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105 天敵

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 巨大な蜂、エビルクインビーはヘーゼルダイン地方でも割とよく出没する魔物だ。さして珍しくもないのだが、喋る個体は二十五年ヘーゼルダイン地方で生活しているアレキサンダーもついぞお目にかかったことがなかった。
 
『アレキサンダアアアアア!』

 その声に聞き覚えがあったが、それを誰だったかと考える余裕もなく、エビルクインビーはその巨体で高速で突っ込んできた。
 斥候部隊の飛び道具も避け、鋼の鞭すらはじき返して、真っ直ぐにアレキサンダーのほうに向かってくる。
 
 そのサンドバッグのような尾をぶるんと振るって上段に体当たりをしてきたのを、アレキサンダーは身を低くして躱す。その彼に向かって下段に薙ぐも、アレキサンダーは意外にも身体が柔軟であり、地面すれすれまで上体を低くしてその攻撃も躱しぬいた。

『糞っ! 薄汚い田舎の熊男がああああっ!』

 ひどい言われようである。
 田舎者呼ばわりするくらい、このエビルクインビーの中の人物は都会人であるといえるだろうか。
 それにしても、魔物を操るとは人間にできることじゃない。普通の人間がこうなるということは斃れた魔物の死気に乗っ取られて魔物化した人間しか考えられないだろう。
 しかしそもそも帝都のような都会には結界が張られた中心地にあり、魔物の侵入はまずないので、帝都から馬車で五日もかかるほど離れた土地にある、結界の力の薄まった辺境地帯くらいの場所でしか魔物と遭遇することはないのだ。
 
 あるとすれば何らかの意図的に都会に魔法陣等で呼び出した可能性がある。帝都のフォックス家において、それまで代々フォックス家にいたであろう妖精を食らってアビゲイルとヴィクターを襲ったあのエビルクインビーのように。
 あれとてラリマールの使い魔である猫のマイケルが見つけ出した、アレキサンダーには読めない文字の呪符が証拠であった。今現在もあの呪符についてはラリマールが出所その他を調べている最中である。
 
 意図的に都会に魔物を召喚したことが公になれば、その被害の度合いで最悪極刑に処される重大な犯罪ともなり得る危険な所業だ。
 そのような危険を冒してまで、アレキサンダーを狙って襲い掛かる者とは一体。
 そしてこの声。聞き覚えのあるこの声は。
 
「その声、もしやシズ侯爵家の……今は男爵家か。もと当主ウォルター・ベイル・シズ、だな。違うか?」
『ひゃはははははっ! 気付くのが遅いわあ! この鈍間な間抜け熊が! こんな男がアビー姫の伴侶とは聞いてあきれるわ!』
「……エンジェル・アイズの件で俺を傀儡にできなかった恨みか、それとも俺がアビーを娶ることへの妬みか」
『貴様がアビー姫を気安く呼ぶな!』
「やはり後者か。今までもそういう男たちがいたが、嫉妬で魔物化したなど貴様ほどタチの悪いのは初めてだ。それに、婚約者を気安い名で呼んで何がおかしい」
『黙れェエエエエ! 汚らしい田舎者の熊男が美しいアビー姫の婚約者だなどと認めない!』

 それほど煽ったわけでもないのだが、エビルクインビーの中の人物……ウォルター・ベイル・シズらしき人物は、アレキサンダーの受け答えに勝手に逆上して、これ以上の問答は無用とばかりに再度突進してきた。
 
 そのサンドバッグのような尾から槍の穂先のような鋭い針を突き出して、器用に身体をドリルのごとくきりもみ状に回転させてアレキサンダーに迫る。
 
 アレキサンダーは一度剣を斜めに斬り降ろしてそれを弾いたが、エビルクインビーは一度大きく旋回してまた同じように迫って攻撃を繰り出してきた。
 
 アレキサンダーを守ろうと、横から攻撃を仕掛けてた若い騎士がそのサンドバッグのような尾を振るわれてぶち当たり、藪をばきばきと折りながら吹っ飛ばされる。
 震えながらも上半身を起こしたところを見ると受け身のお陰で大事には至っていないようだ。
 
 アレキサンダーの周りに集まって来た騎士らが盾を合わせて防壁を作ってアレキサンダーを守るが、盾にがん、がん、と大きな音を立てて当たる蜂の針の威力はすさまじく、ぶつかったところが内側に凹見始める。これでは防戦一方だ。
 
『ひゃはははははっ! どうした! それがロズ・フォギアリア帝国最強と謳われた辺境騎士団か!』

 エビルクインビーもそれを見て気分が高揚した様子で高らかに笑い上げるのがやたらと耳に障る。

『ああ、そうだ、良きことを教えてやろうかアレキサンダー。アビー姫は最早貴様の邸にはいない! 彼女はもう私の手の中にある』
「……!」
『邸の警備が甘いんじゃないのかぁ? ええ? 小さな蜜蜂に変化すればいくらでも侵入できたぞ? 狩猟大会だなんだと浮かれているからそのように掻っ攫われるのだ! これが音に聞くヘーゼルダインの最強騎士団とは笑わせる! やはり貴様などにアビー姫は守れない』
「…………」
『悔しいか? 騎士でもない私に出し抜かれて悔しいかアレキサンダー!? アビー姫は私の愛の檻に永遠に美しいまま留め置く! そのために姫に憂いが残らぬように、貴様の息の根を止めてくれるわっ!』
「……べらべらとよく喋る蜂だ」
『……!?』

 高らかに笑い上げていい気になっているエビルクインビーに向かって、騎士らの掲げる盾の隙間から何かが飛んできた。
 一瞬何が起こったのかわからなかったエビルクインビーだったが、ふとそのサンドバッグのような尾を見ると、長剣が深々と刺さっているのを複眼でとらえる。次の瞬間に衝撃と激痛を神経が脳に知らせてきた。
 
『ギャアアアアアッ!』

 隙が生じたエビルクインビーに対し、離れたところに居た斥候部隊がすかさずボウガンでエビルクインビーを狙撃。矢が数本その巨体に深々と刺さって、エビルクインビーはさらに聞き苦しい獣じみた苦悶の叫びを上げた。
 
『ガアアアアッ! おのれ、おのれええええっ!』

 空中でのたうち回って飛び方がおかしくなるエビルクインビーに向かい、「総隊長!」と合図を叫ぶ騎士の組んだ両手目掛けて走ったアレキサンダーは、騎士がその両手で彼のかけた足を上空に跳ね上げたと同時に、その足場となった騎士の両手を蹴った。
 空中をおかしな動きでホバリングしているエビルクインビーに向かって、大きく剣を振り上げる。
 獣の咆哮じみた掛け声と共に、アレキサンダーはエビルクインビーを脳天から真っ二つに斬り降ろした。
 
 両断されたエビルクインビーの胴体が、青い体液をまき散らして地に落ちるのと同時に、アレキサンダーも着地する。
 
『グアアアアアアッ……! お、おのれ、よくも……! 貴様の様な汚らしい熊男などに、この、私がぁあああっ……!』
「……都会育ちは知らんのか」
『……はっ……?』
「蜂の天敵は、熊だぞ」
『…………あ、が……っ』
 
 アレキサンダーの淡々とした言葉に驚愕した様子を見せた魔物は、その胴体を数回軋んだ金属のような音をたてて痙攣させていたが、やがて動かなくなった。
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