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本編
101 クローズドサークル エミリオ4
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「あの女……ヒスイ・マナカ。あいつが悪いのよ。あいつが……あの人に、あたしを、捨てさせた」
女は涙さえにじませながら目をこれ以上はないくらいに見開いて、悲し気に眉をよせながらも口元は笑っていた。
ヒスイ・マナカはスイの異世界での本名だ。そして、あの人、というのは?
捨てさせた?
スイにそっくりな女。
憎々し気に呪詛のように吐き出した言葉には、どこかに悲しみが宿っている。
突然このような閉鎖空間を作り出すような魔力。
エミリオを誘惑したのはスイへの憎しみ? 何故スイを憎むのか?
瞬きもせずに、まるで人形のような表情で。
――人形。そういえば。
ふと思い出すのは、昨日の深夜になろうという時刻に聞いた、メノルカ神殿の爆発事故。
爆発に巻き込まれた聖人、セドル・アーチャー。スイと同じ稀人で、異世界では元恋人だった男。
メノルカの言葉が思い出される。稀人は魔力が高いのだと。スイがそうだったように、セドル・アーチャーもまた魔力が非常に高く、こちらの世界に来た当初は情緒不安定で、よく魔力の暴発を起こしていたという。それでメノルカによってその規格外の魔力の大半を封じ込められた。
そこにきて、爆発事故の最中に紛失した人形。セドルが元恋人を思って作り出した、この国では珍しい黒髪・黒目の人形ジェイディ。その試作品である初代ジェイディを、セドルはとても大切にしていた。
人形というのは、魔力や情念のようなものが宿りやすい。現に盗まれたジェイディ人形には魔力の形跡があり、その形跡を辿ってクアスが捜査のためにここまでやってきたのだ。
その魔力は、聖人セドルのものだ。彼が愛情を込めて大切にしてきた人形にその魔力が宿っていた。
セドルは元は規格外の規模の魔力持ちで、その魔力は今は封印されているけれど、二十五年の歳月で少しずつでも愛情として注がれた魔力が人形に蓄積していったとしたら。
そして、初代ジェイディ人形を、セドルは倉庫に仕舞おうとしていた。今まで作業部屋にて二十五年間毎日愛でていたものを、昨日突如として手放そうとしていた。
それは何故だったのか。
その昼間には、シャガからやって来たスイと、同じ稀人としてメノルカが引き合わせたセドル。二人は元恋人同士、その仲はとっくに破綻していたが、転移現象と二十五年の隔たりのおかげでままならなかったこと、正式に決別をして、関係を完全に断ち切った二人。
セドルが初代ジェイディを手放そうとしていた原因がそうだとしたら。
エミリオの頭の中で、数々の情報がパズルのようにかちりと組み合わさって、一つの仮説を導き出した。
「……君は」
「……」
「初代、ジェイディ、なのか……?」
「…………」
「あの人、というのは……メノルカ神殿の聖人、セドル・アーチャー様のことか……?」
女は答えない。瞬きもせずにかっと開かれた黒い眼は、どう見ても人間の目玉に見えるというのに、セピア色のテーブルランプの光だけの暗闇の中では、そこに反射する光さえ恐ろしいほど無機質だった。
初代ジェイディ。ある程度封印されたとはいえ、強力な魔力持ちである者に、二十五年間並々ならぬ愛情を注がれ続けた人形が、こうして魂,意思、力を宿した。
彼女は気付いてしまったのだろう。まさに、昨日、自分に注がれた愛情が、相手が自分を通して見ていた誰かに対するものだったということに。
その際たるものが、セドル・アーチャーが倉庫にその人形を移動させた行為。
メノルカ神殿の倉庫は単なる物置ではない。目録に記した数々の聖遺物が保管された管理庫で、滅多に開放も人の出入りもされない場所。そこに保管するということは、その物との完全なる決別を意味するから。
女から膨大な量の魔力が放出され始めるのがわかった。部屋に満ち満ちた女の魔力によるものか、エミリオの脳内に一つの映像が流れてきた。
目の前に初老の男、セドルがいて、ガラスケースの向こうからこちらを覗き込んでいた。そしてしばし寂しげに見つめたかと思うと、そのガラスケースを持ち上げて布を敷いた床に置き、その大きな布で包み込んでしまう。
ガラスケースと布の向こうから、くぐもった会話が漏れ聞こえてきた。
『セドル様。そちらをどうするのですか』
『……倉庫にしまうことにしました。ここにいつまでも置いておくと日光で日焼けもしますしね』
『でも……いいんですか? その子はセドル様がとても気に入っていらしたものではありませんか?』
『いいんです。もう……その時が来たのです。ずっと先延ばしにしていましたが、お別れの時が来たのです』
『セドル様……』
『私はこの子に縋り過ぎました。ずっと願っていたあの人と……決別できましたので、もう必要……ありません』
キエエエエエエエエッ!
突然仰け反ってモンスターのような奇声を上げた女。それと同時に彼女から凄まじい勢いの突風が吹き荒れて、彼女を押さえつけていたエミリオはその風に煽られて派手にぶっ飛んだ。
幸い、壁の存在が感じられないほどの浮遊感に助けられて激突は免れたが、床のない、それでも奈落へ落下することのないふわふわとした床にエミリオはごろごろと転がった。
女は涙さえにじませながら目をこれ以上はないくらいに見開いて、悲し気に眉をよせながらも口元は笑っていた。
ヒスイ・マナカはスイの異世界での本名だ。そして、あの人、というのは?
捨てさせた?
スイにそっくりな女。
憎々し気に呪詛のように吐き出した言葉には、どこかに悲しみが宿っている。
突然このような閉鎖空間を作り出すような魔力。
エミリオを誘惑したのはスイへの憎しみ? 何故スイを憎むのか?
瞬きもせずに、まるで人形のような表情で。
――人形。そういえば。
ふと思い出すのは、昨日の深夜になろうという時刻に聞いた、メノルカ神殿の爆発事故。
爆発に巻き込まれた聖人、セドル・アーチャー。スイと同じ稀人で、異世界では元恋人だった男。
メノルカの言葉が思い出される。稀人は魔力が高いのだと。スイがそうだったように、セドル・アーチャーもまた魔力が非常に高く、こちらの世界に来た当初は情緒不安定で、よく魔力の暴発を起こしていたという。それでメノルカによってその規格外の魔力の大半を封じ込められた。
そこにきて、爆発事故の最中に紛失した人形。セドルが元恋人を思って作り出した、この国では珍しい黒髪・黒目の人形ジェイディ。その試作品である初代ジェイディを、セドルはとても大切にしていた。
人形というのは、魔力や情念のようなものが宿りやすい。現に盗まれたジェイディ人形には魔力の形跡があり、その形跡を辿ってクアスが捜査のためにここまでやってきたのだ。
その魔力は、聖人セドルのものだ。彼が愛情を込めて大切にしてきた人形にその魔力が宿っていた。
セドルは元は規格外の規模の魔力持ちで、その魔力は今は封印されているけれど、二十五年の歳月で少しずつでも愛情として注がれた魔力が人形に蓄積していったとしたら。
そして、初代ジェイディ人形を、セドルは倉庫に仕舞おうとしていた。今まで作業部屋にて二十五年間毎日愛でていたものを、昨日突如として手放そうとしていた。
それは何故だったのか。
その昼間には、シャガからやって来たスイと、同じ稀人としてメノルカが引き合わせたセドル。二人は元恋人同士、その仲はとっくに破綻していたが、転移現象と二十五年の隔たりのおかげでままならなかったこと、正式に決別をして、関係を完全に断ち切った二人。
セドルが初代ジェイディを手放そうとしていた原因がそうだとしたら。
エミリオの頭の中で、数々の情報がパズルのようにかちりと組み合わさって、一つの仮説を導き出した。
「……君は」
「……」
「初代、ジェイディ、なのか……?」
「…………」
「あの人、というのは……メノルカ神殿の聖人、セドル・アーチャー様のことか……?」
女は答えない。瞬きもせずにかっと開かれた黒い眼は、どう見ても人間の目玉に見えるというのに、セピア色のテーブルランプの光だけの暗闇の中では、そこに反射する光さえ恐ろしいほど無機質だった。
初代ジェイディ。ある程度封印されたとはいえ、強力な魔力持ちである者に、二十五年間並々ならぬ愛情を注がれ続けた人形が、こうして魂,意思、力を宿した。
彼女は気付いてしまったのだろう。まさに、昨日、自分に注がれた愛情が、相手が自分を通して見ていた誰かに対するものだったということに。
その際たるものが、セドル・アーチャーが倉庫にその人形を移動させた行為。
メノルカ神殿の倉庫は単なる物置ではない。目録に記した数々の聖遺物が保管された管理庫で、滅多に開放も人の出入りもされない場所。そこに保管するということは、その物との完全なる決別を意味するから。
女から膨大な量の魔力が放出され始めるのがわかった。部屋に満ち満ちた女の魔力によるものか、エミリオの脳内に一つの映像が流れてきた。
目の前に初老の男、セドルがいて、ガラスケースの向こうからこちらを覗き込んでいた。そしてしばし寂しげに見つめたかと思うと、そのガラスケースを持ち上げて布を敷いた床に置き、その大きな布で包み込んでしまう。
ガラスケースと布の向こうから、くぐもった会話が漏れ聞こえてきた。
『セドル様。そちらをどうするのですか』
『……倉庫にしまうことにしました。ここにいつまでも置いておくと日光で日焼けもしますしね』
『でも……いいんですか? その子はセドル様がとても気に入っていらしたものではありませんか?』
『いいんです。もう……その時が来たのです。ずっと先延ばしにしていましたが、お別れの時が来たのです』
『セドル様……』
『私はこの子に縋り過ぎました。ずっと願っていたあの人と……決別できましたので、もう必要……ありません』
キエエエエエエエエッ!
突然仰け反ってモンスターのような奇声を上げた女。それと同時に彼女から凄まじい勢いの突風が吹き荒れて、彼女を押さえつけていたエミリオはその風に煽られて派手にぶっ飛んだ。
幸い、壁の存在が感じられないほどの浮遊感に助けられて激突は免れたが、床のない、それでも奈落へ落下することのないふわふわとした床にエミリオはごろごろと転がった。
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