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74 バカップル

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 ここ数日の間、社交界での話の種と言えば、ヘーゼルダイン西辺境伯アレキサンダー・ヴィンス・ヘーゼルダイン(二十五歳)と、フォックス侯爵家の長女アビゲイル・ステラ・フォックス(十七歳)の婚約が決まったという話ばかりだ。
 
 というのも約二ヵ月前に婚約が決まったものの、数日前にようやく発表し、重要貴族である二家の婚姻ということで、新聞に大きく載ったことに始まる。
 何故このインターバルがあるのかというと、皇帝陛下に婚約した旨の挨拶に伺った時、両家で結婚式や新生活の打ち合わせや諸々の準備をしっかり行ってから、新聞社への発表としたほうが良いという、陛下からの提案があった為だ。
 色々と有名な二人だから、噂好きの貴族たちに余計な火種を与えてもつまらないだろう? とのことだった。外見で損をしているだけの本当は誠実なアレキサンダーはともかく、放蕩令嬢と社交界に名を轟かせたアビゲイルは皇帝陛下の言葉に本当に耳が痛い。
 
 アビゲイルは新聞記事に載ってから、今日の皇太子殿下の生誕祭兼成人祝いの夜会が開かれるまで、誘われた夜会やお茶会などを全て欠席していた。
 個人的にはアレキサンダーとの結婚準備の雰囲気に思いっきり浸りたいので、余計な水を差されるような社交界に行くのは控えていただけなのだが、それがかえって尾ヒレのついた噂話に発展しているらしい。
 
『あの放蕩娘もとうとう年貢の納め時だな』
『お相手はあの西辺境伯らしいぞ。なんとまあ辺鄙なところに』
『大方放蕩が忘れられなくて金持ちの家に嫁ごうとしてたのでしょうね。浅ましいこと』
『あの恐ろしい西辺境伯に嫁がされるなんて、体の良い勘当の間違いじゃないのか』
『フォックス侯爵家も肩の荷が下りたのじゃありませんこと。放蕩娘が片付いて、これでようやくご子息のヴィクター様のお相手を決められますわね』
『政略結婚であの野獣のような辺境伯に嫁がされるなんて、夫婦になっても愛なんて育つはずもないでしょうね』
『おお嫌だ。西辺境の人間って毛むくじゃらの野蛮人ばかりなんでしょう?』
『いい気味……あら、失礼。ほほほほほ』

 などと以前の放蕩っぷりから、アビゲイルを悪く言う者も多い。
 シズ元侯爵の犯罪の摘発に貢献したことを皇帝陛下から表彰されても、過去の汚名はなかなかそそげないものらしい。
 一方で、アビゲイルの放蕩時代からの彼女の広く浅い付き合いのあった貴族男性らからは、そのように彼女を貶す噂を「そんなはずはない」と断固否定しながらも、憧れの姫であったアビゲイルの夫となる予定のアレキサンダーに対する嫉妬めいた文句ばかりが出てきていた。
 
『あのアビー姫のお相手があの野獣のような西辺境伯だなんて……!』
『きっと、アビー姫の美貌に目が眩んで、強引に婚約を取り付けたに違いない』
『皇帝陛下の覚えが目出度いからといって、やることはやはり野獣だな』
『ああ、アビー姫。きっと婚約が決まってから、毎日枕を涙で濡らしているのだろうな。その真珠のような涙を拭ってあげられたらいいのに……!』
『今日まで夜会に出て来られなかったのは、きっと西辺境伯に束縛でもされていたに違いない』
『なんとお可哀そうなアビー姫……!』

 などなど。アビゲイルとアレキサンダー両名に対する悪口とともに、彼らに共通して言えるのは、「どうあってもこの二人の間に愛などない」という思い込みを前提に、噂に尾ひれを付けて吹聴しているということだ。
 
 本日、婚約の発表があってから彼らが初めて出席する夜会であるので、どれほどのちぐはぐな仮面夫婦ぶりを模して現れるのかと、彼らは半ば馬鹿にしたようにその時を待っていたのである。
 
「ヘーゼルダイン西辺境伯爵家、アレキサンダー・ヴィンス・ヘーゼルダイン閣下。フォックス侯爵家、アビゲイル・ステラ・フォックス姫」

 呼び出しの声にみな一斉に会場の入り口に目をやる。二人が無表情に形式的にだけ腕を取って粛々と入場してくるのだろうとせせら笑いながらそちらを見遣った者たちは、思わず二度見、三度見をすることとなる。
 
 相変わらず厳つくて上背のある野獣のような恐ろし気なアレキサンダーだったが、傍らのアビゲイルを見る目はやんわりと細められて、口元は少し笑いの形を作っていた。

 そしてそのアレキサンダーを見上げるアビゲイルの表情といったら。

 頬をほんのり染めてさも愛おし気にアレキサンダーを見上げていて、彼の腕に自分の腕を絡ませては、もう離れたくないと言わんばかりにくっついていた。

 アレキサンダーはまだわからないけれど、あのアビゲイルの表情はまさに、今目の前の男性に首ったけの熱い恋をしている真っ最中ですと如実に物語っていた。

 そんな彼女の熱い視線を辿った先にいるアレキサンダーが、野獣の様だという前評判を総崩れさせるほどの甘い優し気な表情で彼女を見ていて、眉間の皺はすっかり取れて、爽やかで精悍な二十五歳の青年に見えてくるから不思議である。

 もともと、取り立てて美形ではなくとも、それなりに精悍で整った顔をしているのだ。
「俺はアビーの引き立て役だ」などと言っていたけれど、アビゲイルにしてみたら、眉間の皺さえ取れれば熊からテディベアになるアレキサンダーを、かえってアビゲイルが引き立て役になってしまっているのではと思ってしまう。

 その証拠に、刺さるような視線の中、アレキサンダーを見る姫君たちの表情から恐怖や嫌悪感がさあっと消えて、興味深そうな視線に変わってきているのがよくわかる。

「はあ……アレク様がカッコ良すぎて、あたし倒れそうですわ」
「アビーは一度視力検査を受けたほうがいいかもしれんぞ」
「これが視力のせいだというなら、あたし一生このままでよろしいのよ」
「……本当に、貴方という人は」

 さも愛おしそうにアレキサンダーの腕にしがみつくアビゲイルを見て、アレキサンダーは、自分の何がそんなにアビゲイルに好かれたのだろうと思わずにいられなかった。逆の立場ならともかく。
 好かれるようなことをしてやった覚えはない。むしろ嫌われるのではと思い悩むくらいのことばかりな姿を彼女に晒してきた自分のどこが、「カッコ良すぎて倒れそう」なのか。

「アビー」
「はい、アレク様」
「………………」
「もう、言いかけてやめるの無しにしませんこと?」
「……その、君は……」
「はい?」
「……君は本当に、……その、俺のどこが良かったんだろうか」
「……」

 アメジスト色の大きな瞳が見開かれて、きょとんとした表情をしたかと思うと、アビゲイルは目を柔らかく細めて満面の笑顔を見せた。

「全部!」
「……」

 ああこの場が公の場でさえなかったら、このまま姫抱きにしてヘーゼルダインへ掻っ攫ってしまおうものを。
 そんなほの暗い想いを感じたのちに、強靭な理性を総動員したアレキサンダーは一言、「ありがとう」と答えた。

 二人だけの世界を作り上げていたアビゲイルとアレキサンダーを注目していた周りの皆は、「相思相愛じゃないか」「誰だ仮面夫婦だとか言ったの」「ヘーゼルダイン行きが体の良い勘当? むしろ姫のあの表情、あれはどう見てもご褒美だろう」とざわざわし始めていた。

 二人の世界は壇上からも見えていたらしく、本日の主役である皇太子エドガー・アーベル・フォギアリア殿下への挨拶の列に並び、御前に拝謁したときに、皇太子殿下じきじきに「来たな、バカップル」と揶揄われてしまったくらいにして。
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