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流水ノ章
20 新年の幕開けと『ワケあり』妻
しおりを挟む圭介と美優の日々は穏やかに過ぎていく。出逢ってから2ヵ月をようやく越そうかという短期間にも関わらず、互いを必要とする想いは相当に強い。
突如と割り込んできた京極との一件も完全決着となり、大晦日までの数日を『仕事納め』と称して休み、美優との時間を優先して過ごす彼は正に幸せの真っ只中にあった。
愛する人に起こされ、自ら運転する車で2人で買い物をし、用意された食事を2人で会話しながら食べる…例え嫌いな野菜を無理矢理に口へ放り込まれようとも。
そんな『ごくありふれた幸せな日常』は、いつ何が起こるかわからない身である圭介にとって初めての経験でありこれまで縁のないものだった。
だからこそこんな想いを抱かせ、例え些細な事であろうと大事にしたいと思わせてくれる美優が愛しい。
そんな彼女と初めての新年を迎え、お手製のおせち料理に舌鼓を打ち…司達と初詣へ出掛けた。
赴いたのは『北海道神宮』。やはり元旦は人気スポットなだけあって超混雑を極める状況だが、圭介が自分の左胸に抱え込むようにして離そうとしなかったが為に美優は人波に攫われる事も迷子になる事もなく、無事にお詣りが出来たのだった。
「知ってるか?美優。ここは縁結びと『子宝』に利益があるって。…まぁ、ンな事神頼みするまでもねぇけどな。」
「……。」
本人はツラッと涼しい顔で言うが、如何にも『オレに任せておけ。』と言わんばかり発言に、さすがに美優は恥ずかしい。無言で真っ赤になって下を向く姉貴を見て、司や将也らがケラケラと楽しげに笑う。
「兄貴、年明け早々から熱いすね。今年の夏は俺ら、扇風機でも背負ってた方が良いすかね?」
「巨大扇風機、回しまくるっす。」
「…ほぉ。上のモンを揶揄おうってのか?お前ら。クックック…」
終始ご機嫌な圭介は何を言ってもこんな調子だ。頭の中には既に『春』が到来しているのかもしれない。
そうこうしている内にも正月の賑わいも落ち着きが見え日常が戻りつつある頃…
「あら素敵!やっぱり美優さんは何を着ても似合うわねー♪これも『私』の見立てが…」
「うるせぇ、黙れや翠。てめぇの御為ごかしなんか聞き飽きてんだよ。」
「まっ、ちょっと!そんな言い方ないじゃないっ。」
「ケッ!」
その日、一行は翠の店である『アモーレ・ミオ』へと来ていた。年の暮れに頼んでいた物を受け取り、美優に着付けてもらうのが目的である。
圭介が頼んでいたのは『着物』。色鮮やかな青の生地に牡丹と桜が大きく描かれたそれは実に彼女に似合っていて、彼も誇らしげに見つめた。
「…綺麗だ。似合ってるぜ、美優。」
「ありがとうございます…圭介さん。」
これまで派手を好まない美優が着飾るのは月一くらいのものなのだが、この日はその為ではなく別な目的があったからだ。彼らが翠の店を出てすぐ向かった先は…
「…うわ…すごいお家です、ね…」
「クッ…まぁな。ほら行くぞ。」
市内から僅か逸れた郊外に建つ純和風の一軒家。立派な門構えに加え、広い庭があるその家は『北斗聖龍会』会長である笛木の自宅だ。
車を降り、雪道で転ばないようにと美優の手を引きながらその広い庭を抜け…ようやくと玄関チャイムを鳴らす。
「…ご苦労様です若頭、美優さん。待ちわび過ぎて会長の首が伸びきってますよ。」
「クックック…何だ何だ、随分とウチの美優は人気モンじゃねぇか。」
「……妬けますか?」
「…妬けるねぇ…くはは!」
出迎えた若衆頭の小田切とそんな事を話し、中へと進んでいく。今時には珍しいしっかりとした木造住宅らしい『木の香り』が心地良い。だが…案内されているその道すがらに出会(でくわ)した人の顔を見て、圭介の顔色が変わった。
「…おや、清水じゃないか。久しいねぇ。」
「…、…ご無沙汰してます。」
「笛木に挨拶に来たのかい?」
「…まぁ、そんな所す。」
「ふぅん……元旦からひっきりなしに会の幹部が新年の挨拶に来てはいるけれども…誰も彼もアタシの顔を見ては逃げるように帰って行くよ。…ったく…失礼な話さね。そうは思わないかい?清水。」
「………。」
「…どうせ、笛木が何か言ってんだろう?……ところで、その女は誰なんだい?」
「……。紹介が遅れてすんません…自分の女で『美優』と言います。会長に報告してぇ話もありますもんで連れて来ました。…何かの折にはよろしくお願いします。」
「…お初にお目に掛かります、美優と申します。日頃、会長や皆様には清水がお世話になっております…、…宜しく…お願い致します…」
「…。そうかい…アンタが界隈で噂の『女』かい。話に聞く通りの美女っぷりだねぇ。…清水、良い女を捕まえたじゃないかい。」
「……。ありがとうございます。」
「アタシは『紫乃(しの)』ってんだ。これでも一応は笛木八雲の『嫁』をやってるよ。…向こうはそうは思っちゃいないんだろうけどね。」
「……。」
「…ま、ゆっくりしてお行き。とはいえ、アタシは『蚊帳の外の人間』だけどねぇ…」
「……。失礼します…」
腰を僅か落とし頭を下げた圭介らを残して、側にいる男を連れ家の奥へと去って行く。
…彼女の名は『笛木紫乃』。自身でも説明したように会長笛木の『妻』である。他を寄せ付けない圧する様は正に『極道の妻』と呼ぶに相応しい風貌だ。
だが…そんな彼女を会の面々は誰も『姐さん』とは呼ばない。会長であり夫でもある笛木が頑なに“禁じて”いるのだ。それに至るには…そう簡単には語り尽くせぬ深く根深い『因縁』があった。
「……。若頭…」
「…行くぞ。会長が待ってる…」
気を遣うように声を掛ける小田切を制して、圭介は美優や司らを連れて再び歩き出す。やがて笛木の妻紫乃が消えていった奥と対となる部屋の前に辿り着く。
「会長…若頭と美優さんがお越しです。」
「…どうぞ、入りなさい。」
「失礼します。」
スッ、と開け放たれた障子の向こうでは着物姿の笛木が庭を眺めていた。肩には同色の羽織を掛け、両腕を組んでいるその姿は極道組織の長たる毅然としたものであるが…美優には何故か『思い悩んでいる』ように見えてしまった。
「会長…謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。」
「新年、明けましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願い致します。」
「ん…清水も美優さんもありがとう。こちらこそ宜しく。特に清水…頼りにしていますよ。私は何かと東京に出向かなければならないので、こっちを不在にしがちです。お前には変わらず、会をガッチリ締めていてもらわないと。」
「…はい。期待に応えられる様、務めます。」
「これまでは毎年、男ばかり3人でむさ苦しく挨拶に来ていたのが…女性1人加わるだけでこうも華やぐものなんですねぇ。その着物も大変お似合いですよ、美優さん。」
「……。お恥ずかしい限りです…」
「はは!貴女らしいとも言えますがね、そんな貴女が清水は自慢なんですよ。ところで…美優さんも『共に』という事は…何か話があるのですか?清水。」
極道者は正式な場に挑む際、和を取り入れ重んじる風習がある。圭介がこの日、美優に着物を用意したのにもちゃんとした意味がそこにあったのだ。
それを察して、笛木は揶揄い半分で含みを持たせつつ楽しげに先を促す。
「……。会長、近々に美優と結婚しようと思っています…籍もきっちり入れるつもりです。」
「……。」
「17の時に貴方と知り合ってから10年…目上の人間に対しての礼儀を知らねぇオレに、痛みを叩き込む事で教えてくれた会長には…今では感謝しています。『北斗聖龍会』発足の際には、オレに声を掛けてくれて…若頭に推してもらいました。その事があるから、オレはこれまで無茶やってこれた…キリにどんなに呆れられようとどんなトコにも特攻して行けたんす。」
「……清水…」
「…これからもきっと…オレが『予測不能』なのは変わらねぇとは思います。けど…美優共々、これからも宜しくお願いします。」
笛木と清水の出会いは10年前…地元の仲間と3人で連れ立って札幌へとやって来た清水は、毎日を改造バイクで走り回っていた。
その最中、派手に走り回る彼らを心良く思わない他の暴走族の一味と喧嘩になった際…
『…なんだ。やられてんのかと思ったら逆かよ。…お前、強えのな。』
そう言って話し掛けてきたのが、たまたま通りすがった当時21歳の笛木だった。
その頃市内で名を轟かせていた族の頭(ヘッド)だった彼は、一度立ち去るもすぐに戻って来て圭介らを自分の家に連れ帰り…事情を知ってご飯を食べさせそのまま泊めた。それがキッカケとなって2人の関係は今日までに至っている。
「…懐かしい話です。生意気なクソガキで何回ド突いた事か…そんなお前が『人の夫』になりますか…」
「……。会長は『石頭』すからね…口よりまず先に手か『頭突き』が来る。初めて食らった時、頭がカチ割れたかと思ったモンす。」
「…。何か言いましたか?清水。」
「いえ、別に。」
“ああ言えばこう言う”を地で行く2人を見て、側に控える小田切や共にいる美優らに笑みが浮かぶ。
小田切は今でこそ会の若衆頭という低い立場ではあるが、会長である笛木の『最後の舎弟』でありその頃の若かった圭介を知る1人でもあった。
本来ならば序列的にも幹部の一人にもなれる小田切だが本人が固辞した。そこには『舎兄である笛木の側で、何があっても良いように“自由”な身でいたい。』という、小田切の達ての願いがあったのだった。
「…小田切…実に感慨深いですねぇ。聞きましたか?“あの”清水が人様の亭主になるなんて…」
「その『あの』にはいったいどんな意味が含まれてんすか会長…」
「ぷっ…確かに。昔からの暴れっぷりを知ってる人間が聞いたら、さぞかし驚くんでしょうね。『清水圭介のせいで今年の札幌は大雪だ。』って。」
「……。もういいっす、好きなだけ言ってくれ…」
「ふふふ、まぁそう言わずに。ところで清水、お前…何か話とは別な事を考えていますか?何やらちょっとだけ『上の空』のように見えますけど。」
「………。」
「まさか…自ら進んで私の所に挨拶に来ておきながら、美優さんとの結婚式を洋装か和装かのどちらにするかで悩んでいた…とは言いませんよね?」
「…。わかってんじゃないすか。さすが会長。」
「……。フッ…」
その時…傍らに座っていた美優と小田切の耳には、目を真一にした笛木から『カチッ』とも『プチッ』ともつかない不可思議な音が聞こえた気がして、2人は両目を丸くして顔を見合わせる。
『おかしいなあ?』と可愛らしく美優が首を傾げたその時…目の前にいた笛木が片足でダン!と立ち上がり、次の瞬間には圭介の頭めがけて頭突きを食らわせた。
ゴッ!という、何とも重い音を発して放たれたそれを目の当たりにして、美優の両目は更にまん丸くなり大きく見開かれる。
「いっっ~~~てぇ……痛えじゃないすか会長!」
「食らわせたこっちだって痛いですよっ、何なんですかお前は!美優さんのおかげで一端の『良い男』になれたと安心した途端にコレですかっ。そんな事は後で風呂に入りながらでも考えなさい!」
「だ、大丈夫ですか?圭介さん…会長も。」
「っつう…何とか無事だ。」
「私もです。全くっ……ですがね美優さん、今更ですがこういう奴です。けれどもいざとなれば男気ある良い奴です…それは保証しますので末永く、側にいてやって下さい。」
「……はい、会長。」
「例え何が起きようと互いを『信じる』事です。…2人には過去の俺のように決してなって欲しくない…、…清水、お前なら何の事を言っているか“わかる”はずです。」
「……ッ…」
「……。あんな思い…俺1人で十分だ…、…いや『2人』…だな…」
先程までのジャレ合いのような賑やかさから一転、庭に咲き誇る椿の花を見つめながらポツリと呟く会長の表情と言葉は儚く…美優に微かな不安を抱かせたのだった。
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