愛を探す

山田太郎

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愛を探す二人

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 コンビニではスポーツドリンクが売り切れていたので、俺は少し足を伸ばしてスーパーに買い物に出かけた。棚の中から目当てのドリンクを取り出し、少し考えて籠の中に卵やネギなどを放り込む。会計を終えて店を出ると、すでに日は半分以上沈んでいて、薄闇が忍び寄ってきていた。
 いきなりやってきた俺に、相馬はびっくりしたような顔をしていたが、すぐにいつものようににこりと笑って家の中に招き入れてくれた。調子を崩していたと言うのは本当のようで、相馬は寝巻きがわりにしているスウェットを着ていて、後頭部には軽く寝癖がついていた。熱はもう下がったようだったが、俺はまだ少し顔色の悪い相馬を寝床に押し込むと、買ってきた具材をキッチンの台に置き、腕まくりをした。
「日比谷くん…?」
 寝床の中から、相馬は目だけを出して、不思議そうに俺の方を見ていた。思い返してみれば、今まで俺は相馬に何か手料理を振る舞ってやったことは一度もなかった。手料理に限らず、相馬からは与えられるばかりで、それに見合ったものは何も返したことがなかった。俺は包丁を握る手に力を込め、トントンと軽い音を立てて具材を切り始めた。
 ありものの材料で作った雑炊は好評だった。料理の音を聞きながらうつらうつら眠ってしまった相馬を起こし、一緒に小さなテーブルを囲んで食事をとる。相馬はレンゲに雑炊を盛り、ふぅふぅと息をかけて少しずつ口に運んでいた。その様子がいつもより幼く、俺はくすぐったい気持ちで彼の頭を撫でた。
「悪かった」
 口からこぼれ落ちたのは謝罪の言葉だった。丸く目を見開く相馬の澄んだ瞳から逃れたくて、彼の頭に手を乗せたまま、俺は目を逸らして俯いた。
「この前のこと。お前のことを、疑って言ったわけじゃない。俺が…俺自身が自分に子供ができると思っていなかった」
 相馬が持ち上げていたレンゲが震え、上にのっていた雑炊がぼたりと腕の中に落ちた。相馬はゆっくりと腕の中にレンゲを戻すと、頭に乗っている俺の腕を捕まえて、俺の顔を覗き込んだ。
「日比谷くん、高坂さんに、何か聞いた?」
 相馬はいつものように、困ったように笑っていた。俺が小さく一つ肯くと、彼はそっか、と言って俺の手を離した。
「バレちゃったんだ。そっか」
「お前にばかり背負わせていて、悪かったと思っている。もしお前が産みたいと思ってるんだったら、責任は取る」
 俺はかなり真剣に言ったはずだったが、相馬は呆気にとられたような顔をして、次いで腹を抱えて笑い出した。俺はびっくりして彼の肩を掴んだが、相馬は涙を浮かべて笑いながら、馬鹿だなあ、とそう言った。
「あはは、そんなこと考えてたの? 別に産もうなんて考えてなかったよ。親になんて言うのさ。子供ができたから退学して働きますって? そんなの、許されるわけないよ」
 俺は虚を突かれて黙り込んだ。俺も綾人も、運命の番だと喚き散らして反対も聞かずに番契約を交わした時に、二人とも親には勘当されていた。でも、相馬は違う。仲のいい家族がいるのだと写真を見せてもらったこともある。
 相馬は腹を抑えて俯いた。髪が影になって、その表情は見えなくなった。腹を抑えるその手が、ぎゅっと固く握られたのがわかった。
「なんか、なかなか決心がつかなくて…でも、もう受けるよ、手術。高坂さんには、悪いことしちゃったな」
「相馬…」
 明るい声だった。だけど俺にはなんだか彼が泣いているみたいに見えて、彼の背中を引き寄せようとした。でも相馬は、俯いたまま、腕を突っぱねて、それを拒んだ。
「日比谷くんはさ、子供ができたって聞いて嬉しかった?」
 俺は言葉に詰まって黙り込んだ。相馬は顔を上げて俺の顔を見て、ちょっと笑った。
「俺はさ、困ったなと思った。でも、やっぱりちょっと、嬉しかったよ」
 相馬は目を伏せて、小さく息を吐いた。蛍光灯の白い光が、相馬の目元に睫毛の影を落としていた。遠くで踏切がカンカンとなる音が聞こえた。それくらい、部屋の中は静まり返っていた。
「日比谷くんは…俺のこと、好きなんじゃないよ」
 どれぐらい時間がたっただろうか。相馬はぽつんとそう言って、俺は弾かれたように彼の顔を凝視した。相馬は全然笑わずに、唇を一文字にひき結んでいた。
「一番辛い時に一緒にいて、ちょっと勘違いしちゃったんだよ。俺はΩだけど、日比谷くんの運命じゃない。俺は、綾人さんの代わりには、なれないんだよ…」
 相馬はそう言って、俯いてしまった。息が不自然に吸い込まれて、大きく肩が揺れる。
 彼の膝の上にぽたり、と水滴が落ちるのを見て、俺は自分の胸が掻き毟られるような激情を覚えた。抱きしめて、身のうちに抱え込んで、誰にも見せないように、誰にも傷つけられないように守ってやりたいと思った。相馬を救ってやれるのは、俺だけなのだと思った。でも、相馬を何より傷つけているのも、間違いなく俺だった。
 相馬は俺に何も求めない。俺に好きだと言う一方で、俺に好かれたいとは思っていない。彼は最初からなにもかも諦めていて、俺に期待なんかしていないのだ。それは俺が自分の運命を知っていて、彼がそうではないからだ。そう思っているのが、彼に伝わっているからだ。
『あの子のことだけ見てやんなさいよ』
 俺はギリリと奥歯を噛み締めた。相馬を泣かせたのは、俺が自分のことばかり考えていたせいだ。俺は、自分の馬鹿さ加減が、心底嫌になった。




※※※※※※




 僕は翌週、高坂さんの家のクリニックで手術を受けた。ついてこなくていいと言ったのに、日比谷くんはどこからか車まで借りてきて、僕を家まで迎えにきた。もしかしたら、責任を感じているのかもしれない。ついて来てくれるのは素直に嬉しかったが、それが責任感からだとするとなんだか憂鬱な気持ちになった。子供ができたからと言って、それで彼を縛るつもりはなかったからだ。
 手術は無事に終了した。覚悟していたような痛みや喪失感はなく、最初から実は何もなかった、というような呆気なさだった。空っぽになってしまった僕は、麻酔が切れるまでの間ベッドに寝かされながら、微睡と覚醒の間で短い夢を見た。顔のない子供が僕に手を振りながら走ってどこかに行ってしまう夢だった。子供はどこか日比谷くんに似ていて、僕を見ながらにこにこと笑っていた。夢は自分の深層心理だというから、僕はこんなふうに生まれてこれなかった子が笑って行ってくれたらいいなと思っていて、その夢を見たのかもしれない。
 目が覚めると、足元のスツールに日比谷くんが座っていて、分厚い教科書をめくっていた。彼の横顔は相変わらず彫像のように美しく、僕は時と場合も忘れて彼の姿に見とれた。今日が日比谷くんと過ごせる最後の日かもしれない、と僕は何となくそう感じていた。僕が彼に酷いことを言った日から、日比谷くんは今日まで、僕の家にはやってこなかった。今日病院に連れて来てくれたのはただの責任感で、実はもう彼は目が覚めていて、この曖昧な関係を終わりにしようと思っているのかもしれない。見つめる僕の視線に気がついたのか、日比谷くんは教科書から視線を上げ、僕の方を見た。
「起きたのか、相馬」
「うん…今、何時?」
 僕が目を開けているのを見て、日比谷くんはパタンと本を閉じた。窓から射し込む光はもうだいぶ傾いていて、思ったよりも長い間眠っていたのは間違いなかった。
「16時前だ。痛むところはないか?」
 僕は首を横に振った。手術が終わってから二時間以上経っていたらしい。麻酔はとっくに切れたはずだが、穴にちょっと違和感があるくらいで、内部に痛みはなかった。日比谷くんはうんうんと何度かうなずき、僕がベッドの上に身を起こすのを手伝ってくれた。
「目が覚めたら帰っていいと、先生に言われている。立てるか?」
 僕は小さくうなずいて、日比谷くんの手を借りずに立ち上がった。優しくしないでほしかった。どうしたって、期待してしまうから。
 日比谷くんはその僕の手を強引に握った。
「帰ろう、相馬」




 僕はてっきり自分の家に送ってくれるのだと思っていたが、日比谷くんが車を止めたのは、彼のマンションの駐車場だった。そのまま手を引かれ、エレベーターに乗せられる。招かれたのは二階の角部屋で、予想通り日比谷くんの家だった。日比谷くんはそのまま何事でもないように玄関の扉を開け、僕に部屋にあがるように言ったが、僕はとても困惑していて、玄関に突っ立ったまま全然動けずにいた。
 先に部屋に上がっていた日比谷くんが、なかなか来ない僕に痺れを切らしたのか、リビングに続く扉からひょいと顔を出した。
「どうした? やっぱり、どこか痛むのか」
「違うよ。違うけど、日比谷くん…」
 僕はどうしていいか分からず、地団駄を踏むように足を踏み鳴らした。日比谷くんは僕の目の前までやってくると、しゃがみ込んでスニーカーを脱がし、スリッパを履かせる。子供のような扱いに閉口していると、そのまま抱き上げられそうになったので、慌てて拒否して自分の足で彼の家に足を踏み入れた。
 初めて訪れた日比谷くんの家は、思ったより生活感に満ちていて、ソファに脱ぎ散らかした洋服などが落ちていた。きょろきょろと辺りを見回す僕の手を引き、日比谷くんはこっちが寝室で、こっちがトイレという風に部屋の中を案内してくれた。
「今週はこっちの家で寝ろ」
「ええ? なんで?」
 てっきり家に入れてくれたのは彼の気まぐれで、自分の家に帰してくれるものだと思っていた僕は、驚いて日比谷くんの顔を見上げた。
「術後は、出血したり痛みが出る場合があるらしい。このマンションには簡易だが医務室もついている。今は平気かもしれないが、何かあるかもしれないから、今週はこっちの家で寝ていろ」
「大丈夫だよ、俺、結構頑丈だよ」
 心配症だなあと笑って僕が言うと、彼は真面目な表情のまま、人は結構簡単に死ぬ、と言った。それが誰のことを指しているのか理解して、僕は思わず俯き、ごめん…と呟いた。日比谷くんは僕の顔を上げさせ、謝るのは俺の方だ、とそう言った。
「俺が中途半端だったせいで、お前を傷つけた。お前は綾人じゃないし、綾人の代わりだと思ったこともない」
 日比谷くんの手は僕の顔を捕まえていて、日比谷くんの目は僕の目を見つめていた。僕はその時ようやく、彼の部屋に彼以外の荷物がない・・・・・・・・・ということに気がついたのだった。
「お前は俺の運命じゃない。だけど…お前といると安心するし、お前といると触りたいと思う。抱きしめたいし、傷つけたくないし、大切にしたい…と、思う」
 僕は目を見開いたまま、日比谷くんの不器用な言葉を聞いていた。心臓がうるさいくらいに鳴っていて、息が止まるかと思った。日比谷くんはそこで一旦言葉を切って、唇を湿らした。

「相馬のことが、好きだ」

 僕はその瞬間、頭が真っ白になって、何がなんだかわからなくなった。本気なのかとか、なんでこんな時に言うんだろうとか、いなくなってしまった子供のこととかが、頭の中を一瞬で駆け巡って弾け飛んだ。ただ、触れた手が熱くて、見つめられる瞳が離せなくて、何故だかわからないけど熱いものがこみ上げて頬を濡らした。僕はうわ言のように彼の名前を呼んだ。
「俺…俺、日比谷くんの運命じゃないんだよ」
「知っている」
「重いし…料理下手だし…」
「そこも可愛いと思う」
 日比谷くんは僕の頬を拭いながら、優しくそう答えてくれた。僕はしゃくり上げながら日比谷くんの腕に縋り付いて、堪え切れない嗚咽を漏らした。運命とは違うかもしれない。もしかしたら本当の愛ではないのかもしれない。でもそれは、これから二人で探していけばいいのだと思った。
 日比谷くんはそっと僕の顔に自分の顔を近づけた。僕も応えるように、目をつむった。そしてーー。




(愛を探す 終)
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