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59 子供が大人の難しい考え方をすると頭痛がします

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 アビゲイルは頭の中に過去のヴィクターのことが怒涛のように流れてくるのを感じた。

 ねえさま、ねえさまと慕って着いてきていた子供時代。ねえさまと結婚すると豪語して、エスコートやダンスは自分がすると息巻いていたヴィクター。
 体が成長するにつれ、どんどんとアビゲイルが弟から距離を取り、社交界デビューすると同時に放蕩令嬢となった姉に苦言を弄するときの心配げな顔。
 シズ公爵の事件で危険な目にあったあとに、見損ないましたと突き放したのち、無礼を言ったと謝ってきたときの悲しい顔、それをあっけらかんと許したアビゲイルに対して、気の抜けたようなホッとしたような顔。
 ダンスレッスンで楽し気に足を踏み合っていたあのとき。皇帝陛下主催の建国記念パーティーのときのファーストダンスでの愛おしそうに見つめてくるヴィクター。
 お見合いの釣書の山を見て「どの姫とも結婚しない」と怒ってしまったのはどうしてだったのか。
 アビゲイルが母と喧嘩したときも親身になって聞いてくれて、姉が失踪したとき生きた心地がしなかったと慟哭していた。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、妙にスキンシップが多いなと思ったけれど。
 あげく、狸寝入りしていたアビゲイルに対し、あやうく唇にされるかと思ったけれど、結局は額でされたキス、それでもあの恋人にするような前髪へのキスはなんだったのか。

 そんなことを夢の中でも考えながらそこにいたらしく、目が覚めて多少の頭痛を感じてうーん、と唸った自分の声の甲高さに驚いて一気に目が覚める。

「え……」
「うう……ん」

 身じろぎしたヴィクターがうっすらとそのアメジスト色の瞳を開いた。覗き込むアビゲイルの姿を見てぱちくりと瞬きをする。目が合って、何故だか胸がどきんと一つ波打った。

「……あれ、まだゆめのなか?」
「ヴィクター」
「あねうえが、おちいさい」
「あなたもよ、ヴィクター」
「そうか……まだゆめをみているんだ」
「げんじつよ、ヴィクター。いいかげんおきなさい」

 お互いに舌足らずな口調で会話する。
 寝ぼけているのか、ヴィクター少年はうっすらと笑って、アビゲイルの垂れさがったふわふわのプラチナブロンドに指を絡めた。

 いつの間にか、妖精の姿はない。白詰草の花畑の中心にある四阿のベンチに、幼い姉弟がふたりきり、ただそこに居るだけだった。

 頭の中は成人したアビゲイルなのだが、体は幼児なので口調まで舌足らずでなんとももどかしい。しかも精神は大人でも、考える脳が幼児のようで、あまり難しいことを考えると頭が痛くなって熱でも出そうな気がする。

 とりあえず、目を擦ってなんとか目覚めようとするヴィクターに、アビゲイルは今考えられる全ての、今置かれている状況を説明することにした。
 なんとかたどたどしくも説明をするうちに、ヴィクターも目が覚めてきたようで、自分の姿を客観的に見て顔面蒼白になってしまった。

「ど、どうして、こんなことに!」
「おちついて。とりあえずあわてていてもはじまらないわ。あたしがやってきたときのまほうじんがあそこにあるはずだから、いってみましょう」
「……と、いいましても……このこうだいなはなばたけのなか、どうやってさがすのですか?」
「う……で、でも! このベンチのむきから、こっちのほうからあるいてきたはずなのよ。だからきっとあるはずよ」
「ちなみに、あるいてきたときはあねうえはおおきいすがたでしたか? どのくらいあるきました?」

 あれは確か。大人の姿で十五分ほど、詰草をヒールのある靴で踏みながらやっとこの四阿までたどり着いたのを思い出す。さすがに幼児の姿で十五分も歩いたら疲れてしまって動けなくなりそうだ。
 それをヴィクターにおずおずと話すと、小さくて可愛い幼児の顔をしたヴィクターがアメジストの大きな目をジト目にして「あねうえ……」と呆れる。

「つかれちゃったら、とちゅうでやすめばいいのよ! いっぽずつかくじつにすすめば、なんとかなるわ」
「はあ……まあ、しょうがありませんね。それしかてがかりがないわけですし」
「いこう、ヴィクター」

 手を出して促すと、ヴィクターは一瞬戸惑ったものの、おずおずとその手を取った。

 弟は「ほうこうは、こちらでいいんですよね」と言ってアビゲイルの手を引いて自分から先に進んでくれた。見かけは小さくても、中身は成人の十六歳の青年であるから、この状況で姉は自分が守らねばという気持ちがあるのだろう。

 小さな弟と一緒に花畑で手を繋いで歩くなんて、普通の子供であるならとても楽しくてテンションが上がるだろうのに、妖精という得体の知れない者の干渉によって誘拐されたという事実の上に成る状況であるため、真意の見えない畏怖と不安感しかない。ヴィクターも同じ気持ちであるようで、繋いだ小さな手は少々震えつつもアビゲイルの手をぎゅっと握ってくる。

 落ち着かないと。舞台の幕が上がる直前の緊張感とか不安感とか、それに似てるわ。経験済みのはずでしょう、こんな気持ちは……。

 黙っていると怖くなってくるので、アビゲイルは努めて冷静を装いながら、ヴィクターにどうして妖精に呼ばれたかの心当たりはあるかを聞いてみることにした。

「よく、わからなかったのですが……きがついたら、ここに」
「いえにいたときは、なにかへんなものをみたとか、そういうのは?」
「あ……そういえば」

 ヴィクターが、子供の体ゆえによく回らぬ頭で一生懸命思い出し、たどたどしい言葉で、自分がここに呼ばれる直前のことを話してくれた。

 書斎で執務にあたっていたときのこと、父に渡された書類の中、両親が入れたのか何処ぞの姫の見合いの釣書が紛れ込んでいて、ヴィクターはいつも以上にクサクサしていたらしい。
 胸が焼けるような苦々しい気分で執務に身が入らない状態のところ、ふと気分転換に読書でもと思い、書棚の前に立ったとき、ほんの三センチメートルほどの不思議な光がぽわぽわと宙を舞っているのを見たという。
 そこから記憶が曖昧で、何か書棚の本を動かしたような覚えがあるが、詳しくはわからず、気が付けばここに居たらしい。そしてすぐに眠くなって、目が覚めたら子供姿のアビゲイルに膝枕されていたということだ。
 子供の姿でも、アビゲイルだということはすぐにわかったらしいけれども。

 おそらくそのぽわぽわとした小さな光というのはヴィクターから見た妖精なのだろう。あの小人の姿をした妖精は、眠っていたから見ていないようだ。アビゲイルは妖精の見た目のことを話したら、ヴィクターは「おとぎばなしみたいですね」と言うだけで同意とかは無かったので、本当に見ていないのだろう。

 それにしても、仕事の書類に見合いの釣書を紛れ込ませたとか、両親のヴィクターに対する結婚への期待感がありありと見てとれるけれども、貴族の子息として成人を迎えたらこういうことは当たり前にあるだろうと弟だってわかっているはずなのに、ヴィクターは頑なにそこだけは嫌だと言ってきかないのだ。
 姉のアビゲイルの結婚問題にしても、父と一緒に中年壮年貴族からの後妻や愛人の申し込みに腹を立て、おまけにアレキサンダーが皇帝陛下の推薦状とともにアビゲイルに結婚の申し込みをしてきたときの怒り様といったらなかった。
 自分はよその姫との結婚をしたくなくて、姉の結婚も同意できない弟。

 妖精たちが寝入りばなに何かおかしなことを言っていた気がする。子供なら、仲が良い姉弟で済むでしょうと。

 つまり、それは。

 妖精が介入しちゃうほどシスコン拗らせた弟をどうしてくれようかとアビゲイルは子供の脳でぐるぐると考えながら頭痛を起こしかけた。
 弟は可愛い。キラキラ王子様のような見た目も、ちょっと取っつきにくくて意固地な性格も、侯爵家の跡取りとして頑張っていて、放蕩姉を持つとして世間から後ろ指を指されても凛とした姿勢を崩すことなく貫いて、ついに紳士録に載った真面目なところも。
 可愛くて愛しているけれど、でもそれだけだ。あくまでも家族として、この先離れたとしても、家族として、ずっとずっと愛しているというだけなのだ。

 性別の違う兄弟姉妹は、いつまでも一緒にはいられない。

 今更遅すぎるきらいもあるけれど、アビゲイルは改めて己の手をぎゅっと握りしめる弟の手をちらと眺めやる。
 この手を離したら、ヴィクターはどう反応するだろう。傷つくだろうか。それとも怒り出すだろうか。
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