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番外編「ぬしと私は卵の仲よ私ゃ白身できみを抱く」
20 恋慕の通り道
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「教えてクアス……私のこと愛してましたか?」
「な……」
突然何を言うのかと聞き返そうと口を開きかけたが、キャサリンの次の言葉で遮られてしまった。
「……私っ……! 婚約解消してからもずっと、貴方のこと愛してました……!」
「……っ!」
「バカを言ってると思うでしょ……婚約解消は仕方のないことだったのに、そしてもう夫のいる身でありながら……未だに幸せだったあの頃のことを思い出すの。貴方と結婚して、子供を生んで、愛のある結婚生活をおくるのを夢見てた、そんな日々のことを」
確かに、あのシャガの魔物討伐に成功し、無事に戻ってさえいれば、それから間もなく彼女と結婚していただろうと思う。キャサリンとは相思相愛で彼女の家族からも認められていたクアスであるから、魔物討伐完了の名誉と報奨金のおかげで豊かな生活を送って、今頃彼女との子をこの腕に抱いていたかもしれない。
そんな彼女の夢を無残に打ち砕いたのは、あの冒険者ギルドに諭されたのを断ったクアスの傲慢さだ。
だからこそ、クアスはキャサリンに何も言ってやることができなかった。
「……」
「貴方はもう別の道を歩んでいるのに、私はまだ進めていない。……今日、イン様とヤン様にお目にかかったとき、私がどんな気持ちだったか、貴方にわかる……?」
インとヤン。二人の名が出た瞬間に、クアスの心臓がどくりと大きく波打った。
「本来だったらっ……私が貴方の子を産みたかったのに……!」
「キ、キャシー……っ」
不意に身を乗り出してクアスに詰め寄り抱き着くようにして彼の胸を拳でどんどん叩きながら、キャサリンは涙声で訴えた。
「お願いクアス。私を抱いて」
「は……?」
人妻からの突然の問題発言に、クアスは頭の中が真っ白になってしまった。
彼女はクアスの元婚約者だが、今はれっきとした人妻だ。人妻のそのような発言、やや潔癖のクアスにとっては考えられない話であった。
「今生で貴方と結ばれないなら、せめて貴方の子が欲しいの。ずっとずっと昔から夢見ていたのよ。最初に産むのは貴方との子がいい。貴方にその後の迷惑はかけないわ」
「な、何を言って……!」
クアスに抱き着いていたキャサリンは、彼のベルトに手をかけてカチャカチャと外そうとしてきた。
その突然の彼女の行動にぎょっとして一瞬呆気に取られたクアスは行動が遅れた。清楚な彼女がそのような行動に出るなど想像もしていなかったからだ。
器用にクアスのベルトを外して下衣のボタンすら外してくるその華奢な手首を掴み上げて止めさせる。
このようなこと、彼女の夫であるウィルコックス卿以外にしてはいけないことだ。
「ま、待て。やめろキャシー! こんなことをしてはいけない! 君は人妻だろう!」
「言わないで! 貴方を愛してるの! ずっとずっと……好きだったのに……! どうして、どうして……どうして去ってしまおうとするのよ……!」
ボロボロと涙を流し、嗚咽しながら訴えるキャサリンを、クアスはやりきれない悲痛な思いで見つめる。
既に人妻となった彼女をここまで追い詰めたのは、まぎれもなく自分だった。
クアスは自分とキャサリンとの間にあった愛情は、穏やかなものであり、件の婚約解消という別れから新たなるお互いの人生へと自然に移行していっており、彼女も新たに婚約者を得て結婚、絶対に幸せでいてくれると思っていた。
こんな自分と結婚して後ろ指さされる肩身の狭い思いをするより、ずっと幸せになってくれると、勝手に思っていたのだ。
しかし、このような激しいキャサリンを見て、それが間違いだったことに気付く。
クアスが思うよりずっと深くキャサリンは彼を愛していてくれたのだろう。その愛情が深すぎてここまで拗れてしまった。
「すまない、キャシー、すまない……!」
こういう時に慰めの言葉のひとつでも言えたならどんなに良かっただろう。
女性と交際した経験が少ない自分には、気の利いたセリフひとつまともに言ってあげられない。
クアスは泣きじゃくるキャサリンを抱き締めることしかできなかった。こうすることさえ彼女の夫であるウィルコックス卿に対しての後ろめたさや申し訳なさはあったのだが、今だけは友人としてのハグとどうか許して欲しいと心の中で詫びた。
過去には戻れない。
あの時ああしていれば、こうしていれば、などと言っても生産性など何もない。今ある現実が全てだ。その現実が辛すぎるなら逃げることも手だろうが、決して逃げる先を間違えてはいけない。
クアスはキャサリンにとってはもう過去であり、過ぎ去る風景のひとつでなければならないのだ。
キャサリンがどんなにクアスを愛してくれていても、クアスが彼女に応えてあげられることは何もない。あってはならない。クアスとキャサリンの進む道は既に分かれて、この先決して交わることはないのだから。
しばらくそうしてすすり泣くキャサリンを無言で抱きしめていると、ようやく泣き止んだキャサリンが身じろぎをしたのに気づいて、クアスはそっと腕を離した。
泣き腫らした目で、それでもばつが悪い真っ赤な顔をして、キャサリンはそっとクアスから離れる。その視線の先がクアスの外されたベルトにあったので、クアスも真っ赤になりながら慌ててそれを直した。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、気にしないでくれ。私も悪かった」
「さ、さっきのは、わ、忘れてください。は、恥ずかしくて今にも死んでしまいそうだわ」
「ああ、忘れる……もう忘れた」
とりあえずもとの一人分開けた距離に座りなおして、お互いに真っ赤な顔をしながら取り繕うように謝る。
キャサリンは取り乱してあんな行動を取った自分を恥じて顔面を手で覆っている。先ほどは少し錯乱気味になって暴走はしたけれども、もともとは慎み深い女性なのだ。
変わっていないな、とクアスは少しだけほっとした。
「……キャシー、その……これからイン様とヤン様に今一度お目にかかってみないか?」
「えっ……?」
「謁見の時間は過ぎてしまったが、これからお世話の時間なので、特別に立ち会う許可を得てくるよ。……ああ、もちろんご主人とともに。……どうだろう?」
「でも……」
「……イン様とヤン様は豊穣の神の御子だ。絶対に君を傷つけはしないから」
そう言って、クアスは立ち上がってキャサリンに手を差し出した。彼の手と顔を交互に見たキャサリンは、初めは戸惑っていたけれど、ひとつ頷いてからその手を取った。
「な……」
突然何を言うのかと聞き返そうと口を開きかけたが、キャサリンの次の言葉で遮られてしまった。
「……私っ……! 婚約解消してからもずっと、貴方のこと愛してました……!」
「……っ!」
「バカを言ってると思うでしょ……婚約解消は仕方のないことだったのに、そしてもう夫のいる身でありながら……未だに幸せだったあの頃のことを思い出すの。貴方と結婚して、子供を生んで、愛のある結婚生活をおくるのを夢見てた、そんな日々のことを」
確かに、あのシャガの魔物討伐に成功し、無事に戻ってさえいれば、それから間もなく彼女と結婚していただろうと思う。キャサリンとは相思相愛で彼女の家族からも認められていたクアスであるから、魔物討伐完了の名誉と報奨金のおかげで豊かな生活を送って、今頃彼女との子をこの腕に抱いていたかもしれない。
そんな彼女の夢を無残に打ち砕いたのは、あの冒険者ギルドに諭されたのを断ったクアスの傲慢さだ。
だからこそ、クアスはキャサリンに何も言ってやることができなかった。
「……」
「貴方はもう別の道を歩んでいるのに、私はまだ進めていない。……今日、イン様とヤン様にお目にかかったとき、私がどんな気持ちだったか、貴方にわかる……?」
インとヤン。二人の名が出た瞬間に、クアスの心臓がどくりと大きく波打った。
「本来だったらっ……私が貴方の子を産みたかったのに……!」
「キ、キャシー……っ」
不意に身を乗り出してクアスに詰め寄り抱き着くようにして彼の胸を拳でどんどん叩きながら、キャサリンは涙声で訴えた。
「お願いクアス。私を抱いて」
「は……?」
人妻からの突然の問題発言に、クアスは頭の中が真っ白になってしまった。
彼女はクアスの元婚約者だが、今はれっきとした人妻だ。人妻のそのような発言、やや潔癖のクアスにとっては考えられない話であった。
「今生で貴方と結ばれないなら、せめて貴方の子が欲しいの。ずっとずっと昔から夢見ていたのよ。最初に産むのは貴方との子がいい。貴方にその後の迷惑はかけないわ」
「な、何を言って……!」
クアスに抱き着いていたキャサリンは、彼のベルトに手をかけてカチャカチャと外そうとしてきた。
その突然の彼女の行動にぎょっとして一瞬呆気に取られたクアスは行動が遅れた。清楚な彼女がそのような行動に出るなど想像もしていなかったからだ。
器用にクアスのベルトを外して下衣のボタンすら外してくるその華奢な手首を掴み上げて止めさせる。
このようなこと、彼女の夫であるウィルコックス卿以外にしてはいけないことだ。
「ま、待て。やめろキャシー! こんなことをしてはいけない! 君は人妻だろう!」
「言わないで! 貴方を愛してるの! ずっとずっと……好きだったのに……! どうして、どうして……どうして去ってしまおうとするのよ……!」
ボロボロと涙を流し、嗚咽しながら訴えるキャサリンを、クアスはやりきれない悲痛な思いで見つめる。
既に人妻となった彼女をここまで追い詰めたのは、まぎれもなく自分だった。
クアスは自分とキャサリンとの間にあった愛情は、穏やかなものであり、件の婚約解消という別れから新たなるお互いの人生へと自然に移行していっており、彼女も新たに婚約者を得て結婚、絶対に幸せでいてくれると思っていた。
こんな自分と結婚して後ろ指さされる肩身の狭い思いをするより、ずっと幸せになってくれると、勝手に思っていたのだ。
しかし、このような激しいキャサリンを見て、それが間違いだったことに気付く。
クアスが思うよりずっと深くキャサリンは彼を愛していてくれたのだろう。その愛情が深すぎてここまで拗れてしまった。
「すまない、キャシー、すまない……!」
こういう時に慰めの言葉のひとつでも言えたならどんなに良かっただろう。
女性と交際した経験が少ない自分には、気の利いたセリフひとつまともに言ってあげられない。
クアスは泣きじゃくるキャサリンを抱き締めることしかできなかった。こうすることさえ彼女の夫であるウィルコックス卿に対しての後ろめたさや申し訳なさはあったのだが、今だけは友人としてのハグとどうか許して欲しいと心の中で詫びた。
過去には戻れない。
あの時ああしていれば、こうしていれば、などと言っても生産性など何もない。今ある現実が全てだ。その現実が辛すぎるなら逃げることも手だろうが、決して逃げる先を間違えてはいけない。
クアスはキャサリンにとってはもう過去であり、過ぎ去る風景のひとつでなければならないのだ。
キャサリンがどんなにクアスを愛してくれていても、クアスが彼女に応えてあげられることは何もない。あってはならない。クアスとキャサリンの進む道は既に分かれて、この先決して交わることはないのだから。
しばらくそうしてすすり泣くキャサリンを無言で抱きしめていると、ようやく泣き止んだキャサリンが身じろぎをしたのに気づいて、クアスはそっと腕を離した。
泣き腫らした目で、それでもばつが悪い真っ赤な顔をして、キャサリンはそっとクアスから離れる。その視線の先がクアスの外されたベルトにあったので、クアスも真っ赤になりながら慌ててそれを直した。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、気にしないでくれ。私も悪かった」
「さ、さっきのは、わ、忘れてください。は、恥ずかしくて今にも死んでしまいそうだわ」
「ああ、忘れる……もう忘れた」
とりあえずもとの一人分開けた距離に座りなおして、お互いに真っ赤な顔をしながら取り繕うように謝る。
キャサリンは取り乱してあんな行動を取った自分を恥じて顔面を手で覆っている。先ほどは少し錯乱気味になって暴走はしたけれども、もともとは慎み深い女性なのだ。
変わっていないな、とクアスは少しだけほっとした。
「……キャシー、その……これからイン様とヤン様に今一度お目にかかってみないか?」
「えっ……?」
「謁見の時間は過ぎてしまったが、これからお世話の時間なので、特別に立ち会う許可を得てくるよ。……ああ、もちろんご主人とともに。……どうだろう?」
「でも……」
「……イン様とヤン様は豊穣の神の御子だ。絶対に君を傷つけはしないから」
そう言って、クアスは立ち上がってキャサリンに手を差し出した。彼の手と顔を交互に見たキャサリンは、初めは戸惑っていたけれど、ひとつ頷いてからその手を取った。
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