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20 神出鬼没の大魔導士
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それからアビゲイルが部屋から出てくることが滅多に無くなって、家族も使用人も邸から光が消えたようだとこぼすようになっていた。
あれだけ好きだったダンスの練習もほとんどしなくなったし、夜会やサロンの招待状も一度目を通しては辞退の返事をしている。
やっていることと言えば、たまに読書、たまに裁縫、そんなところだ。
例の編みぐるみのテディベアだけがどんどん増えて行っているので、アビゲイルが残すと言っていた不細工な仕上がりのもの以外は、孤児院の子供たちへのプレゼントになった。
その孤児院に出向いても、「お姫様に元気がない」と子供たちなりに心配をしているので、母ニーナも帰りの馬車の中でどうしたのかと思って問いただしてみた。
「アビー、最近一体どうしたというの? 元気がなくてみんな心配していてよ」
「大人しくしててくれて気が楽だと思われているでしょうに」
「そんなことはないわ。もう貴方はすっかりいい子になったんだから、私たち家族も、使用人たちもみんな心配しているのよ」
「……大丈夫です。ちょっと自己嫌悪しているだけですから」
「自己嫌悪……?」
「まあ、気にしないでください、お母様」
「(いや、気になるでしょうよ……)」
遠い目をして馬車の車窓から流れゆく風景を見ながら、手に出来損ないの不細工な、紫のボタンの目をした編みぐるみのテディベアを弄びながら、アビゲイルは溜息をついた。
母の慰めも分かっているのだ。少し前までボロクソにこき下ろされていた自分の悪口が今やすっかり聞こえなくなったし、周りが以前と違って好意的に見てくれているのも感じているから。
しかし、アレキサンダーとラリマールから手紙が来ないことで、何らかのやらかしがあったのではという思いが消えなくて、隣国の王族と自国の上位貴族に粗相をしたとして、家族に迷惑が掛からないかが心配でたまらなかった。
それ以前に、何も告げずに連絡を絶たれたことが気持ちとして痛い。
せめて何が悪かったのかを聞ければ納得ができるのだが。
今日家に帰ったら、もしかして二人からの手紙が来ていないだろうか。そんな不確かな希望だけに縋りながら帰途につく。
フォックス邸のエントランスで侍女たちに外套を預けてからふと見ると、父に付きそって仕事で外出していたらしい弟のヴィクターも丁度帰ってきたところだった。
「あら、ヴィクターも今帰りなの? お父上も?」
「ええ、お帰りなさいませ、母上、姉上。父上ならたった今書類を持って執務室へ直行なさいましたよ。私は少し休憩です」
「まあそうなの。お疲れ様、ヴィクター。じゃあこれからお茶にしましょうか」
「ええ、喜んで。姉上もそうしましょう」
「……ええ、そうね……」
ヴィクターの世話をしていた家令が文箱を脇に持っていたので、そちらに近寄って聞いてみる。
「ねえ、その文箱にあたし宛の手紙なんて来ていないかしら」
「おかえりなさいませ、おひい様。今日のお手紙の中では数件の夜会の招待状が届いておりましたので、おひい様宛のものはお部屋に届けさせましたよ」
「ええと、その中に、アレキサンダー閣下とラリマール殿下からの手紙が紛れ込んでいたりとか……」
「……残念ながら、招待状のみでございますね」
「…………そう、ありがとう。お返事をあとで出しておくわ」
明らかに落胆して目を伏せたアビゲイルに、家令もそばにいたヴィクターも母もおろおろと心配をしだす。
「アビー、とっておきの茶葉を出してもらいましょう。美味しいお茶を頂いてちょっと気分を落ち着かせるといいわ」
「姉上、お疲れなんでしょう、少し甘めのお菓子を召し上がったらいかがですか」
「……せっかくですけれど、気分がすぐれないので、部屋に戻ります」
「アビー……」
「姉上……」
そう言って力なく笑うアビゲイルに、ヴィクターが歩み寄った。
「でしたらお部屋まで送ります。お手をどうぞ」
そう言って差し出された弟の手を取ろうとしたものの、やっぱりそういう気になれずに、アビゲイルはその手を取る代わりに持っていた紫ボタンの目をした出来損ないのテディベアの編みぐるみをぽん、と置いた。
「あ、姉上……」
差し出した片手に少々不細工な手編みのテディベアを乗せられて呆然としたヴィクターの肩をぽんと叩いてから、彼の横を通り過ぎた。
と、急にバチバチと得体のしれぬ物音がエントランスに響き渡りその床の中央に魔法陣が浮かび上がった。
次の瞬間、その魔法陣の中央に姿を現したのは、銀髪にアイスブルーの瞳をし、魔族特有の尖った耳をして、銀糸の刺繍のある高貴な魔導士のローブを纏った見目麗しい一人の青年だった。
見覚えのあるその姿。隣国の王弟ラリマール・ドニ・グロリオーサその人であった。
「ちょーっと失礼するよ。用が済んだら速攻帰るから礼儀云々は勘弁しといてよね」
登場の仕方が特殊であるため見過ごされそうだが、彼は今エントランスとはいえど家屋内に突然現れたので、不法侵入みたいなものだ。
だからと言って隣国の王弟に無礼だから帰れとも言えず、その場に居た一同は戸惑いながらも恭しく礼をした。
ラリマールは胸に手をあてて礼を返してから、ぐるりと一同を見回して、アビゲイルの姿を見つけるとつかつかと靴音も高く歩み寄ってきた。
「あー、いたいた。アビゲイルちゃん、久しぶり」
「ラ、ラリマール殿下! お、お久しぶり、です……けど、ええええっ?」
ラリマールはアビゲイルの目の前に歩み寄ると、いきなり彼女を抱きしめてきたのだった。
その光景に周りの者たちは思いっきり息を飲んだ。
母ニーナは口元を扇で覆って目を見開いているし、弟のヴィクターは手にアビゲイルのテディベアを乗せたまま、母と同じように目を見開いては口をパクパクと酸欠の金魚みたいに震わせて呆然としていた。
手紙をやりとりする間柄とはいえ、会っていきなりの抱擁など馴れ馴れしいと言われても仕方がないのだが、相手の身分を考えると何も言えない。もしかしたら隣国のルビ・グロリオーサ魔王国では普通のことなのかもしれないし。
そんなことを思われているとは知らずに、ラリマールはさも愛おしそうにアビゲイルの後頭部を撫でるとそっと体を離して満面の笑みでアビゲイルを見た。
「会いたかったよ、アビゲイルちゃん」
「ラ、ラリマール殿下。こ、困りま」
「君あれから全然手紙くれないんだもん、こっちの方から会いに来ちゃった」
「え、ええっ? て、手紙……?」
「アレックスと何かあった? あいつが原因で手紙のやり取り止まってるんなら、僕の方から一言言ってあげるから仲直りしようよ」
「な、仲直り? そんな、あたし、アレキサンダー閣下と喧嘩なんてしてません」
「あれ? そうじゃないの? 婚約者がいるかどうか聞かれてご立腹中で手紙ストップしてるんじゃないわけ? 僕はてっきりアイツのとばっちりを受けているもんだと。そうでなければ誰かの陰謀かと思って」
「陰謀って、あたしたちの手紙には陰謀が持ち上がるほどの重要な機密なんてありませんでしょ。世間話に毛が生えたくらいのものですのに。そ、それに、手紙のことは、貴方様とアレキサンダー殿下のほうが気を悪くしてやめてしまったものと思っておりました」
「ん~? 話が行き違ってない? っていうか、その辺のことちょっと話さない? 時間をくれないかな」
「あ……、は、はい」
アビゲイルは固まっている母の代わりに、同じように固まっている使用人たちを振り返って、ラリマールにお茶を出すように指示した。
その間、ラリマールに何やら意味深な視線を投げられたヴィクターは、その全てを見透かすようなアイスブルーの瞳の奥に得体のしれない何かを感じて、ぞくりと身を震わせた。
手の中の不細工な編みぐるみのテディベアが切ない温かさを醸し出していたのを、ヴィクターはこの極寒の空気の中、そっと握りしめていた。
あれだけ好きだったダンスの練習もほとんどしなくなったし、夜会やサロンの招待状も一度目を通しては辞退の返事をしている。
やっていることと言えば、たまに読書、たまに裁縫、そんなところだ。
例の編みぐるみのテディベアだけがどんどん増えて行っているので、アビゲイルが残すと言っていた不細工な仕上がりのもの以外は、孤児院の子供たちへのプレゼントになった。
その孤児院に出向いても、「お姫様に元気がない」と子供たちなりに心配をしているので、母ニーナも帰りの馬車の中でどうしたのかと思って問いただしてみた。
「アビー、最近一体どうしたというの? 元気がなくてみんな心配していてよ」
「大人しくしててくれて気が楽だと思われているでしょうに」
「そんなことはないわ。もう貴方はすっかりいい子になったんだから、私たち家族も、使用人たちもみんな心配しているのよ」
「……大丈夫です。ちょっと自己嫌悪しているだけですから」
「自己嫌悪……?」
「まあ、気にしないでください、お母様」
「(いや、気になるでしょうよ……)」
遠い目をして馬車の車窓から流れゆく風景を見ながら、手に出来損ないの不細工な、紫のボタンの目をした編みぐるみのテディベアを弄びながら、アビゲイルは溜息をついた。
母の慰めも分かっているのだ。少し前までボロクソにこき下ろされていた自分の悪口が今やすっかり聞こえなくなったし、周りが以前と違って好意的に見てくれているのも感じているから。
しかし、アレキサンダーとラリマールから手紙が来ないことで、何らかのやらかしがあったのではという思いが消えなくて、隣国の王族と自国の上位貴族に粗相をしたとして、家族に迷惑が掛からないかが心配でたまらなかった。
それ以前に、何も告げずに連絡を絶たれたことが気持ちとして痛い。
せめて何が悪かったのかを聞ければ納得ができるのだが。
今日家に帰ったら、もしかして二人からの手紙が来ていないだろうか。そんな不確かな希望だけに縋りながら帰途につく。
フォックス邸のエントランスで侍女たちに外套を預けてからふと見ると、父に付きそって仕事で外出していたらしい弟のヴィクターも丁度帰ってきたところだった。
「あら、ヴィクターも今帰りなの? お父上も?」
「ええ、お帰りなさいませ、母上、姉上。父上ならたった今書類を持って執務室へ直行なさいましたよ。私は少し休憩です」
「まあそうなの。お疲れ様、ヴィクター。じゃあこれからお茶にしましょうか」
「ええ、喜んで。姉上もそうしましょう」
「……ええ、そうね……」
ヴィクターの世話をしていた家令が文箱を脇に持っていたので、そちらに近寄って聞いてみる。
「ねえ、その文箱にあたし宛の手紙なんて来ていないかしら」
「おかえりなさいませ、おひい様。今日のお手紙の中では数件の夜会の招待状が届いておりましたので、おひい様宛のものはお部屋に届けさせましたよ」
「ええと、その中に、アレキサンダー閣下とラリマール殿下からの手紙が紛れ込んでいたりとか……」
「……残念ながら、招待状のみでございますね」
「…………そう、ありがとう。お返事をあとで出しておくわ」
明らかに落胆して目を伏せたアビゲイルに、家令もそばにいたヴィクターも母もおろおろと心配をしだす。
「アビー、とっておきの茶葉を出してもらいましょう。美味しいお茶を頂いてちょっと気分を落ち着かせるといいわ」
「姉上、お疲れなんでしょう、少し甘めのお菓子を召し上がったらいかがですか」
「……せっかくですけれど、気分がすぐれないので、部屋に戻ります」
「アビー……」
「姉上……」
そう言って力なく笑うアビゲイルに、ヴィクターが歩み寄った。
「でしたらお部屋まで送ります。お手をどうぞ」
そう言って差し出された弟の手を取ろうとしたものの、やっぱりそういう気になれずに、アビゲイルはその手を取る代わりに持っていた紫ボタンの目をした出来損ないのテディベアの編みぐるみをぽん、と置いた。
「あ、姉上……」
差し出した片手に少々不細工な手編みのテディベアを乗せられて呆然としたヴィクターの肩をぽんと叩いてから、彼の横を通り過ぎた。
と、急にバチバチと得体のしれぬ物音がエントランスに響き渡りその床の中央に魔法陣が浮かび上がった。
次の瞬間、その魔法陣の中央に姿を現したのは、銀髪にアイスブルーの瞳をし、魔族特有の尖った耳をして、銀糸の刺繍のある高貴な魔導士のローブを纏った見目麗しい一人の青年だった。
見覚えのあるその姿。隣国の王弟ラリマール・ドニ・グロリオーサその人であった。
「ちょーっと失礼するよ。用が済んだら速攻帰るから礼儀云々は勘弁しといてよね」
登場の仕方が特殊であるため見過ごされそうだが、彼は今エントランスとはいえど家屋内に突然現れたので、不法侵入みたいなものだ。
だからと言って隣国の王弟に無礼だから帰れとも言えず、その場に居た一同は戸惑いながらも恭しく礼をした。
ラリマールは胸に手をあてて礼を返してから、ぐるりと一同を見回して、アビゲイルの姿を見つけるとつかつかと靴音も高く歩み寄ってきた。
「あー、いたいた。アビゲイルちゃん、久しぶり」
「ラ、ラリマール殿下! お、お久しぶり、です……けど、ええええっ?」
ラリマールはアビゲイルの目の前に歩み寄ると、いきなり彼女を抱きしめてきたのだった。
その光景に周りの者たちは思いっきり息を飲んだ。
母ニーナは口元を扇で覆って目を見開いているし、弟のヴィクターは手にアビゲイルのテディベアを乗せたまま、母と同じように目を見開いては口をパクパクと酸欠の金魚みたいに震わせて呆然としていた。
手紙をやりとりする間柄とはいえ、会っていきなりの抱擁など馴れ馴れしいと言われても仕方がないのだが、相手の身分を考えると何も言えない。もしかしたら隣国のルビ・グロリオーサ魔王国では普通のことなのかもしれないし。
そんなことを思われているとは知らずに、ラリマールはさも愛おしそうにアビゲイルの後頭部を撫でるとそっと体を離して満面の笑みでアビゲイルを見た。
「会いたかったよ、アビゲイルちゃん」
「ラ、ラリマール殿下。こ、困りま」
「君あれから全然手紙くれないんだもん、こっちの方から会いに来ちゃった」
「え、ええっ? て、手紙……?」
「アレックスと何かあった? あいつが原因で手紙のやり取り止まってるんなら、僕の方から一言言ってあげるから仲直りしようよ」
「な、仲直り? そんな、あたし、アレキサンダー閣下と喧嘩なんてしてません」
「あれ? そうじゃないの? 婚約者がいるかどうか聞かれてご立腹中で手紙ストップしてるんじゃないわけ? 僕はてっきりアイツのとばっちりを受けているもんだと。そうでなければ誰かの陰謀かと思って」
「陰謀って、あたしたちの手紙には陰謀が持ち上がるほどの重要な機密なんてありませんでしょ。世間話に毛が生えたくらいのものですのに。そ、それに、手紙のことは、貴方様とアレキサンダー殿下のほうが気を悪くしてやめてしまったものと思っておりました」
「ん~? 話が行き違ってない? っていうか、その辺のことちょっと話さない? 時間をくれないかな」
「あ……、は、はい」
アビゲイルは固まっている母の代わりに、同じように固まっている使用人たちを振り返って、ラリマールにお茶を出すように指示した。
その間、ラリマールに何やら意味深な視線を投げられたヴィクターは、その全てを見透かすようなアイスブルーの瞳の奥に得体のしれない何かを感じて、ぞくりと身を震わせた。
手の中の不細工な編みぐるみのテディベアが切ない温かさを醸し出していたのを、ヴィクターはこの極寒の空気の中、そっと握りしめていた。
応援ありがとうございます!
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