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流水ノ章

22 彼女の望みはいつだって、ただ『1つ』

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時間は僅か遡り…美優を抱え車に乗り込んだ圭介は、司の運転で会のお抱え医師である南雲の病院へと向かう。

「姉貴!…っ姉貴ぃ!!」

「将也!南雲に連絡入れろっ!司ぁ!信号なんか無視して突っ走れ!!」

「うす!!」

幹哉は後部座席に僅かに腰掛け、自らのハンカチを美優の首元の傷に当てその上から自身のジャケットを丸めて押し当てる。…少しでも出血を抑えようという応急処置法だ。

「美優!っ美優!!しっかりしろ美優!」

自分の怪我などそっちのけで圭介が美優を呼ぶ。だが応えるどころか、ますます顔色が蒼白になっていく。

幾度とその名を呼び、時には小さく揺さぶる彼にようやく反応してくれたのは…車で走り出してしばらく経っての事だ。

「…、…けい、すけさ、ん…?…」

「っ美優?!…っ、美優っ…ここだ…ここにいるぞっ…」

「っ、怪我っ…大丈、夫…です、か…?」

「……。あぁ…大丈夫だっ…こんなの、大した事ねぇ…」

「…、…良か、った…、…安心…しまし、た…っ…」

「……美優っ…」

日頃から『良い人過ぎる』と心配される彼女らしく、愛する人の怪我の確認をいの一番にしてそっと左腕を摩る。そんな彼女に、圭介のみならず幹哉達も泣かずにはいられない。

「…っ、美優…今オレのダチが医者をやってる病院に向かってるからなっ…だからっ…」

「…、…圭介、さん…っ、ありがと…ござい、ます…」

「……。美優…?…」

「貴方と…出逢え、て…本気で、人を…好きに、なる…それ、を…知る、事が…出来まし、た…出逢い、方…っ、は…ちょっと酷かった…です、けど…ね…」

「…な、何言ってんだよ…美優っ…」

「…た、くさん…幸せ、頂き…ました…っ、圭介、さんは…もっと、幸せに…なって…」

「ッバカ野郎!ンな事っ…言うなっ…っ、オレの嫁はお前だけだ!このスカポンタン!」

「…ふふっ…じゃ、あ…私の『旦那様』に…お願いが…ありま、す…」

「……何だ?美優…」

もはや朦朧とする意識の中…消え入りそうな声で彼女が圭介に頼んだ願いは…

「…っ、…いつも…言ってくれ、てる…ように…『愛してる』…って…聞かせ、て…」

圭介にとって今や『ごく当たり前のありふれた言葉』であるそれは、美優にとってはいつだって心が震える程に嬉しい幸せな言葉だ。

けれど彼は一瞬不安に思う。彼女の頼みを叶えてやってしまったら…踏ん張り、意識を保とうとする気力を失ってしまうのではないか…と。

だが圭介は賭けに出る。それを抜きにしても、美優を想うこの気持ちはいつだって『ホンモノ』なのだから。

「…愛してるぜ、美優……オレの可愛い…っ『モナムール』っ…」

「……。あり、がと…、…圭介、さん…っ、…私も…愛、してま、す、……」

「ッ!美優!おい美優ぅ!!…しっかりしろって…返事してくれっ…美優ぅーッ!!」

圭介の腕に抱かれ幸せそうに笑ったはずの彼女の右手が力無く下がったその時…タイヤを鳴らしながらようやく車が『南雲総合病院』へと滑り込み、建物の裏手へと回った。

その裏手の出入口は会の面々と病院の一部の人間しか知らない非公開のもので、後から増築されたものだ。その資金元は表向き上、病院の医師であり院長でもある南雲となっているが…実は圭介個人の『ポケットマネー』で賄われていた。

その出入口で待ち構えていたのが、圭介の古くからの友人の1人である『南雲瞬』医師と全ての事情を知る看護士長の2人。南雲は車が止まるや、すぐさま後部のドアを開け放つ。

「っ!…、…し…清水…」

「…っ、…美優…っ美優ぅ…っ、…」

その先にいた圭介の弱り様を見て南雲は絶句する。もはや呼吸すらしているのかどうかも怪しい女をぎゅーぎゅーと抱き締め涙するその姿は…これまで1度も見た事のない姿だったのだ。

…圭介はいつだって胸を張って堂々としている男だった。ガキの頃からずっと一緒だったもう1人の友人『流平』が、女を道連れにバイクで死んだ時だって…人には決して涙を見せなかった。

…そんな彼が…愛する女を失いたくないと…泣いていた。

「…っ……清水、俺だよ。会長からも連絡もらってる…彼女を診せてくれないか。」

「…っ、…南雲っ…」

「会長にも言ったけれど…お前にも約束するよ。彼女は必ず俺が助ける。助けて、必ずお前の側に返すから。だから俺を信じて託してくれ。…な?清水。」

「…っ、…俺は…もう、コイツ無しには生きていけねぇんだ…っ頼む南雲…美優を助けてくれっ…」

「……わかった。彼女の名前、美優さんって言うのか?…美優さん!美優さんっ…わかりますか?わかるなら、俺の手を握ってみて下さい!……、…自力反応なし…マズいな…」

「院長!バイタルチェック不可です!」

「……微かに呼吸はしてるな…よし、すぐに運ぶ!清水、彼女をこっちのストレッチャーに乗せてくれ!」

「っ、頑張れ美優!…別れ話みてぇな事言いやがって…このスカポンタンがっ。」

自らをも奮い立たせるかのように、美優に悪態を吐きながらも優しくストレッチャーへと乗せる。そうして彼女は…南雲医師による治療を受ける事となった。

血液検査の結果によって血液型が『O型』と判明し、まずは無駄に流出してしまった血液を補う為の輸血が開始される。

その間にCTやMRIなどで体内に銃弾が留まっていないかの確認をして最終的には手術による縫合と段取っていくが…血液検査の結果を見ていた南雲の表情が僅か翳り、彼は大股で処置室を出て行ってしまう。

向かう先は廊下の長椅子に座っている圭介の元だ。ズカズカとやって来た南雲は圭介の前にビダッ!と止まると、彼の右脇に手を差し入れ引き上げるようにして立たせた。

「な、何だよ!南雲っ。」

「ちょっと来いっ。」

「はぁ?」

「いいから来いっての!」

数歩歩いただけだが、たったそれだけと思う事なかれ。たかが数歩だろうと離れ、距離さえ作れば『患者の秘匿』を守ったという事になるのだ。

「おい清水…お前はいったい何考えてんだよ。」

「……あァ?何なんだよ、いきなり藪から棒によ…」

「彼女さんの事を好きなのはお前見てりゃわかるさ。マジで惚れてんだなってっ…だけどなっ…、…」

「……。ンだよ…」

「…会長から聞いたけど、お前…彼女さんと『結婚』するんだって?」

「する。だから何だ。文句あんのか。」

「まさかと思うけど…『結婚する』っていう頭があるから生でヤってるだろ。あわよくば中出しのおまけ付き。」

「………。」

南雲にジト目でズバリと指摘され、圭介はげんなりとした顔で視線を逸らす。それを見た南雲からは声にならない声で唸り、くわっ!と目を見開いた。プルプルと震える両手の甲には青筋がくっきりと浮いている。

「~~~っ清水っ!いくらこの先結婚するっつったってなぁ!ちょっとは考えろ!子供を妊娠するのも産むのも『女』なんだぞ!無計画なのはこっちが一番困るんだ!」

「…相っ変わらずギャーギャーうるせぇ奴だな南雲。だからてめぇンところに来たくねぇんだよっ。…っておい!まさか美優の腹にっ…」

「いねぇよっ。いねぇけど、そういう『痕跡』があったからビビったんだよ!彼女が妊娠してたら、使える薬なんかほんの数種類しかないし、手術だって出来ない!…『麻酔』が使えないからなっ。」

「…ンだよっ…ぬか喜びさせんじゃねぇ。」

「……?、清水お前…『子供』、欲しいのか?」

彼はちょっと意外そうに聞く。圭介はどう見ても子供が好きそうには見えないからだ。

「…元々は好かねぇ。けど…美優に惚れて考えがちょっとだけ変わった。…アイツが産んだオレのガキなら…身体張って守ってやれるかなってな。」

「………。」

「アイツは…美優はオレに似た『男』がいいっていつだか言ってたけど…オレは逆にアイツに似た『女』が欲しい…」

「…。娘は…あっという間に父親から離れていって、さっさと男見つけて嫁に行くぞ?」

「……。生半可な男にゃ渡さねぇ…それまでは四六時中連れ歩く。」

「……怖え親父だな。…とにかく『子作りは計画的に!』…コレ、テストに出るから!赤線引いて頭に叩き込んどけ!」

「何のテストだよ!極道にテストなんかあるか!しかも何かのCMみてぇじゃねぇかっ。」

互いに昔を知っているという気安さもあって、つかの間そんな話をしていたのだが…南雲は思い出したように白衣のポケットから大判のガーゼを取り出して圭介の左上腕をギュッと縛る。

「イッ!…」

「…院内でお前らの事を知ってるのは、俺と看護士長と俺の弟だけだから…悪いけどお前の治療は彼女さんが終わってからだ。多分弾は掠ってると思うから…お前の怪我は大して心配はない。」

「……。オレの事なんかどうでも良い…、…美優を頼む…」

「…わかってる。」

「院長!すぐ戻って!!クランケがっ…美優さんの容態が!!」

「ッ、わかった!」

「ッ!?南雲てめぇ!美優を死なせたりなんかしてみろ!!ぶっ殺してやっからなァ!!」

…そんな圭介の悲痛にも似た怒声を背に浴び、南雲は白衣を翻して処置室へと戻っていく。

「何が起きた!?」

バン!と両開きの扉を押し開け、更にはワラワラと取り囲むスタッフ達を押し退け美優の側へとやって来た南雲は、心臓マッサージをしていた実弟で産婦人科医の健(たける)を見やる。

「おい健?!」

「わからない!急に心停止起こしてっ…もしかしたら『失血性ショック』かも!」

「っ?!」

心電図モニターを確認すると…既に全ての波形が何の形を成しておらず平行になっていて、健が行うマッサージに反応を示すのみだった。かと言って、ここで諦める南雲ではなかった。

「退け!」

弟から引き継ぐと、南雲は美優の心臓がある左胸をドン!と力の限り拳で殴りつけ、それから心臓マッサージを再び始める。

「強心剤と昇圧剤追加!あとカウンターショックの準備もして!」

全体重を使っての心臓マッサージは大の男でも根を上げ、数十分も続けられれば御の字だ。大概の医療施設ではそれが原因で医師が倒れてしまう事象もあるため、分単位で交代しながらマッサージ効果を維持させる。

だが南雲はそれを1人でやり熟そうと奮起する。そこには…友人である圭介と交わした『約束』があるからだ。

「院長!準備出来ました!」

「離れて!」

専用のパドルを受け取った南雲が出力の確認をして心臓付近に当て電極を流すと、バン!という音と共に美優の身体が大きく跳ね上がる。そして再度、彼は心臓マッサージを開始した。

けれど時折確認する心電図モニターの波形は、変わる事なく平行なままだ。そうしている間にも救急のデンジャータイムと言われる時間が刻々と過ぎ…南雲の額や首筋には玉の汗が浮かび伝う。

「…っ、美優さんっ…ダメだ…貴女はまだ逝くべき人じゃないっ…還ってくるんだっ…、…」

「………。」

「…やっと…貴女と会えたのにっ…アイツが本気で惚れたっ…貴女と会えたのに、もうお別れなんて悲しいじゃないかっ…お願いだ美優さんっ…貴女がいないと生きていけないと泣くアイツをっ…圭介を『独り』にしないでくれっ!…」

彼は心臓マッサージを懸命に行いながら美優に呼び掛ける。…人伝てながらに話には聞いていた友人の女にいつ会えるだろうと、密かに心待ちにしていた南雲。けれどこんな初対面となってしまった事に、顔には出しはしなかったが動揺していたのだ。

だから彼は『約束』をした。…必ず助けて、側に返すと。それは偏に南雲自身が、2人が並び立ち笑い合う姿を見たかったからに他ならない。

「…っ、お願いだっ…彼女を…美優さんを守ってくれっ…俺“達”のダチの大事な女なんだぞっ…っ、頼む!『流平』!っ…」

…南雲がその名を口にするのは実に数年振りである。『立花流平』…彼こそ、南雲に医者の道を歩くキッカケを与え、19歳という若さで惚れた女を道連れにバイクで自殺をしたもう1人の友人なのだった。
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