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7 熊さんは西辺境伯
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久しぶりの夜会用ドレスは、母ニーナの希望がたっぷり起用されていた。肩と胸元を大胆にカットして、それでいてセクシーになりすぎないように薔薇の大きなコサージュが胸元を飾っている赤のドレス。
プラチナブロンドの長い髪をふんわりと夜会巻きにして胸元をドレスと同じ赤の宝石のついたネックレスで飾れば、薔薇の女神のようと侍女たちが褒めたたえる。
婚約者のいないアビゲイルのエスコート役は弟のヴィクターだ。フォックス家は代々見目麗しい者が生まれる血筋であるらしく、特にこの十七歳の姉と十六歳の弟は、二人並ぶと宝石の姉弟と呼ばれていた。見た目だけの話だが。
しかしここ最近は両親と弟は見かけても姉の姿はとんと見かけなかったので、久しぶりの宝石の姉弟の登場に、会場に入る際に名を呼ばれたときの注目振りがすごかった。
『フォックス侯爵家、ヴィクター・ダルトン・フォックス様、アビゲイル・ステラ・フォックス様』
「まあ、フォックス侯爵令嬢よ」
「お久しぶりの登場ね」
「弟君と並ぶと相変わらずお美しいこと。まるで一対の彫刻のようですわ」
「赤のドレスがなんてお似合いなのかしら」
注目されながら入場は慣れているはずだが、素のニコニコヘラヘラは今のアビゲイルにはもうできなかった。
ガチガチのド緊張状態を張り付けたような笑顔で隠す。しかもそれを悟られてはいけないと、あくまで自然に、優雅に。
「姉上、緊張なさっていますか」
完璧に隠しているはずなのに、何故ヴィクターに伝わったのか驚いたが、それもまた悟られないようにニコリと微笑んで「そう見える?」と返す。
するとヴィクターは少々顔を赤らめて「いいえ」と答えて視線を外してしまった。
最近こうして視線を外されることが多いのは、しばらく交流のなかった姉との、ダンス等を通しての触れ合いが多くなってからだ。それまではまあ睨みつけるような視線が多かったヴィクターだが、最近はその刺さるような視線が柔らかくなってきた。
けれども、視線を返してやると、驚いたような顔をしてふいと逸らされてしまうのだ。
思春期かなあと、前世ではいい大人だった自分から見ると、なんとも微笑ましいとも思う。身体的にはヴィクターと一つしか違わないのだけれど。
『ルビ・グロリオーサ魔王国、王弟ラリマール・ドニ・グロリオーサ殿下』
そう呼びあげられたほうを見ると、そこかしこから令嬢たちの黄色い歓声があがるのが聞こえた。
「隣国の王弟殿下よ。なんて美しい方なの」
「しーっ。大賢者と呼ばれる魔導士の方よ。少しでもお気に障ればカエルやネズミに変えられてしまうわ」
「でも、魔族の方は恐ろしいと聞いているけれど、あの美しさはたまらないわ」
隣国である魔王の弟君が招待されているらしかった。令嬢たちの言うとおり、月の光を集めたかのような冷たい輝きを放つ、美しい銀の巻き毛をして、アイスブルーの瞳、肌は雪のように白い。魔族である証に耳が大きく尖り、非常に整ったその顔の造形は魔的なほど恐ろしさを感じるような美しさだった。
ふと視線を上げると、ヴィクターが少々困ったような表情でアビゲイルを見ていた。
「どうしたのヴィクター」
「……姉上。今、隣国の王弟殿下に見とれていらした?」
「え? 見とれてはいないわ。すごい人気ねって思っただけよ」
「あんなに美しいお方なのに、それだけ、ですか」
うーん、確かにあのラリマール殿下は美しいけれど、それだけかな。
アビゲイルはああいう女性的な美しさを持つ人よりも、どちらかというと男らしい、というよりも、男くさい人のほうが好みかもしれないと思った。
「そうね、とても美しい方ね。でもそれをいうなら貴方も負けてないわヴィクター。今日の装いも素敵よ。惚れ惚れしちゃうわ」
「……! あ、姉上こそ、お綺麗です。まるで、深紅の薔薇が咲いたような……」
「あら、ヴィクターに褒められたなんて、何年ぶりかしら」
「そ、そんなことは……」
「うふふふ」
一人前に女性を褒めるようになったのね、と弟の成長に何だか微笑ましくなる。きっと今日も令嬢たちに引っ張りだこだろう。弟に注目している令嬢たちの視線がアビゲイルにも注がれて痛いくらいだから。
ヴィクターの言葉は、アビゲイルの過去の振舞いのせいで、やっぱり姉が男性に目をやるとまた何かやらかすのではと心配になってしまうのだろう。
それを考えると申し訳なくて、「大丈夫よ、もう迷惑かけたりしないわ」と、弟の肩をぽんぽんと撫でて安心させてやる。
ヴィクターはなんだか複雑な顔をしていたけれど、アビゲイルは特に気にもとめなかった。
『ヘーゼルダイン西辺境伯爵、アレキサンダー・ヴィンス・ヘーゼルダイン閣下』
そのあとすぐに呼びあげられた人の方を見て、アビゲイルは「あっ」と喉元まで出かかった声を何とか抑える。
そこに登場した大柄な男性に、アビゲイルは見覚えがあった。
上背があって服の上からでもわかるほどの筋肉の盛り上がった、大柄な体格をして、厳つい表情に、触れたら傷つきそうなほどに恐ろし気な切れ長の目をして、唇を真一文字に引き締めたその姿。
そして忘れもしない、あの美しいウルトラマリンブルーの瞳。
シズ侯爵のパーティーで、あの妖しいサロンの事件のときに、アビゲイルが脱ぎ捨てたハイヒールを拾って持ってきてくれた、あの男だった。
そして、アビゲイルが粉をかけてきたのを振った、そんな噂を立てさせてしまった、大変申し訳ないと思っている相手だった。
騎士だと思っていた相手だったのに、今呼びあげられた肩書と名前に愕然とする。
ヘーゼルダイン西辺境伯爵、アレキサンダー・ヴィンス・ヘーゼルダイン。紳士録にもその名はトップクラスの場所に記してあった名であった。
辺境伯といえば、隣国との国境を守る軍事的にも重要な地位にいるため、伯爵位といえどもアビゲイルの家の侯爵位と同等、もしくはそれ以上の地位にあって、皇帝陛下からも信頼のあつい国境騎士団を有する御仁だったはずだ。
そしてよく見れば、隣国の王弟ラリマールと並んで談話している。そんなところを見ると、隣国王家とも親しい間柄であることがわかる。それぐらいの高い地位にいる御仁だった。
そのような相手の醜聞を避けるため、「放蕩娘アビゲイルが見境なく粉をかけて袖にされた」という、アビゲイルが悪役を演じたとはいえど、そのような噂の的としてしまったことに対して、消え去ってしまいたいほど申し訳なくてたまらなくなる。
お声をおかけして、謝罪しなければ。
しかし、あばずれた噂しかない放蕩娘だったアビゲイルの話を聞いてくれるだろうか。
誠実を心に決めて話したところで、過去の自分の馬鹿丸出しのふるまいを彼も聞いているだろうし、本気で聞いてくれる保証はない。
もしかしたら、怒っているかもしれないし、そうだったらフォックス侯爵家に苦情がいくだろう。そうなったら両親だけでなく、次期フォックス侯爵である弟ヴィクターとも交流を避けられてしまうかもしれない。
どうしよう。そうなったらあたしのせいだ。
「姉上、顔色がよくありませんが、どうされましたか。何を見られて……あれは、西辺境伯閣下、ですか?」
ヴィクターの心配げな声が聞こえたけれども、アビゲイルの目はヴィクターのほうへ向かず、ただ向こうで魔族の王弟ラリマールと話しているアレキサンダーから目が離せなかった。
すると、ふとラリマールがアレキサンダーに何やら耳打ちして、アレキサンダーは気が付いたようにこちらを睨むように顔を向けた。
アビゲイルと目が合った瞬間、アレキサンダーはそのウルトラマリンブルーの瞳を大きく見開いたのだった。
プラチナブロンドの長い髪をふんわりと夜会巻きにして胸元をドレスと同じ赤の宝石のついたネックレスで飾れば、薔薇の女神のようと侍女たちが褒めたたえる。
婚約者のいないアビゲイルのエスコート役は弟のヴィクターだ。フォックス家は代々見目麗しい者が生まれる血筋であるらしく、特にこの十七歳の姉と十六歳の弟は、二人並ぶと宝石の姉弟と呼ばれていた。見た目だけの話だが。
しかしここ最近は両親と弟は見かけても姉の姿はとんと見かけなかったので、久しぶりの宝石の姉弟の登場に、会場に入る際に名を呼ばれたときの注目振りがすごかった。
『フォックス侯爵家、ヴィクター・ダルトン・フォックス様、アビゲイル・ステラ・フォックス様』
「まあ、フォックス侯爵令嬢よ」
「お久しぶりの登場ね」
「弟君と並ぶと相変わらずお美しいこと。まるで一対の彫刻のようですわ」
「赤のドレスがなんてお似合いなのかしら」
注目されながら入場は慣れているはずだが、素のニコニコヘラヘラは今のアビゲイルにはもうできなかった。
ガチガチのド緊張状態を張り付けたような笑顔で隠す。しかもそれを悟られてはいけないと、あくまで自然に、優雅に。
「姉上、緊張なさっていますか」
完璧に隠しているはずなのに、何故ヴィクターに伝わったのか驚いたが、それもまた悟られないようにニコリと微笑んで「そう見える?」と返す。
するとヴィクターは少々顔を赤らめて「いいえ」と答えて視線を外してしまった。
最近こうして視線を外されることが多いのは、しばらく交流のなかった姉との、ダンス等を通しての触れ合いが多くなってからだ。それまではまあ睨みつけるような視線が多かったヴィクターだが、最近はその刺さるような視線が柔らかくなってきた。
けれども、視線を返してやると、驚いたような顔をしてふいと逸らされてしまうのだ。
思春期かなあと、前世ではいい大人だった自分から見ると、なんとも微笑ましいとも思う。身体的にはヴィクターと一つしか違わないのだけれど。
『ルビ・グロリオーサ魔王国、王弟ラリマール・ドニ・グロリオーサ殿下』
そう呼びあげられたほうを見ると、そこかしこから令嬢たちの黄色い歓声があがるのが聞こえた。
「隣国の王弟殿下よ。なんて美しい方なの」
「しーっ。大賢者と呼ばれる魔導士の方よ。少しでもお気に障ればカエルやネズミに変えられてしまうわ」
「でも、魔族の方は恐ろしいと聞いているけれど、あの美しさはたまらないわ」
隣国である魔王の弟君が招待されているらしかった。令嬢たちの言うとおり、月の光を集めたかのような冷たい輝きを放つ、美しい銀の巻き毛をして、アイスブルーの瞳、肌は雪のように白い。魔族である証に耳が大きく尖り、非常に整ったその顔の造形は魔的なほど恐ろしさを感じるような美しさだった。
ふと視線を上げると、ヴィクターが少々困ったような表情でアビゲイルを見ていた。
「どうしたのヴィクター」
「……姉上。今、隣国の王弟殿下に見とれていらした?」
「え? 見とれてはいないわ。すごい人気ねって思っただけよ」
「あんなに美しいお方なのに、それだけ、ですか」
うーん、確かにあのラリマール殿下は美しいけれど、それだけかな。
アビゲイルはああいう女性的な美しさを持つ人よりも、どちらかというと男らしい、というよりも、男くさい人のほうが好みかもしれないと思った。
「そうね、とても美しい方ね。でもそれをいうなら貴方も負けてないわヴィクター。今日の装いも素敵よ。惚れ惚れしちゃうわ」
「……! あ、姉上こそ、お綺麗です。まるで、深紅の薔薇が咲いたような……」
「あら、ヴィクターに褒められたなんて、何年ぶりかしら」
「そ、そんなことは……」
「うふふふ」
一人前に女性を褒めるようになったのね、と弟の成長に何だか微笑ましくなる。きっと今日も令嬢たちに引っ張りだこだろう。弟に注目している令嬢たちの視線がアビゲイルにも注がれて痛いくらいだから。
ヴィクターの言葉は、アビゲイルの過去の振舞いのせいで、やっぱり姉が男性に目をやるとまた何かやらかすのではと心配になってしまうのだろう。
それを考えると申し訳なくて、「大丈夫よ、もう迷惑かけたりしないわ」と、弟の肩をぽんぽんと撫でて安心させてやる。
ヴィクターはなんだか複雑な顔をしていたけれど、アビゲイルは特に気にもとめなかった。
『ヘーゼルダイン西辺境伯爵、アレキサンダー・ヴィンス・ヘーゼルダイン閣下』
そのあとすぐに呼びあげられた人の方を見て、アビゲイルは「あっ」と喉元まで出かかった声を何とか抑える。
そこに登場した大柄な男性に、アビゲイルは見覚えがあった。
上背があって服の上からでもわかるほどの筋肉の盛り上がった、大柄な体格をして、厳つい表情に、触れたら傷つきそうなほどに恐ろし気な切れ長の目をして、唇を真一文字に引き締めたその姿。
そして忘れもしない、あの美しいウルトラマリンブルーの瞳。
シズ侯爵のパーティーで、あの妖しいサロンの事件のときに、アビゲイルが脱ぎ捨てたハイヒールを拾って持ってきてくれた、あの男だった。
そして、アビゲイルが粉をかけてきたのを振った、そんな噂を立てさせてしまった、大変申し訳ないと思っている相手だった。
騎士だと思っていた相手だったのに、今呼びあげられた肩書と名前に愕然とする。
ヘーゼルダイン西辺境伯爵、アレキサンダー・ヴィンス・ヘーゼルダイン。紳士録にもその名はトップクラスの場所に記してあった名であった。
辺境伯といえば、隣国との国境を守る軍事的にも重要な地位にいるため、伯爵位といえどもアビゲイルの家の侯爵位と同等、もしくはそれ以上の地位にあって、皇帝陛下からも信頼のあつい国境騎士団を有する御仁だったはずだ。
そしてよく見れば、隣国の王弟ラリマールと並んで談話している。そんなところを見ると、隣国王家とも親しい間柄であることがわかる。それぐらいの高い地位にいる御仁だった。
そのような相手の醜聞を避けるため、「放蕩娘アビゲイルが見境なく粉をかけて袖にされた」という、アビゲイルが悪役を演じたとはいえど、そのような噂の的としてしまったことに対して、消え去ってしまいたいほど申し訳なくてたまらなくなる。
お声をおかけして、謝罪しなければ。
しかし、あばずれた噂しかない放蕩娘だったアビゲイルの話を聞いてくれるだろうか。
誠実を心に決めて話したところで、過去の自分の馬鹿丸出しのふるまいを彼も聞いているだろうし、本気で聞いてくれる保証はない。
もしかしたら、怒っているかもしれないし、そうだったらフォックス侯爵家に苦情がいくだろう。そうなったら両親だけでなく、次期フォックス侯爵である弟ヴィクターとも交流を避けられてしまうかもしれない。
どうしよう。そうなったらあたしのせいだ。
「姉上、顔色がよくありませんが、どうされましたか。何を見られて……あれは、西辺境伯閣下、ですか?」
ヴィクターの心配げな声が聞こえたけれども、アビゲイルの目はヴィクターのほうへ向かず、ただ向こうで魔族の王弟ラリマールと話しているアレキサンダーから目が離せなかった。
すると、ふとラリマールがアレキサンダーに何やら耳打ちして、アレキサンダーは気が付いたようにこちらを睨むように顔を向けた。
アビゲイルと目が合った瞬間、アレキサンダーはそのウルトラマリンブルーの瞳を大きく見開いたのだった。
応援ありがとうございます!
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