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落花ノ章
3 愛しさと安心感と包容力と
しおりを挟む清水が次に目が覚めた時…既に外は明るく、夜が明けていた。ふと視線を向けると、自分の頭の上の美優の頭が『かっくんかっくん』と小さく揺れ小舟を漕いでいる。
(…やべぇ…寝ちまった…)
コンビニに行くと騒ぎ出した美優を抑える為に『膝枕』というテを打った清水。だが図らずもその心地良さに疲れも手伝ったか、そのまま寝落ちてしまったようだ。
彼女はもうとっくに溶けてしまった氷が入っていた袋を持ちながらも、器用に眠り続ける。
これが『雪吹美優』という女の優しさなのだろうか…そう思った時、昨夜も抱いた温かな感情が湧き上がった。
けれどさすがに温くなった水状態の袋を、いつまでも顔の上に乗せているのはウザく、清水は静かに美優の手を動かし袋を避けるも…その拍子に手が下がった事で彼女が目を覚ましてしまった。
「……悪りぃ、起こしちまったな。おまけにアンタの膝…借りたまんまで寝ちまって…」
「……。い、いえ…あの…大丈夫、ですか…?」
「痛てぇのは引いたようだ…アンタがずっと冷やしててくれたからな。」
「……。血も止まってるみたいですし…熱っぽさも腫れもなさそう、ですね…良かったです…」
美優はまじまじと起き上がった清水の顔の傷を見つめると、ちょっとだけ安心したようで僅かながら笑顔らしいものを浮かべる。初めて見るそれに、清水は見入ってしまっていた。
「…病院…行った方が…」
「極道が医者なんかにホイホイと行けるかっての…このスカポンタンが…」
「ス、スカポン…」
どうやら清水は、他人に対して心を許すと『タコ』やら『スカポンタン』やらという類の言葉が出てくるようだ。しかも段階があるらしい。美優としては初めて言われる事なので絶句してしまう。
「……。」
「………。」
「…アンタの訳わからねぇ借金だけどよ…アレ、チャラになったからな。」
「……はい?」
「ちゃんと言えば『完済』だ。これでアンタとウチの会社にあった契約は終わった…風俗の話もナシだ。」
「…何、で…」
「……あァ?」
「何で貴方が…そんな事…?」
「……。よくよく考えてみりゃ…たかが70万で風俗行けって…『不当』な気がした。しかもアンタは何にも知らなかった…だから社長に掛け合った……それだけだ。」
「…もしかして…その怪我…っ…」
「違うッ!これはっ…てめぇの尻拭いしただけだ!アンタは何の関係もねぇ!」
「……っ、ごめんなさいっ…ごめんなさ、いっ…」
「…違うっつってんだろが…」
清水は違うと否定するが…美優には確証はないもののわかってしまった。彼のこの怪我は、自分の所為で負ったものなのだ、と…そう思ったら涙が溢れ止まらない。
「……。泣くなって…自分と関係ねぇ事で泣くとか…人間良過ぎんぞ…」
「…っ、…っうぅ…」
「……マジで泣き止めって。…オレの話はまだあるんだからよ…」
「……?」
“ハァ”と困ったように小さく溜息を吐き、クシャリと髪を鷲掴んで掻き上げた清水が、それまで前を向いていた姿勢から半身を捻って隣の美優を見つめ向き直る。
「……。アンタ…オレの『女』にならねぇか。」
「……。…ハイ?」
「…『ハイ?』じゃねぇよ…オレの女になれっつってんだ。」
「な、何でっ…そういう事っ…というか、そういう『話』になるんですかっ?」
美優にとってこの出逢いは『最悪』と言っても過言ではない。出逢ったその日に、増して何の感情もない人に『初めて』を無理矢理に奪われたのだから。
だが清水にとっては違った。図らずも抱きはしたが、よく知りもしない彼女の為に自らの金を動かし身体を張ったのが何よりの証。
…それは偏に『彼女を自分だけのモノにしたい。』という独占欲に等しい想いがとっくに芽生えていたからだ。
「……。オレが…極道として生きるって決めたオレが、堅気のアンタに『惚れた』っつったら…可笑しいか?」
「……え…」
驚きのあまりに声が出ない美優を見つめ、清水はさも可笑しいとばかりにクッと笑う。
「可笑しいだろうな…少なくとも、昔からのオレを知る奴らは『とうとう違う方向に狂ったか。』って思うだろうさ。」
「………。」
「だけど…アンタに関しては何も言わせるつまりはねぇ。もし言われたとしたら、オレは黙っちゃいねぇ…例え誰であろうと文句なんか言わせねぇ。だからよ…」
「っ?!」
「…オレの女になるって言ってくれ。オレだけの……な?『美優』。」
清水の両腕が美優の身体を捉え抱きしめる。昨夜のその時は手荒かった扱いが、一転して優しくふんわりと彼女を包み込む。
この歴然とした差に戸惑うのは美優だ。怖い人という印象が強いだけにどうすれば良いのかわからない。けれど…2日過ごしてわかったのは、ぶっきらぼうだけど『優しい良い人』だという事。
そんな美優が清水に見出した感情は…『安心感と包容力』だった。
「…私なんかで…良いんですか?」
「“なんか”とか言うんじゃねぇ。…オレはお前『が』良いんだ。」
「ご迷惑…掛けません?」
「ンな事考えてたら、堅気のアンタに惚れたとか言わねぇし。」
「………。」
「…もう聞く事ねぇか?理解したんなら…黙ってオレの側にいろ…」
「……はい…」
意外にも『はい』と頷いた美優に、清水は満足げに笑うとその口唇をそっと塞ぐ。
昨夜の2人の間に交わされたのは『会話』と『身体を繋ぐ』事のみ、しかもそこに愛情の欠片など微塵もなかった。だが…これからは違う。
「……女が、男に『愛される』…その幸せを、お前にもちゃんと教えてやるからな…」
「うっひゃ?!」
抱きしめていた美優をそのままに、立ち上がった清水が器用に彼女を抱え直してズカズカと歩き出す。向かった先は隣の『寝室』だ。
そして“ポーン”と美優をダブルベッドに優しく放ると同時に、自分も上がりその身体にのしかかる。
「くっくっく…面白えぐらい飛んだな。」
180センチ近い身長を誇る清水から放られもすれば、160センチ程しかない小柄な美優など容易く飛びもするだろう。増して『ひゃーっ!』と言いながら飛んだ彼女のその姿は正にコントや漫画にでも出て来そうだった。彼はよほど面白かったのか、尚も肩を揺らし笑い続けている。
「あ、あのですねっ…今はまだ『午前中』っ…」
「…あァ?あのな…朝だろうが昼だろうが、ンなモン関係ねぇんだよ…」
「…っ…」
極道は夜に活動するのが常。清水としては却って『昼間』は何かと都合の良い時間帯なのだ。さらに綺麗事を加えるなら『愛する者同士、愛し合う時に時間など気にならない。』とも言える。
それがわかったのか…美優はかろうじてしていた抵抗を止め、すんなりと清水を受け入れた。
2人にとっては2度目、だが彼女にとって『幸せな時間』となった。翻弄しながらもどこまでも優しい清水に、美優は『女が愛される幸せ』を教えられ…涙が出る程の嬉しさを感じたのだった。
ふと気付き、美優が目を覚ました時…妙な温かさを感じていた。けれど自分のすぐ目の前が胸板である事に気が付き、目線を上げてみると…
「…おぅ、起きたのか?美優。」
「っ!…」
清水が美優の身体を抱きしめながらも、タバコを吸っていた。目が合い嬉しげに笑う彼から、怖さというベールみたいな物がなくなってしまったような…そんな不思議な感覚を覚える。
「…あ、の…今何時…?」
「んー…昼の2時過ぎだな。まだ眠てぇんなら…寝ていいぞ。」
「い、いえいえっ…夜、寝れなくなっちゃいますから…」
「……。それならそれで良いんじゃねぇか?…またオレが『疲れさせて』やるって。」
「っ?!」
言われた事の意味がわかり、パッと顔が赤くした彼女は勢いに乗って清水の二の腕をペチン!と叩く。
「あて!…お前な…そういう事するか?地味にいてぇじゃねぇかよ…」
「貴方がそういう事を言うからですっ。」
「……。…圭介…」
「…?」
「オレの下の名前…そう言えば言ってなかったなって。『圭介(けいすけ)』ってんだ…お前には…美優には名前で呼ばれてぇ…」
「……。…圭介、さん…?」
「…お、おぅ……、…クッ!…」
「…??」
「い、いやっ…なんか知らねぇけどっ、急にツボった…っぷくくっ…」
『知らねぇけど』と言った圭介だが理由はわかっていた。…美優に名前を呼ばれて嬉しかったのだ。たったそれだけの事だが素直に嬉しかった。
その後の2人はシャワーを浴びたり、夕飯を食べに外に出たりとそれなりの時間を過ごす。そしてその帰宅途中で携帯ショップへと行き、圭介は新しいスマホを美優に選ばせ自分名義で購入すると…
「…今後はコレを使え。今までのは解約だ。…金の心配はしなくていい、お前はオレが食わせる。」
「………。」
「あと…お前は嫌かもしんねぇけど、堅気の昼間の会社も辞めろ。オレの女になった以上…何があるかわからねぇからな。」
「……っ…」
「あのアパートも引き払うぞ。…あそこの住所はウチの会社の顧客リストに1度は載った場所だ。金融会社ってのはな、こういう顧客情報を『リーク』し合うんだ…怖えんだぞ。」
「………。」
圭介は早くも独占欲の片鱗を見せ『オレが食わせる』宣言をすると、様々な実情を語り説明する。少々物騒な事も織り交ざっていて、極道の事など何も知らない美優は言葉もない。
「…美優。今までの物や人付き合い、生活は…全部捨ててくれ。その代わり…お前のこれからの全部は、オレが用意するから。金の心配なんかもさせない…」
「…圭介さん…」
「お前のその身体1つあるだけで…お前が側にいてくれるだけでオレは十分満足だし幸せだ。…わかってくれるか?」
圭介の話に申し訳ないと思いながらも、自分がいれば幸せだと言ってくれるその気持ちが美優は嬉しい。…だから、これまでの全てに別れを告げる覚悟を決めて彼に頷いた。
「……。ありがとな…美優。…愛してるぜ…」
ホッとしたような表情を浮かべ縋るかのように自分を抱きしめる圭介に、美優の心は更に彼へと惹かれていく。
話を経て、圭介は組織の会合に出席する為に外出して行き…彼女はしばらくを1人で過ごす。
元々親とは疎遠だったので思い残す事など一切ないが、学生時代からの友人や職場の同僚にはひと言くらい挨拶しておきたい。
…ふとそんな事を思って、これまで使っていたスマホを手にしたのだが…
(…もう会えない、さよなら…なんて、言えないなぁ…)
そんな事を言えば根掘り葉掘り聞き出そうとされるに違いない。自分の友人達はそういう人達ばかりなのだ。そうなれば圭介の話をしなければならない…理解なんてしてもらえる訳がない、自分がどんなに彼を愛していようと。
「……。…っ…」
結局…美優は手にしたスマホの電源を切りバッグの奥底へとしまい入れてしまう。2日も連絡が取れず心配してくれた着信やメール、ラインに応える事も出来ないままに…。
そんな日の夜、今や札幌を代表する繁華街ススキノにある高級スナックバーをある人物が訪れた。
「いらっしゃいませ…あら。」
「やぁ。相変わらずの繁盛振り…実に素晴らしい。頼もしいね。」
現れたのは『北斗聖龍会』会長の笛木、その人だ。彼は組織の会合が終わったその足で、若い衆数人を連れやって来たのだ。
「頼もしい、だなんて…なんだかあんまり嬉しくないわ。男勝りって言われてるみたいで。」
「はは!実際そうだろう?『昔』から。」
「その話はご法度っ。…さぁ、皆さんには可愛い女の子達をお呼びしましょうね。…あかりちゃん!」
店のオーナーママを務める『みずき』の呼び込みで女の子達がわらわらと集まり、笛木が連れて来た若衆らをボックス席へと案内していく。同時に笛木はその輪には加わらず、離れたカウンター席へと座った。
「…アイツらには好きな物を好きなだけ飲ませてやってくれ。…頼むよ。」
「わかりました。…笛木様は何になさいますか?」
「いつもので。」
「かしこまりました。」
カウンターが仕事場であるバーテンダーの真次とそんな会話をしていると、若衆らと束の間の話題を楽しんだママがカウンターへとやって来て、笛木の隣へと座る。
「…あら、そう言えば『しーくん』は?いつもなら付いて来てたじゃない。」
「清水なら会合終わって帰ったよ。…ふふっ…」
「やぁね…なぁに?随分と楽しそう。」
「楽しそう…ですか。ある種においてはそうも言えますねぇ…」
「あらあら。いったい何が起きてるのかしら?」
何やら興味を持ってしまったらしいママに聞かれ、笛木はこの2日前に起きた出来事と清水の変わり様を語り聞かせた。話を聞き、ママの表情が意外だと言わんばかりの驚きから安心したような穏やかなものへと変化していく。
「驚きますよね?…さすがは『予測不能男』と言いますか、それ以上ですよ…」
「その堅気の女性の借金、100万でチャラにしてあげたの?」
「もちろんです。あの清水に土下座までされちゃあ…飲まない訳にはいきませんよ。」
「じゃあその人…『自由』なのよね?その後どうなったの。」
「清水が自分の『女(もの)』にしたようです。元々のアパートへも帰さず自分の所にいさせて、1人での外出も断固と許してないとか。…相当の入れ込み様な上、過保護っぷりが凄まじい。」
「…あらま。」
「もしかしたら…近々にある店の視察にも連れて来るかもしれません。…女を虐めたりなんて事したら、いくら昔から知る貴女相手でも清水はキレますよ。」
「虐めるだなんて…寧ろ私は会ってみたいわ。そして仲良くなりたい。」
「……。それはそれで清水が妬くんじゃないんですか?」
「ふふっ♪楽しみねぇ…早く視察の日にならないかしらっ。」
笛木とみずきママは、場にはいない清水とその女の話題で盛り上がり…互いに乾杯してその夜を楽しむのだった。
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