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30 フォックス家大騒ぎ

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 随分遠くに来てしまったものだとアビゲイルは改めて深呼吸した。
 ヒネショウガを擦ったものを入れたココアを家令のジェフが出してくれて、そのカップを手に暖を取りながら、膝にはブランケット、肩にはアレキサンダーのガウンがかけられて、完全防寒状態でぬっくぬくである。
 
 未だ目が回っているような状態だけれども、アビゲイルはラリマールとともに、アレキサンダーに事の次第を話して聞かせた。
 親子の些細な喧嘩だけれども、間接的に二人との付き合いを辞めるように言ってきた母が悲しくて、友人と呼べる人のいないアビゲイルには、アレキサンダーとラリマールしか聞いて欲しい人が思い浮かばなかった。
 
「こんな小娘の愚痴を聞いてくださって、本当に申し訳ありません」
「いや、我々も年頃の女性に対して馴れ馴れしいように母君には見えたのかもしれないな。しかし、ラリマール。姫を直接連れ出してしまうなんて、少しやりすぎだと思わないか」
「そうかな? 気分転換は必要だよ」

 いや、確かに落ち込み気味のところを引っ張り出してくれて、気分転換にはなったけれども。
 ラリマールの発想は奇抜すぎる。そこはさすがに前世は人間でも今は魔族といったところなのだろうか。
 
 ラリマールの魔法陣に酔ってふらふらだった気分もようやく落ち着いてきて、ショウガココアの甘さを堪能していると、ふと家のことが気になった。
 
 今の時間は深夜の十一時をまわったところで、アビゲイルは普段だと「お肌に悪いですから」と口酸っぱく言う侍女のルイカに促されて、この時間には既にベッドに入っている時間だ。
 
 恐らく、部屋にアビゲイルが居ないのを最初に気付くのは、着替えや寝る支度を手伝ってくれる侍女のルイカだろう。彼女が騒ぎ出して侍女長から家令に伝わり、それから父親、母親、弟へとあっという間に伝わって大騒ぎになっているだろうことが容易に想像できた。
 
 現に、空中に指で四角を描いて前世で言うモニタのような物を出現させたラリマールが、そのモニタもどきの中に、どこに前世でいうところのカメラを仕込んだのだというような、フォックス家の今現在の阿鼻叫喚な様子を映してくれて、有難迷惑にもドヤ顔をして得意満面なその綺麗な顔を両側からぶにゅーと潰してタコチュー顔にしてやりたい衝動に駆られる。
 
 半狂乱になってばたばたと走り回るルイカ。アビゲイルの名を呼んで謝りながら泣き崩れている母ニーナ。焦った様子で家令や使用人、護衛らに指示を出す父ローマンと弟ヴィクター。そしてそこかしこから聞こえてくる「おひい様どこですか」「アビー姫様いたら返事してください」という呼び声。
 
 音声が非常に切迫してやかましいので、一通り事態を把握したラリマールは指をパチンと慣らしてその魔法のモニタもどきをかき消した。
 
「フォックス家大騒ぎだねえ。ははは」
「笑っている場合か。どうするんだラリマール。これじゃ本当に誘拐じゃないか!」
「えー、同意の上だからただの家出だよね、アビゲイルちゃん?」
「はあ、あの、どうしましょうね」

 あの様子では帝都の騎士団の警ら隊に捜索願も出ていそうな気がして、大事になっていることに、アビゲイルは今更ながら動悸がしてきた。

「姫、落ち着かれたらまたラリマールに転移魔法で送ってもらったらいい」
「え、あれをまた……?」
「駄目だよアレックス。この子魔法陣酔いひどいんだから、これ以上具合悪くなったら立ち上がれなくなるよ。慣れてる僕や、お前みたいにガチムチ丈夫なヘーゼルダインの人々と一緒にしちゃ駄目だよ。この子はあくまでもか弱いお姫様。今日は休ませようよ」
「む……むう、そう、だな……」

 それはつまりここに泊まることになるという話か。連れ出されたとはいえ、こんな時間に人んちにお邪魔して泊まらせてくれだなんて図々しいけれども仕方がない。

 確かにあれにもう一回乗れと言われたらもう少し休ませて欲しい気がするし、正直に言うと今日はもう乗りたくない。
 けれど、馬車で五日もかかる距離をすぐに帰るなら、やっぱりラリマールの転移陣は必要である。結局は体調を整えてから我慢して乗るしかない。
 
「一日休んで元気になったら、また帝都まで送ってあげるよ」
「すみません、ありがとうございます、殿下。アレキサンダー閣下、図々しくもちょっとだけお世話になりますね」
「あ、ああ……それは構わないんだが……」

 しかしこのままでは本当に誘拐と家族に誤解されはしないだろうか。
 今回ラリマールの転移は突然で、アビゲイルは侍女たちを部屋から出していて、部屋の中にはアビゲイルしかいなかった。当然彼がフォックス家にやってきたことなど知る由もないはずだ。
 
 しかしフォックス家の人々は、娘と親しいラリマールが一度転移陣でエントランスに現れたのを見ているから、またあの王弟がやってきて、今度はアビゲイルを誘拐したのではないかという誤解を産みかねない。そんなことになってはラリマールに迷惑がかかることになる。
 
 実際は攫われたみたいなものであるけれども、ラリマールの言うように同意があったかなかったかといえば、あった。
 喧嘩してしまった母に申し訳ないと思いつつ、彼女から少し離れたいとこっそり思ったのも事実であるからだ。
 あんなに、今生では両親と弟を大事にしようと決めていたのに、逃げ出すなんて。
 あの時のアビゲイルはきっと、心が荒んで冷静ではなかった。
 だから驚きつつもさしたる抵抗もせずにラリマールの手をとっていた。
 しかし、転移魔法の魔法陣の中では実際に現実でかかっている時間よりも長く感じられることを知らなかった上に、あの魔法陣内にいるときの気持ち悪さを知らなかったのだ。
 あの気持ち悪さを知っていたら、ラリマールの魔法陣などに乗ったりしなかっただろうのに。
 
 ああもう。今度も考え無しの自分が悪い。実年齢はまだ十代の小娘だけども、前世から数えたら四十を超えているのに、実年齢に引っ張られたのか未だに小娘のような馬鹿なことをしている。
 
 とりあえず家族に話す言い訳にはラリマールとアレキサンダーの名を出すのはやめた方がいい。
 少し外の空気を吸いに出たら迷ってしまいました。え、馬車で五日かかる場所まで? ……苦しいな。
 前世では週末に突然思い立ってバスに飛び乗って温泉旅行に行ったことがあったけど、その体裁で、つい思いつきで知り合いのいるヘーゼルダインまで行ってしまいました~。……いやいやいや。
 
 頭おかしいと思われる。というか、もともと頭おかしい放蕩令嬢と思われていたことがあるアビゲイルであるから今更だが。それならばいっそのこと。
 
「……神隠し……ということにしましょうか」
「神隠し?」
「閣下、あたしは神隠しに会って、それでヘーゼルダインで発見されたところをアレキサンダー閣下とラリマール殿下に救出されたという話にすれば、誰のせいでもないことになりますよね」

 少し強引だが、ラリマールを無実にするには超常現象のせいにするしかない。この世界には魔法があって、魔物もいるのだから、もう何でもありだろう。

「まあ、最近ここいらも魔物が増えたり磁場が狂ったりして、ちょっとキナ臭い感じがするからねえ。何が起こっても信じるかもしれないよね。僕は賛成だな。アレックスは?」
「しかしそんな子供だましみたいな嘘でフォックス家の皆々が納得するだろうか?」
「そこは、あたしが知らぬ存ぜぬで通せばなんとか……」

 まだ何となく納得のいかないアレキサンダーを、ラリマールと二人でなんとか説得し、かろうじて同意を得た。
 アビゲイルは精神的に不安定なところを神隠しにあって失踪し、気が付けばヘーゼルダインにふらふらとしていたところを、アレキサンダーとラリマールに救出され、ラリマールの転移陣で家に帰される。
 そういった筋書きを立てて、なんとか帝都から令嬢失踪の知らせが届く五日間のうちにアビゲイルは体調を整えて転移で帝都まで帰れば、なんとか事なきを得るだろうとの結論に達した。
 
『ご家族やら帝都の皆には、お得意の演技で頼むよ、アビゲイルちゃん』
『任せてください。女優ですんで』
『迫真の演技で』
『わかりました』

 ラリマールと自分しかわからない日本語で話し、この世界にはないサムズアップをしあうと、アレキサンダーはきょとんとした何とも言えない表情をしていた。
 親しい人と、こうしてガキンチョの悪巧みみたいなことをするのが、秘密基地を作る子供のころに戻ったみたいで少しだけワクワクしてしまうのだった。
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