上 下
15 / 123

15 早速一通目のおたより

しおりを挟む
 弟ヴィクターは急遽氷嚢を用意してもらって一晩寝させたら、次の日の朝すっかり熱は下がっていた。
 一応医者にも診てもらったが、気疲れによる心因性の発熱だろうということだった。

「皇帝陛下にご挨拶に伺ったときに後継者としてご紹介したからなあ。緊張したのだろう」と、父。

「よその姫君たちに引っ張りだこでしたものね」と母。

 アビゲイルはその意見とともに、ロクデナシの姉を持つ気疲れもあったのだろうと思って弟に申し訳なくなった。
 
 ヴィクターは今年寄宿学校を卒業して、父の後継者として、父の仕事について回っているのだが、昨日の建国記念の舞踏会は、そのフォックス侯爵の後継者としてのお披露目の場でもあった。
 そのため、舞踏会の次の日に届いた手紙には、フォックス家に娘を嫁がせたい貴族たちからの見合いの申し込みの手紙がわんさか届いていた。
 
 父よりも母のほうが、こちらは○○家の姫君ね、こちらはまあ××家の姫君じゃないのと、贈られてきた冊子ぐらいの大きさの肖像画を見比べて楽しんでいた。
 
 アビゲイルは弟のお嫁さんなら仲良くできるといいなあなんて呑気に考えていたが、彼女のほうこそ結婚適齢期であるため、どこぞに貰ってくれる人はいないものかと両親の悩みの種でもあった。
 
 しかし、あのシズ侯爵の麻薬乱交サロンの摘発で、いち功労者としてどん底から浮上したアビゲイルの評判はおおむね良い方向に捉えられているようだが、それでも放蕩娘という過去は消えるものではなく、年頃の子息のいる格式高い名貴族からの見合いの話はまだ来ない。
 
 正式には、来てはいる。しかし四十代~六十代の妻に先立たれて、前妻との間にできた子供がアビゲイルよりも年上といった、後妻を探している男性だったりするので、さすがに父が断ってくれている。
 
 しかも、過去のアビゲイルの誰彼構わずかる~く付き合ってきた交友関係のせいで、こうした中高年男性からの後妻の申し込みがアビゲイルには異常に多かったので、父は断るのに苦労しているらしい。
 
 どうしようもない放蕩娘とはいえ、馬鹿な子ほどかわいいとはよく言ったもので、父ローマンにしてみれば、アビゲイルは目に入れても痛くない可愛い娘であるらしい。
 
 それが今のアビゲイルには申し訳なくてたまらない。
 今ならもしご縁があるなら父の決めた人に文句を言わずに嫁いでもいいと思っている。
 
 でも、できれば、禿げは百歩譲ってもいいけれど、高血圧高脂血症の腹の出たデブオヤジじゃないといいなーとか思うけれども。
 
 理想で言えば、あの西辺境伯アレキサンダーのような、がっちり体型で男らしい人がいい。
 強面で女性からは怖がられているらしいけれども、そんなに女性受けしないというなら、自分がアプローチしても問題は無いのではないか? などという恐れ多いことを考えて笑ってしまった。
 
 一方、弟のヴィクターが十六歳の成人を迎えてからは、彼への姫君たちのアプローチと、その親からの見合いの申し込みは日々増えている。
 身内にアビゲイルのような放蕩娘がいたとして、もともとフォックス侯爵家はロズ・フォギアリア帝国建国当時から続く名門の貴族。
 その子息であるヴィクターも成人したての十六歳とはいえ、聡明でしっかりした優秀な青年である。
 多少アビゲイルのような黒歴史があったとしても、彼女をいないものと考えれば、貴族たちにとって娘の嫁ぎ先候補としては上位の優良物件なのだ。
 
 母が、その何通もある見合いの申し込みの手紙と肖像画を取捨選択をしてからヴィクターにどの子と会ってみたいかを聞くが、ヴィクターは憮然とした表情になる。
 
「……どの姫にも会いません」
「そんなこと言って、いつまでもお嫁さん候補を決めないのはいけませんよヴィクター」
「そういう気になれないのです。結婚なんて……急には考えられません」

 怒ったようにそっぽを向く弟に、母は困ったような顔をしている。
 アビゲイルは母に助け舟を出すようにして、母の選んだ女性たちの釣書を読んでからヴィクターに話してきかせた。
 
「こちらの女性は現宰相閣下の妹姫が嫁いだ先のローランド伯爵の末の姫君ね。家柄もお血筋もいいし、以前お見掛けしたことがあるけれど、とても清楚で淑やかな姫君だったわよ」
「あら、アビーは知っているの?」
「ええ。放蕩時代に」
「あらまあ」
「あたしは悪く言われて当然の人間でしたが、その悪口大会をしていた姫君たちの中には参加していなかった方ですわ。だから覚えておりました」

 夜会というのは、貴族たちのいわば悪口大会の場とも言える。その中でそんな悪口大会が始まると、すっと立ってその場から離れる噂嫌いの人間も居るのだ。彼女はそんな一人だと覚えていた。もちろんそれは、放蕩をやめたのちに紳士録と照らし合わせてどこのご令嬢かと肩書を調べたから知っていることである。
 
「まあ、じゃあこの人にしたらヴィクター。さっそくお返事を書いて差し上げましょうよ」
「……嫌だと言っているでしょう!」
「まあヴィクター、ちょっと……」
「ヴィクター、お母様にそんな風に言ってはいけないわ」
「姉上……申し訳ありません母上。でも、本当に今は考えたくないんです!」

 何に癇癪をおこしたのか、これで話は終わりだとばかりにヴィクターは立ち上がってその場を去ろうとしたのだが、そこに家令がやってきて先ほど届いたのだという手紙を持ってきたので、ヴィクターは思いとどまってそこに再び座った。
 
「おひい様宛でございます」
「あたし?」

 またどこかのパーティーの招待状かと思って一応受け取って、何気なくその差出人の名を見ると、アビゲイルは目を見開いた。
 
 そこには、アレキサンダーとラリマールの連名で差出人の名が書いてあった。
 手紙を書くと言った昨日のこと、どんな手紙を書いて送ろうか、便せんはどれにしようかといろいろと考えている最中だったのだが、まさか昨日の今日で向こうから送ってきてくれるとは思いもしなかった。
 
「アビー、どなたから?」
「アレキサンダー閣下とラリマール殿下からよ、お父様、お母様。昨日楽しかったっていうご挨拶が書いてあるわ」
「なんと、あのお二方からか」
「まあ、お忙しいでしょうに、わざわざ?」

 建国記念の舞踏会が終われば速攻に西辺境地へと帰ってしまうと言っていた彼らであるから、もう帰り支度に忙しいだろうのに、そんな時間をさいてこうして手紙を送ってくれたのだろう。
 その心遣いがなんともニクイ。

「あたしがお二人に手紙を出しますって強引に言ってしまったのだけど、気を利かせて向こうから送ってきてくれたみたい。あ、ヴィクターのことも大丈夫かって書いてあるわ。良かったね、ヴィクター」
「……姉上。嬉しそうですね……」
「ええ、もちろんよ」
「…………なんで、そんなに……」

 急にしょんぼりしてしまうヴィクターに気付かずに、アビゲイルは貰った手紙を嬉しそうに畳んで胸に充てていた。

 まだ領地に戻っていないのにも関わらず、こうして手紙を送ってくれるなんて、なんと律儀な人たちなのだろうか。
 アレキサンダーの手紙にラリマールが自分の手紙を同封するのなんのと言っていたが、一応便せんは別々だがちゃんと一緒の封筒で連名で送ってきたあたり、昨日のことを実践してみたらしくてちょっと面白い。
 
「早速お返事を書かないと。あたし、これで失礼いたしますわ」

 家族に一礼をしてから、踵を返して侍女のルイカとともに部屋を出て行ったアビゲイルの後ろ姿を眺めやりながら、母は父に言う。
 
「ねえ貴方。アビーったら、もしかしてあのお二方のどちらかに好意を寄せているのかしら? あんなに嬉しそうに」
「え? いや、どうかな。ヴィクターはどう思う?」
「……知りません。失礼します」

 急に不機嫌になってしまったヴィクターは、ツカツカと靴音も高く肩を怒らせて今度こそ部屋を出て行ってしまった。
しおりを挟む
感想 58

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

山に捨てられた元伯爵令嬢、隣国の王弟殿下に拾われる

しおの
恋愛
家族に虐げられてきた伯爵令嬢セリーヌは ある日勘当され、山に捨てられますが逞しく自給自足生活。前世の記憶やチートな能力でのんびりスローライフを満喫していたら、 王弟殿下と出会いました。 なんでわたしがこんな目に…… R18 性的描写あり。※マークつけてます。 38話完結 2/25日で終わる予定になっております。 たくさんの方に読んでいただいているようで驚いております。 この作品に限らず私は書きたいものを書きたいように書いておりますので、色々ご都合主義多めです。 バリバリの理系ですので文章は壊滅的ですが、雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。 読んでいただきありがとうございます! 番外編5話 掲載開始 2/28

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る

新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます! ※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!! 契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。 ※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。 ※R要素の話には「※」マークを付けています。 ※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。 ※他サイト様でも公開しています

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

悪役令嬢はゲームのシナリオに貢献できない

みつき怜
恋愛
気がつくと見知らぬ男たちに囲まれていた。 王子様と婚約解消...?はい、是非。 記憶を失くした悪役令嬢と攻略対象のお話です。 2022/9/18 HOT女性向けランキング1位に載せていただきました。ありがとうございます。

処理中です...