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42 傾国と劣情未遂

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 ふと目が覚めた時、見慣れたような見慣れないような天蓋付きのベッドに居ることに気が付いて、むくりと起き上がって周りを見渡すと、間接照明がつけられた自分のものではない部屋の中であることに気が付いた。
 サイドテーブルに置いてあるアンティークの置時計では、今現在夜の九時半前を指していた。
 だんだんと思い出してきたら、ここは姉の部屋で、そして今寝ていたのは姉のベッド、四時間近くも姉のベッドを占領して眠っていたことを悟って、ヴィクターは頭を抱えた。

 しかし張り詰めていたものがすっかりほどけ切って、夢も一切見ずに眠ったお陰で、眠る前よりも頭はしっかりと冴えていた。

 暖かいベッドで何とも言えぬ良い香りに包まれながら、我ながら何と安心しきって寝ていたのか。
 良い香りといえば、と思って隣を見ると、自分と同じプラチナブロンドの長い髪をした美女が眠っている。姉のアビゲイルだということを思い出すまで数秒かかった。
 思わずがばっとベッドから這い出て床に降り、どくどくと脈打つ心臓の音が聞こえてしまわないかと思いながら、恐る恐るベッドの上を見ると、アビゲイルはすやすやと安らかな寝息を立てていて、特に起き上がる気配はない。

 はあー、と大きくため息をついてからベッドに改めて座ると、自分の情けなさに頭が痛くなってきた。
 何をこの年になってまで姉と一緒のベッドで寝るなんて馬鹿な真似をしているのかと、強烈な自己嫌悪に陥る。

 考えようによっては兄妹姉妹なのだから別に、とも思うけれども、流石に思春期を迎えた今ぐらいの年齢ともなると一緒に眠るなんておかしいものだとわかってはいたのに。

 十数分はそのままでいたところで、早く部屋に戻らねばと思って立ち上がりかけた。
 が、この部屋に充満する良い匂いにその決心が揺らいできてしまう。

 振り向いて、眠る姉にそっとにじり寄り、気が付けばその頭の両脇に腕を置いて彼女の顔を見下ろしていた。
 自分と同じプラチナブロンドの長い髪は、一週間寝たきりだったせいで少し輝きをうしなっているが、その下にある黄金律の瓜実顔にそれぞれ整ったパーツが揃っている。
 閉じられた大きな瞳を縁取っている髪と同じプラチナブロンドの長い睫毛、すうっと真っ直ぐに通った鼻筋に小さな口。
 その唇はぽってりと肉厚で、少し乾燥しているけれど、吸い付きたくなるような衝動に駆られる。無意識にほんの少しだけ開いている上下の唇がなんとも艶めかしくて、若いヴィクターの脳の一点をこれでもかと刺激するのだ。

 放蕩時代の姉は社交の場において、不特定多数の男たちの間を行き来していたから、今までどれほどの男たちが、この肉厚で色づいた果実のような唇に吸い付いてきたものか分かったものではなかった。

「これが、傾国……か」

 アビゲイルを見下ろしてやや憎々し気にそう呟くと、ヴィクターはそのまま顔を姉の顔に近づけていった。
 自分でも何を考えているかわからない。あとで考えるとなんて愚かしい行為なのだと自分を消し去りたい気持ちになるのはわかっていたのに止められなかった。
 そして、姉にキスをすることの一体何がいけないというのか、姉は不特定多数の男と何度もしてきたではないか、そいつらと自分の何が違うというんだろう、という開き直ったような考えも沸いてきて、ヴィクターは自分の体が自分でないような感覚に陥り、その後はもう何も考えられなくなった。

 しかしアビゲイルの唇と自分のそれがあと数センチというところまで近づいたところで、アビゲイルのプラチナブロンドの長い睫毛がピクリと揺れた。
 それを見たヴィクターはピタリと動きを止め、一、二秒固まったかと思うと、顔をずらして彼女の額に、前髪越しにそっと口づけた。

 そっと起き上がって寂しげな表情でふっと笑うと、ヴィクターはソックスと靴を履いて立ち上がる。寝るまえにアビゲイルに脱がされたソックスは新品に取り換えられていて、椅子の上にそっと置かれていたことを考えると、二人で寝入ってしまったあと、侍女が様子を見にきたのがわかる。
 きっと間違いがないかどうか伺っているに違いなかった。

 そっとベッドを振り返ってみるも、アビゲイルが動いた様子はない。そのまま後ずさって音を立てないようにドアへ向かった。

 ドアを開けると、部屋の中とは違って廊下には明るいランプが灯されていて、やや目が慣れるのに疲れたけれど、ふと見るとアビゲイル付きの侍女ルイカがそこに居るのに気付いてドキリとした。

 ルイカは出てきたヴィクターを見ると慌てて礼をして、心配そうにヴィクターを伺っている。そんな彼女を見て、先ほどまでの理性を失ったような自分をヴィクターは恥じた。

「……大丈夫だルイカ。お前が心配しているようなことは、何もしていない」
「……あ、その、ヴィクター様」
「部屋に戻るよ。姉をよろしく」
「は、はい……お休みなさいまし」




 何今の。何あれ何あれ何あれ何あれぇーーーーっ!

 アビゲイルは先ほど起こった出来事を反芻して真っ赤な顔面を両手で覆ってベッドの上でのたうち回っていた。
 実はヴィクターが起きる前に目覚めていたのだが、十六歳の成人を迎えたとはいえ、まだ幼いようなその可愛らしい寝顔を眺めるのが楽しくて、起き上がらずにずっと横に居た。
 自分が起き上がることで、ヴィクターを起こすのは可哀そうだと思ったのもある。

 だったらヴィクターが起きあがった時に自分も起きればよかったのに、何故だかアビゲイルはそこで狸寝入りを決め込んでしまったのだ。まるで死体の演技でもするかのように。

 そして起き上がるタイミングを失い、あろうことか弟にキスされそうになったことは誰にも言えない。最終的に耐え切れず瞼に力が入って動いてしまったことで、ヴィクターもそれに気づいて我に返ってくれたけれど、その時は本気で一気に目を開けてしまおうかと思った。
 そしてそのすぐあとにやって来た前髪越しの額へのキス。あれは唇でないにしろまるで恋人にするみたいなキスだった。
 今まで経験のある、不特定多数の男性へのどうでもいいようなキスじゃない。まるで、自分が、アレキサンダーにしたみたいな、愛しい気持ちを込めた優しいキスだった。

 唇じゃなくて良かった。本当に良かった。あれなら一応、家族のキスとして自分の中で処理できる。

 だがバクバクとドラムを鳴らす心臓が鬱陶しい。
 ちょっと見ないうちに、弟が知らない男の人になったみたいだった。今まで考えたこともない弟の中の男の部分を垣間見た気がして、そんな初めての経験に、アビゲイルは自分の中のこのことをどう処理していけばいいのか分からなくなる。

「どうしよう……! あたしが放蕩時代に放ったらかしにしてたから、ヴィクターがシスコンになっちゃったの……? 明日から一体どんな顔をしてあの子に会えばいいのか、あああああああもおおおおおおおお」

 ベッドの上でアルマジロのように丸まりながら顔面を押さえて悶えるアビゲイル。彼女はそのすぐあとにルイカが様子見にやってくるまでずっとそうしていた。
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