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8 弟は可愛い

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「おいアレックス。見て見ろ。ロズ・フォギアリアの宝石がお前を見ている」
「は……?」

 ラリマールにそう耳打ちをされて、アレキサンダーは彼の言うほうを何気なく見やった。
 その向こうに見たのは赤いドレスを見事に着こなした美しい女性とそれをエスコートするよく似た美しい青年。
 視線を感じてそちらに目を移せば、大きなアメジストのような瞳と視線が絡み合う。
 その大きな瞳と、その美貌には見覚えがあった。
 
 あっと思わず目を見開いて、そちらに駆け寄りたい衝動に駆られたところを、それを察知したラリマールに無言で止められた。
 彼の恐れ多くも顎で指し示す方向を見ると、我が国の皇帝が皇婿こうせいと皇子、皇女とともに会場入りし、上段へと上がるところだった。
 
『皇帝オーガスタ陛下、皇婿こうせいジョナサン殿下、皇太子エドガー殿下、皇女マルティナ殿下』
 
 呼びあげられた合図で、女性である現皇帝オーガスタ・マージョリー・フォギアリア陛下と、その皇婿であるジョナサン殿下、皇太子殿下と皇女殿下の登場に、拍手が沸き起こり、一旦あの女性から視線を外してそちらを見やる。
 それから今一度ちらりと横目であの女性のほうを見ると、むこうも皇帝一家のほうに目を向けていて、こちらを見ることはなかった。
 
 
 
 
 皇帝陛下よりの建国記念の挨拶が始まる。オーガスタ陛下は長ったらしい話が嫌いな人なので、やや簡潔にし過ぎてジョナサン殿下に咳払いをされていた。
 
 その後、オーガスタ陛下の手を皇婿ジョナサン殿下がとり、フロアの中央に出ると、楽団の指揮者が指揮棒をふり、フォギアリア・ワルツが始まった。
 
 第一のサビ部分が終わったところで、陛下たちは場を譲り上段へと戻ると、それを合図に他の貴族たちがパートナーとともにフロアに出てそれぞれ自由にダンスを始める。
 
 ダンスをするも談笑を楽しむのも自由な時間だが、この時間であの先ほどの西辺境伯に挨拶に行けないだろうか、とアビゲイルは考えた。
 傍に両親がいるので、挨拶に行きたい人がいると伝えようと思ったら、エスコートしてくれている弟のヴィクターがアビゲイルに話しかけてきた。
 
「姉上、一曲踊っていただけますか」
「あっ、ええ。喜んで、ヴィクター」

 アビゲイルはヴィクターに手をとられフロアに出た。背後のほうで令嬢たちのため息が聞こえる。おそらくヴィクター狙いの令嬢たちだろう。
 まあ、ファーストダンスはエスコート相手と踊るのが原則だし、この後は弟のことは他の令嬢に譲ろうと思う。
 彼女たちには悪いがもう少し待ってもらうことにして、今は弟とのダンスを楽しむことにした。
 
 あの西辺境伯にも、いきなり話しかけるよりも、一曲踊って少し時間を置いてからのほうが、むこうもパーティーに馴染んできて話しかけやすい雰囲気になっているかもしれない。
 
 宝石の姉弟のダンスとあって皆が注目する中、緊張もなく流れるようにステップを踏みだす二人。
 
 ナチュラルターン。アウトサイドチェンジ。ナチュラルスピンターン。リバースターン。
 
 弟は最初からセンスはあったが、アビゲイルが強制的に練習に突き合わせたせいもあり、かなり上達したと思う。
 
 リバースターン。ウイスク。シャッセ。ナチュラルターン。
 
「ヴィクター、あたしと練習してたときより上手になっててびっくりしちゃった」
「まあ、姉上に負けてはいられませんから。それに舞踏会に何度も出席していれば嫌でも上達するでしょう」

 ツンと澄ましたヴィクターの言葉だが、アビゲイルは侍女たちの内緒話で、ヴィクターが開いた時間にこっそりと一人鏡に向かって練習をしていたことを教えてもらったことがある。
 
 嫌々姉に突き合わされた体を装いながらも、その実見えないところで精進している努力家でもあるのだが、そんなことは知られたくないのだろうと思われるため言わないでおくことにしたが。

 バックウイスク。ウイング。プログレッシブシャッセツーライト。

「それにこれは基礎中の基礎のステップでしょう」

 アウトサイドチェンジ。ナチュラルターン。
 
 基礎的な繰り返しであっても、練習量が無ければ覚えられないステップの数々。
 謹慎中に何度も何度も踊ったが、初めのころは何度も足を踏まれて、お返しに踏み返したりして、ふざけて練習にならなかったっけ。
 
 最初のうちはヴィクターの踏み込みが甘くて「遠慮しないで踏み込んできてよ」と激を飛ばしたこともあったなあと思い出す。
 思えばあんなに嫌っていた姉となんとか和解というか、そんな感じになってきた頃だったから、多少気まずさもあって遠慮があったのだろう。
 
 けれど、最近は慣れてきたのか、きちんと女性をリードするようになってきたのが頼もしい。
 
「楽しいわヴィクター」
「単純ですね姉上」
「あら、嫌味? 楽しいものは楽しいのよ、素直と言ってほしいわ」
「そうですか。まあまあ楽しいですよ、私も」
「生意気ねえ」

 わざと足を踏もうとすれば、さらりと躱して尚且つ姉との体勢を崩すことのないようにぐいと腰を引き寄せるヴィクター。ぐいとアビゲイルに顔を寄せて、普段見せないようなふわりとした笑顔を見せる弟に一瞬ドキリとする。
 
「そう何度も踏まれませんよ、姉上」
「近い近い」
「姉弟ですよ。いいでしょう」

 いいのかなあ。
 弟は可愛いけれど、最近こうして距離を突然詰めてくるので心臓に悪い。
 貴公子然とした美男子よりももっとがっちりした男っぽい人が好みだけれど、綺麗な人は好ましいものだ。
 
 過去のパーティーでは、ダンスをこうして踊ることなんてほぼなかった。
 アビゲイルはダンスに誘ってくれた男性ととっかえひっかえで踊りあかしていたし、そんな姉をヴィクターは尻軽と毛嫌いしていたから。
 今こうして和解して姉弟らしく仲良くなっているのは、ある意味、あのシズ侯爵のサロン事件のお陰かもしれない。
 それはあまり気分は良くないけれど、終わってから考えると、何だかんだで丸く収まった気がする。
 
 今までにないくらいに優し気にアメジストのような瞳を細めて愛情深く見つめてくる弟に少々たじろぎながら、これはまあ、今まで甘えられなかった姉に甘えている弟、という感じなのかなあと思うことにした。
 
 姉というのは単純なもので、甘えられれば弟というのはかわいいものだ。
 前世での弟も、ここまで見目が良くなかったけれども、よく一緒に出掛けたり、遊びに行ったりしたなあと思い出して少々寂しくなる。
 彼にももう会えないけれど、今生ではもう弟と両親を悲しませることは絶対にしないとアビゲイルは誓った。
 
 確執があったとはいえ、こんな可愛い弟を今まで自分は蔑ろにしていたんだなあと思うと、ヴィクターが尚更かわいく思えてしまい、今なら何でも我儘を聞いてあげてしまうかもしれないとアビゲイルは苦笑した。
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