愛を探す

山田太郎

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愛を探すα ②

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 何人か試してわかったことは、セックスをしてもしなくても、相馬でなくても、隣に温もりさえあれば眠りに落ちることはできるということだった。セックスをした方が眠りの質は良かったが、悪夢の性質もより苛烈になった。逆にセックスをしなければ、悪夢を見る頻度はさほどではなかったが、夜中に何度も目が覚めて、抱えている温もりが求めているものではないことを実感させられた。求めているのが綾人なのか相馬なのか、それを考えるのも億劫だったし、性行為を行わずに眠ることを何度か繰り返すと、相手が恋人のような独占欲を見せてくるようになり、それが余計に鬱陶しく煩わしかったので、俺はもっぱら以前のようにセフレを多く抱え、爛れた生活を送っていた。
 夢を見て目が覚めるたび、自分が擦り減っていくのは感じていたが、相馬の温もりの中で綾人を忘れていくより、よほどαらしくていいと思った。そして、そんな俺をじっと見つめる彼の視線にも、気づかないふりをしていた。
「日比谷ー」
 大学の構内、講義室の前で呼ばれて振り返ると、見覚えのある女がこちらに向かって手を振っていた。確か名前を高坂と言った。講義を受講していて何度か実験で同じ班になったことがあり、学部の中心的存在で、飲み会の主催をよく引き受けている女だ。そしてうちの学部で俺以外のもう一人のαでもある。彼女は近くまでやってくると、いきなり目の前でパンと手を合わせた。
「ごめんけどさあ、今日合コンやるんだけど、日比谷来てくんない?」
 ちらっと上目遣いでこちらを見上げてくる高坂は、美人だが気取らず面倒見の良い性格で、飲み会の席でも何度か助けてもらったことがある。今回も合コンの面子が足りないという話を聞いて、俺に声をかけてきたらしい。確かに、以前までの俺なら、面倒だと思うこそすれ、断ったりはしなかっただろう。あれだけ爛れた生活を送っておいて何を、と思われるかもしれないが、クラブで出会うような一夜限りの相手ではなく、恋人を探すための場に行くのはなんだか気が引けた。
「いや、俺は…」
「最近また遊んでんでしょ。気持ちはわかるけど、見てらんないよ、あんた」
 断ろうとして、手を振ろうとした俺の手首を掴んで、高坂は何でもないようにそう言った。ただ、その言葉は鋭く、真剣な瞳は憂いを帯びていて、彼女が面倒を見ようとしているのは俺もなのだ、とそこで気がついた。
 お前に俺の気持ちがわかるわけがない、とついカッとなって手首を掴む手を振り払おうとして、その力が思いの外強く、俺は顔を背けて舌打ちをした。女でもαは並の男性以上に力があり、以前ならどうということもなく外せたはずのそれが振り解けなくなっているということが、自分が弱っていることの何よりの証明だと思えた。ちょっと冷静になって考えてみれば、番契約を行なっていないとはいえ、高坂も自分と同じαであり、番をなくす痛みはβやΩよりもよくわかるのだろう。俯いた俺の顔を見て、彼女はふっと笑って俺の肩をバンバン叩いた。
「別に新しく恋人見つけろなんて言わないからさ。ちょっと顔出すだけでいいんだって」
「お節介女…」
「まっ、いいからいいから。七時に駅前の居酒屋集合ね。絶対来いよ!」
 一方的に約束するだけ約束して、高坂は嵐のように去っていった。残された俺はじんじんする肩をさすりながら、長いため息をついた。
 行かなくても別にいいだろうとは思ったが、行かなければあの女にまた嫌味の一つや二つ言われることは間違いなかった。俺はため息を押し殺し、指定された時間を三十分ほど過ぎて、居酒屋の前に来ていた。ちょっと顔を出すだけ出して、すぐに帰ればいいだろうと思っていた。薄暗い階段を登ると、小さな店はどうやら貸切のようで、宴会はもう始まっているのか、中からやんやと盛り上がる声が聞こえた。
「わっ、日比谷君だ!」
 中に入ると同時に、目敏く俺を見つけたらしい女が甲高い声を上げた。まだ始まったばかりだというのに、場はすっかり出来上がっていて、あっちこっちで俺を手招きする声がする。俺は苦笑しながら辺りを見渡して、そこに一人の男の姿を見つけて、ぐっと息を呑んだ。彼もこちらの姿を見て、驚いたように目を見開いていた。
「おっ、日比谷、ちゃんと来たね。えらいぞ」
 固まる俺の後ろから、酒を乗せた盆を持った高坂がやってきて、その場に固まっていた俺をぐいぐいと押して席に座らせる。俺を閉じ込めるように高坂が隣に腰を下ろしたのを見て、図られたのだ、と舌打ちしたくなるような気持ちになった。向かいに座った男は、すでにいつもの柔らかな表情に戻っていて、俺を見てにこりと笑った。
「久しぶりだね、日比谷くん」
 俺はその声に何も答えられなかった。澄ました顔で隣で酒を飲んでいる高坂を睨み、帰る、と短く吐き捨てる。並の男ならびびって逃げ出すような俺の視線を、高坂はどこを吹く風で受け流し、まだ来たばかりでしょ、と返答した。その顔が腹立たしく、俺がどんな思いでこんな生活をしていると思っているのかと目眩がする気持ちを込め、押し殺した声で怒鳴った。
「お前は何もわかってない!」
「わかってないのは日比谷の方だよ」
 高坂の返事は短く、そして鋭く俺の言葉を切り裂いた。睨みつける俺の視線を真っ向から見返し、突然始まった言い合いにびっくりしている向かいの席の男のーー相馬の顔を指差した。
「周りの方がわかることもあんのよ。別にここで話し合えなんて言わないけど、理由も言わずに一方的に避けるのは違うでしょ」
「高坂さん…」
 高坂の言うことは正論だった。だからこそ腹立たしく、頭に血が上ったが、相馬が困ったような顔でこちらを見て笑うのをみると、胸がつまって言い返せなくなった。相馬が何も聞かないのは、俺が何も聞いて欲しくないと思っているからだ。説明して相馬が傷ついたような顔をするのも見たくないし、自分の言葉が相馬を傷つけるのはもっと嫌だった。俺は結局、ずっと相馬の優しさに甘えていて、以前から何も変わりはしていないのだ。
「日比谷君、こっちにも来てよぉ~」
 俺は何も言えないまま、折よくかかってきた声に答えて高坂の身体を押し退けた。
「あっ、ちょっと、こら!」
 後ろから高坂の声が追いかけて来たが、俺はそれから手を振って逃れ、声をかけて来た女の肩を抱いて一気に酒をあおった。何も考えたくなくて、請われるままに差し出される酒を胃に入れる。相馬の澄んだ瞳がこちらをじっと見つめているのは感じていたが、俺はそれに応える言葉をまだ、持っていなかった。







 何か盛られた、と気がついたのは宴もだいぶたけなわに近づいた頃だった。連日の睡眠不足がたたって普段より酒のまわりが早かったのもあって、かなり遅くまで気がつかなかった。ぼんやりする視界の中で、真っ赤な口紅を引いた女の唇が、ニィと笑うのが見えた。
(気持ちわりぃ…)
 日比谷君寝ちゃったみたい、という耳障りな声が聞こえるとともに、身体が横たえられ、柔らかな膝の上に頭を乗せられたのがわかる。甘ったるい香水の匂いに、求めているのはこれじゃない、と薄れゆく意識の中で思った。自分が何を求めているのかわからないまま、堪えきれない睡魔に襲われて、俺はすっと意識を手放した。

「私、おんなじマンションだから…」
「日比谷くん、寝ちゃってるし、御堂さんには運べないと思うよ」

 頭の上で言い合う声にふと意識が浮上する。身体は鉛のように重く、自分の意思では動かせなかった。誰が話しているのか、ぼんやりする頭では理解できなかったが、女の声がでもと言いつのるのを、男が凛とした声で拒否しているようだった。女はなおも渋っていたが、男が譲らないのを見て、チッと舌打ちをして去っていったようだった。
「俺でもきついかなあ…」
 そんな声とともに、暖かな体温が腹の間に入って来て、よいしょという掛け声とともに自分の体が浮いたのがわかった。誰かの背中に負ぶわれたのだ、ということは理解できたが、俺が意識を保てたのはそこまでだった。優しい体温は俺を心の底から安心させ、俺はその体温を抱きしめるようにして、また、眠りに落ちた。
 心地よい眠りの中、俺は夢を見ていた。いつもの悪夢ではなく、だだっ広い草原のようなところにいる夢だった。俺はその真ん中に立っていて、「誰か」を探していた。
『  』
 名前を呼ばれたような気がして、振り返ると、少し離れた所に綾人が立っていた。久しぶりに会った綾人は最後に見たときと同じように優しい笑顔で、俺は自分が探していたのがそこにいる運命なのだと気がつき、彼の方に走り出した。だが、走っても走っても一向に距離は縮まらず、綾人は笑顔のまま遠ざかっていく。せっかく会えたのに、またすぐに指の隙間からこぼれ落ちていく運命に、声にならない叫びが俺の口から漏れた。とうとう走り疲れて立ち止まってしまった俺の前で、どんどん小さくなっていく綾人は、にっこりと笑ったまま、俺の後ろを指差し、口をぱくぱくと動かして何事かを伝えようとしているようだった。その視線に導かれるように後ろを振り返り、ぐいっと強く手を引かれて、俺は目を覚ました。
 目を開けると、そこに見えたのはこの三ヶ月ですっかり見慣れてしまった薄暗い相馬の家の天井だった。俺はぼうっと瞬きをし、枕元に相馬が座っているのに視線を移した。
「ああよかった。目、覚めたんだね、日比谷くん」
 月明かりに照らされた相馬はいつもと変わらない柔らかな表情で、俺のことを見下ろしていた。布団からはみ出た手は相馬にしっかりと握られていて、暖かな体温が繋がれた手の中から伝わってきた。
 先ほどの夢から俺を引き戻したのは、やはりこの手だったのだなと、回らない頭で俺はそんなことを考えていた。身体はまだ鉛のように重く、盛られた薬は完全には抜けきっていないようだった。相馬は何も言わずに俺の首筋に指を這わし、脈を測って小さく息を吐いた。伏せられた目が一度俺を見て、またもう一度、ゆっくり俯いた。
「日比谷くん」
 まるで独り言のような呟きだった。
「俺は日比谷くんのこと好きだけど、こんなふうに自分のこと大事にしないところは、好きじゃないよ」
 相馬から初めて告げられた、好き、という言葉は、今まで何度も何度も言われて来たかのようにしっくりと俺の身になじんだ。俺は何故だか潤む瞳をどうにかしようとして、結局失敗して硬く目を瞑った。あとからあとから溢れてくる涙が、まぶたをこじ開けてぼろぼろと溢れ落ちていった。俺は重い腕を動かし、自分の目を覆った。
「俺は…怖いんだ…」
 口から出て来たのは、涙に濡れた酷い鼻声だった。でもそんなことを気にする余裕もなく、俺は何度もしゃくりあげながら、切れ切れに言葉を紡いだ。
「相馬といると、綾人を忘れそうになる…」
 相馬は俺の言葉を黙って聞いていた。握られた手のひらが燃えるように熱く、互いの熱を伝え合っていた。俺は彼の腕を引き寄せ、相馬はゆっくりと俺の上に身体を伏せた。







 その日、俺たちは初めて身体を重ねた。そしてその日以降、俺があの悪夢を見ることは、二度となかった。
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