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本編

閑話休題 稀人の黄昏 ~或いは現代日本における一人の男の嘆き~ その3

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 そこは、翡翠の住んでいたマンションだった。それほど古くない真新しいマンションだったのに。
 ぼろい悟のアパートは無事だったのに、このマンションは瓦礫の山と化した。おそらく翡翠の部屋もすべて。どう見ても無事な物は何もなかった。
 
 一体何故。どうして。
 自然災害に何故もどうしてもない。それはわかっているけれど、そんな問いかけを止められない。

 翡翠が昨日の夕方、悟のアパートにとどまっていれば、彼女はきっと助かった。今頃悟の部屋を一緒に片付けていて、もう何だったらウチで一緒に暮らそう、なんて、助かったことを安堵しながら話していたかもしれない。

 そもそも翡翠がやってきたのにすぐ帰ってしまったのは、悟が約束を忘れて浮気相手を家に呼んでいたからだ。決定的な場面を見られてしまったから。

『別れる。彼女とお幸せに』

 そのメッセージが彼女の最後のメッセージとなってしまった。

 がくりと膝を突いてしまった悟は、それに気が付いた周りの人々に「貴方大丈夫?」と心配されながら、なんとか立ち上がって帰路につくしかできなかった。運び込まれた人の搬送先の病院をきいておくべきだったと思ったが、その時は何も考えることができなかった。

 数日家で茫然とし、ニュースで聞いた件の病院を調べて、搬送されたあのマンションの人の知り合いだと言ったが、結婚してもいない身内でもない悟には個人情報だからと何も教えてくれなかった。
 何も情報が得られない悟はそのまままた翡翠のマンションのあった場所へ行くだけしかできなかった。

 それから何か月か経ち、もうそのマンションのあった場所は瓦礫もあらかた撤去されて更地になってしまった。それでも悟はそこに足を運ばずにはいられなかった。
 
 レイナとはあれから会っていない。連絡先も消去した。何よりレイナに会ってしまえばやるせない気持ちを彼女にぶつけてしまいそうだった。浮気をしたのは事実だけれど、すべて、悟自身の弱さが招いた結果だと思った。

 その更地の前に立ち、翡翠のことを思い出すだけで、自責の念に駆られて悔し涙が溢れた。
 スマホに残る既読のないメッセージが酷く悲しい。そういえば彼女の実家の住所も電話番号さえ知らない。会社は知っているけれど、個人情報だし、結婚もしていない悟相手では、あの病院のように相手にしてくれないに違いない。翡翠に繋がる物はなにもかも絶たれた。

 あれから一年。町もあの地震から大分復興してきている。あのマンションのことはもう「あそこって何があったっけ?」と言われるくらいになっている。それくらい人々は前向きに生きようとしているというのに、悟はあれから全然前に進めないでいた。

 気鬱状態になって仕事もままならず、一年がんばったけれどとうとう辞表を出して実家に帰ることにした。親には迷惑をかけることになるが、仕方ない。
 もう新しい女性と付き合うこともできない。したくなかった。誰と付き合っても翡翠を思い出して辛くなる。

「ああ……消えてしまえたらいいのに」

 そう言って、実家に帰る電車の中で涙を流しながら眠りについた。







「おい……オメエ、大丈夫か?」
「へ……?」

 目の前を二メートルはゆうに超える巨漢が、人の好さそうな笑みを浮かべて立っていた。
 その大きさに圧倒されるものの、のんびりした口調に少しだけ緊張がほぐれる。

 気が付けば自分はどこかの遺跡のような場所に蹲っていた。まるでそこは、外国で見た神殿の跡地のような場所であった。

 自分は、確か、実家に帰る電車に乗って、うとうととしていたはずだったのではなかったか。
 がばりと立ちあがってきょろきょろと周りを見回したが、実家の駅とは似ても似つかない場所だった。

「おお、生きてたか。久しぶりだなあ、稀人ってぇのは」
「まれびと……?」
「おう。おめぇみたいなケッタイな服着て、別世界からやってくる異世界人のことよ!」

 にかっと笑いながら得意げに言うその巨漢は、真っ赤な髪がつんつんと逆立ち、浅黒い肌に前掛けをして、白い袴のような服装をして、手には大きな金づちを持っている。金づちを見て一瞬後ずさったが、「何もしねえよ。これは商売道具」とからからと笑いながら説明されてようやく安堵する。

「あの……ここは?」
「パブロ王国王都ブラウワーだ」
「……どこ?」

 そんな国、聞いたこともない。
 こちらの疑問の顔に気が付いたのか、巨漢はげらげらと大笑いしながら説明してやる。

「だから、おめぇにとっちゃここは異世界っつうやつだよ。だからおめぇはここでは異世界人、稀人っちゅうもんになるわけだ。ああ、そんでここは王都ブラウワーにあるメノルカ神殿。この王都の土地神、メノルカを祭る神殿だ。そしてこの俺は……」
「貴方は……?」
「ここの主、土地神メノルカだ!」

 びしっとポーズを決める暑苦しさに、悟は目をしぱしぱさせた。

 その後、行くあてがないならここで鍛冶の仕事をしてみないかと言われ、あれよあれよという間に、この土地神メノルカを名乗る男の弟子の末端にされてしまった。
 兄弟子もメノルカも厳しかったけれど、それでも悟を一切見捨てることなく、叱咤激励して悟を厳しく指導した。
 これからどうなるのだろうと不安を抱えつつも、やったこともない鍛冶の仕事を兄弟子に叩き込まれる毎日で、多少のやけどなどの怪我を負いつつも目の回るような忙しさに、翡翠を失った悲しさを忘れることができそうだった。

 どうやってここに来たのかはさっぱりわからない。
 だが元いた世界から逃げ出したかった気持ちは覚えている。
 新たな世界にやってきて、沈んだ気持ちでずっといることもできない目まぐるしい毎日を送る中で、翡翠のことはようやく思い出の中にしまい込めそうな気がしていた。



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次回より本編再開です。
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