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小話集
再会〜境界線の向こう側
しおりを挟む人の巡り合わせは、時にその後を左右する事がある。…男女の出逢いは典型と言えよう。
圭介と美優が出逢い、恋が始まったのも『巡り合わせ』…だが例え当人はそれで良くても何も知らない周囲は案じ不安を抱くもの。
2人の距離が縮まり、かつてない程の執着や独占欲を見せる圭介の『溺愛心』は並々ならぬものがあり、昔からを知る人間が皆ドン引きし始めた頃ちょっとした事が生じた。
…それは正に引き合わせとも言える再会だった。
その日何があった訳ではない。ただずっと家にいる美優の“気持ち”を察し、たまには外に出て陽を浴びさせ気分を変えてやろうと思った圭介は、彼女と舎弟2人を連れてマンションを出る。
まずはブラブラと車を流して市内のあちこちをドライブ、知り合いや昔の仲間が商う店に顔を出して食事、そして締めには翠のブティック『アモーレ・ミオ』へとやって来て洋服を物色した。
互いに似合いそうな物を選んではああだこうだと楽しげな『兄貴と姉貴』の姿は、司と将也にとっても何より嬉しくこっちまで幸せになる。
「…全く、あんなにデレちゃって。清水圭介のこんな姿を見る事になるなんてねぇ…」
ニコニコと見ていた舎弟2人にやおら話しかけて来たのはオーナーの翠。スタイリストでもある彼女は仕事を取られたとつまらなさげだ。
「いいじゃないすか。兄貴があんな楽しそうなんすよ?」
「そうっすよ、そっとしてあげて欲しいす。」
「ふぅん。ていうかさぁ~…」
「「…??」」
「あの『喧嘩バカ』な男がここまで変わろうとはね。つい最近まで女を散々に言ってたのよ?…何がどうなってこうなるってのよっ。」
「…あっはは~。」
「兄貴が変われたのは姉貴のおかげっす。俺らにもめちゃ優しいんすよ。」
「「…もっと早く出逢って欲しかったすぅ…」」
「……。」
“あの男、どんだけ凶暴だったのよ”と心中思う翠は、楽しむ2人を尻目にひっそり冷や汗を流す。やがて堪能した圭介と美優は数着の洋服を購入、更には“優しい”姉貴のひと言によって舎弟2人にも数着がプレゼントされた。
「「あざっす!兄貴っ。」」
「…おう。つうか礼なら美優に言え。言い出したのはコイツだかんな。」
とはいえ嬉しげに薄ら笑みが浮かんだところで散会となり、翠には素っ気ないぞんざいな挨拶をして店から出る。…こんな所は昔から何ら変わらない。
荷物を積み込む舎弟2人に対し、圭介は頭の中でこの先を考えながら側にいる美優の肩を抱き寄せ、その顔を覗き込む。彼としては楽しそうな彼女の顔をもっと見たいのだ。
「…美優。この後どっか行きてぇトコとかあるか?」
「え…コレと言って特にはありません。圭介さんや司さん達と一緒なら、何処でも楽しいですから。」
「…。ったくなぁ…マジで欲のねぇヤツだな、お前は。」
呆れたと言わんばかり言い方だが、彼はそんな美優が可愛くて仕方ない。これまでの女達にそんな甘い事を言おうものなら、いったいどんな所に連れて行かされるかわかったものではなかった。
ぶっきらぼうな圭介らしく、言葉では言えない代わりにワシワシと彼女の頭を撫で付け笑い合ったその時…
「…、…イブ、ちゃん…?」
側方から突如と掛けられた『声』に、美優はまるで糸で引っ張られたかのようにゆっくりと顔を向けた。
「イブちゃん…イブちゃんなの?!貴女今まで何して…ッ!」
「……、…」
「ま、まゆさ…」
『まゆ』と呼ばれた女は美優の側にいる圭介に気が付き、ハッとして口を噤むと駆け寄って来たその足をピタリと止める。…圭介の、まゆを見下ろす目が『それ以上近付いてくんじゃねぇ。』と威圧していたのだ。
「…イ、イブちゃんっ…」
「……っ…」
まゆと一緒にいるもう1人の女性『実花(みか)』もまた、突然の事に驚きを隠せず動揺して何も言えずにいる。
そんな膠着とした中で圭介が開口を切った。
「…。美優…知り合いなのか?」
「は、はい…、…あの…お仕事していた頃にすごくお世話になっていた…先輩、なんです…」
「…。そか…だったらちょっと話して来りゃいい。ほら、そこにサ店あっから…茶しながら甘いモンでも食って、話して来い。」
「で、でも!」
「大丈夫だ、心配すんな。オレは別に怒っちゃいねぇよ。…司達と車で待ってるから。」
意外にも話をする事を勧めすんなりと美優を行かせた圭介。飲食代として自分のクレジットカードを彼女に押し付け持たせると、心配そうにショボくれた舎弟2人を連れて僅か離れた車へと乗り込んだ。
「…兄貴、良いんすか?姉貴…」
「あの女2人、どう見ても…」
「…『堅気さん』だな。だからこそ口出し出来ねぇ…が、大丈夫だろ。今の美優がそう簡単に感化されるとは思わねぇ。」
そこには揺るがない自負がある。…例え昔馴染みにこうして偶然に突然に会おうとも、彼女が最後に選ぶのは『自分の側にいる』事だと。
一方の動揺しまくりの女3人は、圭介の提案に乗るようにすぐ側にあるカフェへと場所を移動した。
翠のブティックが建ち並ぶ大通りは拓けたモダンな街並、そのため都市圏にも見劣りがしない。
まゆは移動中に会社の課長宛てに電話をして、無期限の昼休み延長を実花と共に許可を得る。連絡を受けた課長は仰天したようだが、事情を知って理解してくれたようだ。
「…さて。会社の許可は得られたから時間は気にしなくてもいいわ。」
「ていうか…ムリヤリ押し切ったって感じじゃないんですか?」
「もううるさいわねぇ。イブちゃんとやっと会えたのよ?携帯も繋がらないし、このチャンスを逃してどうするのよっ。」
「……、…」
因みにまゆの言う『イブちゃん』とは美優のあだ名。名字である雪吹の頭から取り、クリスマスイブに掛けたのだ。考案者はまゆで付けた彼女自身も気に入っていた。
「…イブちゃん。このしばらくの間、元気にしてたの?…会社の皆も心配してたのよ。無断欠勤なんてした事のない貴女が、ある日突然出勤して来なくて…携帯鳴らしても繋がらないし、アパート行っても出ないし。」
「…、っ…ごめんなさい…」
「…何日経っても連絡取れないから、ウチの旦那に頼んで『捜索願』出したりしたのよ?でも結局わからなくて…そうこうしてる内に退職しちゃって、アパートの部屋ももぬけの殻になっちゃうんだもの。」
「……、…」
「まさかあんな人に捕まってたなんて。…イブちゃん、一緒にいたあの男…『ヤクザ』でしょ。」
「…っ…」
「え、そうなんですか?!」
「アンタねー…見てわかんなかったの?!私の事、ギロッて睨んでたじゃないっ。」
イヤイヤ。それは単に睨みがデフォルトであり、圭介の吊り目のせいだ。美優もそうは思うが立場的に指摘し難い。
「…。いったい何があったの?真面目な貴女が、どうしてヤクザなんかと一緒にいるの?」
まゆに真剣な目で訴えられ…美優はこれまでの事を話した。けれどその日圭介にされた事などは言わず、敢えて障りのない主観的な事のみ語った。
「「……、…」」
まゆも実花も黙って彼女の話を聞きはしたのだが…どうにも信じられない。これが『全て』ではないと、まだ二隠しも三隠しもあるような気がしてならないのだ。
「…本当に?…お父さんが作った借金の取り立てに来たあの男と知り合いになって、お互いに好きになって付き合うようになった。そこまでは何となくだけどわかるわ、でも…だからっていきなり仕事を辞めたり引っ越したり音信不通になったりなんて…」
「…ごめんなさい。それには色々と事情がありましたので…そうするしかなかったんです。それは…圭介さんのせいじゃなく私が悪いんです。」
「…。イブちゃん…」
「皆さんには本当に良くして頂いて、たくさんお世話になったのに…何も告げられずごめんなさい。ご心配をお掛けして…ごめんなさいっ…」
「……、…」
「別にいいのよ。今貴女が元気にやってるならそれで。」
「そう、ですねっ。顔を見られて安心しましたっ。」
「ねぇ…イブちゃんにとってあの男は『良い彼氏』?」
「へ?!な、何でっ…」
「えー?やっぱ聞きたいじゃない?これまで恥ずかしがってずっと聞けなかったイブちゃんの『恋バナ』、今こそたんまり聞かないとっ。」
「ですよね~♪睨みは怖かったですけど、めっちゃカッコ良かったし!」
「…け、圭介さんは…優しいですよ、睨んじゃうのは『クセ』というか…目が吊り目、なので…」
「そぉ?まるで仇が近寄って来たみたいに睨まれたケド。」
「あっはは!まゆさん、仇確定!」
「ちょっと!暢気に笑わないっ。…ねぇイブちゃん?彼氏さんって名字…何て言うの?」
その後も笑顔で話をする3人は、ひと昔に帰ったかのように会話を楽しんだ。約2時間程のひと時を過ごし、圭介の待つ車へと戻って行く美優をまゆと実花は遠くから見送る。
近付いたタイミングでそのドアが開き、中から圭介が出てくると人目も憚らず彼女を抱き締めた。
「…あらら。」
「わお。」
よもや札幌の街中で知人のラブシーンを拝見とは、と2人は声を上げた。そんなまゆと実花の視線に気付いていない圭介ではなく…そちらをチラ見した後に小さく会釈してから美優と共に車に乗り込んだ。
「…ねぇ今…もしかして会釈した?」
「律儀なヤクザなんですねー♪」
「……。」
かくして突然の『再会』はこれにて無事終了、かに思われた。だがそうはなるかと言わん出来事が起きたのだ。
その日は世間一般には休日、俗に言う『日曜日』。けれど極道に平日も休日もへったくれもない。という訳で圭介はこの日も昼間から他人様を怒鳴り散らす。事務所には本部長である霧山と若衆の春原や笹木といったいつもの数人が留守を預かっていた。
そこへ『コンコン!』と事務所のドアがノックされ、北斗の面々は首を傾げる。…こんな昼間時分に律儀にノックで訪ねて来るような人間が思い付かないのだ。
「…キリさん。」
「何なんですかね…カチコミにしちゃ随分とご丁寧な。」
「…出ます。」
意を決してガチャ!と開けた先にいたのは…2人の『女』。思わず春原の口があんぐりと開いてしまった。
「こんにちわ。こちら『北斗聖龍会』の事務所で宜しいでしょうか。」
「…ッ、な、何なんだよいきなり…」
「聞いてる事に答えなさい。『北斗聖龍会』の事務所かって聞いてるのよ?」
「ッ、なろっ…」
「止めろ春原。…お尋ねの通りそうですが。」
「清水圭介さん、いらっしゃるかしら。」
「…。清水は今外に出ています。…失礼ながらどちら様です?清水をお探しなのはわかりますが、そちらもまずは名乗るべきでは?」
「そうね…大津と申します。この子は私の付き添いで来ただけなのであまり気にしないで下さい。清水さんの戻りは?」
「…さぁ。あの人は気の向くままに仕事する人なので…」
「そ。なら待たせて頂きますね…『ココ』で。」
「……。」
ズカズカと入って来た大津と名乗る女とオロオロと入って来たもう1人は、応接ソファーの1つを陣取るように座り込んでしまった。…こうされてはさすがの霧山もどうにも出来ない。
仕方なく茶を出し、もてなしらしい事をして数時間後…ようやくとそこに圭介が戻って来た。
「うぃっすぅー…っとぉ、ンだよっ。」
「わ、若頭!今度は何やっちまったんすか?!美優さんにもう飽きたんすかっ。」
「あァん?てめぇ春原…死にてぇのか?」
「…若頭、来てますよ…『女』が。全く…他所に行くなら行くでバレないようにやって下さい。」
「だから!何でそうな…、…アンタ…」
「…こんにちは。この間はイブちゃんとの時間をくれてありがとうございます。」
「イ、イブちゃん…?って…誰すか。」
「あー、この呼び方じゃわからないわよね?…私の可愛い『雪吹美優』が、大変お世話になっているそうで…“ありがとう”ございます。」
「ッ…」
その物言いには含みがあり、女特有の嫌味っぽさも加わっていて…受ける圭介の表情も変わる。
「今日は貴方と是非、お話出来ればと思って来ました。…イブちゃんからも聞きましたけど、貴方とも話しなきゃフェアじゃないでしょう?」
「…。話、聞こうじゃねぇか。…春原、このお客さんは遊んだ女なんかじゃねぇ…美優の『昔の知り合い』だ。安心しろや。」
「そ、それはっ…良かったす、あは、は…」
向き合いソファーに座った2人(付いて来た実花も含め3人)は、しばらくを無言で睨み合う。やがて口火を切ったのは大津と名乗ったまゆだ。
「単刀直入に言わせてもらうわね。…イブちゃんを『返して』。」
「……。」
「あの子は…イブちゃんは貴方の事を本当に好きみたいだけど、私から見たらはっきり言って『吊り橋効果』みたいなものよ。恐怖心からウンタラってヤツ。イブちゃんはそれを、貴方への『恋心』なんだと勘違いしている。」
「……。」
「恋は盲目、なんて言うけれどそれ以前の話だわ。あの子はとても素直で真っ直ぐな…今時珍しい純粋な子なの。何て言い寄ったのかはわからないけど…イブちゃんに貴方は『相応しくない』わ。」
「……、…」
「聞いてる?人の話。反論くらい、ないの?」
「…。言いてぇ事は『それだけ』か?」
「…、…は?」
「ご苦労なこったな。たったそれだけの事を言う為にわざわざこのススキノ界隈下(くんだ)りまで来て…極道相手にダチ返せって噛み付くなんざ、なかなか出来る事じゃねぇ…」
「……っ。」
「せっかくのお越しだが、アンタの要請には『ノー』だ。美優はオレの『女』だ…それ以前に、返す返さねぇの次元じゃねぇんだよ。…『雪吹美優』っつう、意思の通った1人の人間なんだぜ。」
「そ、そんな事わかってるわ!でもあの子は遠慮しいっていうか…ちょっと引っ込み思案な所があるからっ、貴方みたいな威圧的な人には何も言えないのよ!」
「…。へぇ…それじゃあまるで、オレに対する愛情がねぇにも関わらず美優は『仕方なく、怖いから』側にいる…そう聞こえるが?」
「当たり前じゃないっ。誰がヤクザと…っ!」
「じゃあ聞くけどよ…てめぇが惚れてもいねぇのに、毎晩オレに抱かれるアイツは『何』なんだ?その辺に転がってるくそビッチ女共と一緒にすんなや。…もうその時点で、美優の本心がオレには手に取るようにわかるんだよ。」
身を乗り出した圭介がニヤリと笑いながら言い放ったその言葉に、まゆや実花が赤面しながらも閉口してしまった。…ついでに言うと春原と笹木も真っ赤だ。けれどこれで黙る訳にいかないと奮起したまゆはキリッと表情を引き締める。
「…。清水圭介…極道組織『北斗聖龍会』若頭、実質的ナンバー2。函館出身で10代の頃に仲間と札幌に来て、現在会長を務める笛木八雲氏が頭(ヘッド)をしていた暴走族に参加、特攻隊長となる。族時代も含め、潰した族やヤクザ組織は数知れず。…又の名を『予測不能男』。」
「……。」
「よ…予測不能男?って…何ですか?」
「この男はね、1度キレたら何を考え何をやらかすかわかったもんじゃないって、この辺りじゃ有名らしいのよ。その行動力と思考が理解出来ず予想出来ないって事で『予測不能男』って呼ばれてるみたい。」
「ほぉ…オレのその呼び名の由来まで知ってるとはな。アンタ…只の堅気さんじゃあねぇな。」
「意外に頭の回転は良いのね。…私の夫は道警の『刑事』なの。管轄は全く違うけど、同期のマル暴担当に調べてもらったみたい。私が今日、ここへ来る事も当然だけど知ってるわ。何かあれば電話1本、呼出音だけでもすぐに来てくれる。」
「……。」
「…たかが女が、何の対策やテも無しにヤクザの事務所へ乗り込んで来られると思う?」
「ハンッ…大した度胸と知恵を持ってるようだ。」
鼻先で乾いた笑いを漏らした圭介はしばらくを黙り込む。やがて…
「…。やっぱアンタの言う事には頷けねぇな。答えは『ノー』だ。」
「あんた…ホントに考えたの?」
「ンな事考えるまでもねぇ。てめぇらの出る幕じゃねぇんだよ。」
「…私達はイブちゃんの、あんたの女の『友達』なのよ!その友達が、あんたみたいな腕力にモノ言わせるような男になんか任せられないって言ってんのよ!」
「…。ダチならよ…そいつが幸せならそれで良いって思えねぇのか。それとも…美優がアンタらに縋ったのか?『助けてくれ。』ってよ。」
「そ、それはっ…」
「だったら…余計な口出しと首を突っ込むなや。いくら仲良いダチにだって、超えちゃなんねぇ『線』ってモンがあるんだぜ。」
「…っ…」
「美優を『返せ』?…ざけんな、誰がンな簡単に手放すかってんだ。第一、オレが手ぇ離したってアイツはすぐに戻って来る。」
「…っ、ここの事務所…ガサ入れされても良いの?どうせ目に付かないだけで、叩けば埃の出る物が沢山あるんでしょう?」
「やれるモンならやってみろやァ!オレとのこの話に組織まで巻き込もうってんなら、こっちだっててめぇの旦那巻き込むぞ!堅気さんなら堅気さんらしく黙って引っ込んでろやぁ!」
“事務所ガサ入れ”というある種の『脅し』は、それまでを穏便に済ませようと我慢していた圭介をキレされた。
それを見て、さすがにマズいと動静を見ていた霧山や春原らが動く。
「若頭っ!」
「これ以上はマズいですよ。…落ち着いて下さい。」
「…。わかってんよ…けど言っとくぞ、キリ。最初に脅して来たのは『あっち』だ!」
「聞いてました。」
「つうか春原!てめぇはいつまで抱きついてやがんだっ。」
「い、いや何つうか…若頭が暴れるんじゃって…にしても良いカラダしてるんすね…き、着痩せタイプ?」
「……すーのーはーらー…オレのこのカラダは美優のモンだぞ…気安く抱きつくんじゃねぇよ!」
「ひぃぃ…すんませんすぅ~…」
咄嗟の行動で子供のようにヒシと抱きついて来た春原を、右手指の関節をペキパキと鳴らしながら見下ろす。…その表情、正に烈火の如く。
そしてそのまま手で彼をド突くと、その首を明後日の方向へと捻り上げた。まるでちょっとしたジャレ合い(?)にも見えるが、見ていた霧山は疲れると言わん表情で小さく息を吐いた。
「…やれやれですね。さて…横から口出ししますが、貴女も貴女です。女の身空でヤクザ事務所に乗り込んで来た気概は賞賛しますが、脅迫は良くないですね。」
「……っ。」
「…悪い事は言いません、美優さんの事はある意味において諦めて下さい。…彼女は自ら考え、この人と一緒にいる事を決めたんです。我々、昔からの『清水圭介』という男を知っていますが、彼女のおかげでだいぶ丸くなりました。」
第三者である霧山の言葉は、まゆと実花から息巻いていた気持ちを削ぎ落とし僅か落ち着かせた。それは意外にも圭介も同じらしく、どちらともなく小さく息を吐く。
「…。いきなりダチがいなくなって心配したアンタらの気持ちもわからなくもねぇ。けどこの間、美優の顔見て安心したろ。」
「……。」
「この先の、アイツの事は心配すんな。…何があってもオレが身体張って守る…美優の事はオレが支えっから。」
「1つだけ教えて。…イブちゃんとの『この先』、貴方は考えているの?ちゃんと。」
「…。当然だろ。極道はな、堅気の女を遊び相手になんか選ばねぇんだよ。選んで手ぇ付けたからには、てめぇにきっちりケジメをつける。…美優にはまだ言ってねぇだけで、オレの腹はもう決まってる。」
「……その言葉、反故にしたら何してくれるのかしら。」
「アンタ…他人を脅すのが趣味なのか?そうだなぁ…反故にするつもりは更々ねぇが、そん時は指詰めててめぇに進呈してやるよ。」
「いらないわよ…貴方の指なんて。」
そう言ったまゆは呆れたように鼻先であしらいながらも、その顔には薄い笑みが浮かんでいた。ようやく納得したようなその顔を、圭介がジッと見つめる。
「…。アンタ…どっかでオレと『会った』事、ねぇか?どことなく見覚えあんだけど。」
「…。さぁ…世の中、似た顔が3人いるなんて言うし…気のせいでしょ。」
その言葉を最後に、まゆは場を立ち上がり実花を連れて事務所を後にした。あれだけの勢いは何処へ?と聞きたくなる程に、終わりはアッサリと告げる。
だが…この大津まゆという女性は意外な『ジョーカー』だったのだ…
まゆはその日の夜、ツテを頼って“ある場所”へと赴く。その場は…
「いらっしゃ…って、あら。」
「こんばんは。お久し振りです…『総長』。」
「…。止めてちょうだい…今はしがない『ママ』やってるんだから。」
「ちょっとお話…いいですか。」
「開けたばかりだからまだ奥の部屋が空いてるわ。…入って。」
彼女が足を運んだのは『モナムール』、訪ね人はママのみずきだ。驚く事に…まゆはみずきがレディース族の総長を務めていた頃の『仲間の1人』だったのだ。
「そう…しーくんの女、貴女の勤務先の後輩だったの。」
「私もびっくりしましたよ。ウチの旦那に頼んで調べてもらったら、『北斗聖龍会』って名前が出てきて。何でウチのチームの名前の一部が?って思ってたら、会長があの八雲さんだって話じゃないですか。それで、あー…って。」
「で、ココの事は翠に聞いたのかい?…ったく、口の軽い女だねぇ…」
「ははっ、翠はしつこい私に折れただけですよ。」
そんな話題から、今回の件を話すと…聞いたみずきは呆れたように生温かい横目をまゆに向けた。
「あんた…相変わらずねぇ。よくもまぁヤクザの事務所に単身で乗り込んだモンだよ。」
「あっははぁ…いや~つい血が滾っちゃってぇ…」
「しかも『昔の』だろ?…ふぅ、ある意味『北斗聖龍会』で良かったよ。他の組織だったら、あんた確実に血祭りだよ?」
「…。デスネー。でも私はあの子の友人として、当然の事をしたまでですっ。だって突然いなくなっちゃったんですよ?心配するでしょ!」
「まぁね。そこはしーくん…清水圭介の配慮が成ってなかったわね。極道が堅気の女に手出しするからには、ちゃんと考えてあげなきゃいけない。」
「ですよね?!」
「…でもね、まゆ。極道は堅気の女を手中にしたからには、生半可な覚悟ではないのよ。何かあれば女の為に自分の命すら差し出す…いつ殺られるかわからない世界に生きる男と添うと決めてくれた、女への『礼儀』なの。…それがね。」
「……。」
「心配しなくても大丈夫よ。清水は今の彼女に相当『おネツ』みたいだから…昔と違って。何かあったら私が懲らしめてやるわ。」
みずきの言葉を聞いてやっと納得し安心したまゆ。美優を密かに託し、頭を下げたその時…部屋のドアが無遠慮にガチャリと開く。
「…おやおや。店のママたる者がサボリですか?いけませんねぇ…」
「?!…だ、誰?!」
「ン?…真次からみずきの『昔馴染み』が来てると聞いて顔を出してみたのですが…そちら様こそ誰です?」
「ふっふふふ♪やぁね、やぐっちゃんたら。…まゆよ、覚えあるでしょう?」
「えーっ?!や、八雲さん?!あの八雲さん?!」
「あー。…まゆ…確かに。時という物は怖いですねぇ…すっかり丸く『おばさん』になって。」
「む。八雲さんこそ『おじさん』になっちゃって!」
「あァ?」
「ふふふ♪おばさんにもなるわよね?一児の母なんだもの。娘ちゃんは元気?」
「はいっ。私に似てとっても利発な子なんです。」
「…末恐ろしいですね。」
「ナンデスカ?八雲さんっ。」
「もぉ、やめてちょうだいっ。ところでやぐっちゃん…今日は早くない?来るの。ヒマなの?」
「…。清水の機嫌が悪いので逃げて来たんですよ。…何でも、女の堅気の頃の友人が押し掛けて来たとかで。早く帰れと言ったんですがね…仕事の始末がまだあるらしく。」
「あ…あらあら。」
「…。それ…私デース。」
「…は?」
そんなこんなで話に加わり、詳細を知った会長笛木は腹を抱えて笑った。偶然とはいえ、出来過ぎなシチュエーションに笑わずにはいられないのだ。
「ちょっと…やぐっちゃん。」
「あっはは!そうでしたかっ…しかしまぁ、貴女も変わらない。昔の血が騒いだとはいえやりすぎですよ。今は堅気で『サツの嫁』なんです、少しは自重なさい。」
「ハイ…総長にも言われました。そこだけは反省してます…」
「…そこだけなんですね。清水に悪いとは?」
「全く思いません!だってそうじゃないですかっ。私の『可愛い子チャン』攫っといてトンズラはあんまりですっ。」
「…か、可愛い子チャン…」
「だから言ってやりました!『返せ』!って。そしたら何て言ったと思います?…『答えはノーだ。考えるまでもねぇ。』だって!もぉー腹が立つ!」
「ははは!そりゃそうでしょうねぇ。…なるほど…それで…」
「…?、やぐっちゃん?」
「いや。清水がキレながら叫んでましてね。『何が返せだ!今更手放せるかっ。腕力に訴えるような男に任せられない?ざけんな!惚れた女殴る野郎なんか最低最悪だろが!オレと美優の事は金輪際、誰にも文句なんか言わせねぇからなァ!!』…てね。」
「あらあら…しーくんご立腹。」
「…うわぁ、めんどくさい…」
「もうあぁなったら、機嫌直せるのは女である美優さんだけなので。だから早く帰れと言ったんですけどねぇ…」
「……。」
「彼女と出逢ってからの清水は、以前のような『喧嘩』をしなくなりました。それまではしょっちゅう、憂さ晴らしのように喧嘩してましたからねぇ…」
「そうね。しかも決まってウチの店の近くで、その度に真次が呼び出されていたもの。…それにしても…」
「な、何ですか?」
「清水も清水ですねぇ…まゆの顔を見ても気付きもしないとは。両方の族交えてちょくちょく会っていたでしょうに。」
「…。どことなく見覚えある、とは言われましたけどね…今はサツの嫁なんでバックれました。」
「あらら…良かったの?昔、好きだったんでしょう?しーくんの事。」
「何でっ…違いますよ!それは私じゃなくて翠ですっ。…まぁ翠も素直になれなくていつも喧嘩腰でしたし…向こうも何処で見つけて来るのか、見かける度に『違う女』といましたしねぇ。」
「なぁんだ。翠の事は知ってはいたんだけど…まゆは違ったの。つまんないわねぇ…」
「てなると、まゆの目当ては…『瞬』か。」
「?!」
「まぁ、図星ぃ~♪」
「……っ。」
「くっくっく…瞬も元気ですよ。日々飄々と医者稼業やってます。今や病院を構える院長ですからね。…ウチも、世話になってますよ。」
「ふふ♪あそこは奥さんがしっかり者だから。何せ足洗った族上がりだって知っても『だから何?』って言うくらい、肝が据わってるんだもの。」
「…へ、へぇー…そ、そう…なんだぁ…」
笛木とみずきはまゆの『この』反応におや?と思う。そして『何かあったな、コイツら。』とも。ともあれ…
「…まゆ。美優さんの事は心配しなくて良いですよ。今や彼女は会の皆で守ると決した『庇護対象』の1人です。何かあれば清水はおろか、私とて黙るつもりはありません。日頃は側に清水の舎弟がいますし…」
「いえいえ。寧ろ側にいる清水圭介っていう男が心配なんですっ。…私の可愛いイブちゃんをもし!泣かせでもしたら…その時は八雲さん、ヤツを石狩湾に沈めて二度と浮かんで来られないようにして下さい!」
「あっははは!…わかりました、その時は貴女に代わって私が清水を仕置きしましょう。」
…後になってこんな『密約』が交わされた事など全く預り知らない圭介と、話の流れで淡い話を呼び起こされてしまった南雲。
離れた場所にいる2人は、南雲が院長室で…
「はっくしょい!ったぁ!」
「やぁね…おじさん臭いったら。…はいマスク!」
「っぶ!…し、志穂ぉ…もうちょい優しく出来ないのか?」
一方の圭介が自宅で…
「はっくしょい!っにゃろう!」
「…。圭介さん…風邪ですか?やっぱりお野菜は大事ですねっ。」
「ズズッ…そういう問題なのか?美優。」
…といったように、それぞれ盛大な『くしゃみ』を放つのだ。
昔から憧れ、信頼ある2人の人間に友人を託したまゆは…可愛い“歳上でありながら”後輩の幸せを祈りながらも、二度と昔馴染みの人間や本人達の前にその姿を見せる事はなかったのだった。
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