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番外編 清水一家の長い春〜初めての誘拐
1 始まりは何気ない日常から
しおりを挟む北の地札幌にある極道組織『北斗聖龍会』。代替わりを果たして数年…特として大きな問題もなく平穏に過ごしてきた。
地盤であるススキノで主要会社である金融業と、複数抱える企業舎弟の風俗業からの一部上納金で動く彼らは、それら商いが順調に行えさえすればそれで充分なのだ。
『例え悪のレッテルを貼られようとも、いつかは必ず報われる時が巡ってくる。』…初代会長である笛木八雲が常々そう口にしていたように。
後を継いで2代目となった現会長の清水圭介は、初代のやり方を身に染みてよく知るだけに地盤ススキノは何一つと変わらない。それどころか今や初代をも凌ぐ権勢ぶりを発揮して、街の若者らには人気がある。
…そんな会の2代目は、この数ヶ月前からずっと機嫌が良い。その理由は『私生活』にあった。
愛してやまない嫁の美優が、めでたく2人目を授かったのだ。日夜努力(?)し、待ち望んでいただけにこの喜びは計り知れない程。
そしてそれは夫婦の長男である流も同じ。彼はお兄ちゃんになるのが嬉しくて、暇さえあれば母の未だぺったんこなお腹をナデナデして一生懸命に話しかけているのだ。
…だが喜びがあれば苦難もある。些末な出来事が転じて、それが後に可愛い嫁と息子をも巻き込もうなど…この時、誰が想像出来ただろう。
その些末な出来事が端を発したのは、会の若頭である霧山からの報告から始まる。
「…てな訳で、今月もこんな感じで。あー…夜回りは強化してくれ。近頃若え奴らがまたバカな行動をしてるみてぇだ。」
「はい、笹木に伝えておきます。」
「…あの会長。ちょっと話が…」
「どした、キリ。」
「…実は、その『若い奴ら』と関連するかはわかりませんが、良からぬ情報が入りました…」
霧山の報告によると…最近ススキノを闊歩する若者らがどうにも『怪しい』という。顔の知らぬ人間が屯ろい歩き、何かを見定めている様子だと。
「それは『情報屋』からの報告か?」
「えぇ。なので笹木と小田切を何日か張らせてみましたが…それらしい奴らの姿を見かけなかったようです。」
「…。2人にもう少し探らせろ。あと情報屋にも引き続き探れって言ってくれ…報酬は奮発するってな。」
「了解です。自分も出来る所から探ってみます。…タカ、お前も手伝え。」
「はい。」
現在、会の本部長は春原鷹文…今ではすっかり馴染み圭介と霧山からは『タカ』と呼ばれている。元は若衆組の筆頭で雑用ばかりだったこの男も、今では前任者である霧山の『舎弟』のような『弟子』のような存在だ。
そしてそんな3人…とりわけ会長である圭介の側に陣立つのは、会長付き補佐とファミリーのボディーガードを担う椎名幹哉。元々は圭介の舎弟だった彼も、今ではすっかりその地位に定着し時には会長に意見する立派な『片腕』となっていた。
「…幹哉。どう思う?」
「用心するに越した事はないかと。…近頃の若は成長し体力が付いてきたからか、外に出て遊びたがられます。…顔の知れない人間が幅を利かせているのは、正直言って面白くないです。」
顔の知れない人間=その裏がわからない、何を考えているかも読めない…そう含みを持たせ話す幹哉に、圭介は満足げにクッと笑った。
こんな『打ち合わせ』から数日後…霧山が続報を告げる。どうやら道北方面において新参の極道組織が立ち上がったようだ、と。
「新たな組織…ねぇ。」
「ここからは推測ですが…もしかしたら『こっち』に出張るつもりで、下見に来てるのではないかと。」
「だったらハナからこっちで決起すりゃ良い話じゃねぇか?…間怠(まだる)っこしい事を抜きにしてよ。」
「…まぁそうなんですけどね…」
「会長…知らないんですか。今や我ら『北斗聖龍会』がどんだけ知られているか。この北海道だけじゃなく、内地でだってウチは知れてるんす。この前だって電話来たじゃないですか。」
「あー…あの訳わからねぇヤツか。暇つぶししてぇんなら『リカちゃん』にでも電話して構ってもらえやっつったら、爆笑されたけどな。」
「…。とにかく…もしその推測がマジになったら…ひと悶着どころか『抗争』レベルに発展します。貴方はそれでなくても他の組の組長とかと会う機会が多いんですから。」
「わかってんよ。…ったくめんどくせぇなぁ…平穏に過ごさせろってんだ。」
これまで自らが率先し、嬉々として飛び込んでいくような男から『平穏』などという言葉が出ようとは…変われば変わるものだ。
そんなこんなで霧山と春原が警戒と予防線を張る中、会の事務所を訪ねて来る輩が現れた。突然の事に色めき立つ若衆らに対して、やって来た男が言い放つ。
「…ここが『北斗聖龍会』の本部事務所ですか。」
「だったら何なんだ。」
「いやぁ、極道の代紋を掲げている『割』には何重にも隠されていて、探すのに苦労しました。…会長さんはどの方なんです?」
「…そう簡単に会わせると?得体の知れない人間に。」
「言われて当然な言葉ではあるが…かと言って、こうしてわざわざ訪ねてきた相手にツラすら出さねぇ『長』は…どうなんだ?」
「ンだとコラ…ざけた事抜かすヒマあんなら、さっさと帰れ!」
「…止めろやタカ。」
「っ、会長?!」
「ン事ぐれぇで熱り立ってたらキリねぇぜ。」
“ガチャ!”と開いたドアの向こうから現れた圭介は、ポケットに両手を突っ込んだまま若衆らの前まで進み出ると、相手を見据えながらも見下ろすように立ち止まる。
「…貴方が、北斗聖龍会の2代目ですか。30そこそことの噂通り、若い長ですね。」
「大差ねぇだろ、アンタだってよ。…オレが会長の清水だ、用件あんなら聞こうか。」
「…。いえね…せっかく札幌まで出て来ましたので、ご挨拶を申し上げようかと。…自分は旭川で『南郷陣内組』を立ち上げました、陣内龍樹というモンです。」
「新参の挨拶にわざわざたぁ、イイ心構えだな。…この札幌で何するつもりだ。」
「…特として『何も』。ただ…こちらには『支部』を置かせてもらえれば…と。」
「…、…ふぅん。他の組長さんらが何て思うかは別としてウチは関与しねぇ。好きにすりゃ良いさ。…ただし、ウチのシマを荒らすような真似は看過しねぇぞ。それが発覚した時は…腹ぁ括ってもらうぜ。」
「…。はは!やはり…噂になるだけある方だ。昔仕込みの『牙』は未だ健在の様子ですね。」
「……、…」
フッと表情を和らげた陣内は笑みを張り付け『…またいづれ。』と言い残し去って行く。いつもならば『ケッ!』と吐き捨てる圭介なのだが…
「…。キリ、タカ…今の、陣内龍樹っつったか…ちょっと調べろ。」
「…会長?」
「何となく引っ掛かる。…頼んだぜ。」
それからしばらくが経ち…その間の『南郷陣内組』は目立つ動きを見せず、『陣内龍樹』の事も何もわからないままだった。
…様々な情報網を持った霧山ですら、何も掴めなかったのだ。
そんな中であっても大人の事情など何も知らない子供は、元気そのものである。
圭介の長男流は時期4歳。未だに発語に関しては怪しい所があるものの、この日お母ちゃんの検診にくっ付いて行った後こう言う。
「かあかん!みっきーと“おんも”であしょびたい!…め?」
父圭介が忙しくいるのを知ってか、遊び相手に幹哉を指名するのだ。対する幹哉も満更でもないようで楽しげに笑う。
「え?…でも流くん、幹哉お兄ちゃんは忙しいのよ。お父ちゃんのお手伝いしなきゃいけないの。」
「…。おんも、おひしゃまいて“ぽかぽか”。だかやあしょびたい!」
「若、幹哉と散歩しながら公園にでも行きましょう。…姐さん、自分の事はお気になさらずに。」
「…でも幹哉さん…」
「大丈夫です。会長には自分から連絡入れますので。…若、今日は何して遊びます?」
「んとね、かけっこ!」
「好きですねぇ若…わかりました。」
「わーい♪」
その言葉通り、幹哉は圭介へラインで知らせ、美優を送り届けてから車を置いて遊びに出掛ける。
いつも向かうのは大通りにある公園。何もない原っぱのそこで、流を追いかけ『若』の気が済むまで走り回るのだ。
流の小さな手を取って歩く道すがらには、圭介を慕って族に入った後輩田島が勤務しているジュエリー店がある。因みにその店から更に数分歩くと、同じく旧知の仲である翠の店『アモーレ・ミオ』がある。
「あ、清水さんの息子ちゃん!」
「こんちあ!」
「あはは♪こんにちは~。ご機嫌だねー、どこ行くの?」
「みっきーとあしょぶの!」
「…すぐそこの『大通り公園』です。成長につれ体力を余してるみたいで…」
「そっかー。もうすぐ4歳だもんなぁ…パパとママは元気?」
「…。ぱぱじゃないよ…『とうたん』だよ!『かあかん』はおうちにいゆ!」
「あ、はは…ゴメンゴメン。…けどやっぱ清水さんだわー…イマドキの呼び方させねぇんだもん。『父ちゃん母ちゃん』なんて呼ぶ子、ちょっと貴重だよ?」
「…それが『会長』ですから。若がまだ赤ちゃんだった頃から自分の事『父ちゃん』言ってましたから。」
「まぁねー。…俺、族の頃の清水さん知ってっから…あの人がこんな早く結婚して父親になった事自体がまだちょっと違和感あんだよね…」
「…。聞かなかった事にしときます…」
「流くん!いっぱい遊んでおいでねっ。」
「ん!ばいばい!」
こうして田島との会話と散歩を経て、流は幹哉と一緒に大はしゃぎで走り回った。…付かず離れずの距離で物陰からあらゆる意味での『熱視線』を向けられていようなど、知る由もなく。
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