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95 ウルトラマリンブルーの涙
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『でかしたぁあああああっ!』
『…………』
おかしいな。アレク様にご報告しているのに、なんで彼の横にいるラリマール殿下がガッツポーズしてんだ。
アビゲイルはいつもの決められた時間でなく、昼間であったがどうしてもとアレキサンダーと魔石通信で連絡を取ってみたのだが、何故か彼の隣にはラリマールが来ていたらしい。
アレキサンダーに話がしたいと言ってもなんか同席すると言ってきかないラリマールに諦めて、とりあえずは妊娠した旨を報告したのだ。
『どうしたんだ、アビー? 何かあったのか?』
「うん、あのね、アレク様……その」
『……うん?』
「そのぅ……あ、赤ちゃんが、できた、みたいなんです」
その言葉にびしっと固まったアレキサンダーの横で一際大きな声でラリマールが叫んだのが冒頭のセリフであった。
厨房での母とのお菓子作りをしていて、ケーキを焼く際のほんのりと薫る甘いバターの香りを嗅いで、急に吐き気を催して戻してしまい、もしやと思った母が呼んだフォックス家御用達の医師(老女医)に診てもらったところ、妊娠が発覚した。
「おひいさん、吐き気があったのかい」
「はい。バターの匂いがもう駄目で……」
「月の物はきとるかいな」
「そういえば……今月は……来てない、かも……? 遅れてるだけ……?」
「おっぱいが張ってる感じは」
「それは、まだ……わからないです」
「殿さんと最後に仲良うしたのはいつのことで何回かね」
「えっ……」
「いつ? 何回?」
「…………ひ、ひと月前……? か、回数なんて」
「あんだって? あたしゃ耳が遠いんだよ、もっと大きな声で」
「ひと月前ぇええーっ! 十回以上ぉおおおーっ!」
「そうかい。そんな大声出さなくても」
「ええええ……理不尽」
口は悪いが母ニーナの出産も担当した頼りになるベテランの女医に隠してもどうしようもないので、あけすけな問診にやけくそになって回答したのち、尿検査と魔道写真(エコー)で妊娠が確定となった。
魔導写真は触れると動き出して胎児の様子がわかる動画のようになっている。まだ小粒のサクランボほどの大きさだと女医は説明してくれたけれど、動画ではちゃんと心臓のようなものが脈打つ様子があって、それを見たとたん、涙腺が崩壊してしまった。
自分と愛するアレキサンダーとの愛の結晶が確実に自分の中に芽吹いて息づいている。
「うぅっ……ひっく……ちゃんとここにいたんだ……! アレク様の、赤ちゃん……!」
「アビー、良かったわね、良かったわね……!」
「うん、うん……! お母様ぁ……!」
付き添ってくれている母ニーナまで目に涙を浮かべてアビゲイルの背をさすってくれている。
ああ、駄目だなあ。最近涙もろいや。
妊娠なんて、前世でも経験したことがなかったから、こんなに感動するものだったなんて思いもしなかった。妊婦役の演技もしたことがあったけれど、こんなリアルな気持ちは初めてだ。演技は演技。所詮偽りのものは本物には勝てはしない。
「……おひいさん、くれぐれも大事におしよ。無茶して流れたりなんだりの妊婦の治療と処置、あれをしたあとはあたしゃ酒がまずくなるんだよ」
女医は憎まれ口を叩くけれど、心配をしてくれるのだから、なんとも有難くてうんうんと頷いた。
この喜びを母以外では一番に伝えないといけないのは、当事者のアレキサンダーだが、まだ昼間なので仕事中だろうと思われたので、忙しいアレキサンダーを困らせてはいけないといつもはしないが、昼休憩の時間を見計らって魔石通信をすることにした。
そして画面の向こうには何故かラリマールまでヘーゼルダインに遊びに来ていた。暇なのだろうか大賢者様というのは。
とりあえず報告をして冒頭のように何故かラリマールがガッツポーズをしている横で、放心状態のアレキサンダーが震える両手を口元に持ってきていた。
『ア、アビー、ほ、本当に……?』
「はい、アレク様。魔導写真も、もらって、み、見えますかね? ほら、ほら、動いて見えます?」
『アビー、ああ、アビー、何と言っていいか』
『もー、アレックス、こうなったらフォックス邸に直接行こう! 転移しよう!』
『えっ』
「えっ」
『改良したんだ。体感速度三秒』
『えっ』
「えっ」
あのぐるぐる気持ち悪い転移陣を、体感三秒に改良した?
大賢者は暇なのかと思ってしまったのを、アビゲイルは心の底で訂正して謝った。ラリマールは意外にも日々の魔法研究を着々と進めているらしい。神出鬼没でいつもふらりとやってくるからそうは見えないけれども。
一瞬画面が閉じて、背後の床がバチバチと音を立てたと思うと、出現した魔法陣の中心にアレキサンダーとラリマールが立っていた。
「はぁい、アビゲイルちゃん」
「殿下、アレク様……!」
「アビー……!」
「あれく、さまぁ……!」
アレキサンダーの姿を見て、思わず涙ぐんで立ち上がったアビゲイルだったが、彼に駆け寄ろうとした瞬間に、アレキサンダーに「アビー、止まれ!」と大声で制される。
一瞬びくりと硬直して何か気に障ることをしてしまったのかと思ったが、そのすぐあとに、アレキサンダーが申し訳なさそうな声で「……すまん。俺がそっちに行く」と言って歩いてきた。
文机の前に立つアビゲイルに一歩ずつ大股で近づいてくるアレキサンダーに、それでも待ちきれなくて、止まれと言われたのに守れず、あと二、三歩というところでアレキサンダーに駆け寄ってしまった。
アレキサンダーはアビゲイルの手を引き寄せると、両手をアレキサンダーの頬に伸ばしてきたアビゲイルに無言で請われるままにキスを落とした。二度、三度と何度か触れるように唇を重ねて、最後に長く吸い付いてから離し、額と頬にキスをしてからようやく離す。
アビゲイルの真っ赤になって涙が滲む目尻を拭ってから、彼女をそっと支えて今一度椅子に座らせた。
アレキサンダーはアビゲイルの前に膝をついて、下から椅子に座るアビゲイルを心配そうに見つめている。
「……その」
「はい」
「……子供」
「ええ、ここに」
アビゲイルはまだ全然目立たない下腹に手を添えてアレキサンダーに示してやる。それを凝視したまま動かないアレキサンダー。アビゲイルは自分の下腹に彼の大きな手を導いて触れさせた。
「……っ」
恐る恐るといった様子で、アビゲイルの下腹をさわさわと撫でるアレキサンダーだったが、不意にもう片方の手で口元を覆うと、そのウルトラマリンブルーの切れ長の瞳をぎゅっと瞑って嗚咽を漏らし始めた。ぼろぼろと大粒の涙を零すアレキサンダーに、アビゲイルもつられて涙ぐんでしまう。
「……ア、アレク、様ったら、男泣き」
「……すまん。つい感極まって」
「ううん」
「ここに……俺の、俺たちの、子供が……」
下腹に触っていた手を離し、アビゲイルの手を取って甲と指先にキスを落としてから、その大きな両手で包み込んで自身の額に当てるアレキサンダー。
「……ありがとう。ありがとう、アビー。俺は……幸せ者だ」
「あたしも幸せです。ありがとうアレク様。喜んでくれて、嬉しいです」
「家族ができるんだ。喜ばないわけがない……! アビー、アビー、本当に、本当に嬉しい。ありがとう、これ以上の感謝の言葉をどう表現したらいいか……!」
そういえば、アレキサンダーが以前教えてくれたが、彼の両親は、母親は彼の幼い頃、そして父親は五年前に病気をして亡くなっており、二十歳で父の後を継いでからはずっと独りだった。騎士団の部下やジェフら使用人たちにも慕われていたが、心のどこかでは家族の暖かさを求めていたのかもしれない。
そんな彼に家族を作ってあげられたことを、アビゲイルは誇りに思う。
「ラリマール殿下、アレク様を連れて来て下さってありがとうございました。直接伝えたかったから」
「俺からも、ありがとう、ラリマール」
「いいよ別に~。つーかアレックス、鼻垂れてる」
「うっ」
「アレク様、はいティッシュ」
「すまん」
「僕は別に、僕の為にやっただけだし」
「?」
相変わらずひょうひょうとしてつかめない男、ラリマール。アビゲイルとアレキサンダーに子ができることがどうして彼の為になるのかさっぱりわからないけれども、まああれほどガッツポーズをして喜んでくれたので、良しとすることにした。
『…………』
おかしいな。アレク様にご報告しているのに、なんで彼の横にいるラリマール殿下がガッツポーズしてんだ。
アビゲイルはいつもの決められた時間でなく、昼間であったがどうしてもとアレキサンダーと魔石通信で連絡を取ってみたのだが、何故か彼の隣にはラリマールが来ていたらしい。
アレキサンダーに話がしたいと言ってもなんか同席すると言ってきかないラリマールに諦めて、とりあえずは妊娠した旨を報告したのだ。
『どうしたんだ、アビー? 何かあったのか?』
「うん、あのね、アレク様……その」
『……うん?』
「そのぅ……あ、赤ちゃんが、できた、みたいなんです」
その言葉にびしっと固まったアレキサンダーの横で一際大きな声でラリマールが叫んだのが冒頭のセリフであった。
厨房での母とのお菓子作りをしていて、ケーキを焼く際のほんのりと薫る甘いバターの香りを嗅いで、急に吐き気を催して戻してしまい、もしやと思った母が呼んだフォックス家御用達の医師(老女医)に診てもらったところ、妊娠が発覚した。
「おひいさん、吐き気があったのかい」
「はい。バターの匂いがもう駄目で……」
「月の物はきとるかいな」
「そういえば……今月は……来てない、かも……? 遅れてるだけ……?」
「おっぱいが張ってる感じは」
「それは、まだ……わからないです」
「殿さんと最後に仲良うしたのはいつのことで何回かね」
「えっ……」
「いつ? 何回?」
「…………ひ、ひと月前……? か、回数なんて」
「あんだって? あたしゃ耳が遠いんだよ、もっと大きな声で」
「ひと月前ぇええーっ! 十回以上ぉおおおーっ!」
「そうかい。そんな大声出さなくても」
「ええええ……理不尽」
口は悪いが母ニーナの出産も担当した頼りになるベテランの女医に隠してもどうしようもないので、あけすけな問診にやけくそになって回答したのち、尿検査と魔道写真(エコー)で妊娠が確定となった。
魔導写真は触れると動き出して胎児の様子がわかる動画のようになっている。まだ小粒のサクランボほどの大きさだと女医は説明してくれたけれど、動画ではちゃんと心臓のようなものが脈打つ様子があって、それを見たとたん、涙腺が崩壊してしまった。
自分と愛するアレキサンダーとの愛の結晶が確実に自分の中に芽吹いて息づいている。
「うぅっ……ひっく……ちゃんとここにいたんだ……! アレク様の、赤ちゃん……!」
「アビー、良かったわね、良かったわね……!」
「うん、うん……! お母様ぁ……!」
付き添ってくれている母ニーナまで目に涙を浮かべてアビゲイルの背をさすってくれている。
ああ、駄目だなあ。最近涙もろいや。
妊娠なんて、前世でも経験したことがなかったから、こんなに感動するものだったなんて思いもしなかった。妊婦役の演技もしたことがあったけれど、こんなリアルな気持ちは初めてだ。演技は演技。所詮偽りのものは本物には勝てはしない。
「……おひいさん、くれぐれも大事におしよ。無茶して流れたりなんだりの妊婦の治療と処置、あれをしたあとはあたしゃ酒がまずくなるんだよ」
女医は憎まれ口を叩くけれど、心配をしてくれるのだから、なんとも有難くてうんうんと頷いた。
この喜びを母以外では一番に伝えないといけないのは、当事者のアレキサンダーだが、まだ昼間なので仕事中だろうと思われたので、忙しいアレキサンダーを困らせてはいけないといつもはしないが、昼休憩の時間を見計らって魔石通信をすることにした。
そして画面の向こうには何故かラリマールまでヘーゼルダインに遊びに来ていた。暇なのだろうか大賢者様というのは。
とりあえず報告をして冒頭のように何故かラリマールがガッツポーズをしている横で、放心状態のアレキサンダーが震える両手を口元に持ってきていた。
『ア、アビー、ほ、本当に……?』
「はい、アレク様。魔導写真も、もらって、み、見えますかね? ほら、ほら、動いて見えます?」
『アビー、ああ、アビー、何と言っていいか』
『もー、アレックス、こうなったらフォックス邸に直接行こう! 転移しよう!』
『えっ』
「えっ」
『改良したんだ。体感速度三秒』
『えっ』
「えっ」
あのぐるぐる気持ち悪い転移陣を、体感三秒に改良した?
大賢者は暇なのかと思ってしまったのを、アビゲイルは心の底で訂正して謝った。ラリマールは意外にも日々の魔法研究を着々と進めているらしい。神出鬼没でいつもふらりとやってくるからそうは見えないけれども。
一瞬画面が閉じて、背後の床がバチバチと音を立てたと思うと、出現した魔法陣の中心にアレキサンダーとラリマールが立っていた。
「はぁい、アビゲイルちゃん」
「殿下、アレク様……!」
「アビー……!」
「あれく、さまぁ……!」
アレキサンダーの姿を見て、思わず涙ぐんで立ち上がったアビゲイルだったが、彼に駆け寄ろうとした瞬間に、アレキサンダーに「アビー、止まれ!」と大声で制される。
一瞬びくりと硬直して何か気に障ることをしてしまったのかと思ったが、そのすぐあとに、アレキサンダーが申し訳なさそうな声で「……すまん。俺がそっちに行く」と言って歩いてきた。
文机の前に立つアビゲイルに一歩ずつ大股で近づいてくるアレキサンダーに、それでも待ちきれなくて、止まれと言われたのに守れず、あと二、三歩というところでアレキサンダーに駆け寄ってしまった。
アレキサンダーはアビゲイルの手を引き寄せると、両手をアレキサンダーの頬に伸ばしてきたアビゲイルに無言で請われるままにキスを落とした。二度、三度と何度か触れるように唇を重ねて、最後に長く吸い付いてから離し、額と頬にキスをしてからようやく離す。
アビゲイルの真っ赤になって涙が滲む目尻を拭ってから、彼女をそっと支えて今一度椅子に座らせた。
アレキサンダーはアビゲイルの前に膝をついて、下から椅子に座るアビゲイルを心配そうに見つめている。
「……その」
「はい」
「……子供」
「ええ、ここに」
アビゲイルはまだ全然目立たない下腹に手を添えてアレキサンダーに示してやる。それを凝視したまま動かないアレキサンダー。アビゲイルは自分の下腹に彼の大きな手を導いて触れさせた。
「……っ」
恐る恐るといった様子で、アビゲイルの下腹をさわさわと撫でるアレキサンダーだったが、不意にもう片方の手で口元を覆うと、そのウルトラマリンブルーの切れ長の瞳をぎゅっと瞑って嗚咽を漏らし始めた。ぼろぼろと大粒の涙を零すアレキサンダーに、アビゲイルもつられて涙ぐんでしまう。
「……ア、アレク、様ったら、男泣き」
「……すまん。つい感極まって」
「ううん」
「ここに……俺の、俺たちの、子供が……」
下腹に触っていた手を離し、アビゲイルの手を取って甲と指先にキスを落としてから、その大きな両手で包み込んで自身の額に当てるアレキサンダー。
「……ありがとう。ありがとう、アビー。俺は……幸せ者だ」
「あたしも幸せです。ありがとうアレク様。喜んでくれて、嬉しいです」
「家族ができるんだ。喜ばないわけがない……! アビー、アビー、本当に、本当に嬉しい。ありがとう、これ以上の感謝の言葉をどう表現したらいいか……!」
そういえば、アレキサンダーが以前教えてくれたが、彼の両親は、母親は彼の幼い頃、そして父親は五年前に病気をして亡くなっており、二十歳で父の後を継いでからはずっと独りだった。騎士団の部下やジェフら使用人たちにも慕われていたが、心のどこかでは家族の暖かさを求めていたのかもしれない。
そんな彼に家族を作ってあげられたことを、アビゲイルは誇りに思う。
「ラリマール殿下、アレク様を連れて来て下さってありがとうございました。直接伝えたかったから」
「俺からも、ありがとう、ラリマール」
「いいよ別に~。つーかアレックス、鼻垂れてる」
「うっ」
「アレク様、はいティッシュ」
「すまん」
「僕は別に、僕の為にやっただけだし」
「?」
相変わらずひょうひょうとしてつかめない男、ラリマール。アビゲイルとアレキサンダーに子ができることがどうして彼の為になるのかさっぱりわからないけれども、まああれほどガッツポーズをして喜んでくれたので、良しとすることにした。
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