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116 クーちゃんと宝石の涙
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クラリス・ヴェラ・アレキサンドラ・ファルブルケ・ディードリッヒ・レイドリナ・ヘーゼルダイン。
長い。
教会の洗礼名とヘーゼルダイン家の歴代の先祖の名を、彼らが守ってくれるようにとつけられたために、このような長い名前になった。通常はクラリス・ヴェラ・ヘーゼルダイン、と名乗ることになりそうだ。正式な書類にはこの長い名前を書かなければならないのだが、娘ははたして覚えられるだろうか? 今からかなり心配である。
「……初めまして、僕はラリマール・ドニ・グロリオーサ」
やたら長い名前を付けられたアビゲイルの娘を抱き上げて、そのきょとんとした顔を見つめていたラリマールのアイスブルーの瞳から、ぽろぽろと零れ落ちた涙は、クラリスの産着の上を跳ねて床に落ち、固まりとなって床を転がった。
「えっ」
「えっ」
アビゲイルとアレキサンダーはぎょっとしてその光景を見た。
アレキサンダーが拾い上げてアビゲイルに手渡してくれたそれは、直径一センチメートルほどの丸い透明な石で、中に黄金色の線が何本も入っていた。針水晶だった。
あれ、もしかしてラリマール殿下に貰った針水晶の通信用魔石って、原材料これ?
人間にとってはとても高価で希少な宝石だというのに、そんな我楽多いくらでも、などと言っていたラリマールであるから、もしかしてこうやってできるものだから、そんなものいくらでも、などと言っていたのだろうか?
アレキサンダーもラリマールと友人になって長いようだけれど、この現象は初めて見たらしい。そもそもラリマールの泣いたところを見たことがなかったらしいのだが。
魔族の涙が宝石に変わるとは知らなんだ。本当に不思議な種族である。
そんなラリマールが鼻をすんすんと鳴らしながら愛おし気にクラリスを抱いてゆらゆらと揺らしている。
クラリスもラリマールの優し気な美貌に見とれているみたいに見える。まだろくに見えていないだろうけれども。
「……ありがとう、アビゲイルちゃん。彼女に会えたことがこんなにも嬉しい。君の、アレックスと君のお陰だよ。本当にどうもありがとう」
「えっ、いえ、そんな」
クラリス誕生を涙を流して喜んでくれるラリマールも、実質クラリスの親みたいなものかもしれないなあと、そんなことを思ってしまう。彼はずーっとアビゲイルとアレキサンダーの仲を取り持ってくれていたし、妊娠を告げたときは我が事のようにガッツポーズをしてまで喜んでくれたわけだ。
妊娠中もちょくちょく顔を見せては、何かと気遣ってくれていたし、アビゲイルにとってもかけがえのない人ともなっている。
しかし出産時に陣痛の苦しみに生きるのを放棄し掛けて「死にたい」などとクラリスに暴言を吐いたなんて、アビゲイルはラリマールにはとても言えない。それはラリマールには内緒にしておこうと、アレキサンダーと取り決めた。
「ずっと楽しみにしてた。会いたかった。……会いたかったんだ、ねえクーちゃん」
ん?
その呼び名にアレキサンダーは聞き覚えがあって首を傾げた。
クーちゃん。クラリスの愛称としては何もおかしなところはない。アビゲイルの父であるフォックス侯爵ローマンが付けた愛らしい名前。
それをローマンが決めたあの瞬間より前にそれを聞いた気がするが、その時は聞き流して何とも思っていなかったと思うのに。
「クーちゃんって愛称、可愛い!」
「でしょでしょ」
愛称で盛り上がっているアビゲイルとラリマールをよそに、もしかして、ラリマールはクラリスのことを、彼女がアビゲイルの身体に宿る前から予期していたのかもしれないと思い当たる。
大魔導士、大賢者と言われる者であるからには、それくらい大したことじゃないのかもしれないが。
しかし、預言めいた言葉とはいえ、以前からクラリスの名を愛称クーちゃんと呼んでいたことに何やらラリマールの情念のようなものを感じてやまないのは気のせいだろうか。
そんなことをぼうっと考えていたところに、ラリマールの爆弾発言が聞こえてきた。
「愛してるよクーちゃん。生まれて来てくれてありがとう。僕と結婚してくれるよね」
「えっ」
「えっ」
生まれて間もない赤ん坊にプロポーズしているラリマールに一瞬愕然としたが、アビゲイルとアレキサンダーは、いつものラリマールの冗談ととらえてくすくすと笑った。やたら乾いた笑いだったけども。
「あ、あははは。良かったねえクラリス。もう行き遅れの心配がなくて~」
「はは、ラリマール、冗談がすぎるぞ」
「僕は本気だよ。ずっと彼女を待っていたんだから」
「えっ」
「えっ」
「もちろん彼女の気持ちは尊重するけれど、ずっとずっと僕を選んでくれるようにアピールし続けるつもりだよ」
愛おしそうにクラリスを抱きしめるラリマールに、アビゲイルはちょっとした危機感を感じて、彼の気分を損ねない程度に牽制しておくことにした。言わないけれども返してくれとクラリスのほうに手を伸ばすのも忘れない。
「クラリス、ママが抱っこしてあげるよ~」
「僕のほうがいいもんねえ、クーちゃん」
「で、殿下、もうおっぱいの時間かもしれませんので」
「泣いてないじゃない。お腹いっぱいだよねえクーちゃん」
「あ、もう寝ちゃうかも。ベッドに寝せないと~」
「そっかあ~、僕の抱っこが気持ち良すぎてねむねむになっちゃったのかなあ」
ラリマールがクラリスを返してくれない。
この人マジだ。そう思ったアビゲイルは、とりあえずこれだけはと注意しておくことにした。
「あの、殿下。せめて成人前に手を出すのは控えていただけると」
「ああ、それはもちろん。僕はペドフィリアじゃない。でも成人したら正式にプロポーズするからね。それならいいよね、アレックス?」
「えっ……あ、え? あ、それは、ああ、まあ……」
「よし! 父親の了承取った」
「取りました? 今ので? ちょっと、アレク様! い、いいんですか?」
「くっ……む、娘の意見を尊重してくれるなら……!」
「マジですかアレク様ー!」
「よろしく頼むよ、義父上、義母上?」
「待って殿下、早くないですか? その呼び方。クラリスの意見尊重するって言ってらしたのに!」
「いずれそうなるじゃないか~」
「ええええええ」
生まれたばかりの娘を嫁に出すことを想像して、身を切られる思いをフライングで味わうアレキサンダー、勝ち誇るラリマール、慌ててそりゃないわよとツッコミを入れるアビゲイル。
やいのやいのと騒いでいる三人の声にうるさくてちょっとぐずり始めたクラリスを、慌てて三人で慰める謎の三つ巴状態がしばらく続いた。
長い。
教会の洗礼名とヘーゼルダイン家の歴代の先祖の名を、彼らが守ってくれるようにとつけられたために、このような長い名前になった。通常はクラリス・ヴェラ・ヘーゼルダイン、と名乗ることになりそうだ。正式な書類にはこの長い名前を書かなければならないのだが、娘ははたして覚えられるだろうか? 今からかなり心配である。
「……初めまして、僕はラリマール・ドニ・グロリオーサ」
やたら長い名前を付けられたアビゲイルの娘を抱き上げて、そのきょとんとした顔を見つめていたラリマールのアイスブルーの瞳から、ぽろぽろと零れ落ちた涙は、クラリスの産着の上を跳ねて床に落ち、固まりとなって床を転がった。
「えっ」
「えっ」
アビゲイルとアレキサンダーはぎょっとしてその光景を見た。
アレキサンダーが拾い上げてアビゲイルに手渡してくれたそれは、直径一センチメートルほどの丸い透明な石で、中に黄金色の線が何本も入っていた。針水晶だった。
あれ、もしかしてラリマール殿下に貰った針水晶の通信用魔石って、原材料これ?
人間にとってはとても高価で希少な宝石だというのに、そんな我楽多いくらでも、などと言っていたラリマールであるから、もしかしてこうやってできるものだから、そんなものいくらでも、などと言っていたのだろうか?
アレキサンダーもラリマールと友人になって長いようだけれど、この現象は初めて見たらしい。そもそもラリマールの泣いたところを見たことがなかったらしいのだが。
魔族の涙が宝石に変わるとは知らなんだ。本当に不思議な種族である。
そんなラリマールが鼻をすんすんと鳴らしながら愛おし気にクラリスを抱いてゆらゆらと揺らしている。
クラリスもラリマールの優し気な美貌に見とれているみたいに見える。まだろくに見えていないだろうけれども。
「……ありがとう、アビゲイルちゃん。彼女に会えたことがこんなにも嬉しい。君の、アレックスと君のお陰だよ。本当にどうもありがとう」
「えっ、いえ、そんな」
クラリス誕生を涙を流して喜んでくれるラリマールも、実質クラリスの親みたいなものかもしれないなあと、そんなことを思ってしまう。彼はずーっとアビゲイルとアレキサンダーの仲を取り持ってくれていたし、妊娠を告げたときは我が事のようにガッツポーズをしてまで喜んでくれたわけだ。
妊娠中もちょくちょく顔を見せては、何かと気遣ってくれていたし、アビゲイルにとってもかけがえのない人ともなっている。
しかし出産時に陣痛の苦しみに生きるのを放棄し掛けて「死にたい」などとクラリスに暴言を吐いたなんて、アビゲイルはラリマールにはとても言えない。それはラリマールには内緒にしておこうと、アレキサンダーと取り決めた。
「ずっと楽しみにしてた。会いたかった。……会いたかったんだ、ねえクーちゃん」
ん?
その呼び名にアレキサンダーは聞き覚えがあって首を傾げた。
クーちゃん。クラリスの愛称としては何もおかしなところはない。アビゲイルの父であるフォックス侯爵ローマンが付けた愛らしい名前。
それをローマンが決めたあの瞬間より前にそれを聞いた気がするが、その時は聞き流して何とも思っていなかったと思うのに。
「クーちゃんって愛称、可愛い!」
「でしょでしょ」
愛称で盛り上がっているアビゲイルとラリマールをよそに、もしかして、ラリマールはクラリスのことを、彼女がアビゲイルの身体に宿る前から予期していたのかもしれないと思い当たる。
大魔導士、大賢者と言われる者であるからには、それくらい大したことじゃないのかもしれないが。
しかし、預言めいた言葉とはいえ、以前からクラリスの名を愛称クーちゃんと呼んでいたことに何やらラリマールの情念のようなものを感じてやまないのは気のせいだろうか。
そんなことをぼうっと考えていたところに、ラリマールの爆弾発言が聞こえてきた。
「愛してるよクーちゃん。生まれて来てくれてありがとう。僕と結婚してくれるよね」
「えっ」
「えっ」
生まれて間もない赤ん坊にプロポーズしているラリマールに一瞬愕然としたが、アビゲイルとアレキサンダーは、いつものラリマールの冗談ととらえてくすくすと笑った。やたら乾いた笑いだったけども。
「あ、あははは。良かったねえクラリス。もう行き遅れの心配がなくて~」
「はは、ラリマール、冗談がすぎるぞ」
「僕は本気だよ。ずっと彼女を待っていたんだから」
「えっ」
「えっ」
「もちろん彼女の気持ちは尊重するけれど、ずっとずっと僕を選んでくれるようにアピールし続けるつもりだよ」
愛おしそうにクラリスを抱きしめるラリマールに、アビゲイルはちょっとした危機感を感じて、彼の気分を損ねない程度に牽制しておくことにした。言わないけれども返してくれとクラリスのほうに手を伸ばすのも忘れない。
「クラリス、ママが抱っこしてあげるよ~」
「僕のほうがいいもんねえ、クーちゃん」
「で、殿下、もうおっぱいの時間かもしれませんので」
「泣いてないじゃない。お腹いっぱいだよねえクーちゃん」
「あ、もう寝ちゃうかも。ベッドに寝せないと~」
「そっかあ~、僕の抱っこが気持ち良すぎてねむねむになっちゃったのかなあ」
ラリマールがクラリスを返してくれない。
この人マジだ。そう思ったアビゲイルは、とりあえずこれだけはと注意しておくことにした。
「あの、殿下。せめて成人前に手を出すのは控えていただけると」
「ああ、それはもちろん。僕はペドフィリアじゃない。でも成人したら正式にプロポーズするからね。それならいいよね、アレックス?」
「えっ……あ、え? あ、それは、ああ、まあ……」
「よし! 父親の了承取った」
「取りました? 今ので? ちょっと、アレク様! い、いいんですか?」
「くっ……む、娘の意見を尊重してくれるなら……!」
「マジですかアレク様ー!」
「よろしく頼むよ、義父上、義母上?」
「待って殿下、早くないですか? その呼び方。クラリスの意見尊重するって言ってらしたのに!」
「いずれそうなるじゃないか~」
「ええええええ」
生まれたばかりの娘を嫁に出すことを想像して、身を切られる思いをフライングで味わうアレキサンダー、勝ち誇るラリマール、慌ててそりゃないわよとツッコミを入れるアビゲイル。
やいのやいのと騒いでいる三人の声にうるさくてちょっとぐずり始めたクラリスを、慌てて三人で慰める謎の三つ巴状態がしばらく続いた。
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