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無自覚な神の代行者
5 ヴェニカの街
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ヴェニカの街についたのは当初の予定より1日遅れの4日目だった。昼を過ぎて陽が傾きかけた時間で、街の中央にある広場の像脇に、シエルは座り込んでいた。
(これなら森で変に話を合わせずに、一人でエアーボード使っていればよかったわ……。馬酔いがこんなに気持ち悪くて治らないものだなんて、意気込んでログインしたくせに早々出足を挫かれた気分ね……)
元から車などの乗り物酔いになりやすい体質であることは自覚していたけれど、ここまで悪酔したことはなかった。
なのにHPのステータスメーターは全く減っておらず、疲労感が半端ない。となれば、当然のように街の様子を伺う気力もない。
(なによこれ……気持ち悪いぃ……!馬なんて二度と乗らないんだから………!もう少し元気なら、街中の様子とか見て回りたかったのに……)
口元を抑えて、うすらこみ上げる嘔吐感に堪える。ここに来るまでの後半は、ほとんど馬に乗らず、徒歩かスロースピードのエアーボードに乗ってきた。けれど重症化したようで馬酔いはなかなか回復してくれない。
乗ってきた馬はヴィルフリートがヴェニカの街で借りたものらしく、その馬を返しに行っていて、広場に戻ってきた。
「もうここで宿を取った。ヴェニカにさえ着けば、あとは転移ゲートでいつでもハムストレムに行ける。今日はもうはやめに休んで、明日ゆっくりハムストレムに行けばいい」
「うん、ありがとう……。これ宿代……」
自分の分も宿を取ってくれたお礼も上乗せし、手のひらに多めのお金を出してヴィルフリートに手渡す。それに小さく「あとでいいのに」とヴィルフリートが呆れたように呟いた声が聞こえたけれど、それ以上口を開くのも億劫で返事はせずにいる。
「ただし、宿屋が1人部屋がひとつも空いてなくて、2人相部屋になった。すまないが、それだけ我慢してくれ」
「早くベッドで横になれるならどこでもいい……」
だいたいここに来るまでの道中も2人で野宿だったのだから、同じ部屋で泊まるくらい今更だ。でも、一応気遣ってくれる心遣いはありがたいと思う。こういうところで慣れ合いにならず、礼儀を大事にする相手はゲーム時代も貴重だった。
「だろうと思ったよ。あと、悪かったな。こんなに馬酔いするとは思わなくて、これなら時間かかっても徒歩にしておけばよかった」
「自分もこんなに馬酔いするとは思ってなかったから気にしないで。それよりその宿行こう……」
だるい体を起こして立ち上がると、ヴィルフリートもそれ以上言わず、宿の方へ案内してくれる。
広場からさほど離れていない宿屋に着くと、宿の主人らしき恰幅のよい女将が出迎えてくれた。シエルの様子を見てすぐに体調が良くないことを察したのか、近くにいた店員に部屋に桶とタオルを持っていくように伝えてくれる。
「ごめんなさいね。今この町は冒険者ギルドの冒険者たちが多く来ていて部屋があまりないのよ」
部屋の鍵を棚から取り出しながら女将が済まなそうに詫びる。何気ない会話だったが、ヴィルフリートはピクリと反応する。
「冒険者たちが?そういえば街に入った時、馬で駆けていく冒険者たちと数人すれ違ったが、何かあったのか?」
「ヴェニカの街からは離れているらしいんだけれど、強力なモンスターが現れたみたいで、朝からみんなで討伐に向かっているわ。見たところお客さんも冒険者かい?」
「ああ。だが別の依頼でしばらく街から離れていてそういう情報は聞いていないんだ。モンスターが街に近づく前に倒せるなら問題ないんだが、現れたというモンスターの名前は分かるか?」
「名前までは聞いてないねぇ。まぁそういうことだから。それと、うちは普段は泊まるだけで客に食事は出さないんだが、病人には別料金でコーン粥を出すよ。どうする?」
「コーン粥たのむ。ここに来るまでずっと携帯食ばっかだったし、少しだけでも胃に入れたほうが回復ははやいぞ」
シエルが食べる食べないの希望を伝える前にヴィルフリートは自己判断でコーン粥を頼んでしまった。
(しょうがないか……正直言えばあんまり食べたくないんだけど、早く回復するなら頑張って食べておこうかな……。最初の街でギブるとか、フリートライアル終了もいいところね……)
なにしろ危険を顧みずアデルクライシスにログインして、まだ何もしていないに等しい。これでへこたれてリアルに戻ったら、それこそ周りに迷惑をかけただけで情けなさすぎる。
ヴェニカの街はハムストレムの王都から遠く離れた街だったが、高レベルの魔物が巣くうルノールの遺跡や森に近いことから、防衛のために重要視された街で、すぐに討伐隊を派遣できるように転移ゲートが街の中央に設置されていた。
街はそこそこ大きく、魔物が巣くう森が近いことから、逆に高級素材を狙う冒険者たちが多くやってきて冒険者ギルド支部がおかれていた。
モンスター関連の情報なら王都よりもヴェニカの街のほうが手に入りやすい部分もあり、閉鎖されたアデルクライシスの中の様子を見て回れるせっかくのチャンスを無駄にしてしまい、気がめいってくる。
「あいよ。じゃああとで部屋に運んでおくわ。部屋はそこの階段を上がって奥から2番目の左よ」
頷いた女将から部屋の鍵を受け取り、2階の部屋に上がれば、こじんまりとした部屋ではあったけれどきちんと隅々まで掃除されており、小さな机と椅子、そしてセミダブルタイプのベッドが1つ奥に置かれてある。
「すまん、2人部屋がこういう意味とまでは考え至らなかった……」
ヴィルフリートが視線を反らし気まずそうに謝る。2人部屋ということまでは分かっていたが、ベッドは二つと先入観で思い込んでいたらしい。
「なっちゃったものは仕方ないよ。とりあえず自分は寝るから、ヴィルも気にしないで隣で寝ちゃって」
ここに来るまでの途中からヴィルフリートとフルで呼ぶのが煩わしくて、ヴィルと省略して呼んでおり、ヴィルフリートもストップを入れないのでそのままヴィル呼びになっている。
言うだけ言ってから、シエルは着ていたケープを脱ぎ、ブーツを脱いだら、力なくベッドに横になった。着ているものはログインしたときに装備していた黒呪士のままだ。黒のハイネックノースリーブに、わりとゆったりめのボトム。面倒だったけれど、ベルトも外してベッド下に放り投げる。
(ふあぁぁベッドだわ…気持ちいい……すぐ寝ちゃいそ、う…)
ずっと野宿だったから風呂にも入りたいけれど、とにかく今は体を休めたかった。リアルのようにスプリングの効いたベッドではなかったけれど、野宿のような固い地面ではないので寝心地は各段に良い。特に肌に触れるシーツの肌触りが気持ちよすぎる。
「……俺は少し外に出る。もし明日までに戻らなかったら、俺に構わずハムストレムに行ってくれて構わない」
「了解、いってらっしゃぁ~……」
頭はもう半分以上睡魔に囚われている。被ったシーツの中からシエルは僅かに腕を出し、ぺらぺらと力なく手を振った。
◆
宿を出て冒険者ギルド支部の方へ歩きながら、ヴィルフリートの脳裏には先ほどケープを脱ぎ捨て、ノースリーブの細腕を力なく振ってきた光景が離れなかった。
(顔はダルダーノとすれ違ったときに一度見てはいたが、シエルのやつ、もしかして本当にどっかの王侯貴族のガキだったりするのか?)
フードをおろしたシエルの素顔をヴィルフリートがハッキリ見たのは、これが二度目になる。
道中だけでなくヴェニカの街に入っても、シエルはフードを目深に被り、俯きがちだった。なのに宿の部屋に入ったとたんケープを脱ぎ捨て、無警戒にベッドに横になった時は、あまりの無警戒さと無防備さにヴィルフリートもどうしたものかと内心苦笑したのだ。
(いくら数日間、一緒に旅したからって、素性も何も知らない相手と同じベッドで寝るのは襲ってくれって言ってるようなもんだぞ。荷物とか奪われる心配をしてないにしても、あれだけ顔が良ければ誰かに売られるってパターンもあるのに)
エアーボードのことを考えても世間知らずが過ぎる。
Sランク冒険者として国から直接依頼を受けることもあり、それなりに美人と呼ばれる類の美女や姫君たち、そして教会の聖女も見てきた。
だが、シエルの美貌はそんな美女たちすら霞んでしまう。傷一つない手入れされた指は、庶民出身ではありえない。
光を束ねたような銀糸や濃い金の瞳、透き通るような白磁の肌も、シェルを形作るどれもが奇跡を寄せ集めたような美しさだ。
冒険者は他人の素性を尋ねるのは暗黙のタブーとされている。が、どうしても気になってしまう。なぜたった一人、凶悪なモンスターに溢れた森にいたのか。
道に迷ったと言うが、出会った場所はルノールの遺跡と目と鼻の先の森の奥だ。冒険者Sランクのヴィルフリートでも手こずるような、そんな強いモンスターで溢れている。
(そんな風には見えないが、高レベルモンスターと1人で戦えるほど実は強いとか?いや、強いなら強いで、何の目的があってあんな場所に?)
仮に強さに関係なく、森の奥までモンスターとまったく遭遇することがないなんてありえるだろうか?
エアーボードは地上のモンスターには回避有効だが、比翼系のモンスターがいない訳じゃない。
モンスターとの遭遇不可避の可能性は、無に等しい。となれば、あの場にシエルが1人でいたのは不自然だ。
そう思案しているうちに、目的の場所につく。
冒険者ギルド支部だ。
「街の近くに湧いたモンスターについて教えてほしい」
支部の建物に入ってすぐの受付に訊ねると、戸惑い名前とランクを尋ねられる。冒険者でも関係者でもない相手に情報は渡せないということは直ぐに察して、
「ヴィルフリート・バーバリアだ。ランクはS」
「失礼しました!直ぐに支部長にお取り次ぎいたします!」
ヴィルフリートが名前を名乗るなり、慌てて奥に行ってしまった受付に小さく苦笑し、偶然居合わせた他の冒険者たちの視線はスルーする。
冒険者ギルドで最高ランクがSだ。数少ないSランク冒険者に、羨望と嫉妬の眼差しがむけられるのは慣れている。
「どうぞこちらです!」
急ぎ戻ってきた受付に案内されたのは二階の支部長室で、ヴェニカ冒険者ギルド支部長のバルブが出迎えた。
「久しぶりだな、ヴィルフリート。単刀直入に話そう。現れたモンスターは死霊系モンスターの甲冑ジェネラルだ」
既にお互い何度か顔を合わせている間柄ではあったが、まだヴィルフリートが応接用ソファーに座る前から出現モンスターの名前をバルブはだす。それだけで事態はあまり良い方向では無いのだと察せられた。
「甲冑ジェネラルが街の近くに?どこかの村がモンスターに襲われて死人がでたのか?あるいは召還だが……」
「村が襲われたという情報は入っていない。召還も無きにしもあらずだが、街を襲わせるにしては離れているし、あんな場所に召還する意味がない」
しかし現に甲冑ジェネラルが現れている。
甲冑ジェネラルは全身鎧を着て剣を持ったデカいガイコツだ。
普通のモンスターと違い、死霊系モンスターが人々を多く殺し、その魂を贄に出現したり、もしくはあってはならないことだが、誰かが魔法で召還した場合などに出現条件は限られる。
そして一体でも現れると非常に厄介で、騎士団や冒険者ギルドで隊を組まねば討伐が難しかった。
とにかく着込んだ鎧は固く、生半可な攻撃魔法は通じないし、甲冑ジェネラルが振るう剣は一振りで岩を粉砕する威力がある。
冒険者でもAランクが数人いて、ようやく倒せるほどの強さだ。低ランクでは相手にもならないだろう。
「すでに冒険者たちに向かってもらっているが、何分、出現したのが突然なのと、上位ランクの冒険者たちが別件の依頼で出払った矢先で、戦力として心もとない。君にもぜひ協力を頼みたいのだがいいだろうか?」
「構わないぜ。ちょうど依頼を終えて街に戻ってきたばかりだ。手はあいている」
「そう言って貰えると助かる。君が応援に来たと分かれば他の冒険者たちも奮起するだろう。急で申し訳ないんだが、このまま向かってもらえることは出来るだろうか?依頼の報酬は後ほどきちんと払わせてもらう」
「え?あ、ああ大丈夫だ」
一瞬、ヴィルフリートは言葉に詰まってしまったが、バルブに何でもないと首を横に振り依頼を受ける。甲冑ジェネラルの討伐は急を要するものだ。特に高ランクの冒険者たちが揃っていないというのであれば低ランクの冒険者たちには荷が重すぎる。
早く加勢に行かなければ被害が大きくなるだけだ。
(このまま討伐に向かえば朝までに帰ってくるのは難しくなるだろうが、戻らなかったら構わずハムストレムに行くように伝えてあるから大丈夫か)
ヴィルフリートは基本ソロの冒険者だ。特殊な依頼を受けて、必要性があって他人と行動を共にすることはあっても、誰ともPTを組んだことはない。
しかし偶々森の奥で出会い、馬酔いしたシェルをずっと世話してきたことで、親近感を持っていたのかもしれない。ハムストレムまでの同行約束で、いずれ別れることは分かっていた。
しかし、一言の挨拶もなく別れることになったことに一抹の寂しさを自覚して、ヴィルフリートは自嘲した。
最後に見たのは、ベッドから腕だけ振って見送ってきた姿。
急な依頼を受けながら、宿で眠っているだろうシエルの姿が思い浮かんだ。
(これなら森で変に話を合わせずに、一人でエアーボード使っていればよかったわ……。馬酔いがこんなに気持ち悪くて治らないものだなんて、意気込んでログインしたくせに早々出足を挫かれた気分ね……)
元から車などの乗り物酔いになりやすい体質であることは自覚していたけれど、ここまで悪酔したことはなかった。
なのにHPのステータスメーターは全く減っておらず、疲労感が半端ない。となれば、当然のように街の様子を伺う気力もない。
(なによこれ……気持ち悪いぃ……!馬なんて二度と乗らないんだから………!もう少し元気なら、街中の様子とか見て回りたかったのに……)
口元を抑えて、うすらこみ上げる嘔吐感に堪える。ここに来るまでの後半は、ほとんど馬に乗らず、徒歩かスロースピードのエアーボードに乗ってきた。けれど重症化したようで馬酔いはなかなか回復してくれない。
乗ってきた馬はヴィルフリートがヴェニカの街で借りたものらしく、その馬を返しに行っていて、広場に戻ってきた。
「もうここで宿を取った。ヴェニカにさえ着けば、あとは転移ゲートでいつでもハムストレムに行ける。今日はもうはやめに休んで、明日ゆっくりハムストレムに行けばいい」
「うん、ありがとう……。これ宿代……」
自分の分も宿を取ってくれたお礼も上乗せし、手のひらに多めのお金を出してヴィルフリートに手渡す。それに小さく「あとでいいのに」とヴィルフリートが呆れたように呟いた声が聞こえたけれど、それ以上口を開くのも億劫で返事はせずにいる。
「ただし、宿屋が1人部屋がひとつも空いてなくて、2人相部屋になった。すまないが、それだけ我慢してくれ」
「早くベッドで横になれるならどこでもいい……」
だいたいここに来るまでの道中も2人で野宿だったのだから、同じ部屋で泊まるくらい今更だ。でも、一応気遣ってくれる心遣いはありがたいと思う。こういうところで慣れ合いにならず、礼儀を大事にする相手はゲーム時代も貴重だった。
「だろうと思ったよ。あと、悪かったな。こんなに馬酔いするとは思わなくて、これなら時間かかっても徒歩にしておけばよかった」
「自分もこんなに馬酔いするとは思ってなかったから気にしないで。それよりその宿行こう……」
だるい体を起こして立ち上がると、ヴィルフリートもそれ以上言わず、宿の方へ案内してくれる。
広場からさほど離れていない宿屋に着くと、宿の主人らしき恰幅のよい女将が出迎えてくれた。シエルの様子を見てすぐに体調が良くないことを察したのか、近くにいた店員に部屋に桶とタオルを持っていくように伝えてくれる。
「ごめんなさいね。今この町は冒険者ギルドの冒険者たちが多く来ていて部屋があまりないのよ」
部屋の鍵を棚から取り出しながら女将が済まなそうに詫びる。何気ない会話だったが、ヴィルフリートはピクリと反応する。
「冒険者たちが?そういえば街に入った時、馬で駆けていく冒険者たちと数人すれ違ったが、何かあったのか?」
「ヴェニカの街からは離れているらしいんだけれど、強力なモンスターが現れたみたいで、朝からみんなで討伐に向かっているわ。見たところお客さんも冒険者かい?」
「ああ。だが別の依頼でしばらく街から離れていてそういう情報は聞いていないんだ。モンスターが街に近づく前に倒せるなら問題ないんだが、現れたというモンスターの名前は分かるか?」
「名前までは聞いてないねぇ。まぁそういうことだから。それと、うちは普段は泊まるだけで客に食事は出さないんだが、病人には別料金でコーン粥を出すよ。どうする?」
「コーン粥たのむ。ここに来るまでずっと携帯食ばっかだったし、少しだけでも胃に入れたほうが回復ははやいぞ」
シエルが食べる食べないの希望を伝える前にヴィルフリートは自己判断でコーン粥を頼んでしまった。
(しょうがないか……正直言えばあんまり食べたくないんだけど、早く回復するなら頑張って食べておこうかな……。最初の街でギブるとか、フリートライアル終了もいいところね……)
なにしろ危険を顧みずアデルクライシスにログインして、まだ何もしていないに等しい。これでへこたれてリアルに戻ったら、それこそ周りに迷惑をかけただけで情けなさすぎる。
ヴェニカの街はハムストレムの王都から遠く離れた街だったが、高レベルの魔物が巣くうルノールの遺跡や森に近いことから、防衛のために重要視された街で、すぐに討伐隊を派遣できるように転移ゲートが街の中央に設置されていた。
街はそこそこ大きく、魔物が巣くう森が近いことから、逆に高級素材を狙う冒険者たちが多くやってきて冒険者ギルド支部がおかれていた。
モンスター関連の情報なら王都よりもヴェニカの街のほうが手に入りやすい部分もあり、閉鎖されたアデルクライシスの中の様子を見て回れるせっかくのチャンスを無駄にしてしまい、気がめいってくる。
「あいよ。じゃああとで部屋に運んでおくわ。部屋はそこの階段を上がって奥から2番目の左よ」
頷いた女将から部屋の鍵を受け取り、2階の部屋に上がれば、こじんまりとした部屋ではあったけれどきちんと隅々まで掃除されており、小さな机と椅子、そしてセミダブルタイプのベッドが1つ奥に置かれてある。
「すまん、2人部屋がこういう意味とまでは考え至らなかった……」
ヴィルフリートが視線を反らし気まずそうに謝る。2人部屋ということまでは分かっていたが、ベッドは二つと先入観で思い込んでいたらしい。
「なっちゃったものは仕方ないよ。とりあえず自分は寝るから、ヴィルも気にしないで隣で寝ちゃって」
ここに来るまでの途中からヴィルフリートとフルで呼ぶのが煩わしくて、ヴィルと省略して呼んでおり、ヴィルフリートもストップを入れないのでそのままヴィル呼びになっている。
言うだけ言ってから、シエルは着ていたケープを脱ぎ、ブーツを脱いだら、力なくベッドに横になった。着ているものはログインしたときに装備していた黒呪士のままだ。黒のハイネックノースリーブに、わりとゆったりめのボトム。面倒だったけれど、ベルトも外してベッド下に放り投げる。
(ふあぁぁベッドだわ…気持ちいい……すぐ寝ちゃいそ、う…)
ずっと野宿だったから風呂にも入りたいけれど、とにかく今は体を休めたかった。リアルのようにスプリングの効いたベッドではなかったけれど、野宿のような固い地面ではないので寝心地は各段に良い。特に肌に触れるシーツの肌触りが気持ちよすぎる。
「……俺は少し外に出る。もし明日までに戻らなかったら、俺に構わずハムストレムに行ってくれて構わない」
「了解、いってらっしゃぁ~……」
頭はもう半分以上睡魔に囚われている。被ったシーツの中からシエルは僅かに腕を出し、ぺらぺらと力なく手を振った。
◆
宿を出て冒険者ギルド支部の方へ歩きながら、ヴィルフリートの脳裏には先ほどケープを脱ぎ捨て、ノースリーブの細腕を力なく振ってきた光景が離れなかった。
(顔はダルダーノとすれ違ったときに一度見てはいたが、シエルのやつ、もしかして本当にどっかの王侯貴族のガキだったりするのか?)
フードをおろしたシエルの素顔をヴィルフリートがハッキリ見たのは、これが二度目になる。
道中だけでなくヴェニカの街に入っても、シエルはフードを目深に被り、俯きがちだった。なのに宿の部屋に入ったとたんケープを脱ぎ捨て、無警戒にベッドに横になった時は、あまりの無警戒さと無防備さにヴィルフリートもどうしたものかと内心苦笑したのだ。
(いくら数日間、一緒に旅したからって、素性も何も知らない相手と同じベッドで寝るのは襲ってくれって言ってるようなもんだぞ。荷物とか奪われる心配をしてないにしても、あれだけ顔が良ければ誰かに売られるってパターンもあるのに)
エアーボードのことを考えても世間知らずが過ぎる。
Sランク冒険者として国から直接依頼を受けることもあり、それなりに美人と呼ばれる類の美女や姫君たち、そして教会の聖女も見てきた。
だが、シエルの美貌はそんな美女たちすら霞んでしまう。傷一つない手入れされた指は、庶民出身ではありえない。
光を束ねたような銀糸や濃い金の瞳、透き通るような白磁の肌も、シェルを形作るどれもが奇跡を寄せ集めたような美しさだ。
冒険者は他人の素性を尋ねるのは暗黙のタブーとされている。が、どうしても気になってしまう。なぜたった一人、凶悪なモンスターに溢れた森にいたのか。
道に迷ったと言うが、出会った場所はルノールの遺跡と目と鼻の先の森の奥だ。冒険者Sランクのヴィルフリートでも手こずるような、そんな強いモンスターで溢れている。
(そんな風には見えないが、高レベルモンスターと1人で戦えるほど実は強いとか?いや、強いなら強いで、何の目的があってあんな場所に?)
仮に強さに関係なく、森の奥までモンスターとまったく遭遇することがないなんてありえるだろうか?
エアーボードは地上のモンスターには回避有効だが、比翼系のモンスターがいない訳じゃない。
モンスターとの遭遇不可避の可能性は、無に等しい。となれば、あの場にシエルが1人でいたのは不自然だ。
そう思案しているうちに、目的の場所につく。
冒険者ギルド支部だ。
「街の近くに湧いたモンスターについて教えてほしい」
支部の建物に入ってすぐの受付に訊ねると、戸惑い名前とランクを尋ねられる。冒険者でも関係者でもない相手に情報は渡せないということは直ぐに察して、
「ヴィルフリート・バーバリアだ。ランクはS」
「失礼しました!直ぐに支部長にお取り次ぎいたします!」
ヴィルフリートが名前を名乗るなり、慌てて奥に行ってしまった受付に小さく苦笑し、偶然居合わせた他の冒険者たちの視線はスルーする。
冒険者ギルドで最高ランクがSだ。数少ないSランク冒険者に、羨望と嫉妬の眼差しがむけられるのは慣れている。
「どうぞこちらです!」
急ぎ戻ってきた受付に案内されたのは二階の支部長室で、ヴェニカ冒険者ギルド支部長のバルブが出迎えた。
「久しぶりだな、ヴィルフリート。単刀直入に話そう。現れたモンスターは死霊系モンスターの甲冑ジェネラルだ」
既にお互い何度か顔を合わせている間柄ではあったが、まだヴィルフリートが応接用ソファーに座る前から出現モンスターの名前をバルブはだす。それだけで事態はあまり良い方向では無いのだと察せられた。
「甲冑ジェネラルが街の近くに?どこかの村がモンスターに襲われて死人がでたのか?あるいは召還だが……」
「村が襲われたという情報は入っていない。召還も無きにしもあらずだが、街を襲わせるにしては離れているし、あんな場所に召還する意味がない」
しかし現に甲冑ジェネラルが現れている。
甲冑ジェネラルは全身鎧を着て剣を持ったデカいガイコツだ。
普通のモンスターと違い、死霊系モンスターが人々を多く殺し、その魂を贄に出現したり、もしくはあってはならないことだが、誰かが魔法で召還した場合などに出現条件は限られる。
そして一体でも現れると非常に厄介で、騎士団や冒険者ギルドで隊を組まねば討伐が難しかった。
とにかく着込んだ鎧は固く、生半可な攻撃魔法は通じないし、甲冑ジェネラルが振るう剣は一振りで岩を粉砕する威力がある。
冒険者でもAランクが数人いて、ようやく倒せるほどの強さだ。低ランクでは相手にもならないだろう。
「すでに冒険者たちに向かってもらっているが、何分、出現したのが突然なのと、上位ランクの冒険者たちが別件の依頼で出払った矢先で、戦力として心もとない。君にもぜひ協力を頼みたいのだがいいだろうか?」
「構わないぜ。ちょうど依頼を終えて街に戻ってきたばかりだ。手はあいている」
「そう言って貰えると助かる。君が応援に来たと分かれば他の冒険者たちも奮起するだろう。急で申し訳ないんだが、このまま向かってもらえることは出来るだろうか?依頼の報酬は後ほどきちんと払わせてもらう」
「え?あ、ああ大丈夫だ」
一瞬、ヴィルフリートは言葉に詰まってしまったが、バルブに何でもないと首を横に振り依頼を受ける。甲冑ジェネラルの討伐は急を要するものだ。特に高ランクの冒険者たちが揃っていないというのであれば低ランクの冒険者たちには荷が重すぎる。
早く加勢に行かなければ被害が大きくなるだけだ。
(このまま討伐に向かえば朝までに帰ってくるのは難しくなるだろうが、戻らなかったら構わずハムストレムに行くように伝えてあるから大丈夫か)
ヴィルフリートは基本ソロの冒険者だ。特殊な依頼を受けて、必要性があって他人と行動を共にすることはあっても、誰ともPTを組んだことはない。
しかし偶々森の奥で出会い、馬酔いしたシェルをずっと世話してきたことで、親近感を持っていたのかもしれない。ハムストレムまでの同行約束で、いずれ別れることは分かっていた。
しかし、一言の挨拶もなく別れることになったことに一抹の寂しさを自覚して、ヴィルフリートは自嘲した。
最後に見たのは、ベッドから腕だけ振って見送ってきた姿。
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