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86 お互い様

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 ふと見ると、ドアの向こうからこちらを伺っているメイドたちが口に手を当てて頬を赤らめているし、横を見れば何だか口元がシニカルに笑っているように見えるジェフが控えていて、アレキサンダーは無言で彼らに顎をしゃくってその場を持するように指示をする。
 
 メイドたちが一礼をして去るとき、ほんの少しくすくす笑っていたのがアレキサンダーの羞恥を誘ったが、そんなことはどうでもいい。
 
「ジェフ」
「殿、何かございましたら」
「……すまん」
「いいえ。ではごゆるりと」

 ジェフも何食わぬ顔でその場を去ったので、アレキサンダーはしがみついていたアビゲイルを抱き上げてリビングの中に入って、彼女をソファーに下ろそうとした。
 が、彼女がしがみついて離れないので、アレキサンダーがソファーに座って、その膝の上にアビゲイルを乗せて彼女を抱きしめる。
 
「……アビー、泣き止んでくれないか。どうすれば泣き止む? 俺は帝都の社交上手な令息たちとは違って女の繊細な気持ちに気付けない朴念仁だ」
「…………」
「俺は……俺が醜態晒したからアビーのほうが幻滅して俺のことを嫌いになったと思っていた。あんな……酔っていたとはいえ、まるで、無理やり」
「違うよぉ~! 同意があったのぉ~!」
「そ、そうなのか……? だったら、良かった……」

 アレキサンダーからは抱き着いている彼女の顔は見えないけれど、それでもアビゲイルがふるふると首を横に振るのを感じて、自分の心配が杞憂に終わったことを知る。

「……どうして俺が嫌いになると思った? 逆の立場ならともかく」

 まだぐすぐすと泣き腫らしているアビゲイルの背中を撫でようと思ったが、彼女のホルターネックのドレスはバックレスになっていて肌が露出しているので、さすがに撫でることができない。代わりに彼女の後頭部にその大きな手を当ててぽんぽんとあやすように撫でてやりながら尋ねた。
 
 そうして数分そのままでいると、ようやく泣き止んだらしいアビゲイルが恥ずかしそうにアレキサンダーの肩に顔を埋めてぽつりぽつりと話し始める。

「……ごめんなさい」
「何で謝る? 悪いのは俺だ」
「あたし、面倒くさい女だし……」
「そんなの可愛いものだ」
「可愛くないもん……」
「俺にはすごく可愛い」

 アビゲイルはすっかりいつもの令嬢口調が取れて澄ました感じがなくなっている。それが嫌に親密な相手に対しての言葉に感じた。
 
 俺に対してそう思ってくれているのか。「もん」って何だ。反論するな。可愛いんだよ。

「……はしたないし」
「何が」
「…………あの、馬車、で……」

 アビゲイルは言ってしまってから口ごもってそれ以上何も言わない。見る見るうちに頬が真っ赤になっていく様子が見なくても分かって、アレキサンダーは身体の一部に火が灯るような気がした。
 
「その…馬車で、え、え、えっち、っぽいことしたとき」
「あー……それも、俺が悪い」
「ううん、そうじゃなくて……すっごい、はしたない声、出しちゃったし……」
「え……」
「ま、まるで、阿婆擦れ女みたいだって、思って……」
「阿婆擦れって……なんだそれは。そんなものはしたないも何もあるか。あ、ああいうときに女が声を上げるのは、ふ、普通のことだと思うし……とはいえ、俺とてそんなに経験があるわけではないが……」
「……だってあたし、黒歴史があるし……」
「と、とにかく、俺は……そんなこと気にしないし、そんなアビーも、可愛い、と、思うから……俺のほうこそ、君に嫌われたらと……気持ち悪かっただろう、酔いつぶれて悪がらみして、挙句調子に乗りすぎて吐き気を催した男など。幻滅されて嫌われたのは、こちらのほうだと思っていた」

 そこでようやく、アレキサンダーの首にしがみついていたアビゲイルが腕をするりと解いて、アレキサンダーに正面から向き直る。顔が近いのでその涙に濡れた大きなアメジスト色の瞳とはっきりと視線が合う。

「嫌わないよぉ~! 何であたしがアレク様を嫌うのよぉ~! 具合悪いアレク様を見捨てたりしないし、キスだってエッチだってアレク様とならいっぱいしたいのに! 結婚したらいっぱいイチャイチャして、かわいいアレク様の赤ちゃんだっていっぱい産みたいのに!」
「ア、アビー、そこまで……俺のことを」
「ごめんな、さい、ひっく、我儘言って、ひどい、こといっぱい、言って、うう、涙止まんない、どうしよう、ごめ……っ」
「アビー、いいんだ。大丈夫、大丈夫だから」

 もう全然令嬢の喋り方ではないと気付いていたけど、感情が昂って直すに直せなかった。泣いてしまったのも悔し涙だからいくらでも出てくる。
 こうしてアレキサンダーを責めてしまっているけれど、彼を信じられずに「嫌われた」と思っていたのはアビゲイルも一緒なわけで。
 こんな小娘に愛想尽かさず、「お前面倒くせえ!」と放り出しもせず、よく「大丈夫、大丈夫だ」と言って抱きしめてくれるものだと、アレキサンダーの懐の深さに感謝せざるを得ない。

 ああああ好きだ好きだ好きだぁーーーーー!
 あったかくて優しいあたしだけのテディベア。この人に捨てられたら、きっとその場でショック死できると思う。未練で絶対成仏できなさそうだけども。
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