』

「はい、ありがとうございます」

 戒真も普段の無表情が嘘のように嬉しそうに話している。こんな表情を見るのは初めてだ。
 これだけで広蛇をどれだけ慕っているのを痛感する。付き合いの長い龍久とはえらい違いだ。

 電話を終えてから、イタリアンがメインのファミレスで、次々と皿の山を築く戒真に安堵する。戒真はメニューをすべて制覇するほどの勢いで皿を空にしていた。

「あまり外食をしないから新鮮だ」

「中野先生に頼めばいいのに」

「いや、教師の仕事はなにかと忙しい。龍久の帰宅は遅いし、家でも食事だけは絶対に用意してくれる。その後に仕事の続きをしているから、掃除と洗濯は私がやるが、龍久にあれ以上の無理は言えぬ」

 今回の一件で龍久の評価が地に落ちていた瑠璃だが、戒真の様子から少し見直した。あの巨大なお重弁当をマメに作るくらいだ。
 もしかしたら、龍久にとって戒真との食事の時間は大切なのかもしれない。そんなことを考えながら、瑠璃は一足先にデザートのアイスティラミスを口に運んだ。

続...
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