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4 危ない橋を渡っていたらしい
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「こちらが、娘のアビゲイルでございます」
「アビゲイル・ステラ・フォックスと申します」
父から紹介されて、皇帝陛下からの使者一人と騎士団の騎士殿二人。彼らに恭しく淑女の礼をとる。
相手からほう、という感嘆の声が漏れたのが聞こえた。あばずれた噂しかない放蕩娘が一応淑女らしくも振舞えるのだなというような気持ちなんだろうなと、半ば諦めたような気分で、無駄だろうと思う笑顔を向ける。
文官風の使者殿は初めて見る人で、品のある中年の男性。同席していた騎士団の男性は、ぼんやりとしか覚えていないが、この前のあの如何わしい空間でアビゲイルに簡易的に事情聴取してきた騎士たちだろうと思われる。
横から両親と弟の刺すような視線が痛いが顔に出す事はしない。というか、以前なら耐えられないような視線も、自分を捨てて令嬢の役になり切れば、何のことはない。
役に立たないと思っていた女優だった前世もこういうメンタルな部分で役に立つものだ。
ただ、感情的だった娘がこう冷静沈着になると不気味だと両親と弟の目が訴えているのが少々怖いが。
「早速ですが、アビゲイル姫に置かれましては、此度のシズ侯爵家の捕り物での大変な貢献により、皇帝陛下から感謝状が贈られましたことをご報告させていただきます」
「か、感謝状? 苦情ではなくてですかな?」
「何かの間違いでは……?」
「…………」
両親と弟が驚愕の顔をしている横で、アビゲイルは一人、そういえばあの時の熊のような大男も何やらアビゲイルに感謝していたような気がすると、ぼんやり思い出していた。
あの人誰だったっけ。普段のパーティーでは見たことないな。
令嬢として紳士録は頭に叩きこんでいるけれど、前世とは違って写真付きでもないし、顔と名前が一致しないこともあって、初めて見る相手には自己紹介し合うのがふつうだけれど、あの時はそれどころじゃなかった。
靴の件で、相手が悪く思われないために悪女を演じていたので、あのパーティー会場を出るとすぐに別れて、名前も聞いていなかった。
そもそもシズ侯爵の漂わせる紫煙に頭がぼんやりしていたのと、レッドカーペットを見て前世を思い出したりしていたから、捕り物で貢献したとか、自分でもよくわからない。
叫んだことくらいしか。
「あの、あたし、貢献とかよくわからないんですの。そもそもあんな場所に連れて行かれたこと自体、両親に叱られましたし、びっくりして、叫んだことしか……」
驚いたのは驚いたのだが、特にあの空間を見て驚いたのではなくて、前世の記憶を思い出したことに驚いたのだけれども。
「今後の取り調べに必要な質問をさせていただきたい」
「は、はい、なんなりと……」
騎士団の警ら隊は、二、三質問をしてきて、あのパーティーに出席した経緯と、シズ侯爵とはどういう関係か、あの例の場所のことは知っていたかどうかなどを聞いてきた。
アビゲイルにとっては、シズ侯爵は彼女の海より広いというほどの交友関係のなか、父ローマンと同じ侯爵位ではあっても友人の友人の友人ぐらいの間柄で、たまに夜会で話しかけられる程度でしかないと答えた。
パーティー好きだった前世を思い出す前のアビゲイルは、パーティーのえり好みをほぼしないで出席していて、まあ父と同じ侯爵位だから変な人じゃないだろう程度の警戒心しかなかった。
そういうアビゲイルの危なっかしい呑気な性格を利用されて、あのような如何わしい場所に連れ込まれたのだろうと思われる。
もちろんあのような如何わしい場所など知るはずもない。
「姫はシズ侯爵が麻薬の取引をしていたことはご存じでしたか」
驚いて、首を横に振る。初耳だった。そもそもシズ侯爵のこと自体よく知らないのに、そのような裏事情知るはずがない。
アビゲイルは放蕩娘と呼ばれるけれども交友関係は悲しいほど広く浅いからだ。
使者と騎士たちは、事の経緯を話してくれた。
シズ侯爵は過去に高名な学者を産んだ歴史のある貴族ではあるけれども、現侯爵ウォルター・ベイル・シズが爵位を継いだころから何やら怪しい事業に手を染めたという情報を、密かに騎士団は掴んでいたらしい。
それは新種の麻薬の取引だ。
通称「エンジェル・アイズ」と名付けられたそれは、従来麻酔薬に使われる成分の分子構造が、三つ以上は付着しないものがどういう経緯か五つ以上くっついた分子構造をしているため、二つだけでも強い麻酔が、それを通り越して強い麻薬になってしまったやっかいな代物らしい。
最近それが帝都でもたびたび警らに押収されるもので、巧みに隠れる売人や流通ルートを追っていたところだったそうだ。
「街の探偵を雇って色々と我々騎士団では解らない部分まで調べました。たどり着いた情報の先にシズ侯爵がいるらしいとつかんだのですが、踏み込み過ぎたらしく、その探偵は……」
うっ。その先はなんとなく聞きたくない。
その踏み込み過ぎた探偵の残した手記やら何やらで、シズ侯爵が怪しいサロンを持っているという情報を掴むことができたそうだが、口封じをする者を雇っているほど権力に物を言わせているシズ侯爵であるから、どうにかしてそのサロンに入り込めないかと思っていたらしい。
「そこにあたしがのこのこやってきたわけですわね……」
「姫はあの場に連れられる前にシズ侯爵に何か言われましたか」
「ええと、面白いものがあるから、見に行きませんかと。いくらあたしでも二つ返事だったわけじゃありませんけども、何か、ふと、侯爵の言葉に逆らえないような気分になりまして、従ってその手を取ってしまったのです」
「その時、何かかんじられませんでしたか」
「そういえば……、シズ侯爵から煙草を召し上がられたような香りが漂ってきました。それがちょっと印象に残っています」
思えばそれが原因でぼうっとしてしまった気がする。もしかしてアレがその「エンジェル・アイズ」とやらの香りだったのだろうか。
「言葉を飾らずに申しますと、あの如何わしい場所はシズ侯爵の開いた麻薬を使用した乱交のサロンでした。そしてシズ侯爵はエンジェル・アイズの常習者だったのです」
おええ。
あの中央で蠢いていたのは麻薬をキメてハイになった男女が絡まり合っていた図で、それを周りはエンターテイメントのごとく眺めて楽しんでいたのか。悪趣味すぎる。
シズ侯爵はアビゲイルをそれに参加させようと誘ったのだろう。そう考えると吐き気がしてくる。未だ生娘なのに、あんな場所で見せ物のように散らされたらたまったものではない。
自分は本当に危ない場所にいたのだと考えたら、両親と弟の怒りも有難いものに思えてきた。
「本来ならあの場に居た者全員を拘束する予定でしたが、アビゲイル姫はあの時のお声一つでその場にいた人々全員を正気に戻らせた功績により、拘束の対象から外れております」
「えっ、声?」
「ええ。あの場についたときに大声を出されたでしょう。そのお声によって、酩酊状態だった者たち、シズ侯爵自身も一気に正気に戻ったそうなのです」
「貴方のことを『彼女は無罪だ』と証言してくれた、我々と同じくあのサロンに張り込んでいたとある方がいらっしゃいまして。その方の進言のお陰で、貴方は無罪が証明されたのです」
「アビゲイル・ステラ・フォックスと申します」
父から紹介されて、皇帝陛下からの使者一人と騎士団の騎士殿二人。彼らに恭しく淑女の礼をとる。
相手からほう、という感嘆の声が漏れたのが聞こえた。あばずれた噂しかない放蕩娘が一応淑女らしくも振舞えるのだなというような気持ちなんだろうなと、半ば諦めたような気分で、無駄だろうと思う笑顔を向ける。
文官風の使者殿は初めて見る人で、品のある中年の男性。同席していた騎士団の男性は、ぼんやりとしか覚えていないが、この前のあの如何わしい空間でアビゲイルに簡易的に事情聴取してきた騎士たちだろうと思われる。
横から両親と弟の刺すような視線が痛いが顔に出す事はしない。というか、以前なら耐えられないような視線も、自分を捨てて令嬢の役になり切れば、何のことはない。
役に立たないと思っていた女優だった前世もこういうメンタルな部分で役に立つものだ。
ただ、感情的だった娘がこう冷静沈着になると不気味だと両親と弟の目が訴えているのが少々怖いが。
「早速ですが、アビゲイル姫に置かれましては、此度のシズ侯爵家の捕り物での大変な貢献により、皇帝陛下から感謝状が贈られましたことをご報告させていただきます」
「か、感謝状? 苦情ではなくてですかな?」
「何かの間違いでは……?」
「…………」
両親と弟が驚愕の顔をしている横で、アビゲイルは一人、そういえばあの時の熊のような大男も何やらアビゲイルに感謝していたような気がすると、ぼんやり思い出していた。
あの人誰だったっけ。普段のパーティーでは見たことないな。
令嬢として紳士録は頭に叩きこんでいるけれど、前世とは違って写真付きでもないし、顔と名前が一致しないこともあって、初めて見る相手には自己紹介し合うのがふつうだけれど、あの時はそれどころじゃなかった。
靴の件で、相手が悪く思われないために悪女を演じていたので、あのパーティー会場を出るとすぐに別れて、名前も聞いていなかった。
そもそもシズ侯爵の漂わせる紫煙に頭がぼんやりしていたのと、レッドカーペットを見て前世を思い出したりしていたから、捕り物で貢献したとか、自分でもよくわからない。
叫んだことくらいしか。
「あの、あたし、貢献とかよくわからないんですの。そもそもあんな場所に連れて行かれたこと自体、両親に叱られましたし、びっくりして、叫んだことしか……」
驚いたのは驚いたのだが、特にあの空間を見て驚いたのではなくて、前世の記憶を思い出したことに驚いたのだけれども。
「今後の取り調べに必要な質問をさせていただきたい」
「は、はい、なんなりと……」
騎士団の警ら隊は、二、三質問をしてきて、あのパーティーに出席した経緯と、シズ侯爵とはどういう関係か、あの例の場所のことは知っていたかどうかなどを聞いてきた。
アビゲイルにとっては、シズ侯爵は彼女の海より広いというほどの交友関係のなか、父ローマンと同じ侯爵位ではあっても友人の友人の友人ぐらいの間柄で、たまに夜会で話しかけられる程度でしかないと答えた。
パーティー好きだった前世を思い出す前のアビゲイルは、パーティーのえり好みをほぼしないで出席していて、まあ父と同じ侯爵位だから変な人じゃないだろう程度の警戒心しかなかった。
そういうアビゲイルの危なっかしい呑気な性格を利用されて、あのような如何わしい場所に連れ込まれたのだろうと思われる。
もちろんあのような如何わしい場所など知るはずもない。
「姫はシズ侯爵が麻薬の取引をしていたことはご存じでしたか」
驚いて、首を横に振る。初耳だった。そもそもシズ侯爵のこと自体よく知らないのに、そのような裏事情知るはずがない。
アビゲイルは放蕩娘と呼ばれるけれども交友関係は悲しいほど広く浅いからだ。
使者と騎士たちは、事の経緯を話してくれた。
シズ侯爵は過去に高名な学者を産んだ歴史のある貴族ではあるけれども、現侯爵ウォルター・ベイル・シズが爵位を継いだころから何やら怪しい事業に手を染めたという情報を、密かに騎士団は掴んでいたらしい。
それは新種の麻薬の取引だ。
通称「エンジェル・アイズ」と名付けられたそれは、従来麻酔薬に使われる成分の分子構造が、三つ以上は付着しないものがどういう経緯か五つ以上くっついた分子構造をしているため、二つだけでも強い麻酔が、それを通り越して強い麻薬になってしまったやっかいな代物らしい。
最近それが帝都でもたびたび警らに押収されるもので、巧みに隠れる売人や流通ルートを追っていたところだったそうだ。
「街の探偵を雇って色々と我々騎士団では解らない部分まで調べました。たどり着いた情報の先にシズ侯爵がいるらしいとつかんだのですが、踏み込み過ぎたらしく、その探偵は……」
うっ。その先はなんとなく聞きたくない。
その踏み込み過ぎた探偵の残した手記やら何やらで、シズ侯爵が怪しいサロンを持っているという情報を掴むことができたそうだが、口封じをする者を雇っているほど権力に物を言わせているシズ侯爵であるから、どうにかしてそのサロンに入り込めないかと思っていたらしい。
「そこにあたしがのこのこやってきたわけですわね……」
「姫はあの場に連れられる前にシズ侯爵に何か言われましたか」
「ええと、面白いものがあるから、見に行きませんかと。いくらあたしでも二つ返事だったわけじゃありませんけども、何か、ふと、侯爵の言葉に逆らえないような気分になりまして、従ってその手を取ってしまったのです」
「その時、何かかんじられませんでしたか」
「そういえば……、シズ侯爵から煙草を召し上がられたような香りが漂ってきました。それがちょっと印象に残っています」
思えばそれが原因でぼうっとしてしまった気がする。もしかしてアレがその「エンジェル・アイズ」とやらの香りだったのだろうか。
「言葉を飾らずに申しますと、あの如何わしい場所はシズ侯爵の開いた麻薬を使用した乱交のサロンでした。そしてシズ侯爵はエンジェル・アイズの常習者だったのです」
おええ。
あの中央で蠢いていたのは麻薬をキメてハイになった男女が絡まり合っていた図で、それを周りはエンターテイメントのごとく眺めて楽しんでいたのか。悪趣味すぎる。
シズ侯爵はアビゲイルをそれに参加させようと誘ったのだろう。そう考えると吐き気がしてくる。未だ生娘なのに、あんな場所で見せ物のように散らされたらたまったものではない。
自分は本当に危ない場所にいたのだと考えたら、両親と弟の怒りも有難いものに思えてきた。
「本来ならあの場に居た者全員を拘束する予定でしたが、アビゲイル姫はあの時のお声一つでその場にいた人々全員を正気に戻らせた功績により、拘束の対象から外れております」
「えっ、声?」
「ええ。あの場についたときに大声を出されたでしょう。そのお声によって、酩酊状態だった者たち、シズ侯爵自身も一気に正気に戻ったそうなのです」
「貴方のことを『彼女は無罪だ』と証言してくれた、我々と同じくあのサロンに張り込んでいたとある方がいらっしゃいまして。その方の進言のお陰で、貴方は無罪が証明されたのです」
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