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本編
8 甘い運命
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――ああ、すごい、大きな魔力だ……。なんと魅力的なのだろう……。
目の前のやや狐目の大きな黒い目と長い黒髪に白い肌の、非常に魅力的な大きな魔力を持つ女。目が覚めた? 大丈夫? ひとしきり真っ当な言葉が聞こえてきたけれど、頭の中を素通りしていき、気が付けばその女に手を伸ばし、そのまま覗き込むその前傾した肩を抱き寄せた。
「いたたた、痛い痛い痛い!」
「……はっ」
前傾姿勢の無理な体勢なのをさら引き寄せれば体を二つ折りにするような形になったらしく、女の抗議の声が響いてはっと我に返って手を離す。
女の残り香がやけに甘ったるく感じたのは、その大きな魔力への渇望が見せた幻だったのかもしれない。
彼はしばし虚ろな目でスイを見上げていたが、唇が戦慄いたかと思うと「…………ここは」と小さくつぶやいた。掠れまくってガッラガラの声だ。
「うん、取り急ぎあたしの膝の上かなぁ~なーんて」
「…………っ」
男はがばりと起き上がった。上手いことを言ったつもりだったが、気を悪くしたのかとスイは取り繕う。
男はぺたぺたと自分の額やら顔やらを触って何かを確かめている。
「あ、ごめんごめん。冗談ですハイ」
「…………休んで少し回復したのか? 頭がややスッキリしたような……」
「うん、よくわからんけども、すっごいガラガラ声だよお兄さん。お水飲む?」
「え? あ、ああ、すまない」
スイはバッグから水筒を取り出して、マグカップの形をした蓋の部分を布でちょっと拭ってから水を注ぎ、「はい、どうぞ」と男に差し出した。
「シュクラ様の神殿のとこにある湧き水だよ。今朝汲んできたの」
「……ありがとう」
素直に受け取った男は、おずおずとカップに口をつけた。一口飲んだ瞬間に、湧き水だというのにやたらと甘く感じて、一気に喉の渇きを思い出した様子で、そのまま一息に飲み干してぷはっと息を吐く。無味無臭のはずの水が甘く感じるのは、体が欲している証拠だ。
飲み足りないかと思ってすぐに「もう一杯飲む?」と聞くと、頷いて口元をぬぐいながらマグカップを差し出してきた。
マグカップ型の水筒の蓋三杯の水をごっきゅごっきゅと飲み干して、ようやく一息ついたらしい男は、そこで恭しく頭を下げた。
「……すまない、助かった」
「いえいえ、どういたしまして。でもまだ喉ガラガラだね。あ、そうそう。いいものがあるよ」
「……?」
バッグをがさごそと漁って可愛らしいトラ猫の形をしたポーチを取り出すと、その中からカラフルなセロファンに包まれたキャンディを二つ三つ取り出して男に差し出した。
男は反射的に手を差し出したけれど、血と汗と泥だらけの手を見て慌てて手を引っ込める。
「申し訳ない、手が汚れている」
「あ、そっか。じゃあ……はい、あーん」
「……!?」
スイがセロファン紙をむいて中のキャンディを男に口元に持ってきたことで、男は驚いたような表情をしていたが、スイがさらに「あーん」と促すと、諦めたらしく困ったような表情でおずおずと口を開けたので、その口の中にぽんと入れてやる。
もごもごと口を動かして、頬っぺたの片側をキャンディで丸く膨らませているイケメン。なかなか可愛らしいと思いつつ、もう一つをむいて自分の口に放り込んだ。
ハチミツとレモンとミントののど飴だ。シュクラ神殿の聖女のおばちゃんらが奉仕活動の一環として作って売店で販売しているもので、スイはマッピング作業でダンジョンに入ったときの空気の悪さで喉を傷めないようにとの予防と、あとおやつがわりに持ち歩いていたものだ。
道を覚えながらのマッピング作業はわりと頭を使うので、甘いおやつは必需品である。
男はしばらくコロコロとキャンディを口の中で転がして、思い出したかのように折り目正しくスイに一礼をする。
「何から何まで、ありがとう。俺はエミリオ・ドラゴネッティ、王都ブラウワーの騎士団所属、魔法師団第三師団長をしている。今回シャガ地方のダンジョンの、モンスター討伐隊の魔術師隊長を任じられた者だ」
「あ、やっぱそうなんだ。あたし貴方がたの入って行ったあと隅っこでマップ作業してたから知ってる」
「……君は?」
「ヒスイ・マナカといいます。呼びづらいからスイでいいです」
「スイ……マッパーなのか」
「一応」
「そうか……あの恐ろしいダンジョンからこの清浄な場所まで俺を連れてきてくれたんだな。本当に申し訳ない、ありがとう」
「? 連れてきた? どこにも移動してないよ。お兄さん……ええと、ドラゴネッティさんが何か言ったあとぶっ倒れちゃって、そのままここで起きるの待ってただけ」
「……? どういうことだ、ここは清浄な空気が流れている。あれから移動していないということは、ここはあの恐ろしい上級ダンジョンの中なのか」
「うん」
「ひ、一人で大丈夫だったのか? 女性一人このような恐ろしいダンジョン内で、王都の騎士団でも手に負えなかったくらいのモンスターがうじゃうじゃいたというのに」
「そんなの見なかったよ。というか、シュクラ様のご加護であたし、モンスター遭遇率ゼロなんだよね。見たこともないの」
「ご加護……シュクラ様というのはこのシャガ地方の土地神様だな。君はシュクラ神殿の者なのか?」
シュクラは一応保護者であり、彼に愛し子認定された者です、そう言おうかと思ったけれど、あんまり愛し子だというのを他人にべらべら喋くるものじゃないような気がして、「まあ、お世話になってるだけですけども」とあいまいに答えておいた。
男……エミリオはスイが言いたくないのを察したのか、それ以上は聞かず、胸元から何やらカード大の大きさの板を取り出した。
冒険者ギルドの登録カードによく似ているが、これは王都の騎士団の身分証明書みたいなものなのだろう。冒険者ではないけれど、一応身分証明書としてスイもギルドで登録したものを持っている。
冒険者カードと騎士団のカードはもろもろ違いはあれど、用途はほぼ変わらないとみた。その証拠にカードを何やら魔法操作すると、空中にピュイ、と半透明なビジョンが浮かび上がって、ステータスが表示されるところが同じだ。けれど個人情報だからまじまじと見ないようにする。
「……少しだが回復したのか……。だがまだまだ全回復には程遠い。これでは王都までの転移魔法も使えない……糞っ、早く王都へ帰らないといけないのに……!」
ステータス確認をしているエミリオの顔色はそれほど良くない。モンスター討伐隊と言っていたから、あちこち泥だらけなのを見ても、そうとう疲労困憊状態なのは端から見てもよくわかる。
水をあれだけ飲んだし、喉もガラガラだったから、少し脱水症状も起こしているだろう。
ぶっ倒れたままスイのそばでモンスターの心配もなく休めたから、少しは回復したというのも嘘じゃないだろうが、それにしたってこんな場所じゃなくてしっかりベッドで休まないと死んでしまいそうだ。
「ドラゴネッティさん」
「……エミリオでいい」
「じゃあエミリオさん……も長いからエミさんて呼ぶね」
「あ、ああ」
「あたしもう今日は引き上げようかと思うんだけど、ここにまだ何か用事ある?」
「……いや、俺も戻らないと」
「宿はどこ? ここから遠いの?」
「西シャガ村の宿屋だが……」
「えっ、シャガ中町じゃないんだ。遠いね。ここからだと歩いて三時間はかかるはず。歩いて行けそう……じゃないね。辺境地だから馬車も一時間に一便有るか無いかだし……」
確認のために一度立ち上がったエミリオだったが、すぐに立ち眩みを起こして屈みこんでしまった。
どうする。いつまでもここにいるわけにもいかないし、かといってこのままスイだけが立ち去れば、エミリオの言うモンスターたちが満身創痍の彼に完全にとどめを刺しにやってくるだろう。
「……と、とりあえず、うちに来る? お客さん用のお布団一式くらいならあるし……ちょっと休んでいく?」
「……スイには、その」
「え? あ、不用心だって? よく言われるけども、困った時はお互い様だから……」
「それは、そうだがその……俺などが行って、悋気を起こすような恋人や夫はいたりしないのか?」
「こ、恋人? あー……いないよそんなの。別れたのいつだったっけ……」
「すまん、余計なことを聞いた。………………そうか、……いないのか」
久しぶりに元彼・悟のことを思い出して遠い目をしているスイの横で、彼女を見てなんだかホッとしたような、それでいて真面目な顔をしているエミリオには、スイは気づくこともなかった。
目の前のやや狐目の大きな黒い目と長い黒髪に白い肌の、非常に魅力的な大きな魔力を持つ女。目が覚めた? 大丈夫? ひとしきり真っ当な言葉が聞こえてきたけれど、頭の中を素通りしていき、気が付けばその女に手を伸ばし、そのまま覗き込むその前傾した肩を抱き寄せた。
「いたたた、痛い痛い痛い!」
「……はっ」
前傾姿勢の無理な体勢なのをさら引き寄せれば体を二つ折りにするような形になったらしく、女の抗議の声が響いてはっと我に返って手を離す。
女の残り香がやけに甘ったるく感じたのは、その大きな魔力への渇望が見せた幻だったのかもしれない。
彼はしばし虚ろな目でスイを見上げていたが、唇が戦慄いたかと思うと「…………ここは」と小さくつぶやいた。掠れまくってガッラガラの声だ。
「うん、取り急ぎあたしの膝の上かなぁ~なーんて」
「…………っ」
男はがばりと起き上がった。上手いことを言ったつもりだったが、気を悪くしたのかとスイは取り繕う。
男はぺたぺたと自分の額やら顔やらを触って何かを確かめている。
「あ、ごめんごめん。冗談ですハイ」
「…………休んで少し回復したのか? 頭がややスッキリしたような……」
「うん、よくわからんけども、すっごいガラガラ声だよお兄さん。お水飲む?」
「え? あ、ああ、すまない」
スイはバッグから水筒を取り出して、マグカップの形をした蓋の部分を布でちょっと拭ってから水を注ぎ、「はい、どうぞ」と男に差し出した。
「シュクラ様の神殿のとこにある湧き水だよ。今朝汲んできたの」
「……ありがとう」
素直に受け取った男は、おずおずとカップに口をつけた。一口飲んだ瞬間に、湧き水だというのにやたらと甘く感じて、一気に喉の渇きを思い出した様子で、そのまま一息に飲み干してぷはっと息を吐く。無味無臭のはずの水が甘く感じるのは、体が欲している証拠だ。
飲み足りないかと思ってすぐに「もう一杯飲む?」と聞くと、頷いて口元をぬぐいながらマグカップを差し出してきた。
マグカップ型の水筒の蓋三杯の水をごっきゅごっきゅと飲み干して、ようやく一息ついたらしい男は、そこで恭しく頭を下げた。
「……すまない、助かった」
「いえいえ、どういたしまして。でもまだ喉ガラガラだね。あ、そうそう。いいものがあるよ」
「……?」
バッグをがさごそと漁って可愛らしいトラ猫の形をしたポーチを取り出すと、その中からカラフルなセロファンに包まれたキャンディを二つ三つ取り出して男に差し出した。
男は反射的に手を差し出したけれど、血と汗と泥だらけの手を見て慌てて手を引っ込める。
「申し訳ない、手が汚れている」
「あ、そっか。じゃあ……はい、あーん」
「……!?」
スイがセロファン紙をむいて中のキャンディを男に口元に持ってきたことで、男は驚いたような表情をしていたが、スイがさらに「あーん」と促すと、諦めたらしく困ったような表情でおずおずと口を開けたので、その口の中にぽんと入れてやる。
もごもごと口を動かして、頬っぺたの片側をキャンディで丸く膨らませているイケメン。なかなか可愛らしいと思いつつ、もう一つをむいて自分の口に放り込んだ。
ハチミツとレモンとミントののど飴だ。シュクラ神殿の聖女のおばちゃんらが奉仕活動の一環として作って売店で販売しているもので、スイはマッピング作業でダンジョンに入ったときの空気の悪さで喉を傷めないようにとの予防と、あとおやつがわりに持ち歩いていたものだ。
道を覚えながらのマッピング作業はわりと頭を使うので、甘いおやつは必需品である。
男はしばらくコロコロとキャンディを口の中で転がして、思い出したかのように折り目正しくスイに一礼をする。
「何から何まで、ありがとう。俺はエミリオ・ドラゴネッティ、王都ブラウワーの騎士団所属、魔法師団第三師団長をしている。今回シャガ地方のダンジョンの、モンスター討伐隊の魔術師隊長を任じられた者だ」
「あ、やっぱそうなんだ。あたし貴方がたの入って行ったあと隅っこでマップ作業してたから知ってる」
「……君は?」
「ヒスイ・マナカといいます。呼びづらいからスイでいいです」
「スイ……マッパーなのか」
「一応」
「そうか……あの恐ろしいダンジョンからこの清浄な場所まで俺を連れてきてくれたんだな。本当に申し訳ない、ありがとう」
「? 連れてきた? どこにも移動してないよ。お兄さん……ええと、ドラゴネッティさんが何か言ったあとぶっ倒れちゃって、そのままここで起きるの待ってただけ」
「……? どういうことだ、ここは清浄な空気が流れている。あれから移動していないということは、ここはあの恐ろしい上級ダンジョンの中なのか」
「うん」
「ひ、一人で大丈夫だったのか? 女性一人このような恐ろしいダンジョン内で、王都の騎士団でも手に負えなかったくらいのモンスターがうじゃうじゃいたというのに」
「そんなの見なかったよ。というか、シュクラ様のご加護であたし、モンスター遭遇率ゼロなんだよね。見たこともないの」
「ご加護……シュクラ様というのはこのシャガ地方の土地神様だな。君はシュクラ神殿の者なのか?」
シュクラは一応保護者であり、彼に愛し子認定された者です、そう言おうかと思ったけれど、あんまり愛し子だというのを他人にべらべら喋くるものじゃないような気がして、「まあ、お世話になってるだけですけども」とあいまいに答えておいた。
男……エミリオはスイが言いたくないのを察したのか、それ以上は聞かず、胸元から何やらカード大の大きさの板を取り出した。
冒険者ギルドの登録カードによく似ているが、これは王都の騎士団の身分証明書みたいなものなのだろう。冒険者ではないけれど、一応身分証明書としてスイもギルドで登録したものを持っている。
冒険者カードと騎士団のカードはもろもろ違いはあれど、用途はほぼ変わらないとみた。その証拠にカードを何やら魔法操作すると、空中にピュイ、と半透明なビジョンが浮かび上がって、ステータスが表示されるところが同じだ。けれど個人情報だからまじまじと見ないようにする。
「……少しだが回復したのか……。だがまだまだ全回復には程遠い。これでは王都までの転移魔法も使えない……糞っ、早く王都へ帰らないといけないのに……!」
ステータス確認をしているエミリオの顔色はそれほど良くない。モンスター討伐隊と言っていたから、あちこち泥だらけなのを見ても、そうとう疲労困憊状態なのは端から見てもよくわかる。
水をあれだけ飲んだし、喉もガラガラだったから、少し脱水症状も起こしているだろう。
ぶっ倒れたままスイのそばでモンスターの心配もなく休めたから、少しは回復したというのも嘘じゃないだろうが、それにしたってこんな場所じゃなくてしっかりベッドで休まないと死んでしまいそうだ。
「ドラゴネッティさん」
「……エミリオでいい」
「じゃあエミリオさん……も長いからエミさんて呼ぶね」
「あ、ああ」
「あたしもう今日は引き上げようかと思うんだけど、ここにまだ何か用事ある?」
「……いや、俺も戻らないと」
「宿はどこ? ここから遠いの?」
「西シャガ村の宿屋だが……」
「えっ、シャガ中町じゃないんだ。遠いね。ここからだと歩いて三時間はかかるはず。歩いて行けそう……じゃないね。辺境地だから馬車も一時間に一便有るか無いかだし……」
確認のために一度立ち上がったエミリオだったが、すぐに立ち眩みを起こして屈みこんでしまった。
どうする。いつまでもここにいるわけにもいかないし、かといってこのままスイだけが立ち去れば、エミリオの言うモンスターたちが満身創痍の彼に完全にとどめを刺しにやってくるだろう。
「……と、とりあえず、うちに来る? お客さん用のお布団一式くらいならあるし……ちょっと休んでいく?」
「……スイには、その」
「え? あ、不用心だって? よく言われるけども、困った時はお互い様だから……」
「それは、そうだがその……俺などが行って、悋気を起こすような恋人や夫はいたりしないのか?」
「こ、恋人? あー……いないよそんなの。別れたのいつだったっけ……」
「すまん、余計なことを聞いた。………………そうか、……いないのか」
久しぶりに元彼・悟のことを思い出して遠い目をしているスイの横で、彼女を見てなんだかホッとしたような、それでいて真面目な顔をしているエミリオには、スイは気づくこともなかった。
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