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番外編「ぬしと私は卵の仲よ私ゃ白身できみを抱く」
3 死んだら何もならぬぞ。無じゃ、無っ!
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その夜、毒杯を賜る日時が決定し、その日が刻一刻と近づいてきていた。
実は騎士団上層部のほうへ、西辺境シャガ地方の件のダンジョンに一人残り、死んだと思われていたエミリオ・ドラゴネッティ本人から手紙が届いたのだが、クアスの求刑は覆らなかった。
何故なら、国で一、二を争うであろう大魔術師であるエミリオの、六万強もあった魔力の大半が失われ、魔力枯渇を起こした彼は、シャガの土地神のもとで休養しているということだったからだ。
その国宝級である魔力量の大半を今回の件で失ったとあれば、この先何年も魔術師としては仕事はできない。つまり国が誇る大魔術師を失ったにほぼ等しかった。
エミリオ・ドラゴネッティは今回の件では英雄だ。全滅するところだった討伐隊の残り十数名を王都へ緊急脱出させ、たった一人で凶悪なダンジョンに残り、その魔力の大半を失いながらも、結果的にそのダンジョンの主であったミノタウロスを倒してクエストを成功させたからだ。
それに比べて討伐隊隊長だったクアス・カイラードはどうだと嘲笑した他の師団の騎士らがいたようで、クアスの第二師団の部下の騎士らと決闘騒ぎにまで発展したような諍いがあったと、噂好きらしい刑務官がまた寝言で言っていた。騎士団長自らが止めに入って事なきを得たようだが。
自分の代わりに憤ってくれた部下たち、そして諍いを止めに入ってくれた騎士団長に申し訳ないと思うだけで、自分が貶されたことは特に怒りも何も感じなかった。
その騎士団第二師団のクアスの部下たちが、クアスの減刑のために、自己負担で大量のマジックポーションを買い集めてエミリオへ送ろうと計画しているとクアスに面会に来たが、無益だと諭して止めさせた。
大体、そんな大量のマジックポーションをエミリオに飲ませて、彼が体調を崩したらどうするんだと注意したらさすがに彼らも押し黙った。
彼らもまた、マジックポーションの副作用をよく知っている
彼らの気持ちだけ受け取ると言って面会を終えたクアスは、慟哭する部下らに一礼して、刑務官に連れられて独房へといつものように戻るだけ。
あと何度、この動作を繰り返すのだろうか。
朝目が覚めて、生きていることに絶望し、冷たく暗い独房でただ無為な呼吸を繰り返す。今までのことを思い出しては無意味なため息をつき、時折面会に出たり居眠りの寝言だという刑務官の喋りに淡々と付き合う、そんな日々。騎士の訓練も何もない。考える時間だけはたくさんあった。
エミリオはシャガの土地神のもとで静養をしているという。静養と言ってもダンジョンに残してきた死んでいった仲間たちの遺品を回収したりの作業があったり葬儀も行ったりと、それなりにやることがあるみたいなことが手紙にあったとのことで、休めているのかいないのかさっぱりわからない。
まあ、土地神のもとにいれば、それなりに恩恵は受けるだろうし、魔力以外は心配はないだろうけれど。
土地神といえば、シャガの土地神は水と豊穣を司るシュクラ神という一柱だ。
クアスも先の遠征において、シャガに着いたときにクエストの成功祈願をしてもらいに、討伐隊一同でシュクラ神殿に赴いたときに見た。
月の光をかき集めたかのような白銀の長い髪、黄金色の縦線瞳孔の目をして、やたらと顔の作りが美しかった。クアスのような筋骨隆々な騎士団の者からすれば、ひょろりとした細身で折れてしまいそうな華奢な体つき。
天を突くみたいに大柄で豪快な王都ブラウワーの土地神メノルカとは全く違う印象だった。
そんなシュクラは見た目は繊細で物静かな印象だったが、中身は中年のおっさんじみた性格だったのに驚きを隠せなかったと思い出すクアス。
成功祈願の儀式のときはとにかく真面目できりりとしていたのに、ひとたび儀式が終わると、こちらの目も気にせず大あくびをしたり、ぼりぼりと腹を掻いていたり、挙句に討伐隊の騎士ら(主に女性騎士)などが赤い顔をして感謝の言葉を言うと、小指で耳をほじりながら「よきに計らえ♪」などと、とにかくオンとオフが激しかった気がする。
ただ、言っていることはいい加減な感じは一切なかった。神の言葉という印象というよりは、より人間らしい、とにかく「生きろ」という言葉ばかりだった。
『魔物討伐は綺麗事では片付かぬ。時には己を捨てる事も必要であろうな。ダンジョン内は吾輩の加護の届かぬところも多い故、慢心せずに引際を見て生きて戻ることを常に考えよ。名誉の戦死なぞ、だぁれも喜ばぬわ。そうであろ? 何が名誉の戦死か。そのようなもの糞食らえじゃ。死んだら何もならぬぞ。無じゃ、無っ!』
儀式の説法のときに砕けた言い方でそんなことを言っていたシュクラ。
慢心せずに。シュクラは確かにそう言っていたのだ。
儀式の際にシュクラの言葉にしっかりと頷いたはずだったというのに、いらぬプライドによって冒険者ギルドの協力を断り、そのせいで魔物の猛攻に手も足も出ずに仲間を死なせて撤退、全て自分の招いた不幸だった。クアスのせいで、あのダンジョンで死んだ仲間たちは、シュクラの言葉どおりの「無」になってしまった。
「名誉の死は誰も喜ばないが……罪人の死なら誰もが喜ぶだろう」
暗い独房の中、クアスは誰ともなくそう呟きながら、刻一刻と迫る刑の執行をただただ待つのみだった。
何度、そのようなことを考えたか、それももう数えるのを止めて暫くののち、ついにその時がやってきた。
クアスの独房内に数人の刑務官がやって来て、テーブルの上に紫色の液体の入った薬瓶と、ゴブレットを置いた。
クアスはそのテーブル前に座らされ、左右を刑務官が二人並んで立つ。
明り取りの窓が北側にあるせいでほとんど日が入らなくて暗い独房の中、クアスの座る席の向こう側に立つ一番位の高いらしい刑務官が腕時計とクアスを見てから固い声で告げた。
「午前九時、騎士団第二師団長クアス・カイラードの刑を執行する」
その言葉を合図にクアスの横に居た刑務官が、ゴブレットに紫色の液体を注いでいく。注がれていくのは、ドラッグにも似た恍惚感とともにじわじわと命を奪っていく毒薬だ。血を吐いたりすることもなく、最期は綺麗に眠るように息を引き取ることができる、自決用と安楽死用に開発されたものだ。
あれだけの罪を犯したのに、首を跳ねたりもせずに、このような穏やかな死を与えてくれる温情にクアスは感謝した。
「……クアス・カイラード。最後に、何か言い残したことはないか?」
目の前の刑務官が言う。何も、と答えようとしたけれど、クアスは少し考えてから、答えた。
「エミリオ・ドラゴネッティに、『生きていてくれてありがとう』と。そう、伝えてください」
そう言って座ったまま膝に両手を置いて刑務官に頭を下げるクアスに、罪人相手に同情心などを持たないとされている刑務官も、切なそうに顔を歪めたが、特に何も言わず「そうか」とだけしか言えなかった。
クアスは目の前のゴブレットを手に取った。ゴブレットに注がれた紫色の液体は、どこかワインのようにも見えて、最後の晩餐の一杯にも感じられた。
ああ、ようやく逝ける。
あの世に行ったら、まず仲間たちに謝罪に行こう。許してはくれないだろうが、誠意だけは伝えたい。そして、生き残ってくれたわずかな仲間たち、そして英雄となったエミリオ、彼らの今後を見守り続けると誓う。
ゴブレットに口をつけ、液体が唇に触れた瞬間、ばたばたと地下牢のに降りて来た刑務官の一人が上官に何やらの書類を提出した。受け取った刑務官はそれを見て目を見開いた。
次の瞬間、その刑務官は無言でクアスの手にしたゴブレットを叩き落したのだ。金属製のゴブレットは甲高い音を立てて石畳の床をカラリカラカラと転がり、床に紫色をした液体をまき散らした。
刑務官は驚くクアスの顎をがしりと掴んで、鬼のような形相で捲し立てるように言う。
「口を付けたか? なら飲み込むな! 唾も全部吐き出せ! おい、こいつに大量の水を飲ませろ! あと解毒剤の用意!」
「は、はいっ!」
急にバタバタと忙しなくなる独房内で、クアスのその後は割と大変なことになってしまった。
口の中に指を突っ込まれて、今朝無理矢理に食べたものを胃の腑から全部吐き出させられた。その後に大量の水を飲ませられ、解毒剤を注射されたのち、息も絶え絶えの状態で独房から担ぎ出された。
地下牢の独房より明るい騎士団あずかりの留置場の医局にあれよあれよという間に移動させられ、医師に体中の検査をされた。
唇につけただけで毒を飲み込まなかったことが幸いし、命に別状はないと診断された頃には、騎士団の訓練場で汗を流した後よりもぐったりとして白いシーツの施されたベッドに横になっていた。
何が起こったのか、まだ何も知らされていなかったクアスの頭は混乱のるつぼにいた。
騎士団の医局の病室に寝かせられていたクアスのもとに、騎士団の事務局の者がやってきて、ようやく事の次第を説明してくれた。
「えー。魔法師団第三師団長エミリオ・ドラゴネッティ卿が、今朝がた無事に転移魔法で帰還されまして」
「……ど、どうやって……エミリオは魔力枯渇を起こしていたはずで……」
「それが、念のために医局で健康診断したら、なんと魔力最大ゲージ越えでピンピン艶々状態だったそうです。むしろ出発したときよりも健康状態が良くなって戻られたとか」
「……」
「詳しいことはまだよくわかりませんけれど、とにかく魔力枯渇状態ではなく無事で戻られた上に、彼が最初に申し出たのがカイラード卿、貴方の助命嘆願でした。それで今回の貴方の刑執行は中止になったのです」
取り急ぎご報告でした、そう言いたいことだけを言って事務局員は去って行った。
英雄エミリオの国宝級の魔力が戻り、彼がクアスの助命嘆願を申し出たことでクアスはこうしてまだ生きている。
『死んだら何もならぬぞ。無じゃ、無っ!』
あけすけ過ぎるシュクラ神の言葉が今頃になって蘇ってきた。
ああ、そうか。死に逃げるのではなく、生きて償えというのだ。まだこの身には、死という逃げ道は許されていない。
午後になってようやく起き上がれたクアスの元に、あのズタボロ状態だったエミリオが身綺麗にして元気いっぱいの姿で現れた。何なら花みたいな香水のような香りを全身に纏わせて。
「クアス!」
「エミリオ……! 生きていてくれたのか」
夢ではない。握りしめた拳に指が食い込む痛みがそう言っている。
目の前が潤んで熱くなる。クアスはその熱に、自分が生きていることを心から実感した。
実は騎士団上層部のほうへ、西辺境シャガ地方の件のダンジョンに一人残り、死んだと思われていたエミリオ・ドラゴネッティ本人から手紙が届いたのだが、クアスの求刑は覆らなかった。
何故なら、国で一、二を争うであろう大魔術師であるエミリオの、六万強もあった魔力の大半が失われ、魔力枯渇を起こした彼は、シャガの土地神のもとで休養しているということだったからだ。
その国宝級である魔力量の大半を今回の件で失ったとあれば、この先何年も魔術師としては仕事はできない。つまり国が誇る大魔術師を失ったにほぼ等しかった。
エミリオ・ドラゴネッティは今回の件では英雄だ。全滅するところだった討伐隊の残り十数名を王都へ緊急脱出させ、たった一人で凶悪なダンジョンに残り、その魔力の大半を失いながらも、結果的にそのダンジョンの主であったミノタウロスを倒してクエストを成功させたからだ。
それに比べて討伐隊隊長だったクアス・カイラードはどうだと嘲笑した他の師団の騎士らがいたようで、クアスの第二師団の部下の騎士らと決闘騒ぎにまで発展したような諍いがあったと、噂好きらしい刑務官がまた寝言で言っていた。騎士団長自らが止めに入って事なきを得たようだが。
自分の代わりに憤ってくれた部下たち、そして諍いを止めに入ってくれた騎士団長に申し訳ないと思うだけで、自分が貶されたことは特に怒りも何も感じなかった。
その騎士団第二師団のクアスの部下たちが、クアスの減刑のために、自己負担で大量のマジックポーションを買い集めてエミリオへ送ろうと計画しているとクアスに面会に来たが、無益だと諭して止めさせた。
大体、そんな大量のマジックポーションをエミリオに飲ませて、彼が体調を崩したらどうするんだと注意したらさすがに彼らも押し黙った。
彼らもまた、マジックポーションの副作用をよく知っている
彼らの気持ちだけ受け取ると言って面会を終えたクアスは、慟哭する部下らに一礼して、刑務官に連れられて独房へといつものように戻るだけ。
あと何度、この動作を繰り返すのだろうか。
朝目が覚めて、生きていることに絶望し、冷たく暗い独房でただ無為な呼吸を繰り返す。今までのことを思い出しては無意味なため息をつき、時折面会に出たり居眠りの寝言だという刑務官の喋りに淡々と付き合う、そんな日々。騎士の訓練も何もない。考える時間だけはたくさんあった。
エミリオはシャガの土地神のもとで静養をしているという。静養と言ってもダンジョンに残してきた死んでいった仲間たちの遺品を回収したりの作業があったり葬儀も行ったりと、それなりにやることがあるみたいなことが手紙にあったとのことで、休めているのかいないのかさっぱりわからない。
まあ、土地神のもとにいれば、それなりに恩恵は受けるだろうし、魔力以外は心配はないだろうけれど。
土地神といえば、シャガの土地神は水と豊穣を司るシュクラ神という一柱だ。
クアスも先の遠征において、シャガに着いたときにクエストの成功祈願をしてもらいに、討伐隊一同でシュクラ神殿に赴いたときに見た。
月の光をかき集めたかのような白銀の長い髪、黄金色の縦線瞳孔の目をして、やたらと顔の作りが美しかった。クアスのような筋骨隆々な騎士団の者からすれば、ひょろりとした細身で折れてしまいそうな華奢な体つき。
天を突くみたいに大柄で豪快な王都ブラウワーの土地神メノルカとは全く違う印象だった。
そんなシュクラは見た目は繊細で物静かな印象だったが、中身は中年のおっさんじみた性格だったのに驚きを隠せなかったと思い出すクアス。
成功祈願の儀式のときはとにかく真面目できりりとしていたのに、ひとたび儀式が終わると、こちらの目も気にせず大あくびをしたり、ぼりぼりと腹を掻いていたり、挙句に討伐隊の騎士ら(主に女性騎士)などが赤い顔をして感謝の言葉を言うと、小指で耳をほじりながら「よきに計らえ♪」などと、とにかくオンとオフが激しかった気がする。
ただ、言っていることはいい加減な感じは一切なかった。神の言葉という印象というよりは、より人間らしい、とにかく「生きろ」という言葉ばかりだった。
『魔物討伐は綺麗事では片付かぬ。時には己を捨てる事も必要であろうな。ダンジョン内は吾輩の加護の届かぬところも多い故、慢心せずに引際を見て生きて戻ることを常に考えよ。名誉の戦死なぞ、だぁれも喜ばぬわ。そうであろ? 何が名誉の戦死か。そのようなもの糞食らえじゃ。死んだら何もならぬぞ。無じゃ、無っ!』
儀式の説法のときに砕けた言い方でそんなことを言っていたシュクラ。
慢心せずに。シュクラは確かにそう言っていたのだ。
儀式の際にシュクラの言葉にしっかりと頷いたはずだったというのに、いらぬプライドによって冒険者ギルドの協力を断り、そのせいで魔物の猛攻に手も足も出ずに仲間を死なせて撤退、全て自分の招いた不幸だった。クアスのせいで、あのダンジョンで死んだ仲間たちは、シュクラの言葉どおりの「無」になってしまった。
「名誉の死は誰も喜ばないが……罪人の死なら誰もが喜ぶだろう」
暗い独房の中、クアスは誰ともなくそう呟きながら、刻一刻と迫る刑の執行をただただ待つのみだった。
何度、そのようなことを考えたか、それももう数えるのを止めて暫くののち、ついにその時がやってきた。
クアスの独房内に数人の刑務官がやって来て、テーブルの上に紫色の液体の入った薬瓶と、ゴブレットを置いた。
クアスはそのテーブル前に座らされ、左右を刑務官が二人並んで立つ。
明り取りの窓が北側にあるせいでほとんど日が入らなくて暗い独房の中、クアスの座る席の向こう側に立つ一番位の高いらしい刑務官が腕時計とクアスを見てから固い声で告げた。
「午前九時、騎士団第二師団長クアス・カイラードの刑を執行する」
その言葉を合図にクアスの横に居た刑務官が、ゴブレットに紫色の液体を注いでいく。注がれていくのは、ドラッグにも似た恍惚感とともにじわじわと命を奪っていく毒薬だ。血を吐いたりすることもなく、最期は綺麗に眠るように息を引き取ることができる、自決用と安楽死用に開発されたものだ。
あれだけの罪を犯したのに、首を跳ねたりもせずに、このような穏やかな死を与えてくれる温情にクアスは感謝した。
「……クアス・カイラード。最後に、何か言い残したことはないか?」
目の前の刑務官が言う。何も、と答えようとしたけれど、クアスは少し考えてから、答えた。
「エミリオ・ドラゴネッティに、『生きていてくれてありがとう』と。そう、伝えてください」
そう言って座ったまま膝に両手を置いて刑務官に頭を下げるクアスに、罪人相手に同情心などを持たないとされている刑務官も、切なそうに顔を歪めたが、特に何も言わず「そうか」とだけしか言えなかった。
クアスは目の前のゴブレットを手に取った。ゴブレットに注がれた紫色の液体は、どこかワインのようにも見えて、最後の晩餐の一杯にも感じられた。
ああ、ようやく逝ける。
あの世に行ったら、まず仲間たちに謝罪に行こう。許してはくれないだろうが、誠意だけは伝えたい。そして、生き残ってくれたわずかな仲間たち、そして英雄となったエミリオ、彼らの今後を見守り続けると誓う。
ゴブレットに口をつけ、液体が唇に触れた瞬間、ばたばたと地下牢のに降りて来た刑務官の一人が上官に何やらの書類を提出した。受け取った刑務官はそれを見て目を見開いた。
次の瞬間、その刑務官は無言でクアスの手にしたゴブレットを叩き落したのだ。金属製のゴブレットは甲高い音を立てて石畳の床をカラリカラカラと転がり、床に紫色をした液体をまき散らした。
刑務官は驚くクアスの顎をがしりと掴んで、鬼のような形相で捲し立てるように言う。
「口を付けたか? なら飲み込むな! 唾も全部吐き出せ! おい、こいつに大量の水を飲ませろ! あと解毒剤の用意!」
「は、はいっ!」
急にバタバタと忙しなくなる独房内で、クアスのその後は割と大変なことになってしまった。
口の中に指を突っ込まれて、今朝無理矢理に食べたものを胃の腑から全部吐き出させられた。その後に大量の水を飲ませられ、解毒剤を注射されたのち、息も絶え絶えの状態で独房から担ぎ出された。
地下牢の独房より明るい騎士団あずかりの留置場の医局にあれよあれよという間に移動させられ、医師に体中の検査をされた。
唇につけただけで毒を飲み込まなかったことが幸いし、命に別状はないと診断された頃には、騎士団の訓練場で汗を流した後よりもぐったりとして白いシーツの施されたベッドに横になっていた。
何が起こったのか、まだ何も知らされていなかったクアスの頭は混乱のるつぼにいた。
騎士団の医局の病室に寝かせられていたクアスのもとに、騎士団の事務局の者がやってきて、ようやく事の次第を説明してくれた。
「えー。魔法師団第三師団長エミリオ・ドラゴネッティ卿が、今朝がた無事に転移魔法で帰還されまして」
「……ど、どうやって……エミリオは魔力枯渇を起こしていたはずで……」
「それが、念のために医局で健康診断したら、なんと魔力最大ゲージ越えでピンピン艶々状態だったそうです。むしろ出発したときよりも健康状態が良くなって戻られたとか」
「……」
「詳しいことはまだよくわかりませんけれど、とにかく魔力枯渇状態ではなく無事で戻られた上に、彼が最初に申し出たのがカイラード卿、貴方の助命嘆願でした。それで今回の貴方の刑執行は中止になったのです」
取り急ぎご報告でした、そう言いたいことだけを言って事務局員は去って行った。
英雄エミリオの国宝級の魔力が戻り、彼がクアスの助命嘆願を申し出たことでクアスはこうしてまだ生きている。
『死んだら何もならぬぞ。無じゃ、無っ!』
あけすけ過ぎるシュクラ神の言葉が今頃になって蘇ってきた。
ああ、そうか。死に逃げるのではなく、生きて償えというのだ。まだこの身には、死という逃げ道は許されていない。
午後になってようやく起き上がれたクアスの元に、あのズタボロ状態だったエミリオが身綺麗にして元気いっぱいの姿で現れた。何なら花みたいな香水のような香りを全身に纏わせて。
「クアス!」
「エミリオ……! 生きていてくれたのか」
夢ではない。握りしめた拳に指が食い込む痛みがそう言っている。
目の前が潤んで熱くなる。クアスはその熱に、自分が生きていることを心から実感した。
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