拗らせた恋の行方は

山田太郎

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閉じた心

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 ピピピッとうるさく音を立てるアラームを止め、浩司はゴソゴソと布団の中で仰向きになった。一睡もできなかったーーわけではない。ただ寝ついたのは明け方に近く、こびりついた疲労が身体を重くしていた。カーテンの隙間から漏れ出る朝日を眺め、浩司は何度目かのため息をついた。
(やってしまった……)
 言うつもりはなかった。少なくとも、あんなところで全く見込みのない告白をするつもりは全くなかった。でも、浩司の思いとは裏腹に口からこぼれ落ちていった言葉は決してもう元に戻ることはないし、なかったことにもならない。昨日の加賀の冷たい横顔を思い出すだけで、浩司は胸がギュッと締め付けられるような気がした。
 あんな問答があったと言っても、仕事で来ている以上、理由もなく別々に帰るわけにはいかない。駅を歩く無表情の美しい男と目と鼻を赤くした強面の男の組み合わせは、道ゆく人の目を引くには十分だったが、浩司はそれに恥じらいを覚える余裕もなかった。黙りこくったまま一言も話さない加賀の横を半歩下がって歩きながら、浩司は何度も加賀に話しかけようとして、何を言っていいのかわからずに開いた口を閉じるということを繰り返していた。
 浩司は加賀が何にそこまで機嫌を損ねているのか、全然わからなかった。これまで何度も加賀に告白する想定はしていたけれど、想像の中の加賀はいつものような飄々とした笑顔で「本気にさせたなら悪かったな」と言って浩司の頭を撫でてくれていた。いや、それは流石に美化が過ぎたのかもしれないが、こんな風に感情を剥き出しにして浩司を拒絶するような姿は全く想像できていなかった。少なくとも浩司が加賀と関わりを持つようになってから数ヶ月、加賀のこんな姿を見たのは初めてで、浩司はかなり困惑していたのだった。
 結局、新幹線の中で気まずい時間を過ごし、東京に帰って駅で別れるまで、加賀は浩司と一言も話そうとはしなかった。浩司が口を挟む隙がわからずに、おろおろとしている間に、加賀はさっさと自分の家の路線の方へと向かってしまった。その後ろ姿を呆然と見送り、浩司は一人で社へ戻って残していた仕事を片付けたのだった。
「まあ、面倒なやつだよなあ……」
 恋人にはしない、と言われていたのに、結局本気になって告白して、行かないで欲しいと駄々を捏ねるだなんて……浩司はベッドの上に仰向けになったまま、自分の言動を思い出し、自分の自惚れ具合が恥ずかしくなって両手で顔をおおった。加賀が優しかったからといって、自分は特別なのではと勝手な期待をして気持ちを押し付けようとした。最初から、ちゃんと釘を刺されていたというのに。
「あーーー……」
 顔を覆ったまま、低く呻きながら浩司は足をばたつかせた。ひとしきり恥じらいの衝動が収まると、浩司はむくりと起き上がって時間を確認する。もうそろそろ家を出なければならない時間が近づいていた。
「……とりあえず、謝ろう」
 今日も昼から加賀と打ち合わせがある。わだかまりがあるままでは仕事だってやり辛い。仕事中に私情を持ち出したのは、浩司が完全に悪かった。謝って、加賀が望むなら向こうの家に置いてある荷物も取りに行って、そしてーーそして、この恋を終わりにしよう。
 痛いと叫ぶ胸に蓋をして、浩司は気合を入れて立ち上がった。最初からわかっていたことだ。覚悟していた分、亮介の時より気持ちの上では楽かもしれなかった。








 いつものように出社して仕事をこなしながら、浩司は加賀との打ち合わせが近づくにつれて胃がキリキリと締め付けられるような気分を感じていた。大丈夫だ、会って謝って終わりにするだけだ、と頭ではわかっているのに、加賀の顔を思い浮かべるだけで腹の中がずんと重たくなる感じがする。
「「はあ………」」
 浩司が思わずため息をついたのと同時に、衝立越しに隣の席からも大きなため息が聞こえてくる。ちらりと横を伺うと、暗い顔をした安藤がパソコンに向かってキーボードを打っているのが見えた。
 安藤は年末の騒動からずっとこの調子だった。発注ミス自体は別に安藤だけのせいではないし、浩司が確認していなかったのが問題なのだが、この気のいい後輩はそれを自分のせいだと思って落ち込んでいるのだ。浩司も事態の後処理に忙しく、安藤のフォローをする余裕がなかった。年を跨いで少しはマシになったかと思っていたのだが、そんなこともないらしい。普段明るい後輩の沈んだ様子に、浩司は苦笑してその背を叩いた。安藤はびっくりした顔でこちらを振り向き、犯人が浩司だとわかるとその眉を情けなくハの字に下げる。
「痛いっすよ。なんなんすか、もう」
「昼飯いくぞ」
 もうすぐ昼食の時間だし、早めに出て話を聞いてやってもいいだろう。浩司自身、朝から気が重く気分を変えたかったのもある。浩司は強引に安藤の腕を取り、社から連れ出した。
 1月の風は刺すように冷たく、社を出たところで吹き付けてきた鋭い風に、浩司と安藤はそろって首を竦めた。こうして2人で昼食に行くのも久しぶりだ。安藤はちょっと戸惑っていたようだが、気にせずに浩司がどこに行きたいか聞くと、遠慮がちにいつもの定食屋の名前をあげた。
「あー、寒かったっすねえ」
「急に冷え込み始めたよな」
 定食屋の門を潜り、暖房の効いた室内に入ったところで、安藤がほっと息を吐く。今年は暖冬だと言っていたのに、年が明けてから急に寒くなった。
 席について注文を持つ間、いつものように他愛のない話をしていたが、しばらくすると、安藤の様子が少しおかしいことに気がついた。目があちこちに泳ぎ、視線を何度も膝の上に落としている。何か言いたいことでもあるのかと思い、浩司が話すのをやめると、二人の間にどこか気まずい沈黙が落ちる。安藤は完全に下を向いてしまって、浩司の側からは安藤のつむじしか見えなかった。自分より背の高い後輩の頭頂部を眺めながら、思ったよりも安藤がダメージを受けていたことに気が付けなかったほど、自分にも余裕がなかったのだということに、浩司は今更のように気がついた。
「悪かったな」
 謝罪の言葉はするりと口からこぼれ落ちた。向いで俯いていた安藤が弾かれたように顔を上げ、唇を震わせる。
「なんでっ、なんで大澤さんが謝るんすか!」
 安藤は泣き出しそうな顔をしていた。いつも朗らかなその顔は、情けなく眉が下がり、ぎゅっと眉間に皺が寄せられていた。
「俺の…俺が修正したところが問題だったのに、戻ってきたら大澤さんの責任になってて、俺、なんにもできなかったっす。色んな人に迷惑かけたのに、俺のせいじゃなくなってて、俺」
「馬鹿」
 浩司は呆れて安藤の言葉を強めに遮った。責任感が強いというのも考えものだ。
「半人前にとれる責任があるかよ。お前のミスは俺の責任だし、現にお前に任せっぱなしできちんと確認しなかった俺が悪かったんだ」
 安藤は浩司に言わせればまだ新人だ。仕事も覚えてきたし、なんでもそつなくこなす奴ではあるが、一人前とは言えない。自分の監督不足だとはっきり言い切った浩司に、安藤はしおしおと萎れたが、その姿勢のまま「でも…」と言い募る。
「でも、一緒に謝るくらいはできたっすよ……」
 浩司はその言葉に虚をつかれて黙り込んだ。安藤が何に落ち込んでいるのかがようやくわかって、ガシガシと頭を掻く。浩司も浩司で一人でどうにかしなければと突っ走っていたのは同じだったのだ。
「あー、なんだ、その」
 気まずく口ごもった浩司を見て、安藤はようやく少し笑った。「今度は一緒に連れて行ってくださいね」と可愛いことを言う後輩に、もう一度同じことがあってたまるかと叱りながら、浩司は少し、自分の気持ちが軽くなっているのを感じていた。
「ええ、加賀さん辞めちゃうんすか?」
 やってきた定食を一緒に食べながら、昨日の事態を掻い摘んで説明する。言ってどうなるものでもないが、とりあえず状況はともあれ事態が収まったということは安藤にもきちんと説明してやらなければならないと思った。今まで安藤を不安にさせたくなくて、細かいことは言わずに心配するなとしか言わなかったが、それこそが安藤を追い込んでいたのだということに、浩司もようやく気がついたのだった。ただ、その過程で口が滑って加賀の引き抜き話まで安藤に話してしまったのは誤算だった。脅されたようなものだという部分は省いたが、浩司は自分の迂闊さに苦い思いで、安藤に他の奴には言うなよと口止めする。
「まだ決まったわけじゃないが、おそらく近いうちに話は来るだろうな」
 加賀のことを思い浮かべると、さっきまで収まっていた胃痛がシクシクと存在を訴え始める。無意識に胃の辺りを抑える浩司の前で、安藤は箸を咥えたまましょんぼりと肩を落とした。
「そうなんすね…めちゃめちゃ優秀な人っすからいつか引き抜かれるんじゃないかとは思ってましたけど」
 残ってくれるといいですね、とストレートに言う安藤に、浩司はちょっとだけ言葉に迷って、結局そうだなとだけ呟いた。そうだといい。でもきっとそうはならない。浩司は加賀の氷のような横顔を思い出して、そっとため息をついた。








 昼休憩が終わるとすぐに会議の時間が迫っていた。資料を用意して会議室に向かうと、入り口のあたりに加賀が立っているのが見えた。ふと横を向いた加賀と視線が合ったが、その顔はいつものように何を考えているのかわからない飄々とした顔で、浩司は少しほっとしていつものように声をかけようとした。
「加賀さ……」
 その瞬間、何事もなかったかのように加賀は前を向き、先に会議室の中に入っていってしまった。浩司は思わず足を止め、挙げかけた手をそっと下ろした。心臓が嫌な風に音を立てていた。いつもはーーいつもは、こんな風に声を掛けたら、加賀は浩司が来るのを待って一緒に会議室に入ろうとしてくれるのだった。昨日の事で何か思うことがあったとしても、こんな風に仕事場で態度に出されることなどないと思っていた。
(いや、時間が迫っているせいかもしれない……)
 これだけのことでそんな風に思うのはよくないと思って、浩司はぶんぶんと首を振り、部屋へと足を進める。加賀の態度が自分のせいだと思うのは、あまりに自意識過剰のように思えた。
 会議室の中にはもう浩司以外のチームリーダーは揃っていた。浩司は会釈しながら余った席に腰掛け、用意してきた資料を配布する。会議はいつもと変わらず、内容は昨日の事の顛末の報告とこれからの予定について意見交換だった。加賀の方をそっと伺ってみても、浩司に話しかける加賀の態度はいつもと特別変わらず、さっきのことはきっと気のせいだったのだ、とそう納得して浩司は会議に集中することにした。
「はい、では今日はこれで終了で」
 報告の内容以外はいつもの確認と変わらないので、そう長くはない時間で会議は終了した。部署同士が近いリーダー同士が連れ立って出ていく中、さっさと加賀が部屋から出て行こうとしているのを見て、浩司は慌ててその背中を追いかけた。
「か、加賀さん」
 人気のない階段で呼び止めれば、その背中は立ち止まったが、浩司は拭えない違和感に息を弾ませた。だっていつもは、加賀が浩司を連れて一緒に帰るのだ。
「なんだよ」
 振り返ったその顔が驚くほど冷たくて、浩司は思わず喉を鳴らした。いつもと変わらないなんて嘘だった。でも、浩司は加賀が何故そんなに冷たい態度を取ろうとするのかがわからない。怯みそうになる足をぎこちなく動かして、浩司はなんとか口を開いた。言いたいことも言えずに終わるのは嫌だった。
「昨日の…昨日の話をしたくて、今晩」
「悪いが」
 加賀は浩司の言葉をにべにもなく遮った。視線を逸らし、俯く横顔は髪で隠れて表情がわからなかった。
「今日は空いてない。また今度な」
「ちょっ……」
 引き留めようとする浩司を置いて、加賀はスリッパの底を鳴らしながら、階段を降りていってしまった。浩司は階段の途中で立ち止まったまま、茫然とその背中を見送ったのだった。
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