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55 魔族も魔物も魔法もあるなら、妖精だっているでしょう

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「うにゃあ」

 先導するマイケルが一声鳴く。すると、彼が進む先の壁の松明の灯りがともり、階段中がふわりと明るくなる。
 さすがは大魔導士ラリマールの使い魔、猫の大賢者である。頼もしいことこの上ない。しかも彼は、アビゲイルとレイ、あとからやってきて一緒に来てくれていたルイカが続く前に、

「くりーんにゃっぷ、くりーんにゃっぷ」

 などと言って前に進み、アビゲイルとレイとルイカが歩く場所の埃を消して行ってくれている。聞けば呪文の意味はわからないけれど、ラリマールの作ったお掃除の呪文だと説明してくれた。
 しかもヴィクターの足跡だけは、埃は消えたけれど、ほんのりと光らせて残して行ってくれる安心仕様である。魔法というのは本当に便利なものだ。ああ人間にも使えたらいいのにと羨望の眼差しを送るアビゲイル。

 先頭にマイケル、次にアビゲイル、そのあとにルイカとしんがりにレイが続く。本来令嬢であるアビゲイルがこんな埃塗れの場所に入るなんて、と言っていたルイカとレイだったが、アビゲイルが押し切ってしまった。
 令嬢らしくないと言われようと、大事な弟のことを考えると部屋でじっとしていられなかった。

 長い下り階段を降りると、その先に古めかしい煉瓦を張られた細い通路に出て、その突き当りにドアを発見する。少し向こうから光が漏れていて、どうやら鍵はなく、ちゃんと閉まっていないようだった。

 マイケルがクンクンと匂いを嗅いで、そのドアを前足できい、と開けると、そこには二十平米ほどの部屋になっていた。平机が壁に寄せられていて、そこに何やらアビゲイルにはわからない言葉で書かれた紙片が数枚と、何の化学薬品が入っているのかわからない手のひら大の壺が置かれているだけだ。壁という壁に図書館のような書棚がずらりと並んでいて、もう何のための部屋なのかさっぱりわからない。

 ふと床を見ると、マイケルの灯した照明とは違う光が円形のラグマットと床の隙間からひっそりと漏れていることを知り、なんとなく気になって、そのラグマットに手をかけた。が、それをルイカとレイに止められて、仕方なくアビゲイルは後ろに下がって二人がラグマットをどけるのを見ていた。

「あっ」
「マイケル様、これは……!」

 ラグマットの下から出てきたのは白いチョークで書かれた複雑な魔法陣だった。うっすらとキラキラ光る粒子が舞い上がっていて、恐ろしいというより幻想的で美しい。光が漏れているところからすると、一度発動したあとであり、エネルギーが溜まるまで再びの発動がまだできない状態だとマイケルは言う。

 マイケルはその魔法陣に鼻を寄せて匂いを嗅いで調べ始め、ふむ、と一言つぶやいてからアビゲイルに向き直る。

「術式は魔族にょ物と異にゃりますが、転移陣にょ一つでしょう。術式的には我が君にょ組まれた術式よりは簡素で、少し古風にゃ感じがしますね」
「……つまりどういうことでしょうか」
「我ら魔族とは若干異にゃる種族で、妖精と呼ばれる輩がよく使う術式でございます」
「よ、妖精? 妖精がいるのですか?」
「精霊と似たようにゃ感じではありますが、地水火風光闇にょ属性を持たず、かにゃり自由で悪戯好きにょ種族でございます」

 まあ我ら猫に比べたら臍が茶を沸かすレベルでございますが、と変なところで謎の自慢が入るマイケル。

「な、何で、そのようなものが当家の邸内に……?」
「さあ……いつ頃からこうにゃったのかわかりませんが、こにょ部屋は随分と妖精にょ気配が染みついているように感じます。フォックス侯爵家は歴史が長い貴族にゃのですよにぇ?」
「はあ。確か、帝都レクサールが誕生したときに興った家だと聞いております」
「でしたら、そにょころからのご先祖に妖精に気に入られたお方がいらして、そにょ影響でずっと住み着いているにょかもしれません。それくらい歴史ある気配にょ染みつき方をしております」
「妖精に気に入られるって、一体それって」
「例えば見目麗しいお方、中でも純粋無垢にゃ少年少女にゃどが妖精のお気に入りににゃりやすい傾向にありますにゃ」
「え、そういう好み?」
「……私は弟君にお会いしたことがありませんにょで知らにゃいにょですが、弟君は美少年だったりするにょですか?」
「はい! はい! はいはいはいはい! ヴィクターは姉のひいき目ですが世界で一番純粋で可愛い美少年なんです! もしかしてそれでうちの弟、妖精に気に入られちゃったとかで誘拐されたんですか!? この魔法陣を使って、勝手にうちの子を連れ出したわけでしょうか!」

 アビゲイルの絶叫に近い声がわんわんと響く部屋の中、マイケルは三角の耳を後ろに向けて「……かもしれませんにゃあ」と呟いた。

 魔族がいて魔物がいて魔法がある世界に妖精がいたってなにもおかしいことはないから、そこはいいのだが問題はそこじゃない。
 妖精の取り換え子という逸話が前世でも海外の御伽噺で聞いたことがあるけれど、こちらの妖精も見目麗しい子供を攫ってゆく、しかもただ美しいだけの子供じゃなくて、純粋無垢である子供だというから、素直じゃないけれど純粋無垢であることは確かなヴィクターが連れて行かれた可能性がある。
 姉のアビゲイルは見目麗しいかもしれないけれど、過去の我儘放題の放蕩っぷりから、純粋無垢さはないから妖精などに見向きもされず関わりをもたないで育ってきたのだろう。まして前世の記憶を思い出して生き方を変えたとしても、あの女優だった前世が純粋無垢だったなんて死んでも言えない。

「けれど、見目麗しく純粋無垢であったからといって、そう簡単に掻っ攫うほどじゃにゃいと思いますけれど……弟君に何かあって、手を出さずにいられにゃかったとか?」
「何かって、何があったんでしょう……あの子の嫌になっちゃったことっていえば、あたしがおバカやってて家名に泥を塗りたくってたことと、あの子にお見合い話がいっぱい来たこととか……?」
「さあ、それは……」
「あの……おひい様」

 その時ルイカがおずおずと話に入ってきて、発言をお許しくださいと言い置いてから、おもむろに話し出す。

「ヴィクター様はその、おひい様を慕われておりましたから、此度のおひい様とヘーゼルダイン西辺境伯閣下とのお見合いの話で、御気分を損なわれたのじゃないかと……」
「えっ……」

 ルイカの話で、レイもおずおずと手を上げて発言の許可を得て話し出す。

「確かに……坊ちゃまが最近塞がれていらしたのは、おひい様とヘーゼルダイン西辺境伯閣下とのお話が出たときからでしたね……」
「そんな、それって、姉の相手にアレク様が不安だってことで、それで拗ねてしまったから、とか……? やっぱり最初のころのお母様と同じように、アレク様のあのお姿で誤解しているのかしら……?」
「ああ……やはりご存じない……」
「ええ……」
「えっ、何、二人とも……?」

 アビゲイルの返答にルイカとレイが頭を抱える。そして私どもの口からは何とも言えませんと伝えたきり、口を噤んでしまった。

 それはそうと、と言い置いて、その場の空気を変えたのはマイケルだ。

「弟君にょ足跡はこにょ転移陣まで続いていて、そこで途切れておりますにゃあ。しかしこにょ転移陣はどこか別にょ場所に移動するためにょ物とは若干異にゃる気がします。現に、先ほど覚えさせていただいた弟君にょ匂いはこにょ敷地内にょどこかにある気がしますにょで」

 転移陣であるけれど、移動手段ではなく、ヴィクターは敷地内に居る気がすると。

「え、では一体どこに? 両親と使用人全員で敷地内全部探し回ってもわからなかったのに……」
「こにょ転移陣が今一度発動できれば、分かりそうにゃ気がするんですけども。……こにょ部屋の文献でにゃにかあるか調べてみましょうか」
「え、あの」
「妖精にょ魔法陣があるにゃら、妖精についての本もある気がするんですよにぇ~」

 マイケルはそこで書棚に向かって歩いて行き、そこで書棚の一番上までジャンプした。おお、流石猫、とアビゲイルたちが感心している間に、自分の下の段の本を前足でちょいちょいと弄って取り出し、空中に浮かせながらぺらぺらと頁をめくっている。読み終わったらそれを戻し、また別の本を選んで読んでいた。

 自分も何か手伝わねばと思い、アビゲイルも書棚からめぼしい本を探して頁をめくっていく。ルイカとレイは、部屋の中に別に手掛かりがないかと壁を観察してみたりしていた。

「ああ、これですこれです。『てるば・りり・あるげんとぅるむ』、こにょ妖精語にょ呪文を使って転移陣に乗ると……って、わにゃーーーーっ!」
「マ、マイケル様!」

 書棚の上で寝転がってややだらしない恰好で本を読んでいたマイケルが、埃を落とし忘れたのか、それに滑って書棚から落っこちてきた。それを受け止めようとアビゲイルが手を伸ばしたとき、マイケルは咄嗟に空中で一回転して、受け止めようとしたアビゲイルの体を思い切り蹴飛ばしてしまった。

「あ」
「え、きゃっ」

 不可抗力のマイケルの猫キックが思いのほか強い衝撃で、アビゲイルは思わず尻もちをついてしまった。その場所が件の妖精の転移陣の中心で、アビゲイルが尻もちをついた瞬間に、その魔法陣から大量の光が漏れだしたのだ。調べている間に魔法陣のエネルギーが溜まったらしい。

「え……っ、こ、これ、何……?」
「あっ! 今普通に呪文を喋ってしまいました! それで発動しちゃいました!」
「え、それ早く言って……わわわわわ」
「お、おひい様ぁー!」

 止める暇もあればこそ。
 アビゲイルの体は魔法陣から溢れる光に包まれて、そのままどこかに消えてしまった。 
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