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本編
102 クローズドサークル エミリオ5
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まだ轟々と吹き荒れる風に片腕で顔面を覆いながらエミリオは耐えた。だが少しずつ、ずず、ずず、と体が床を滑っていくのがわかる。
「…………許サナイ……許サナイ許サナイ!」
「ぐっ……!」
嫉妬、羨望、悪意、失意、殺意。どす黒い感情が魔力を伴ってビシビシと伝わってくる。
二十五年間の魔力めいた愛情を貰った人形は意思を持ち、大切にしてくれたセドルを愛していたのだろう。そんなセドルが自分を捨てた。
もう必要ない。そうセドルに言わしめた原因は、エミリオも昨日の昼間に見た、スイとセドルの決別。二十五年間燻っていた気持ちを断ち切った。
セドルは初代ジェイディを愛していたが、その愛情はスイへの気持ちの投影であり、ジェイディはその媒体である単なる無機物だったのだ。
必要ないと言い捨てられたジェイディの失望と悲しみは悪意となって、自分を捨てたセドル、セドルにそう決意させた原因のスイ、そしてスイを王都へ連れてきたエミリオにまで向けられていたのだった。
上下関係のしがらみや実力主義な騎士団の中、恐れ多くも大魔術師の称号を貰った自分としては、嫉妬や悪意を向けられたことは履いて捨てるほどあった。
普段ならそんな悪感情向けられたところで気にもしないのだけれど……。
「ぐ……許さないはこっちのセリフだ!」
少なくともこうして愛しい恋人のふりをして人を貶める行為はエミリオでなくとも常識人として許せるものではなかった。
ベッドの上にゆらりと立ちあがった女は、覆っていたシーツもかなぐり捨てて「キシャアアアアア!」と人間にあるまじき咆哮を上げた。
それを合図に部屋全体を覆う闇の中から黒い触手のような物がエミリオに向かってものすごい勢いで伸びてくるのを見た。
「くそっ……!」
咄嗟に身を低くして転がって避けるも、女のいる前方からではなく全方位から襲い来る触手全てを避けることが出来ず、足首に絡みついたそれにぐいと引っ掛けられてたたらを踏むエミリオ。
派手に転んだエミリオの四肢と胴、首を触手がぐるぐると絡め捕る。よく見たらその黒い触手は所謂触手と呼ばれるようなものではなく、髪の毛だった。黒々とした髪。ふとこれらが伸びてくる方向の闇を見て、エミリオは背筋がぞっと凍るのを覚えた。
闇の部屋と思っていた。暗いというより黒いという表現が正しいと思っていた。
だが、部屋を覆っていたのは闇ではなく、長い長い黒髪だったのだ。浮いた家具、浮遊魔法も唱えていないのに浮いた体。あの闇の中に浮いたような家具たちは、この蠢く黒い長い髪に絡め捕られて浮いていた。そしてエミリオ自身、その闇の中に浮いたベッドに近づくために歩いたのは、この髪の毛の上だったのだろう。
黒は高貴な色だけれど、このような状況はただ恐ろしいとしか言えなかった。
エミリオはこの蠢く長い長い黒髪が張り巡らされた、いわば敵のあんぐりと開けた口の中にふらふらと食われに入って行ってしまったようなものだ。
長い長い黒髪によって両手首を締め上げられたエミリオは、そのままグイと持ち上げられて宙に浮く。
クスクスと上空から笑い声が聞こえてきたことに驚いてそちらを見上げれば、黒い闇のように張り巡らされた黒髪がもぞもぞと動き出して、そこにまたスイ……いや、ジェイディの顔、眼球パーツのないジェイディの顔が浮かび出てエミリオをあざ笑った。こいつがエミリオの手首を縛っているのだろうか。
クスクスといった笑い声が増え始め、まさかと思い足元や横を見れば、そこかしこにエミリオの体を縛っているらしきジェイディの眼球パーツの欠損した顔が浮かび上がっていたのだ。
これだけの気味の悪さを有した恐怖めいた状況、叫び出してもおかしくないのだが、エミリオはこの状況に無理矢理追い込まれたことに対しての怒りが恐怖に勝って逆に冷静になっていた。
周りを見渡すが部屋の中はびっしりと黒髪に覆われて、エミリオが入ってきた入口すら隠されてしまっていて、チカチカと点灯する宙に浮いたランプの灯りだけが照らす中、スイによく似た女……いや、初代ジェイディの見開いた眼だけが炯々と光っている。
このような現実と隔離された閉鎖空間を作り出し、現実にいる人間を攫い、閉じ込め、さらに髪や人形を操って攻撃をするなど、通常なら魔力消費が凄まじいはずで、魔力枯渇症状が起きても不思議ではない。
もちろん魔力枯渇という症状は、人間とは魔力の資質が違う神を除いて、ありとあらゆる生物に起こる症状であり、それは動物や魔物であっても起こり得るものだ。
最早こうして魔物と化したジェイディとはいえ、その魔力とて無尽蔵ではないはずなのだ。それなのに、ここまでしてもまだそのような症状を見せないジェイディの姿に疑問を持つ。
この空間を作り出して攫った人間に攻撃するほどの魔力を維持できている秘密は一体何なのだろう。
エミリオがそう疑問に思った瞬間、ジェイディは音もなくずいと近づいてきて、エミリオの鼻先すれすれに顔を寄せて、スイと同じ顔と声をして囁いた。
「大切ナモノヲ、奪ワレル悲シミヲ、味合ワセテアゲル……」
そう言って、指をぱちりと慣らすと、彼女の後ろからもぞもぞと髪の毛が盛り上がり、まるで根菜を土から引き抜くみたいにしてずぼっと出てきたものを見て、エミリオはそのターコイズブルーの目を見開いた。
そこに現れたのは、エミリオ自身と同じように、体中を黒髪で縛られて吊り下げられた、スイのぐったりと気を失った姿だった。
「スイ!」
エミリオの呼びかけにもスイは応じない。ただゆっくりと呼吸していることで生きているのは確認できたものの、強い力で眠らされているのか目を閉じたまま動かなかった。
スイを縛るジェイディの黒髪がやや魔力を帯びて青白く発光し点滅しているのが見えた瞬間、スイは眠ったままぶるぶると震え始めて、口をぱくぱくと戦慄かせながら仰け反った。
すると部屋を覆う黒髪がさらにびきびきと音を立てて元気に蠢きだし、ジェイディ自身もその白い裸体から青白い燐光を放ち始めた。
青白い光は、おそらく魔力だ。奪っているのだ。スイから、魔力を。
これだけの閉鎖空間維持と人を攫い攻撃するほどの魔力、六万強もあるエミリオのような規格外の魔力持ちでもなかなか続けることなどできない。だが他者からの供給があれば?
スイはエミリオと同じ規格外の魔力持ちだ。スイの魔力を吸収することによって、ジェイディは力をつけていたらしい。
「やめろ……やめろぉっ!」
スイの肌がどんどん青白く血の気を失っていくのを見て、さすがのエミリオは焦燥により叫びをあげた。
やつれゆくスイの様子と反比例して、目の前のジェイディはどんどん生き生きとしてきていた。
「…………許サナイ……許サナイ許サナイ!」
「ぐっ……!」
嫉妬、羨望、悪意、失意、殺意。どす黒い感情が魔力を伴ってビシビシと伝わってくる。
二十五年間の魔力めいた愛情を貰った人形は意思を持ち、大切にしてくれたセドルを愛していたのだろう。そんなセドルが自分を捨てた。
もう必要ない。そうセドルに言わしめた原因は、エミリオも昨日の昼間に見た、スイとセドルの決別。二十五年間燻っていた気持ちを断ち切った。
セドルは初代ジェイディを愛していたが、その愛情はスイへの気持ちの投影であり、ジェイディはその媒体である単なる無機物だったのだ。
必要ないと言い捨てられたジェイディの失望と悲しみは悪意となって、自分を捨てたセドル、セドルにそう決意させた原因のスイ、そしてスイを王都へ連れてきたエミリオにまで向けられていたのだった。
上下関係のしがらみや実力主義な騎士団の中、恐れ多くも大魔術師の称号を貰った自分としては、嫉妬や悪意を向けられたことは履いて捨てるほどあった。
普段ならそんな悪感情向けられたところで気にもしないのだけれど……。
「ぐ……許さないはこっちのセリフだ!」
少なくともこうして愛しい恋人のふりをして人を貶める行為はエミリオでなくとも常識人として許せるものではなかった。
ベッドの上にゆらりと立ちあがった女は、覆っていたシーツもかなぐり捨てて「キシャアアアアア!」と人間にあるまじき咆哮を上げた。
それを合図に部屋全体を覆う闇の中から黒い触手のような物がエミリオに向かってものすごい勢いで伸びてくるのを見た。
「くそっ……!」
咄嗟に身を低くして転がって避けるも、女のいる前方からではなく全方位から襲い来る触手全てを避けることが出来ず、足首に絡みついたそれにぐいと引っ掛けられてたたらを踏むエミリオ。
派手に転んだエミリオの四肢と胴、首を触手がぐるぐると絡め捕る。よく見たらその黒い触手は所謂触手と呼ばれるようなものではなく、髪の毛だった。黒々とした髪。ふとこれらが伸びてくる方向の闇を見て、エミリオは背筋がぞっと凍るのを覚えた。
闇の部屋と思っていた。暗いというより黒いという表現が正しいと思っていた。
だが、部屋を覆っていたのは闇ではなく、長い長い黒髪だったのだ。浮いた家具、浮遊魔法も唱えていないのに浮いた体。あの闇の中に浮いたような家具たちは、この蠢く黒い長い髪に絡め捕られて浮いていた。そしてエミリオ自身、その闇の中に浮いたベッドに近づくために歩いたのは、この髪の毛の上だったのだろう。
黒は高貴な色だけれど、このような状況はただ恐ろしいとしか言えなかった。
エミリオはこの蠢く長い長い黒髪が張り巡らされた、いわば敵のあんぐりと開けた口の中にふらふらと食われに入って行ってしまったようなものだ。
長い長い黒髪によって両手首を締め上げられたエミリオは、そのままグイと持ち上げられて宙に浮く。
クスクスと上空から笑い声が聞こえてきたことに驚いてそちらを見上げれば、黒い闇のように張り巡らされた黒髪がもぞもぞと動き出して、そこにまたスイ……いや、ジェイディの顔、眼球パーツのないジェイディの顔が浮かび出てエミリオをあざ笑った。こいつがエミリオの手首を縛っているのだろうか。
クスクスといった笑い声が増え始め、まさかと思い足元や横を見れば、そこかしこにエミリオの体を縛っているらしきジェイディの眼球パーツの欠損した顔が浮かび上がっていたのだ。
これだけの気味の悪さを有した恐怖めいた状況、叫び出してもおかしくないのだが、エミリオはこの状況に無理矢理追い込まれたことに対しての怒りが恐怖に勝って逆に冷静になっていた。
周りを見渡すが部屋の中はびっしりと黒髪に覆われて、エミリオが入ってきた入口すら隠されてしまっていて、チカチカと点灯する宙に浮いたランプの灯りだけが照らす中、スイによく似た女……いや、初代ジェイディの見開いた眼だけが炯々と光っている。
このような現実と隔離された閉鎖空間を作り出し、現実にいる人間を攫い、閉じ込め、さらに髪や人形を操って攻撃をするなど、通常なら魔力消費が凄まじいはずで、魔力枯渇症状が起きても不思議ではない。
もちろん魔力枯渇という症状は、人間とは魔力の資質が違う神を除いて、ありとあらゆる生物に起こる症状であり、それは動物や魔物であっても起こり得るものだ。
最早こうして魔物と化したジェイディとはいえ、その魔力とて無尽蔵ではないはずなのだ。それなのに、ここまでしてもまだそのような症状を見せないジェイディの姿に疑問を持つ。
この空間を作り出して攫った人間に攻撃するほどの魔力を維持できている秘密は一体何なのだろう。
エミリオがそう疑問に思った瞬間、ジェイディは音もなくずいと近づいてきて、エミリオの鼻先すれすれに顔を寄せて、スイと同じ顔と声をして囁いた。
「大切ナモノヲ、奪ワレル悲シミヲ、味合ワセテアゲル……」
そう言って、指をぱちりと慣らすと、彼女の後ろからもぞもぞと髪の毛が盛り上がり、まるで根菜を土から引き抜くみたいにしてずぼっと出てきたものを見て、エミリオはそのターコイズブルーの目を見開いた。
そこに現れたのは、エミリオ自身と同じように、体中を黒髪で縛られて吊り下げられた、スイのぐったりと気を失った姿だった。
「スイ!」
エミリオの呼びかけにもスイは応じない。ただゆっくりと呼吸していることで生きているのは確認できたものの、強い力で眠らされているのか目を閉じたまま動かなかった。
スイを縛るジェイディの黒髪がやや魔力を帯びて青白く発光し点滅しているのが見えた瞬間、スイは眠ったままぶるぶると震え始めて、口をぱくぱくと戦慄かせながら仰け反った。
すると部屋を覆う黒髪がさらにびきびきと音を立てて元気に蠢きだし、ジェイディ自身もその白い裸体から青白い燐光を放ち始めた。
青白い光は、おそらく魔力だ。奪っているのだ。スイから、魔力を。
これだけの閉鎖空間維持と人を攫い攻撃するほどの魔力、六万強もあるエミリオのような規格外の魔力持ちでもなかなか続けることなどできない。だが他者からの供給があれば?
スイはエミリオと同じ規格外の魔力持ちだ。スイの魔力を吸収することによって、ジェイディは力をつけていたらしい。
「やめろ……やめろぉっ!」
スイの肌がどんどん青白く血の気を失っていくのを見て、さすがのエミリオは焦燥により叫びをあげた。
やつれゆくスイの様子と反比例して、目の前のジェイディはどんどん生き生きとしてきていた。
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