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本編
71 メノルカ神殿の聖人
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土地神というものは、その土地に鎮座して守り祝福を与える神であるけれど、時に神とてその地を一時的に離れ、別の地の土地神と交流したり情報共有したりして守るべき人間たちの生育領域や倫理観の把握などを知ることが重要となってくるときもある。
そういう時期はいわゆる神無月と呼ばれる時期となり、その土地に土地神の加護が働かない時期になるという。
そういう時のために、土地神に仕える聖人聖女たちが存在するわけだ。土地神自ら指名した聖人聖女たち数人が、神の代行者としての任に就くゆえ、土地神は安心して出かけられるのだそうだ。
だが、聖人聖女たちはそもそも人間であるから、代行とはいえ神の真似事、土地神本人の力には及ばないため、期限として二日程度が限度なのだそうだ。
ゆえにシュクラがスイに同行して王都へ行く日程はエミリオのほうで組むことになった。スイとシュクラは割と自由の利く職業柄、いつでも良いと言ってくれたので、エミリオのほうで両親と兄夫婦の都合を聞いて日程を組む。
エミリオの家族も、スイとシュクラが泊まる部屋をどうするとか、仮にも神様とその娘御を招くのだからと掃除や料理に一層力を入れなければと、使用人たちに口酸っぱく指示しているらしい。
ちなみにエミリオの部屋は一応物置にはせずに残してくれているからありがたい。
たった二、三日の旅だけれど、シュクラはともかくスイは初めての王都、思いきり楽しんでもらいたい。
ほんの少しだが王都観光に連れ出すのもいいだろう。メノルカ神殿は、土地神メノルカが物づくりが得意な神ということで、他の神殿にない珍しい土産物や道具などがたくさん売っているし、スイも物珍しくて喜ぶかもしれない。
「あっ……」
エミリオはそこまで考えてから、以前スイに頼まれものをしていたのを思い出した。
――次に来るときにはプレゼントするなどと豪語していたくせに俺ときたら。
エミリオの持っている無限収納袋をスイも欲しいと言っていた。メノルカ神殿で売っている、旅に仕事にとても便利な収納袋。あれを買いにいかなければ。
エミリオは、就業時間の定時で席を立つと、次期魔法師団第三師団長候補のロドリゴに、あとはよろしくとばかりに肩をぽんと叩いてから第三師団の執務室を出た。ロドリゴはあきれ顔をしつつも、あと少しで騎士団を去ってしまう上司にしみじみと「お疲れ様です」と言ってくれた。
メノルカ神殿といえば、王城から馬車で中央通りに出てから東方向の大きな通りを進んで十五分ほど行ったところに、大きな神殿の門の前に出る。
そこから本殿に続く緩やかな上り坂を進んでいくのだが、このわりと長めの道のりを歩いて進むのは、まだ若いエミリオほどの年代ならいいけれど、子供や年配の人々にはちょっときつい。
ゆえに乗合馬車が出ているのだが、馬車といっても引くのは馬ではなく、エピオルニスという巨大な二足歩行の鳥である。
エミリオはこの世界の人間であるため知らないのだが、現代の地球では既に絶滅している生物だ。
しかしこの世界のパブロ王国では、王都の土地神メノルカの眷属として元気に生息しているのである。
神殿の正門から本殿までのこの道のりでは結界が敷かれて転移魔法が使えないので、エミリオも大人しくこの乗合馬車――都合上馬車と言っているが、鳥が引く車――に乗ってのんびりと神殿までやってきた。
ふと思い出して、上着の内ポケットに忍ばせていた一枚の紙片を取り出した。
それはいわゆるスナップサイズの写真なのだが、この世界で写真技術はまだ発展途上なので、これはスイの元いた世界、現代日本からもたらされた稀人の技術だ。
ともかく、そこに写っている顔を見て、ほう、と熱っぽくため息をついた。写真は、スイとエミリオが顔を寄せて写っている所謂カップル写真である。
スイの姿絵があればなあ、と別れ際に名残惜しげに呟いたエミリオに、スイが仕事で使っているという「たぶれっとたんまつ」とやらでカシャリと写し、「ぷりんとあうと」してくれたものだ。
愛しくてやまないスイの眩しい笑顔がいつでもどこでも見ることができる。泥や手垢、その他、恋焦がれすぎたエミリオの、男の邪なモノで汚れないように魔法でコーティングしておいたものだ。
暫し恋人の眩しい笑顔を眺めやってから、その笑顔にキスを落として、再び懐にしまいこむ。もうそれだけで気分はポカポカの春である。
いい気分でニコニコしながら、神殿までの長い道のりを馬車にゆったり揺られて、ようやくたどり着いたときは、もう夕日が今にも落ちそうになっていた。
と、ふと見ると今しがた馬車で来た道のほうから歩いてここにたどり着いたらしい見知った顔を見つけた。パブロ王国騎士団第二師団長クアス・カイラード、エミリオの友人だ。
クアスは美しい金髪を夕暮れの風に靡かせているが、それが何か旨そうなものに見えたのか、一仕事終えたばかりのエピオルニスに髪の毛を食べられそうになっているのを手で押さえている。
「クアス! クアスじゃないか」
「……? エミリオか」
「クアスも神殿に用なのか?」
「ああ、もう少しで療養期間が明けるから、祝福をもらいにな。あとは体力づくりも兼ねて」
乗合馬車に乗らずに歩いて来たらしいクアス、さすがは騎士である。療養中に少し落ちてしまった体力を取り戻そうと、この割と長い道のりを徒歩でやってきたようだ。
「そういうお前は?」
「俺はちょっと買い物だ。その……プレゼントを」
「……例の彼女か。スイ殿と言ったか」
並んで歩きながら話の中でスイの話題になると苦虫を噛み潰した表情になるクアスに、エミリオは苦笑する。
表向きは責任を取る形だけれど、本音はスイのことでエミリオが騎士団を退団するのを知っているので、クアスが面白くない気分なのはもう仕方ない。
「そんなに嫌わないでくれ。会ってみればクアスもきっと仲良くなれると思うんだ。気立てが良くて優しい、可愛い人だよ」
「惚れた人間の言う惚気たセリフだな。……って、会えるのか?」
「ああ、実は今度、王都に来てうちの両親と兄夫婦と会ってもらうことになったんだ。その時に時間を作ってクアスにも会わせたいなと」
「待て、彼女はシャガから離れられないのではなかったか? 私はてっきり、こちらのほうがシャガに赴かねばならないと思っていたぞ」
「うーん、最初は俺も家族でシャガに行かないとならないかなと思ったんだが、今兄嫁が身重だし、何とかスイを連れ出せないかとシュクラ様に相談したんだ。そうしたら、なんとシュクラ様も同行してくださることになってな」
エミリオの言葉にクアスは目を見開いた。土地神同士での交流や大会議などのために守護地を一時離れる土地神は聞いたことがあるが、愛し子とはいえ一人の娘御の付き添い程度で守護地を離れる土地神など前代未聞だったらしい。
「……土地神が守護地を離れるのか? 有り得ない事じゃないが、よっぽどのことだぞ」
「俺もそう思ったよ。だが一泊二日程度なら問題ないと、シュクラ様も仰っていたよ」
「……随分と愛されているのだな、そのスイ殿とやらは」
「はは。そうそう、シュクラ様はもうスイを目に入れても痛くないような溺愛ぶりだよ」
そんな土地神の目に入れても痛くないほど可愛がっている愛し子に、魔力枯渇という緊急事態だったとはいえ手を出したエミリオの立場こそよっぽどのことだよなと、クアスは頭痛がした気がしてこめかみに手を当てた。
クアスがメノルカ神の祝福を受けに聖堂に向かうのと別れて、エミリオはメノルカ神殿の最早温泉地の土産物売り場と化したような購買コーナーに向かい、スイに頼まれていた無限収納袋を探すことにした。
エミリオが持っている収納袋は、柔らかな革製の機能性を重視した飾り気のない男性物だが、売り場にはお洒落なハンドバッグやポーチ型の女性物であったり、犬猫や熊などのアニマル柄の子供用の物まで多数取り揃えてあった。
スイはマッパーとしてダンジョンに潜るから、ハンドバッグは向かないかもなと思い、エミリオは色々と考えた結果、肩に斜め掛けで持つポーチ型の物を買うことにした。猫のチャームが付いていて可愛らしい。そういえばスイは猫モチーフのポーチにキャンディを入れて持ち歩いていたし、こういうのは好きなんじゃないかと思って選んだ。
エミリオのような上背のある男が女性物を持って会計に現れたので、この購買コーナーの担当らしい年配の聖人はニコニコしながら「プレゼントですか?」と聞いてきた。
「あ、はい。遠くに住んでいる彼女に渡したくて」
「きっと喜ばれますよ。……二千パキューになります」
会計後、その聖人が綺麗な箱に入れて包装紙とリボンでラッピングしてくれたものを渡してくれたところで、聖堂での祝福を貰って帰ってきたクアスと合流した。
「クアス、終わったのか。それならこれから食事にでも行かないか?」
「ああ、構わない。エミリオも買い物は済んだか」
「もちろん。いい買い物ができた。きっとスイも喜んでくれると思う」
「……しかし、メノルカ神殿の便利道具をプレゼントとは。女性は宝石やドレスのほうが喜ぶと思っていたが、そのスイ殿とは変わっているな」
「そりゃあ王都の女性と比べたらまあ、なんというか。辺境で仕事していたらドレスや宝石など不要だろうしな」
稀人だから、という発言は、ここではあえて控えておいた。スイがあまり王都では大っぴらに話してくれるなと言っていたこともあり、あまり彼女のいない場所でべらべらと彼女の素性を話したくはなかったからだ。
「……結婚するならドレスは必要じゃないのか? 婚礼用の」
「ああ! それはもちろん考えてる。その……恥ずかしい話なんだが」
エミリオは、先日姪のシャンテルの誕生日に、兄の代わりにシャンテルと行った玩具屋での出来事を話して聞かせた。
シャンテルが欲しがっていた人形が、ジェイディという黒髪黒目の美しい限定生産の人形で、そのジェイディがスイそっくりだったこと。そして、そのジェイディのために作られた、本物のドレスメーカーが作った特注のウエディングドレス、それをジェイディが着たところが大変美しかったこと。それで、そのドレスメーカーにスイの本物のウエディングドレスを頼もうと思っていることを話した。
「恥ずかしい話だが、女性のドレスなんて全然詳しくないし、そういうことでしか発見ができなかったのは不甲斐ないんだが……でもまあ絶対彼女に似合うんじゃないかと思ってさ」
クアスは人形のくだりで珍妙な顔をし、ちらと背後の購買コーナーの壁のほうに目をやってから、エミリオに言う。
「エミリオ。お前の言うそのジェイディとやらは、あのポスターの人形か?」
「え?」
言われてそちらに目を向ければ、購買コーナーの一角に設けられたディスプレイとその横の壁に、一枚のポスターが張ってあるのが見える。
『バビちゃんのお友達、ジェイディ登場!』
そうコピーが書かれていて、中央に金髪のバビちゃんらしき人形の横にひと際目立つ黒髪黒目の人形が立っているのが印象的なポスター。
――そういえば。玩具屋のマダムがジェイディはメノルカ神殿の聖人と共同開発して作ったと言っていたな。それでポスターとディスプレイがあるのか。
そんなことを思っているエミリオの横で、クアスは呆れたような顔でため息をついている。
「エミリオ、いくらべた惚れしている相手だからといってな、子供向けの人形に似ているなどと、ちょっと夢を見すぎじゃないのか。それに女性に対しては少々失礼にあたらないか」
「いや、本当にそうなんだけど……あ、そうだ。姿絵があるんだ。見るか?」
「……?」
エミリオは上着の内ポケットから大事なスイの写真を取り出してクアスに見せた。そこにエミリオも映っていることから、「ずいぶん精工な姿絵だな」と前置いてからしげしげと写真とジェイディのポスターを見比べる。
言われてみれば、確かにそっくりだ。この姿絵の女性をディフォルメして人形にすれば、あのジェイディになってもおかしくないだろう。それにこの美しくも珍しい黒髪。このパブロ王国には滅多に生まれない貴重な髪色と黒曜石のような瞳。
顔立ちは吊り目がちの大きな瞳と通った鼻筋、小さな唇をして、雰囲気はまるで一匹の美しいしなやかな黒猫を彷彿とさせる。
「……確かに、お前の言ったとおりの美人だな。あのジェイディとやらにもよく似ている」
「だろ? あ、だからといって惚れるなよ?」
「惚れない。友人の女を取るほど飢えてない。見くびるな」
「冗談だよ」
エミリオの話に渋々とはいえ納得したらしいクアスに気を良くしてクスクスと笑ってしまう。任務の失敗と婚約解消とか、色々嫌なことが重なったクアスが、エミリオの退団のことはしょうがないとして、こんなエミリオの冗談に呆れて返答するくらい元気になったことがちょっと嬉しかった。
まあとりあえず王都の商店街まで戻って食事でも、と歩き出しかけた二人だったが、購買コーナーの会計をしてくれた初老の聖人に声をかけられて振り返る。
「あの……もし、お客様」
「え?」
「何か……?」
色素の薄い、茶色の猫っ毛に白髪が混じり始めたふわふわとした髪をしていて、額はやや生え際が後退しているが、彫りが深くて若い頃はかなりの美男だったのではないかと思わせる初老の聖人である。
「その……お写真、見せて頂いても、よろしいですか?」
「あ……ええ、これがどうかしましたか」
エミリオは聖人の突然の申し出に少し面食らったものの、スイの姿絵には保護魔法がかけてあり、汚れる心配も取られる心配もないので、素直に聖人に向けて見せた。
「……っ!」
聖人は姿絵の中のスイを見て驚愕に目を見開き、まるで過呼吸を起こしたようにはっはっと短く息を吐き出した。
「こっ……この、方は、……」
「ああ、実は遠くに住んでいる恋人でして。こちらの神殿で玩具メーカーと共同開発されたというジェイディ人形にそっくりだなって、友人と話していて……」
「あの、聖人様、一体どうなされた?」
「い、いや……あの……! そ、その方の、お、お名前は……」
絞り出すようなやや枯れた声で紡ぎ出した聖人の質問に、きょとんとして答えようとしたエミリオの言葉は、この聖人を呼ぶ別の声に遮られた。
「セドル様! ちょっとこっち来てくださいー!」
「はっ……! あ、は、はい! 今参ります! ……お客様、お時間取らせて申し訳ありません、私はこれで失礼します……」
セドルと呼ばれたその初老の聖人は、困惑するエミリオとクアスに一礼し、呼びかけた聖人のほうへ小走りに去っていった。
「……何だったんだろう?」
「さあな……ジェイディ人形にあまりにそっくりだったから驚いたんじゃないか」
「そうか……まあ確かにそうかもな」
「さあ、帰って食事にでも行こうエミリオ」
「ああ……」
クアスに促されて、とりあえずはスイの姿絵を再び内ポケットにしまい込み、エミリオは不思議だと思いながらもクアスとともにメノルカ神殿を後にした。
そういう時期はいわゆる神無月と呼ばれる時期となり、その土地に土地神の加護が働かない時期になるという。
そういう時のために、土地神に仕える聖人聖女たちが存在するわけだ。土地神自ら指名した聖人聖女たち数人が、神の代行者としての任に就くゆえ、土地神は安心して出かけられるのだそうだ。
だが、聖人聖女たちはそもそも人間であるから、代行とはいえ神の真似事、土地神本人の力には及ばないため、期限として二日程度が限度なのだそうだ。
ゆえにシュクラがスイに同行して王都へ行く日程はエミリオのほうで組むことになった。スイとシュクラは割と自由の利く職業柄、いつでも良いと言ってくれたので、エミリオのほうで両親と兄夫婦の都合を聞いて日程を組む。
エミリオの家族も、スイとシュクラが泊まる部屋をどうするとか、仮にも神様とその娘御を招くのだからと掃除や料理に一層力を入れなければと、使用人たちに口酸っぱく指示しているらしい。
ちなみにエミリオの部屋は一応物置にはせずに残してくれているからありがたい。
たった二、三日の旅だけれど、シュクラはともかくスイは初めての王都、思いきり楽しんでもらいたい。
ほんの少しだが王都観光に連れ出すのもいいだろう。メノルカ神殿は、土地神メノルカが物づくりが得意な神ということで、他の神殿にない珍しい土産物や道具などがたくさん売っているし、スイも物珍しくて喜ぶかもしれない。
「あっ……」
エミリオはそこまで考えてから、以前スイに頼まれものをしていたのを思い出した。
――次に来るときにはプレゼントするなどと豪語していたくせに俺ときたら。
エミリオの持っている無限収納袋をスイも欲しいと言っていた。メノルカ神殿で売っている、旅に仕事にとても便利な収納袋。あれを買いにいかなければ。
エミリオは、就業時間の定時で席を立つと、次期魔法師団第三師団長候補のロドリゴに、あとはよろしくとばかりに肩をぽんと叩いてから第三師団の執務室を出た。ロドリゴはあきれ顔をしつつも、あと少しで騎士団を去ってしまう上司にしみじみと「お疲れ様です」と言ってくれた。
メノルカ神殿といえば、王城から馬車で中央通りに出てから東方向の大きな通りを進んで十五分ほど行ったところに、大きな神殿の門の前に出る。
そこから本殿に続く緩やかな上り坂を進んでいくのだが、このわりと長めの道のりを歩いて進むのは、まだ若いエミリオほどの年代ならいいけれど、子供や年配の人々にはちょっときつい。
ゆえに乗合馬車が出ているのだが、馬車といっても引くのは馬ではなく、エピオルニスという巨大な二足歩行の鳥である。
エミリオはこの世界の人間であるため知らないのだが、現代の地球では既に絶滅している生物だ。
しかしこの世界のパブロ王国では、王都の土地神メノルカの眷属として元気に生息しているのである。
神殿の正門から本殿までのこの道のりでは結界が敷かれて転移魔法が使えないので、エミリオも大人しくこの乗合馬車――都合上馬車と言っているが、鳥が引く車――に乗ってのんびりと神殿までやってきた。
ふと思い出して、上着の内ポケットに忍ばせていた一枚の紙片を取り出した。
それはいわゆるスナップサイズの写真なのだが、この世界で写真技術はまだ発展途上なので、これはスイの元いた世界、現代日本からもたらされた稀人の技術だ。
ともかく、そこに写っている顔を見て、ほう、と熱っぽくため息をついた。写真は、スイとエミリオが顔を寄せて写っている所謂カップル写真である。
スイの姿絵があればなあ、と別れ際に名残惜しげに呟いたエミリオに、スイが仕事で使っているという「たぶれっとたんまつ」とやらでカシャリと写し、「ぷりんとあうと」してくれたものだ。
愛しくてやまないスイの眩しい笑顔がいつでもどこでも見ることができる。泥や手垢、その他、恋焦がれすぎたエミリオの、男の邪なモノで汚れないように魔法でコーティングしておいたものだ。
暫し恋人の眩しい笑顔を眺めやってから、その笑顔にキスを落として、再び懐にしまいこむ。もうそれだけで気分はポカポカの春である。
いい気分でニコニコしながら、神殿までの長い道のりを馬車にゆったり揺られて、ようやくたどり着いたときは、もう夕日が今にも落ちそうになっていた。
と、ふと見ると今しがた馬車で来た道のほうから歩いてここにたどり着いたらしい見知った顔を見つけた。パブロ王国騎士団第二師団長クアス・カイラード、エミリオの友人だ。
クアスは美しい金髪を夕暮れの風に靡かせているが、それが何か旨そうなものに見えたのか、一仕事終えたばかりのエピオルニスに髪の毛を食べられそうになっているのを手で押さえている。
「クアス! クアスじゃないか」
「……? エミリオか」
「クアスも神殿に用なのか?」
「ああ、もう少しで療養期間が明けるから、祝福をもらいにな。あとは体力づくりも兼ねて」
乗合馬車に乗らずに歩いて来たらしいクアス、さすがは騎士である。療養中に少し落ちてしまった体力を取り戻そうと、この割と長い道のりを徒歩でやってきたようだ。
「そういうお前は?」
「俺はちょっと買い物だ。その……プレゼントを」
「……例の彼女か。スイ殿と言ったか」
並んで歩きながら話の中でスイの話題になると苦虫を噛み潰した表情になるクアスに、エミリオは苦笑する。
表向きは責任を取る形だけれど、本音はスイのことでエミリオが騎士団を退団するのを知っているので、クアスが面白くない気分なのはもう仕方ない。
「そんなに嫌わないでくれ。会ってみればクアスもきっと仲良くなれると思うんだ。気立てが良くて優しい、可愛い人だよ」
「惚れた人間の言う惚気たセリフだな。……って、会えるのか?」
「ああ、実は今度、王都に来てうちの両親と兄夫婦と会ってもらうことになったんだ。その時に時間を作ってクアスにも会わせたいなと」
「待て、彼女はシャガから離れられないのではなかったか? 私はてっきり、こちらのほうがシャガに赴かねばならないと思っていたぞ」
「うーん、最初は俺も家族でシャガに行かないとならないかなと思ったんだが、今兄嫁が身重だし、何とかスイを連れ出せないかとシュクラ様に相談したんだ。そうしたら、なんとシュクラ様も同行してくださることになってな」
エミリオの言葉にクアスは目を見開いた。土地神同士での交流や大会議などのために守護地を一時離れる土地神は聞いたことがあるが、愛し子とはいえ一人の娘御の付き添い程度で守護地を離れる土地神など前代未聞だったらしい。
「……土地神が守護地を離れるのか? 有り得ない事じゃないが、よっぽどのことだぞ」
「俺もそう思ったよ。だが一泊二日程度なら問題ないと、シュクラ様も仰っていたよ」
「……随分と愛されているのだな、そのスイ殿とやらは」
「はは。そうそう、シュクラ様はもうスイを目に入れても痛くないような溺愛ぶりだよ」
そんな土地神の目に入れても痛くないほど可愛がっている愛し子に、魔力枯渇という緊急事態だったとはいえ手を出したエミリオの立場こそよっぽどのことだよなと、クアスは頭痛がした気がしてこめかみに手を当てた。
クアスがメノルカ神の祝福を受けに聖堂に向かうのと別れて、エミリオはメノルカ神殿の最早温泉地の土産物売り場と化したような購買コーナーに向かい、スイに頼まれていた無限収納袋を探すことにした。
エミリオが持っている収納袋は、柔らかな革製の機能性を重視した飾り気のない男性物だが、売り場にはお洒落なハンドバッグやポーチ型の女性物であったり、犬猫や熊などのアニマル柄の子供用の物まで多数取り揃えてあった。
スイはマッパーとしてダンジョンに潜るから、ハンドバッグは向かないかもなと思い、エミリオは色々と考えた結果、肩に斜め掛けで持つポーチ型の物を買うことにした。猫のチャームが付いていて可愛らしい。そういえばスイは猫モチーフのポーチにキャンディを入れて持ち歩いていたし、こういうのは好きなんじゃないかと思って選んだ。
エミリオのような上背のある男が女性物を持って会計に現れたので、この購買コーナーの担当らしい年配の聖人はニコニコしながら「プレゼントですか?」と聞いてきた。
「あ、はい。遠くに住んでいる彼女に渡したくて」
「きっと喜ばれますよ。……二千パキューになります」
会計後、その聖人が綺麗な箱に入れて包装紙とリボンでラッピングしてくれたものを渡してくれたところで、聖堂での祝福を貰って帰ってきたクアスと合流した。
「クアス、終わったのか。それならこれから食事にでも行かないか?」
「ああ、構わない。エミリオも買い物は済んだか」
「もちろん。いい買い物ができた。きっとスイも喜んでくれると思う」
「……しかし、メノルカ神殿の便利道具をプレゼントとは。女性は宝石やドレスのほうが喜ぶと思っていたが、そのスイ殿とは変わっているな」
「そりゃあ王都の女性と比べたらまあ、なんというか。辺境で仕事していたらドレスや宝石など不要だろうしな」
稀人だから、という発言は、ここではあえて控えておいた。スイがあまり王都では大っぴらに話してくれるなと言っていたこともあり、あまり彼女のいない場所でべらべらと彼女の素性を話したくはなかったからだ。
「……結婚するならドレスは必要じゃないのか? 婚礼用の」
「ああ! それはもちろん考えてる。その……恥ずかしい話なんだが」
エミリオは、先日姪のシャンテルの誕生日に、兄の代わりにシャンテルと行った玩具屋での出来事を話して聞かせた。
シャンテルが欲しがっていた人形が、ジェイディという黒髪黒目の美しい限定生産の人形で、そのジェイディがスイそっくりだったこと。そして、そのジェイディのために作られた、本物のドレスメーカーが作った特注のウエディングドレス、それをジェイディが着たところが大変美しかったこと。それで、そのドレスメーカーにスイの本物のウエディングドレスを頼もうと思っていることを話した。
「恥ずかしい話だが、女性のドレスなんて全然詳しくないし、そういうことでしか発見ができなかったのは不甲斐ないんだが……でもまあ絶対彼女に似合うんじゃないかと思ってさ」
クアスは人形のくだりで珍妙な顔をし、ちらと背後の購買コーナーの壁のほうに目をやってから、エミリオに言う。
「エミリオ。お前の言うそのジェイディとやらは、あのポスターの人形か?」
「え?」
言われてそちらに目を向ければ、購買コーナーの一角に設けられたディスプレイとその横の壁に、一枚のポスターが張ってあるのが見える。
『バビちゃんのお友達、ジェイディ登場!』
そうコピーが書かれていて、中央に金髪のバビちゃんらしき人形の横にひと際目立つ黒髪黒目の人形が立っているのが印象的なポスター。
――そういえば。玩具屋のマダムがジェイディはメノルカ神殿の聖人と共同開発して作ったと言っていたな。それでポスターとディスプレイがあるのか。
そんなことを思っているエミリオの横で、クアスは呆れたような顔でため息をついている。
「エミリオ、いくらべた惚れしている相手だからといってな、子供向けの人形に似ているなどと、ちょっと夢を見すぎじゃないのか。それに女性に対しては少々失礼にあたらないか」
「いや、本当にそうなんだけど……あ、そうだ。姿絵があるんだ。見るか?」
「……?」
エミリオは上着の内ポケットから大事なスイの写真を取り出してクアスに見せた。そこにエミリオも映っていることから、「ずいぶん精工な姿絵だな」と前置いてからしげしげと写真とジェイディのポスターを見比べる。
言われてみれば、確かにそっくりだ。この姿絵の女性をディフォルメして人形にすれば、あのジェイディになってもおかしくないだろう。それにこの美しくも珍しい黒髪。このパブロ王国には滅多に生まれない貴重な髪色と黒曜石のような瞳。
顔立ちは吊り目がちの大きな瞳と通った鼻筋、小さな唇をして、雰囲気はまるで一匹の美しいしなやかな黒猫を彷彿とさせる。
「……確かに、お前の言ったとおりの美人だな。あのジェイディとやらにもよく似ている」
「だろ? あ、だからといって惚れるなよ?」
「惚れない。友人の女を取るほど飢えてない。見くびるな」
「冗談だよ」
エミリオの話に渋々とはいえ納得したらしいクアスに気を良くしてクスクスと笑ってしまう。任務の失敗と婚約解消とか、色々嫌なことが重なったクアスが、エミリオの退団のことはしょうがないとして、こんなエミリオの冗談に呆れて返答するくらい元気になったことがちょっと嬉しかった。
まあとりあえず王都の商店街まで戻って食事でも、と歩き出しかけた二人だったが、購買コーナーの会計をしてくれた初老の聖人に声をかけられて振り返る。
「あの……もし、お客様」
「え?」
「何か……?」
色素の薄い、茶色の猫っ毛に白髪が混じり始めたふわふわとした髪をしていて、額はやや生え際が後退しているが、彫りが深くて若い頃はかなりの美男だったのではないかと思わせる初老の聖人である。
「その……お写真、見せて頂いても、よろしいですか?」
「あ……ええ、これがどうかしましたか」
エミリオは聖人の突然の申し出に少し面食らったものの、スイの姿絵には保護魔法がかけてあり、汚れる心配も取られる心配もないので、素直に聖人に向けて見せた。
「……っ!」
聖人は姿絵の中のスイを見て驚愕に目を見開き、まるで過呼吸を起こしたようにはっはっと短く息を吐き出した。
「こっ……この、方は、……」
「ああ、実は遠くに住んでいる恋人でして。こちらの神殿で玩具メーカーと共同開発されたというジェイディ人形にそっくりだなって、友人と話していて……」
「あの、聖人様、一体どうなされた?」
「い、いや……あの……! そ、その方の、お、お名前は……」
絞り出すようなやや枯れた声で紡ぎ出した聖人の質問に、きょとんとして答えようとしたエミリオの言葉は、この聖人を呼ぶ別の声に遮られた。
「セドル様! ちょっとこっち来てくださいー!」
「はっ……! あ、は、はい! 今参ります! ……お客様、お時間取らせて申し訳ありません、私はこれで失礼します……」
セドルと呼ばれたその初老の聖人は、困惑するエミリオとクアスに一礼し、呼びかけた聖人のほうへ小走りに去っていった。
「……何だったんだろう?」
「さあな……ジェイディ人形にあまりにそっくりだったから驚いたんじゃないか」
「そうか……まあ確かにそうかもな」
「さあ、帰って食事にでも行こうエミリオ」
「ああ……」
クアスに促されて、とりあえずはスイの姿絵を再び内ポケットにしまい込み、エミリオは不思議だと思いながらもクアスとともにメノルカ神殿を後にした。
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※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
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