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97 バカな子ほどなんとやら

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 妊娠報告の日、アレキサンダーは急に大粒の涙を零しながら、フォックス侯爵夫妻にアビゲイルをこのままラリマールの転移陣で連れて帰りたいと申し出た。
 
 あと二週間ほどで結婚式で、ヘーゼルダインへ旅立つことになっていたのだが、馬車で五日かかる帝都からヘーゼルダイン領への道のりを、妊婦であるアビゲイルに移動させるのは身体に障るだろうとのことと、アレキサンダーがアビゲイルとそのお腹の子と、もう一日も離れていたくないと涙ながらに言うものだから、フォックス侯爵夫妻もすっかり絆されてしまって、了承するしかなかったのだ。
 
 よって、とりあえず軽く当座必要な荷物だけを入れたバッグ一つのみ準備してラリマールの転移陣でヘーゼルダイン領に一足先に行くこととなった。
 
 
 
「転移陣を簡素化して商品化するんだよね。量産型はあとひと月くらいで出荷できそう」

 そんな折、ラリマールが結婚祝いと称してフォックス家の玄関に何やら大きな扉のついた箱を置いてそんなことを言う。プロトタイプの魔法転移装置だというそれを何もない空間から魔法で呼び出して勝手に設置した。一方通行でいいならこれ一台で目的地まで行けるらしいが、目的地にもう一台あれば往復が可能とのことだ。
 ヘーゼルダインに付いたらもう一台邸の玄関に置く予定だという。
 
 これさえあれば、魔法の使えない人間にも目的地まで一瞬で転移可能だ。例のぐるぐると気持ち悪い転移中の体感時間はものの三十秒ぐらいだそうで、ラリマールの改良した転移魔法そのものの体感三秒にはやや劣るがそれでも大分縮まったそうだ。
 
 大賢者、大魔導士と呼ばれるラリマールの魔法研究。彼はこう言った魔道具の開発にも携わっていて、魔道具は魔法国家であるルビ・グロリオーサ魔王国の主力の輸出品ともなっている。
 
 転移の魔道具は人が二、三人入れるくらいの縦長の箱に自動で横にスライドするドアが付いていて、アビゲイルは前世でいうエレベーターみたいだなあと思った。
 
 まだ発表されていない魔法道具のことを喋っていいのかと思ったけれど、ラリマール的にはそれほど大したことじゃないらしい。彼が言うにはどうせ情報が漏れたところで自分にしか組めない術式だから、あれを真似できるもんならしてみろ、ということらしい。簡素化しても真似できないとは一体、とアビゲイルは思ったけれど。
 
 しかし転移の魔法道具が一般化すれば、帝都とヘーゼルダイン領とは一瞬(体感時間は違うが)で行き来できるから、アビゲイルも気軽に実家に里帰りできるし、そればかりか物流の面でもいろいろ便利になりそうである。
 
 しかし、しばらくの間は貴族のみが所有できる高級品になりそうだ。貴族が領地に一台買って、それを領民たちに有料で使用してもらうというのが一般的な使い方になるだろうと思われる。それでも使用料をぼったくりさえしなければ劇的に便利になるし、物流が滞りなく行われて領地も各々潤いそうだ。
 
 そのような高価で便利な物を贈ってもらえるなど、父ローマンは広くなった額に汗をかきながらラリマールに恐縮しきりだった。
 
「それは大変便利でございますが、こんなにしていただけるなんて、ラリマール殿下には頭が上がりません」

 そんなローマンに対してのラリマールはあっけらかんとしたもので、
 
「いいのいいの。僕の壊滅的にモテない親友のアレックスを選んでくれたアビゲイルちゃんへの感謝のしるしだからさあ」

 とアレキサンダー下げで揶揄うのを忘れない。アレキサンダーも言われ慣れ過ぎてもう抗議すらしないので、とりあえず何と答えたらいいやら冷や汗状態の父は、
 
「いや、うちの娘こそしょうもない放蕩娘だったので、正直嫁の貰い手があって良かったという思いしか……ぐふっ」

 とアビゲイルの黒歴史を話題に出しやがったので、とりあえずアビゲイルは父にニコニコしながら近寄って背中に頭突きをかましてやった。
 咳き込んだ父をそのまま後ろから抱きしめると、ローマンは涙腺が崩壊したように泣き出して、つられてアビゲイルも泣いてしまうというハプニングが起こる。
 
「アビーいいいい、痛いじゃないかああああ!」
「お父様がひどいこというからああああ!」
「ほんとうにっ、お嫁にっ、いっちゃうんだなああああ! あのちっちゃかったアビーがあああ!」
「なによぉ、さっき嫁の貰い手があって良かったとかホッとしてたくせにいいい!」
「バッカお前っ、そんなのっ、父親の強がりに、きまってるだろおおおお! 君は僕の可愛い可愛いお姫様だったんだからああああ!」
「うわあああんお父様ああああ!」
「アビイイイイイ、幸せになるんだぞおおおおお!」

「なにこれ」
「夫と娘は感激屋でして」
「いや、思う存分やらせてあげてくれ……」

 最後の会話は上から呆れたラリマール、母ニーナ、そして宥めるアレキサンダーの会話であった。
 
 そして感激屋はローマンとアビゲイルだけではなかった。
 
「おひい様ぁああああ」
「ルイカ、面白い顔になってるわ。泣き止んで」
「どうか、どうかお幸せにいいいい」
「わかってるわ。ルイカもレイと幸せになるのよ。ヴィクターのこともよろしくね」
「はいいいい! じあわぜになりばずうううう」

 侍女ルイカはアビゲイルにはついて行かずに、ヴィクターの侍従であるレイと結婚を控えていて、結婚後は夫婦でヴィクターの身の回りの世話をしてくれることになっている。
 大泣きするルイカに手紙を書くと約束して、婚約者のレイにルイカを預けた。
 
 そして感激屋たちがようやく落ち着いた頃、ヘーゼルダイン行きの準備をしているところで、今日は婚約者のラクリマと街歩きデートだったらしいヴィクターが帰ってきたので、アビゲイルの妊娠報告と、急遽ヘーゼルダイン行きが決まったことを告げた。
 
「そ、そうなんですか! 随分急ですが……と、とりあえず、義兄上、この度はおめでとうございます!」
「ありがとう、ヴィクター殿」
「敬称などいらないといつも言っているのに。どうぞヴィクターと呼び捨ててください、義兄上。不束すぎる姉でございますが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」

 いや、不束て。弟よ。相変わらず姉に対して容赦ないな。
 うん、もうヴィクターにはどんなにこき下ろされても落ち込むようなやわな精神じゃない自分がいるが。
 
 ヴィクターとは色々あったけれど、ツンケンしながらも良い姉弟関係が築けている。一時は行き過ぎた姉弟愛みたいな事態になりそうで、妖精の事件に巻き込まれたりもしたけれど、彼が妖精の呪いで子供化したのが元に戻ったあとは、以前のようなたまに喧嘩もするけど、一緒に出掛けたりダンスをしたりなどの仲の良い姉弟に戻っている。
 
 そういえばあの妖精事件のあと、アビゲイルに対しての何やら呪符らしきものが出てきたけれど、そちらのほうはラリマールにまかせっきりで、彼からは何も進展はないと言われたっけ。だからそちらのほうは今は気にしないことにしている。とりあえず今のところはアビゲイルには何も影響はないからだ。
 
 強いて言えば、弟のツンケン度がより増した気がするけれども。
 デレデレ期を経験してしまうと、ちょっときっつい気がするけれども。
 
 まあでもこうしてヴィクターに嫌味を言われるのも慣れたものだ。何だかんだ言ってもヴィクターはかわいい弟だし。
 しかしこのツンケンが婚約者のラクリマにまで向かう事になったら色々問題があると思って、ここで釘を刺しておくことにする。
 
「ヴィクター、お姉ちゃんにはいくらそうきっつい言い方しても問題ないけども、婚約者のラクリマ姫には結婚後にそんなふうに言っちゃ駄目だからね?」
「言いませんよ。ラクリマ姫は姉上と違って黒歴史のない立派な淑女です」
「くぅ~! 本当のことだけに言い返せないー!」
「姉上、頼みますから義兄上に迷惑をかけるようなことを仕出かさないでくださいね」
「うう、弟が優しくない!」
「本当のことを言っただけですけども」
「人間は本当のことを言われると傷つくのよ!」

 相変わらずのツンツンヴィクター節に地団駄を踏みそうなところを「お腹に障りますよ姉上」とトドメを刺されて何もできなくなる。
 まあこうした姉弟のやりとりも、結婚後はしばしできなくなると思うと感慨深い。弟も同じように思ったのか、一瞬置いて目が合うと、お互いに噴き出して笑ってしまった。
 そんな姉弟を見ていた両親や使用人たちも笑いながら涙を拭っている。
 
 そうして当座必要な物だけを詰めたバッグが用意できると、今回はラリマールの転移陣で移動するため、玄関に転移陣の術式を描いたラリマールが待つ前で、アレキサンダーとともに、アビゲイルは両親と弟、使用人一同に別れの挨拶をした。
 
「結婚式でまた会おう、アビー」
「はい、お父様。エスコートよろしくお願いしますね」
「まかせなさい。……幸せにおなり」
「はい!」
「アビー、身体に気を付けてね」
「もう貴方だけの身体じゃありませんからね、姉上」
「了解ですわ、お母様、ヴィクター。ラクリマ姫と三人で孤児院行けなくて残念です」
「今度里帰りしたときにでも一緒に行きましょう」
「こういう事態ですから、姫も許してくださいますよ。心配はいりません」
「そうね。じゃあ姫にも、孤児院のみんなにもよろしくお伝えくださいね」
「わかったわアビー」
「了解しました、姉上」
「おひい様ああああ」
「おひい様、お幸せに!」
「おひい様、たまには顔お見せくださいね!」
「お子様のお顔を見るの楽しみにしています!」
「……みんな、ありがとう! あたし絶対に幸せになるわ!」
 
 両親と弟、使用人たちの手を取って一人一人に挨拶を終えて、さあ行こうかとアレキサンダーの手を取った際、後ろからヴィクターの「姉上」という呼び声が聞こえて振り返る。
 
「……たまには、ダンスを教えに帰ってきてくださいね。まだ例の愛のダンスを教えてもらっておりませんから」

 そう嫌味のない満面の笑みで、あのデレデレ期だったころの愛しさ溢れる満面の笑みを浮かべた弟の言葉に、それまで止まっていたアビゲイルの涙腺が崩壊する。
 
「……っ、う、うわああああああん! ヴィクタアアアアア!」
 
 思わずヴィクターに駆け寄って抱きしめて号泣した。走ったらだめだと言われていたのに止められなかった。
 
 小さい頃から姉様姉様と後ろをくっついてきていた弟。
 クイックステップが苦手でよく足を踏んづけてきた弟。
 何だかんだと言って悪いアビゲイルを諫めてくれた正義感の強い弟。
 こんなアホな姉を妖精に心配されるほどに愛してくれた弟。
 
 やっぱり弟はかわいい。ブラコンで何が悪い。
 
 しゃくり上げながら弟に抱き着いて号泣する姉を宥めるように背中に手を回してぽんぽんと撫でてやるヴィクター。姉の後ろから困ったように立ち尽くす、姉の言うところのテディベア、アレキサンダーにヴィクターは笑いかけた。
 
「……義兄上。こんな泣き虫でしょうもない姉ですが、どうか末永く可愛がってやってください。よろしくお願いします」
「ヴィクター殿……」
「だから、敬称はいりませんよ」
「……ありがとう、ヴィクター。アビーは絶対に幸せにすると約束する」
「帝都から、お二人の幸せを心よりお祈りしていますからね。……ああ、もう三人でしたね」
「うわあああああん」
「姉上、もう泣き止んでください。いい加減鬱陶しいです」
「うわあああん、相変わらずきっついいいいい! けどそれがいいいいい!」
「被虐趣味とか変態でしたか。今更ですけど、本当にこんなんでいいんですか義兄上」
「え、ああ、うん……どんなアビーも可愛いから」
「はは、義兄上もでしたか」
「えっ」
「えっ」

 最後まで相変わらずの毒舌のヴィクターだったがその目には薄っすらと涙が浮かんでいたことをアレキサンダーは気付かないふりをした。
 
 散々泣きわめいてようやく泣き止んだアビゲイルは、化粧も落ち切ったブスを自覚しながらも、皆に見送られて、ヘーゼルダインに転移陣で出発した。
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