傾国とか社交界の蝶とか普通に悪口

樹 史桜(いつき・ふみお)

文字の大きさ
上 下
81 / 123

78 罪悪感はいらない

しおりを挟む
 スモーガスボードのテーブルからフルーツとデザートを数点取り、フォークと取り皿を二人分。
 この国の食事の作法としては少々お行儀が悪いけれど、ラクリマと二人でシェアすることにして、飲み物と一緒に隅にある席にラクリマと一緒に座った。
 シェアとか半分ことか、いかにも日本を思い出す。
 
 アビゲイルは先ほどと同じくスパークリングワインを手に取り、ラクリマ姫はアップルジュースのグラスを取った。成人したとはいえ、お酒は呑めないらしい。それを聞いて、アレキサンダーも下戸なことを思い出して、それを話して聞かせると、ラクリマも意外と思ったらしく、少し表情を柔らかくしてくれた。
 
 一度グラス同士を打ち合わせて乾杯をしてから、おもむろにアビゲイルは話を向けてみた。もちろん日本語だ。
 
『あの……ゆりりちゃん、でいいのよね?』
『……! は、はい……』

 しまった、いきなりぶっ込みすぎたか。お酒呑めないアレク様のお話でちょっと緊張ほぐれたみたいなのに、また緊張させてしまった。
 
 アビゲイルは頭の中で、ラクリマにどう言ったら怯えさせずに話をすることができるだろうと悶々と考えていた。こうして会ったのも様々な縁があるのだし、この先ヴィクターのことも気に掛けてもらいたいから、あまり悪印象を持たれたくなかった。
 
 あたしのことを嫌ってもー、ヴィクターのことは嫌いにならないでくださいー。
 
 目の前の元アイドルを見ながら、どこぞのアイドルのセリフを思い出して、グラスの中でぐふ、と噴き出しそうになる。
 
 沈黙の中、とりあえずはデザートを勧めてみようと取り皿とフォークをさしだして「どれ食べる? どれも美味しそう~」などと取り繕うように食に逃避しかけたアビゲイルに、ラクリマは思い切ったという様子で話し出した。
 
『あの……、生前、のこと……大変、申し訳なく……! うちの過激なファンが、とんでもない事をして……』
『え、あ、いや、その、落ち着いて落ち着いて』
『オーディションのときの貴方の本気の取り組み様、正直、完敗したと思いました。この人には敵わないって……でも、あんなに情熱を燃やして頑張っていらしたのに……もうどうやっても取り返しがつかないのに……!』

 目に涙をいっぱい溜めて、今にも泣きだしそうな顔をあげて、大きく『ごめんなさい』の『ご』を言いかけた彼女の口に、アビゲイルはイチゴ味の小さなマカロンを一つ入れてやった。
 唐突過ぎたのか涙も引っ込んで、吐き出すわけにもいかず、ラクリマはマカロンをもぐもぐと咀嚼した。涙目でもぐもぐしているラクリマは非常に可愛い。
 
『落ち着こうねゆりりちゃん。あたし前世でのことはもうしょうがなかったって思ってるよ。それに貴方は全く悪くないじゃない。あたし貴方にはちっとも怒ったりしてないのよ。今まで一回もよ、そこは信じてほしいな』
『…………でも』
『やったのはあのベルボーイの男よ。あいつもあいつよね。あんなことしてゆりりちゃんに迷惑がかかるとは考えなかったのかしらね? ……ラリマール殿下から聞いたの。アイドル、あの件で辞めちゃったんでしょう?』
『……はい』
『なんか、かえって申し訳ないのはあたしのほうよ。ベルフラ、すごい頑張って活動してたのに』
『亡くなられた貴方に比べたら、あたしが辞めたことなんて取るに足らないことです。アイドルなんて掃いて捨てるほどいるマネキンみたいなものなのに、貴方のような唯一無二の人が死んで、あたしが何故生きているのって、ずっと自分を恨んでいました』
『そんなこと思っちゃ駄目だって……。人間はいつか必ず死ぬんだよ。それが遅いか早いかの違いだけでさ』

 これは思った以上のトラウマを刺激してしまったみたいだ。「ゆりり」の中でのあの女優の壮絶な死は、彼女のその後の人生を大きく変えてしまったことをアビゲイルは実感する。
 
 ラリマールの話では、彼はネットニュースで見ただけで詳しいことは知らないと言っていたけれど、当事者であったラクリマ、つまり「ゆりり」のその後がどうなったのか、アビゲイルはそれは聞いておかなければならないと思った。
 なぜなら、こうして彼女が転生してここにいるということは、「ゆりり」はあのあと何らかの形で亡くなったことになるわけだ。
 ラリマールがアビゲイルよりも後に死んだのに、今から遥か昔にこの世界に魔族として生まれたという話だから、彼の以前言っていたように「魂は時間の束縛を受けない」のは本当かもしれない。

『あの、不躾なんだけれど、ゆりりちゃんはその後、どうしたの? ちゃんと人生を全う、したのよね?』
『……はい。お恥ずかしながら、あの後良縁に恵まれまして、一般の方と結婚しました』
『そうなの! わあ、良かった……ちゃんと幸せになったのね』
『申し訳ないと思いつつも、贅沢はできませんでしたが、夫と子供たちと、それなりに幸せでしたよ』

 あの犯人の男が「俺はゆりりのためにやったんだ」と供述していて、あの舞台のオーディションをゆりりも受けていたという情報が流れて、ネットを中心とした誹謗中傷が絶えなかったそうだ。

 ゆりりは悪くないだろう、という擁護の声もそれ以上にあったし、同じベルフラのメンバーやスタッフ、芸能事務所も全面的にゆりりを守ったけれど、そのうち「事務所の管理が悪かったんじゃないか」とか、「メンバーの不仲もあったらしい」「メンバーの誰かがゆりりを嵌めたんじゃないか」「その犯人の男と事務所の誰かがなんらかの関係があったのではないか」とか、根も葉もないガセネタも蔓延して、皆にもうこれ以上迷惑をかけるのを申し訳なく思ったゆりりは、事務所を退所することとした。

 卒業コンサートも何もない、関係者一同にファックス一枚の連絡のみの、寂しい退所だった。その後ゆりりロスに陥った者が大勢いたらしいが、ゆりり自身はもう一切の情報を自分から遮断していたのでどうでも良かった。
 女優を刺殺した犯人の男に懲役十数年との判決が出たらしいけれど、詳しい情報ももう朧気だ。聞く気もなかった。ただ、人を一人殺してたったの十数年で出てくるのかと、世の中の無情を嘆いたのは覚えている。

 その後、地元に帰って家業の手伝いをしながら細々と暮らしていたときに、地元の公務員の男性と知り合って、その後交際ののちに結婚した。
 彼はゆりりの元アイドルだということは結婚後に知ったような、芸能人に興味のない地味な生活をしていた。
 彼女の昔の写真と、現在の幸せ太りしたゆりりを見て「お前、可愛かったんだな」と笑うだけだったので、あまりの詮索のしなさ加減に拍子抜けして笑ってしまったという。

 六十代に入ってから病気をして入退院を繰り返していたので、死んだ年齢が曖昧だというが、それでも幸せな結婚をして子供にも恵まれたので、自分のその後の人生については悔いのないものだったと彼女は言う。

 それを聞いて、アビゲイルはホッとして知らずにいかり肩になっていた自分に気付いてすとんと肩を下ろした。

『そっか……良かった。心配してたんだ、ゆりりちゃんあの後大丈夫だったかなあって』
『貴方と言う人は……ご自分が被害者なのにそんな、あたしなんかの心配をするなんて』
『いやほら、ゆりりちゃんだって、あたしが死んだことで嫌なめにもあったわけじゃない。そもそも、あの男がファンだったってだけでさ。まだ二十歳そこそこだったよね? 全盛期でこれからって時に辞めなきゃいけなかったなんて』
『貴方こそ、これから待望の舞台だというのにあんなめにあってしまわれたでしょう。舞台も中止になってしまったし……』
『ああ~、それはもう、しょうがないよね。ダブルキャストの予定はもともと全くなかったし。あたしが死んだばっかりに~……』
『いいえ、あたしのファンがそれを引き起こしたんです。結局悪いのはこちらですよ……』
『……なんか、お互いにあたしが悪いって言ってばかりだね。やめようか、今こうして生きているんだし。あ、ねえ、せっかくだから食べよう?』
『あ、あの……はい』
『一緒に美味しいスイーツを食べれば仲直りできるよ。まああたしら喧嘩してたわけじゃないけどね』

 アビゲイルは取り皿にスイーツを盛って、ゆりり……現在のラクリマに手渡した。嫌なことは甘い物を食べれば忘れられるというのがアビゲイルの持論である。
 流石に皇太子殿下の生誕祭で出されるスモーガスボードは、出される料理も超一流だ。ひと口大の色々なケーキは見ているだけでも可愛くて楽しい。
 目で癒されるだけでなく、食べておいしい、それでストレスを忘れられるなんて、パティシエという職人は、甘い物が大好物の女の子にとっては最強の癒し手だと思う。
しおりを挟む
感想 58

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです

新条 カイ
恋愛
 ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。  それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?  将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!? 婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。  ■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…) ■■

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

あなた方には後悔してもらいます!

風見ゆうみ
恋愛
私、リサ・ミノワーズは小国ではありますが、ミドノワール国の第2王女です。 私の国では代々、王の子供であれば、性別や生まれの早い遅いは関係なく、成人近くになると王となるべき人の胸元に国花が浮き出ると言われていました。 国花は今まで、長男や長女にしか現れなかったそうですので、次女である私は、姉に比べて母からはとても冷遇されておりました。 それは私が17歳の誕生日を迎えた日の事、パーティー会場の外で姉の婚約者と私の婚約者が姉を取り合い、喧嘩をしていたのです。 婚約破棄を受け入れ、部屋に戻り1人で泣いていると、私の胸元に国花が浮き出てしまったじゃないですか! お父様にその事を知らせに行くと、そこには隣国の国王陛下もいらっしゃいました。 事情を知った陛下が息子である第2王子を婚約者兼協力者として私に紹介して下さる事に! 彼と一緒に元婚約者達を後悔させてやろうと思います! ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、話の中での色々な設定は話の都合、展開の為のご都合主義、ゆるい設定ですので、そんな世界なのだとご了承いただいた上でお読み下さいませ。 ※話が合わない場合は閉じていただきますよう、お願い致します。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

処理中です...