拗らせた恋の行方は

山田太郎

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嵐の予感

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「加賀さん、ここの数字についてなんだが…」
「ああ、後から説明しようと思ってたんだが、こっちの部品が変更になったってさっき話したろ? そのせいでここも変わっちまうんだ」
 加賀と寝るようになってからといって、仕事上での関係が変わるわけではない。年末に向けて社内の仕事が増える中、プロジェクト関連の業務は一段と忙しさを増していた。浩司と加賀は毎日のように打ち合わせを行うようになり、自然と一緒にいる時間が増えていっていた。そしてそれに伴って、なし崩しにセックスに雪崩れ込む機会も増えていた。お互い、仕事中に私情を挟むようなことはないとはいえ、これがあまりいい傾向と言えないのは明らかであった。抱かれるたび、加賀のことを思う気持ちが強くなっていくのを感じる。好きだという言葉が、もう少しで口から出そうになることも何度もあった。しかしその度、言ってしまえばそれで終わりなのだという事実が頭をかすめ、なんとか口をつぐんでいる。
「そういえば、最近、よく加賀さんちに泊まってますよね。大澤さん」
 外回り後、二人で昼食をとっている時に何気なく発せられた安藤の言葉に、浩司は飲んでいる途中だった茶が変なところに入りそうになってむせ返った。ゲホゲホと咳き込む浩司の前に「大丈夫っすか?」とおしぼりを置いてくれながら、安藤は不思議そうに首を傾げている。その大型犬のような顔が悪魔の顔に見える。そう思われるような行動は何もとっていないはずなのだが、何せ今日も加賀の家から出社しているもので、浩司は背中に冷や汗をかきながら息を整えた。この後輩は一見何にも考えていなさそうに見えて、不思議と妙に鋭いところがある。
「別にそんなことは…」
「そうっすか? たまに大澤さん、加賀さんのネクタイ着けてません? おんなじシャンプーの匂いする時あるし」
 弁解の言葉は続く安藤の台詞に遮られた。心当たりのありすぎる言葉に浩司は言葉を失う。
 加賀の家によく泊まりに行くようになって一番困ったのはネクタイだ。二日続けて同じのをしていってもいいが、営業職は身なりに気を付けろと浩司自身がよく言っていることでもあり、勧められるままに加賀のネクタイを借りていってしまっていた。加賀は普段は社外に出ない仕事なのでノーネクタイだったし、どこにでもあるデザインだからバレていないと思っていた。ただ、考えてみれば浩司は加賀とよく会うので、ノーネクタイの姿の方が見慣れているのだが、安藤をはじめ会議などの格式張った場でしか加賀と話さない面々は、よほどネクタイ姿の方が見慣れているのだろう。シャンプーに関しては…そんなに匂っているのだろうか。
 思わずすんすんと匂いを確認してしまう浩司の前で、安藤はもぐもぐと美味しそうに料理を咀嚼しながら「いや、匂いは後づけっすけどね」と能天気に笑う。
「俺も最初は似てるネクタイ持ってるだけなのかなって思ってたんすけど、裏見えたときにイニシャルが違うなって思って。それにたまに朝一緒のエレベーターに乗ってるとこ見かけますし。チームリーダーってそんなに打ち合わせとか大変なんですか?」
「いや…うん、まあそれなりにな。加賀さんの方が会社から家が近いから、たまに甘えてしまう」
 浩司はぎこちなく笑い、これ以上ボロを出す前にその話を打ち切った。
 今度から加賀に衣服を借りるのはやめよう。どこに落とし穴があるのかわかったものではない。幸い安藤は仕事の打ち合わせだと思っているようだし、男二人がよく泊まっていると言ったところで変な想像をする人間の方が少ないとは思うが、加賀がゲイであるというのは社内では有名な話だし、それにどこに人の目があるかはわからない。以前は結構気を遣っていたのだが、最近会う回数が急激に増えたせいで、気が抜けていたのかもしれない。浩司は安藤に気づかれないように、そっとため息をついた。







 事件が起きたのは、安藤とそんな話をして数日が経ったころだった。
「おはよう」
 朝いつものように出社をしたところで、浩司はふと小さな違和感に気がついた。いつも挨拶をしたところで数人がちらりと視線を上げるだけなのだが、今日はやけに顔を上げる人数が多い。そのくせ皆口の中で挨拶を返すだけで、すぐに視線を逸らす。その物言いたげな視線に浩司は小さな引っ掛かりを感じたが、一瞬のことだったのであまり気に留めなかった。
 違和感が大きくなったのは、仕事を始めてしばらくして、午後の打ち合わせのために加賀が営業部に一瞬顔を出した時だった。加賀が浩司に声をかけたとたん、ざわりと空気が動いたのを感じた。浩司はその不快さに思わず顔をしかめた。何か自分の知らないところで妙なことが起きている、そんな気配がする。視線を向けてみても、気まずげに目を逸らされるばかりで何もわからない。席に戻りながら、浩司は舌打ちしたいような気持ちで安藤に声をかけた。
「安藤、外回りいくぞ」
「了解っす。鍵貰ってきますね」
 浩司達の勤める会社は、数台の社用車を保有している。営業部も基本は歩きだが、遠方の取引先に行く際には車を使うこともある。事務に鍵を取りに行っていた安藤を待ち、駐車場へと向かう。地下に停められた車に乗り込むと、浩司はミラーやシートを自分に合わせて調節した。基本は後輩が運転するものだが、安藤は今教習中だそうなので浩司が運転することになっている。
 浩司は普段あまり車に乗らないが、運転そのものは結構好きだ。短いドライブではあるが、今朝からのよくわからない妙な空気感で溜まったフラストレーションを解消するにはもってこいだった。
「着くまでにもう一度資料確認しておけよ」
「わかってますって」
 シートベルトをしめながらニコニコ笑う安藤を横目で見ながら、浩司は車を発進させた。駐車場から出て裏道を抜ける。この時間帯は大通りを使うよりも、脇道を行く方がよほど早く目的地までたどり着く。車内には安藤がパラパラと資料をめくる音だけが響いていた。
 運転席でハンドルを握りながら、浩司は今朝から気になっていた周囲の物言いたげな視線に思いを馳せていた。昨日帰るまでは妙な雰囲気はなかった。何かあったとしたら今朝浩司が出社するまでの間の話なのだが、何をしでかしたのかとんと心当たりがない。しかも加賀がやって来た時に反応が大きくなっていたのが気になる。営業部と関係のない加賀にまでなぜ皆が反応するのか、考えてみても全くわからなかった。
 浩司は運転席でため息を噛み殺した。結局考えてみてもわからないものはわからない。昼休みにでもそれとなく聞いてみようーーと思ったところで、安藤が何かを思い出したかのように資料から顔を上げた。
「ああ、そうだ、大澤さん」
 経理課の奴らから聞いてこいって言われてたんでした、と能天気に笑う安藤の顔が憎らしい。なんだ、と顎でしゃくって質問を促しながら、浩司は信号が赤になったのに気がついてブレーキに足をかけた。

「大澤さんって、加賀さんと付き合ってるって、本当なんっすか?」

 その瞬間、浩司の足がブレーキを踏み損なわなかったのは奇跡に近かった。ゆるゆると減速して前の車の後ろにピタリとつけ、浩司はたっぷり十秒は置いて安藤の方を見る。
「……………は?」
「経理の吉岡さんが今朝言ってましたよ。大澤さんと加賀さんは付き合ってるって」
 もしかして聞き間違いなのではと思いたかったが、続けられた安藤の言葉はそんな浩司の淡い期待を打ち砕くものだった。言葉が出ない浩司をよそに、安藤はペラペラと資料をめくりながら今朝方聞いたという話を教えてくれる。
「昨日の晩、マンションのベランダで二人がキスしてるの見たとかなんとか。まあ吉岡さんの言ってることだし、見間違えだろってみんなで言ってたんっすけど、なんかムキになっちゃったみたいで色んなところで言いふらしてましたよ」
 その瞬間、今朝からの異様な雰囲気の理由が全て理解できた。皆の気まずげな視線も、加賀が来た途端反応が大きくなったのも、全てはこの噂のせいだったのだ。浩司はざっと血の気がひいていくのを感じていた。ハンドルを握った指先が冷たくなっている。
 吉岡が見た、というのは間違いなく加賀と浩司本人だろう。昨晩も遅くまで打ち合わせをしていて、夕飯を一緒にとってそのまま加賀の家でセックスをした。浩司も加賀も普段から喫煙習慣があるわけではないのだが、たまにストレスが溜まると吸いたくなる時がある。昨日はたまたま二人とも吸いたい気分だったので、ベランダで並んで一服していたのだ。話をしているうちにまた盛り上がってきて、その後もう一戦したので、その前の戯れのようなキスを見られていたのに違いない。本来こんな上司のナイーブな話を社内に言いふらすなんてあってはならないことだし、見間違えだったら訴えられても文句は言えないと思うのだが、加賀が社内一の有名人で、ゲイであるということをオープンにしているのが彼女の口を軽くしたのだろう。
 迂闊だった。安藤と話をしてから、出社する時の身なりや時間には気を付けていたのだが、ベランダまでは気が回らなかった。加賀の家が結構高層にあるというのもその油断の一因ではあった。
 浩司は粘つく口内を唾で湿らした。ここで返答を間違ってはならない。
「バッカだな、お前ら、それで今日なんかみんな変だったわけか。確かに昨日は加賀さんちに泊まったし、ベランダでも話したけど、タバコ吸ってただけだぞ? たまたまそういう角度に見えただけじゃないのか」
 引きつる顔を意識して笑顔の形にし、くだらない冗談だと笑い飛ばす。嘘をつく時は事実を織り交ぜるのがセオリーだ。今朝の空気感を思い出してみても、幸いにも信じている人間は少ないようだし、ムキにならずに否定していれば、そのうち噂も収まるだろう。収まるはずだ。そうっすよねえ、と相槌を打つ安藤は、相変わらずいつもと変わらない茫洋とした顔をしており、浩司はなんとなく不安な気持ちを抱えたまま、車を走らせたのだった。
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