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本編

4 転移の経緯

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 真中翡翠は現代日本からいわゆる異世界転移をしてきた元OLだった。仕事はCADオペ、土木関係の会社に勤めて、給料は良いほうだが残業の多い職場だった。

 二年半付き合った恋人・悟の部屋で、悟の浮気現場に出くわしてショックを受けた翡翠は、ただいま絶賛汗だく行為中につきわっせわっせと励んでいる最中でこちらに気づきもしない二人を置いて、そのまま自宅に戻った。

 その日はやっと定時に帰れた。悟の部屋に行く約束をしていたので、仕事帰りにデパ地下で惣菜を何点か買い込んでから悟の部屋に向かった。
 もらった合鍵で入ったのだが、玄関にあったパステルカラーのパンプス、テーブルの上に既に飲み食いした後のピザの箱やら発泡酒の空き缶、その空き缶のひとつについていた口紅の跡、それに何より、1LDKのリビングの隣の部屋から聞こえてくるなんとも悩まし気な男女の声を聞いたところで、翡翠は踵を返していた。
 悟の郵便受けに合鍵を投入して、仕事用の黒のパンプスの音をかつかつと響かせて彼のアパートを後にする。
 
 帰り道で頭に血を上らせながら「別れる。彼女とお幸せに」とのメッセージをスマホで打ち込んで送信してから電源そのものを落としてバッグの奥底へぶち込み、その足でコンビニに行って酒類を大量に買い込むと、自宅マンションに帰ってソファーにダイブした。

 しばらくして腹を空かす音で我に返った翡翠は、悟のために買ってきたはずのデパ地下グルメをレンジで温めると、これまたコンビニで買い込んだ缶ビールのロング缶を、グラスに入れずに缶のまま飲んだ。
 レンチンしたデパ地下惣菜を冷えたビールで流し込んで一通り堪能したら、もう悟のことなんてどうでもよくなった。

「ふふふ、バイバイ悟ぅ~、うへへへ」

 酔いつぶれて呂律の回らなくなった酔っぱらい女は、バッグにぶち込んだ電源を落としたままのスマホに、悟からの着信とメッセージが鬼のように届いていることも知らずに、自身の回りにビールの空き缶と空になった惣菜パックをとっ散らかしたまま眠りについた。

 今日は週末で、明日は土曜日で休みだ。多少酔いつぶれたところで腰が痛くなるまで眠っても何も問題はないはずだ。

 そのままの体勢で朝まで眠ってしまった翡翠は、昼前にようやく目覚めて、テーブルに突っ伏したまま寝たせいで体のあちこちをごきごき言わせながら、頭痛に顔をしかめつつ冷蔵庫までよろよろと歩いて行った。
 一本だけあったアイスコーヒーの缶を取り出してぐいっとあおってから、ふらふらとバスルームへ行ってシャワーを浴びると、起きたときよりは頭痛はおさまっているように感じた。

 Tシャツと短パンに着替えてテレビをつけるとニュース番組で「本日午前三時ごろに関東地方に強い地震があり……」と言っていた。

「地震? 全然気づかなかったな」

 ニュースを見てみると結構大きな地震だったらしく、翡翠の住む地域でもかなり揺れたらしいのだが、部屋を見まわしても特に何か家具が倒れたり、物が床に落ちたりといった被害は一切無かった。
 その時は単にラッキー、としか思わなかったのだが、まだ閉めっぱなしのリビングの遮光カーテンをざっと開けた瞬間、目の前の光景にフリーズする。

 四階建てのマンションの三階のベランダから見えるのは見慣れた住宅街ではなく、鬱蒼と茂る緑滴る森、森、森。

「…え」

 しかも窓を開けてベランダの下方を見るとすぐ下に地面があった。ここは四階建てマンションの三階だったはずなのに。

 すぐに思い浮かんだのはさっきのニュースで、本当に翡翠が気づかないで部屋にも被害がなかっただけで、地震で家が、マンション自体がどうにかなってしまったのではと思った。
 テレビのニュースはまだ地震の情報を延々と繰り返している。

「え、待って待って。いったん整理しよう」
「そうじゃの。ちょっと落ち着いたほうがいいと思うぞ」

 一人暮らしで独り言が多い翡翠ではあるけれど、誰ともなしに何気なく言った言葉にまさか若々しい男性声で返事が返ってくると思わず、声のした方向へ振り向いた。

「やあ。稀人(まれびと)とは幾年ぶりかのう。家ごと転移してくるのもまた珍しい」

 いつの間にか外からベランダに腕をついて寄りかかっている人物がいた。真っ白な長い長い髪に黄金色の瞳をした、細面の絶世の美形で、背恰好からして外国人男性だ。翡翠は思わずその美しい顔に見とれて固まる。
 ニコニコした彼に見とれて数秒してようやく我に返った翡翠は、驚きすぎて枯れていた声を咳払いをしてからようやく出す。

「……どちら様……?」
「吾輩はシュクラじゃ。おぬしは?」

 今気づいたが喋り方が時代劇くさい。

「あ、真中翡翠、です」
「マナカイスイ?」
「あ、真中が姓で、翡翠が名前で」
「ィスイ? スイ? すまん、うまく呼べん。スイでいいか?」
「あ、スイでオッケーです。周りからもスイって呼ばれてました」
「じゃあスイ、改めて。吾輩はシュクラ。このパブロ王国シャガ地方の土地神をやっておる」
「パブロ、王国? シャガ地方? シュクラ……? え、なになに」

 いやそもそも日本語うまいなこの外人、と思いながら、このシュクラと名乗った青年の言葉を反芻してますます混乱する。

「混乱するのも無理はなかろう。先人の稀人(まれびと)もこの地に着いた当初は同じように理解不能といった顔をしていた」
「まれびと?」
「おぬしのような異世界からやってきた御仁のことじゃ」
「異世界て。え、なに、異世界ってなに? ここどこ?」
「だから、パブロ王国シャガ地方じゃ」
「そんな国知らないよ……」
「そうじゃろ? おぬしの前に居た土地は?」
「日本……」
「ここにはそんな土地はない」
「うそ……」
「神は嘘は言わんぞ」
「神って、貴方人間の姿にしか見えないけども。どういう、何、なんなの」
「まあまあ、とりあえず茶でも飲みながら説明してやろうではないか」

 そういってベランダを乗り越えて勝手に部屋に入ってしまったシュクラは、テレビの前のソファーに座って「面白い代物じゃな」と言ってテレビを食い入るように見ていた。何かする様子もないので、お茶は翡翠が入れないといけないのだろう。
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