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愛を探すα ③
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相馬は、何も変わらなかった。それはとても心地よく、このまま有耶無耶にして無かったことにしたい誘惑に駆られたが、そうしていてはいつまでも相馬の優しさにずるずると甘え続けるだけだということは、俺もようやくわかり始めていた。そろそろ、逃げるのをやめて考えなければならない時期に来ていた。俺はそう思いながら、未だ、何も変われていなかった。
その日の相馬の様子はどこかいつもと違っていた。いつものように俺を出迎え、いつものように料理をして、いつものように食事をとったが、どこか上の空で心がそこにないような感じがした。何かあったのか、と何気なく訊こうとして俺は、自分が相馬に応えられるのか、急に不安になった。
(何かあったと言われたら、俺は彼に何をしてやれるだろうか)
そう思うと、口から溢れそうだった「何かあったのか」という問いは、そのまま声に載せられることなく、俺の腹の中に飲み込まれた。自分がひどく格好悪いということはわかっていたが、何も出来ないくせに聞こうとすることの方が無責任なように感じた。
相馬はいつもと変わらないようでいつもと微妙に違うまま、後片付けをして風呂に入って俺の腕の中で横になった。相馬の温かい体温を抱き、彼から漂ってくる石鹸の匂いを嗅ぐと、たまらないぐらい安心して、心地の良い気持ちになった。相馬はいつもと違って身体の向きを変え、もぞもぞと俺の胸の中に潜り込んだ。小さなつむじが目の前にきて、俺は彼の不思議な行動に何度か瞬いた。
「相馬?」
呼ぶと、相馬は俺の胸に顔を埋めたまま、ひびやくん、といつもの優しい声で俺に語りかけた。
「子供ができた…って言ったら、どうする?」
瞬間、キーンと音が聞こえなくなって、腕の中にいる相馬のことを俺は忘れていた。子供ができるようなことなんて、一度しか心当たりがないが、随分前のことだし、万が一を考え、避妊には気を付けていたはずだった。何より俺は綾人と番契約を交わしていて、他の誰かとは一生子供が出来ないはずだった。俺は信じられない思いで、彼が腕の中にいることを忘れ、呆然と呟いた。
「俺の…子供なのか?」
それは別に彼を疑う意味で言ったわけではなく、自分自身そんなことが起きるとは思っておらず、思わずこぼれ落ちた言葉だった。言ってはいけない言葉だったと思い至った時にはもう遅く、俺は青ざめて相馬の体から手を離し、弁明しようとした。
「いや、違う、相馬。そんな意味じゃ」
「冗談だよ」
相馬は笑っていた。逆光で細部は見えなかったが、いつものように困ったように笑って、ごめんね、となんでもないように謝った。
「子供なんてできてない。冗談にしては、ちょっとタチが悪かった。ごめんね」
今まで、相馬がそんな冗談を言ったことはなかった。言葉に詰まって、何も言えないでいる俺の前で、相馬はいつものようにさっさと俺に背を向け、眠る体勢にはいってしまった。その背中が何よりも雄弁に俺を拒絶していて、俺は結局その夜、彼の身体に触れることができなかった。
相馬は理由もなくあんな冗談を言う奴ではない。何かあったからあんな台詞を発したのだろうし、その答えを俺が間違えたのは、どう見ても明らかだった。その後も相馬の優しい態度は変わらなかったが、どこか一線を引かれたというのは感じていた。例えば最近は重いから買い出しを手伝うと申し出ても、以前ならはにかんだように笑って任せてくれたのが、一人で大丈夫だと笑って拒否されるようになった。俺はずっと相馬との距離を測りあぐねていて、彼と関係を持ってからその距離をつめてみようと試みることが増えたのだが、あの夜からそれを完全に拒絶されていた。
(本当に、子供ができたんだろうか…)
相馬のことは好ましいと思っている。隣にいると安心するし、彼が笑うのを見ると胸のあたりがじんわりと暖かくなる。でもそれは、運命の番をーー綾人を前にしたときのような渇望とは全く違っていて、俺は彼をどう思っていいのか、自分でもよくわからないのだった。
夏休みが明けて、新学期が始まると、久々にやって来た大学にはいつものように同じ顔ぶれが集まっていた。その中に相馬の姿を見つけることができず、俺は不思議に思って教室を見回した。彼はいつも真面目に授業に出席していて、真剣な横顔でノートをとっているのだった。よほど体調でも優れないのかと思ったが、一昨日相馬の家に顔を出した時はそのような様子には見えなかった。そうこうしているうちに1週目の講義はあっけなく終わってしまい、皆がバタバタと荷物をまとめ始める。ガイダンスだけでかなり早く終わってしまったので、次の講義までまだ一時間ほど時間がある。相馬に調子でも悪いのかとメッセージを打ち、どこかで暇を潰そうかと、鞄を肩にかけて考える。レポートもまだないし、たまには図書館で読書でもいいかもしれない。
「日比谷!」
教室を出ようとしたところを、あまり聞きたくない声に呼び止められた。一瞬無視してやろうかと考えたが、余計に面倒なことになりそうだったので、ため息をついて振り向いた。思った通りそこには高坂が立っていたが、彼女はいつもの快活な笑みを潜め、柳眉を逆立ててこちらを見ていた。彼女はヒールの音をツカツカと立ててこちらに近寄ると、険しい顔のまま、その口を開いた。
「あんた、最近相馬に会ってる?」
俺は少々うんざりする気持ちで目の前の女を眺めた。俺の知る高坂という女はもう少し理性的でこんなふうに過干渉ではなかったはずだったが、どうやら思い違いをしていたらしい。何をそんなに気にするのかはわからないが、この間の合コンといい、最近はお節介が過ぎて煩わしい。
「お前に関係ないだろう」
「うるさいな、関係あんのよ。会ってるの、会ってないの、どっちなのよ」
軽い拒絶は高坂には通用せず、一蹴されて逆に問い詰められた。俺もいい加減気分を害してきていて、その強い詰問口調に顔を顰めた。
「なんでそんなことを知りたがる」
「あたしだって聞かなくていいなら日比谷になんか聞かないっての、こんなこと。…相馬と、連絡が取れないの」
高坂は怒っているのではなく、どうやらひどく困惑しているようだった。片手を頰に当て、珍しく歯切れ悪く、あのさ、と言葉を続ける。
「あのー、ね? 聞いた? 相馬から、あの…」
なんのことだ、と眉をひそめかけ、数日前の相馬とのやり取りを思い出した。もしかして、あの冗談は高坂が仕組んだものだったのか。それならば相馬らしくない、タチの悪さも説明がつく。俺はひどく不愉快な気分になって、目の前の女を睨みつけた。聞いた、と短く返答すると、高坂は目に見えて安心した顔になり、ああよかった、と胸を撫で下ろした。思っていた反応と違う返答に、内心首をひねる俺に構わず、高坂は馴れ馴れしく俺の背中に触れてきた。
「なんだ、それならいいのよ。こういうのは当人同士の問題だからね。でも、産むにしても産まないにしても検診には来なさいって言っといてよ。まだ安定してない時期だからさ」
意味のわからないことを言いながら、すっきりした顔で、じゃあと去ろうとする高坂の腕を、俺は思わず手を伸ばして捕まえた。驚いた顔で振り返った高坂に、ざわざわする胸を押さえながら問いかける。
「なんの話をしている? 子供の話は、冗談じゃなかったのか」
呆気にとられたような顔をしていた高坂が、みるみるうちに険しい表情に変わっていくのを、俺は呆然としながら見守ったのだった。
高坂に引き摺り込まれたカフェの片隅で、俺は先日の経緯を話していた。高坂は終始険しい顔で俺の話を聞いていたが、最後の方には呆れたように顔を覆ってしまった。
「何やってんのよ、あんたたちは…」
「それじゃ本当に、俺の子供が相馬の腹の中にいるのか」
呆然としながら呟く俺に、高坂はがばりと立ち上がり、憤怒の表情で机に手のひらを叩きつけた。
「あんたそれ相馬に言ったんじゃないでしょうね」
高坂の剣幕に店内は静まり返っていた。俺は手の中のアイスティーを握りしめ、言った、と声を絞り出した。高坂はどさりと椅子に腰を落とし、大きく息を吐いて顔を覆ってしまった。
「相馬を疑うような意味で言ったんじゃない。でも俺は、自分にもう子供はできないと思っていたから…」
「わかってんのよ! そんなこと…! でもあんたがそんな馬鹿だと思ってなかった。相馬にあんなこと、言うんじゃなかった…」
高坂は叫ぶようにそう言い、顔を覆ったまま、何度も大きく息を吸った。
「相馬はね、うちのクリニックに一人で子供を堕ろしにきたんだよ。あんたが何にも覚悟が出来てないから、一人で全部解決しようとしに来たの。でもそんなの、間違ってるじゃない…」
高坂はそう言うと、ゆっくりと手を下ろして、俺の方を睨みつけた。
「相馬のこと、ちゃんと考えてやんなよ。もういない運命に囚われて、そんなやつと比べたりなんかせずに、あの子のことだけ見てやんなさいよ。なんであたしに、こんなにまで言われないとわかんないのよ…」
彼女の目元は赤く染まっていて、ひどい鼻声だったが、その言葉は俺の胸をぐさりとえぐった。何も言えずに固まってしまった俺の前で、高坂は勢いよく鼻をかむと、伝票を持ってすっくと立ち上がった。
「あとはあんたたちの問題だから、これ以上は何も言わないけど、相馬に言っといてよ。気まずいのかなんなのか知らないけど、病院にはちゃんと来いって。あんなお節介しといて、言えた話じゃないけどさ」
高坂はそう言い捨て、ヒールの音を高く鳴らしながら去っていった。その音が聞こえなくなってしばらくして、俺はぎこちなく仰向き、目を閉じてため息をついた。頭の中はぐちゃぐちゃで、できれば何も考えずに逃げ出してしまいたかった。
ぴろん、と間の抜けた音が鳴って、顔を下ろすと、通知欄に相馬からの返信が返ってきていた。
『今朝は微熱があったんだけど、今は下がったよ。ありがとう』
一昨日会った相馬の顔を思い出す。高坂が言ったようなことがあったなんて、言われなければ俺は一生気がつけなかっただろう。
「格好悪いな、俺は…」
その日の相馬の様子はどこかいつもと違っていた。いつものように俺を出迎え、いつものように料理をして、いつものように食事をとったが、どこか上の空で心がそこにないような感じがした。何かあったのか、と何気なく訊こうとして俺は、自分が相馬に応えられるのか、急に不安になった。
(何かあったと言われたら、俺は彼に何をしてやれるだろうか)
そう思うと、口から溢れそうだった「何かあったのか」という問いは、そのまま声に載せられることなく、俺の腹の中に飲み込まれた。自分がひどく格好悪いということはわかっていたが、何も出来ないくせに聞こうとすることの方が無責任なように感じた。
相馬はいつもと変わらないようでいつもと微妙に違うまま、後片付けをして風呂に入って俺の腕の中で横になった。相馬の温かい体温を抱き、彼から漂ってくる石鹸の匂いを嗅ぐと、たまらないぐらい安心して、心地の良い気持ちになった。相馬はいつもと違って身体の向きを変え、もぞもぞと俺の胸の中に潜り込んだ。小さなつむじが目の前にきて、俺は彼の不思議な行動に何度か瞬いた。
「相馬?」
呼ぶと、相馬は俺の胸に顔を埋めたまま、ひびやくん、といつもの優しい声で俺に語りかけた。
「子供ができた…って言ったら、どうする?」
瞬間、キーンと音が聞こえなくなって、腕の中にいる相馬のことを俺は忘れていた。子供ができるようなことなんて、一度しか心当たりがないが、随分前のことだし、万が一を考え、避妊には気を付けていたはずだった。何より俺は綾人と番契約を交わしていて、他の誰かとは一生子供が出来ないはずだった。俺は信じられない思いで、彼が腕の中にいることを忘れ、呆然と呟いた。
「俺の…子供なのか?」
それは別に彼を疑う意味で言ったわけではなく、自分自身そんなことが起きるとは思っておらず、思わずこぼれ落ちた言葉だった。言ってはいけない言葉だったと思い至った時にはもう遅く、俺は青ざめて相馬の体から手を離し、弁明しようとした。
「いや、違う、相馬。そんな意味じゃ」
「冗談だよ」
相馬は笑っていた。逆光で細部は見えなかったが、いつものように困ったように笑って、ごめんね、となんでもないように謝った。
「子供なんてできてない。冗談にしては、ちょっとタチが悪かった。ごめんね」
今まで、相馬がそんな冗談を言ったことはなかった。言葉に詰まって、何も言えないでいる俺の前で、相馬はいつものようにさっさと俺に背を向け、眠る体勢にはいってしまった。その背中が何よりも雄弁に俺を拒絶していて、俺は結局その夜、彼の身体に触れることができなかった。
相馬は理由もなくあんな冗談を言う奴ではない。何かあったからあんな台詞を発したのだろうし、その答えを俺が間違えたのは、どう見ても明らかだった。その後も相馬の優しい態度は変わらなかったが、どこか一線を引かれたというのは感じていた。例えば最近は重いから買い出しを手伝うと申し出ても、以前ならはにかんだように笑って任せてくれたのが、一人で大丈夫だと笑って拒否されるようになった。俺はずっと相馬との距離を測りあぐねていて、彼と関係を持ってからその距離をつめてみようと試みることが増えたのだが、あの夜からそれを完全に拒絶されていた。
(本当に、子供ができたんだろうか…)
相馬のことは好ましいと思っている。隣にいると安心するし、彼が笑うのを見ると胸のあたりがじんわりと暖かくなる。でもそれは、運命の番をーー綾人を前にしたときのような渇望とは全く違っていて、俺は彼をどう思っていいのか、自分でもよくわからないのだった。
夏休みが明けて、新学期が始まると、久々にやって来た大学にはいつものように同じ顔ぶれが集まっていた。その中に相馬の姿を見つけることができず、俺は不思議に思って教室を見回した。彼はいつも真面目に授業に出席していて、真剣な横顔でノートをとっているのだった。よほど体調でも優れないのかと思ったが、一昨日相馬の家に顔を出した時はそのような様子には見えなかった。そうこうしているうちに1週目の講義はあっけなく終わってしまい、皆がバタバタと荷物をまとめ始める。ガイダンスだけでかなり早く終わってしまったので、次の講義までまだ一時間ほど時間がある。相馬に調子でも悪いのかとメッセージを打ち、どこかで暇を潰そうかと、鞄を肩にかけて考える。レポートもまだないし、たまには図書館で読書でもいいかもしれない。
「日比谷!」
教室を出ようとしたところを、あまり聞きたくない声に呼び止められた。一瞬無視してやろうかと考えたが、余計に面倒なことになりそうだったので、ため息をついて振り向いた。思った通りそこには高坂が立っていたが、彼女はいつもの快活な笑みを潜め、柳眉を逆立ててこちらを見ていた。彼女はヒールの音をツカツカと立ててこちらに近寄ると、険しい顔のまま、その口を開いた。
「あんた、最近相馬に会ってる?」
俺は少々うんざりする気持ちで目の前の女を眺めた。俺の知る高坂という女はもう少し理性的でこんなふうに過干渉ではなかったはずだったが、どうやら思い違いをしていたらしい。何をそんなに気にするのかはわからないが、この間の合コンといい、最近はお節介が過ぎて煩わしい。
「お前に関係ないだろう」
「うるさいな、関係あんのよ。会ってるの、会ってないの、どっちなのよ」
軽い拒絶は高坂には通用せず、一蹴されて逆に問い詰められた。俺もいい加減気分を害してきていて、その強い詰問口調に顔を顰めた。
「なんでそんなことを知りたがる」
「あたしだって聞かなくていいなら日比谷になんか聞かないっての、こんなこと。…相馬と、連絡が取れないの」
高坂は怒っているのではなく、どうやらひどく困惑しているようだった。片手を頰に当て、珍しく歯切れ悪く、あのさ、と言葉を続ける。
「あのー、ね? 聞いた? 相馬から、あの…」
なんのことだ、と眉をひそめかけ、数日前の相馬とのやり取りを思い出した。もしかして、あの冗談は高坂が仕組んだものだったのか。それならば相馬らしくない、タチの悪さも説明がつく。俺はひどく不愉快な気分になって、目の前の女を睨みつけた。聞いた、と短く返答すると、高坂は目に見えて安心した顔になり、ああよかった、と胸を撫で下ろした。思っていた反応と違う返答に、内心首をひねる俺に構わず、高坂は馴れ馴れしく俺の背中に触れてきた。
「なんだ、それならいいのよ。こういうのは当人同士の問題だからね。でも、産むにしても産まないにしても検診には来なさいって言っといてよ。まだ安定してない時期だからさ」
意味のわからないことを言いながら、すっきりした顔で、じゃあと去ろうとする高坂の腕を、俺は思わず手を伸ばして捕まえた。驚いた顔で振り返った高坂に、ざわざわする胸を押さえながら問いかける。
「なんの話をしている? 子供の話は、冗談じゃなかったのか」
呆気にとられたような顔をしていた高坂が、みるみるうちに険しい表情に変わっていくのを、俺は呆然としながら見守ったのだった。
高坂に引き摺り込まれたカフェの片隅で、俺は先日の経緯を話していた。高坂は終始険しい顔で俺の話を聞いていたが、最後の方には呆れたように顔を覆ってしまった。
「何やってんのよ、あんたたちは…」
「それじゃ本当に、俺の子供が相馬の腹の中にいるのか」
呆然としながら呟く俺に、高坂はがばりと立ち上がり、憤怒の表情で机に手のひらを叩きつけた。
「あんたそれ相馬に言ったんじゃないでしょうね」
高坂の剣幕に店内は静まり返っていた。俺は手の中のアイスティーを握りしめ、言った、と声を絞り出した。高坂はどさりと椅子に腰を落とし、大きく息を吐いて顔を覆ってしまった。
「相馬を疑うような意味で言ったんじゃない。でも俺は、自分にもう子供はできないと思っていたから…」
「わかってんのよ! そんなこと…! でもあんたがそんな馬鹿だと思ってなかった。相馬にあんなこと、言うんじゃなかった…」
高坂は叫ぶようにそう言い、顔を覆ったまま、何度も大きく息を吸った。
「相馬はね、うちのクリニックに一人で子供を堕ろしにきたんだよ。あんたが何にも覚悟が出来てないから、一人で全部解決しようとしに来たの。でもそんなの、間違ってるじゃない…」
高坂はそう言うと、ゆっくりと手を下ろして、俺の方を睨みつけた。
「相馬のこと、ちゃんと考えてやんなよ。もういない運命に囚われて、そんなやつと比べたりなんかせずに、あの子のことだけ見てやんなさいよ。なんであたしに、こんなにまで言われないとわかんないのよ…」
彼女の目元は赤く染まっていて、ひどい鼻声だったが、その言葉は俺の胸をぐさりとえぐった。何も言えずに固まってしまった俺の前で、高坂は勢いよく鼻をかむと、伝票を持ってすっくと立ち上がった。
「あとはあんたたちの問題だから、これ以上は何も言わないけど、相馬に言っといてよ。気まずいのかなんなのか知らないけど、病院にはちゃんと来いって。あんなお節介しといて、言えた話じゃないけどさ」
高坂はそう言い捨て、ヒールの音を高く鳴らしながら去っていった。その音が聞こえなくなってしばらくして、俺はぎこちなく仰向き、目を閉じてため息をついた。頭の中はぐちゃぐちゃで、できれば何も考えずに逃げ出してしまいたかった。
ぴろん、と間の抜けた音が鳴って、顔を下ろすと、通知欄に相馬からの返信が返ってきていた。
『今朝は微熱があったんだけど、今は下がったよ。ありがとう』
一昨日会った相馬の顔を思い出す。高坂が言ったようなことがあったなんて、言われなければ俺は一生気がつけなかっただろう。
「格好悪いな、俺は…」
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